ずっと「無意味なものを作ろう」と思っています。
ちょっと気持ち悪いぐらいの感じにしたい

水野:作品のネタは次々と浮かぶものですか?
田中:そうですね。iPhoneのメモ帳にバーってアイデアを書いて溜めています。ネタに困ることはあまりなくて。「よし、今からこれについて考えよう」って始めるタイプなんです。「ネタが降ってきた」みたいなカッコいいタイプではありません。しっかり1時間なり、2時間なり、お寿司だったらお寿司のテーマで考える。
水野:ぜひみなさんに読んでいただきたい、田中さんの『すしん』という絵本がありまして。また息子の話で恐縮なんですけど、ページをめくるたびにキャーキャー言うんですよ。
田中:嬉しいですわぁ。
『すしん』
水野:僕もびっくりする展開が続く。あのひとコマ、次々と進む展開は、ところてんのように出てくるものなんですか?
田中:ごめんなさい、そんなに綺麗にぬるっとは出てこないんですよね。思いつくことを片っ端から書いて、「これつまらないな」「これもつまらないな」「これはおもしろいな」「ここを広げようかな」「先にAを出したら、Bが弱くなるから、Aを後ろにしよう」みたいな。
水野:ああ、なんと。とても論理的な作業なんですね。ぽっぽっぽっと生まれたアイデアを並べるだけではなくて、俯瞰して考えることが行われている。あと、僕みたいな素人は「このニュアンスというか、雰囲気というか、味みたいなものってどうやったら出せるんだろう?」と思うんですよ。『ねこいる!』の猫たちの表情とか、『すしん』で寿司が飛んだときの躍動感とか、田中さんの絵じゃないと出せないおもしろさがある。
田中:嬉しいです。ちょっと気持ち悪いぐらいの感じにしたいという気持ちはありますね。『ねこいる!』でも、“ただかわいい猫”を描かないようにしました。あえてTHE 猫のガッツリ猫目で描いて。むちゃくちゃ上手な絵って、もちろんそれはそれで素晴らしいです。でも、個人的な感覚としては、「上手いだけなら写真でええやん」と思ってしまうんですよ。それよりも、ひとが描いているからこその、線の揺れだったり。
水野:偏りだったり。
田中:形がうっすら崩れていたり。わざと崩しているわけではないけれど、そういうところが気持ちよかったりするので。

水野:それを変に整えないというか。
田中:はい。上手すぎる絵は描かないようにしていますし、描こうと思っても描けないと思います。
水野:書いていくうちに、「これはもうちょっと文字デカめのほうがいいな」とかも修正していくんですか?
田中:文字の大きさに関しては、絵本で言うと、デザイナーさんと話しながら。
水野:あ、話し合いながら総合的に作っていくものなんだ。
田中:そうなんです。フォントも「これは絶対に明朝体でいきたいです」みたいなことがあったりします。それもやっぱりいろんな方に「どっちのほうがいいですかね?」と意見を聞いて。あと本のサイズに関しては、「大きく作りたいんですけど、このサイズだと多分、書店で展開しづらいんですよ」って話とかもあって。じゃあ、奥に引っ込められてもイヤだから(笑)、ちょっと小さいサイズにしたり。
水野:おもしろいですね。田中さんのおもしろさの核はブラさず、その他は本当にいろんな要素、いろんなひとの意見が混ざり合い適用されて、できあがっていくんですね。
僕らに意味なんてあるわけない

水野:これから「こういう作品を作っていきたい」みたいなイメージはありますか?
田中:一貫して、ずっと「無意味なものを作ろう」と思っています。変なメッセージ性も何もない。やっぱり現象だけを描きたい気持ちが強くありまして。
水野:どうしてメッセージ性を遠ざけたいのでしょう。
田中:それこそ野球もそうですけど、僕らが勝手にルールを決めて、勝手に一喜一憂していることばかりじゃないですか。もっと引いて見ると、僕らが生まれてきて、生活していることにもすごく何か意味を持たせたりしがち。平和だとか、何だとか。
水野:はい。
田中:だけど、もっと引くと、発生して消えるだけなんですよね。そこに僕らが意味を設けているだけで。意味があって存在しているものはない。だって、宇宙自体の発生も意味なかったんやもん。その上にいる僕らに意味なんてあるわけない。無意味なんだ。ということを描きたいんです。
水野:なるほど。
田中:これは別に中二病的なネガティブな気持ちではなくて。たまに「生きている意味がわからない」と言うひとがいるじゃないですか。「意味なんてないんです。できていくもの、見つけていくものです」って言えたらいいかなと。たとえば、好きなひとができて、結婚して、子どもができて、「この子を育てなければ」という意味ができたりする。そうやって意味はあとからできていくものだなと思うんですよ。
水野:すごく腑に落ちました。だから田中さんは、読み手自身が意味を作ることに、楽しさを感じているんですね。他人から物語やおもしろさを規定されるのではなく、自分から立ち上げていく。
田中:そういう余白を残したものを作りたいなという気持ちはありますね。悪く言えば「投げっぱなし」とか言われることもあるんですけど。

水野:僕もすごく共感しています。いつも「何にも書いてない歌を書きたい」って思うんですよ。“何か書いている”んだから、矛盾しているじゃないですか。でも、何も書いてない歌が、聴いているひとにとってはいちばん豊かなことが書いてあるんじゃないかって。それって絶対にたどり着けないんですけど。
田中:とんちみたいな話になってきますよね。
水野:自分の話で恐縮なんですけど、いきものがかりの「ありがとう」って、ほぼ何も言ってない歌なんですよ。歌だったら、“ありがとう”という気持ちを“ありがとう”以外の言葉で表現しなさい、とか。どの“ありがとう”なのか、誰に対する“ありがとう”なのか、物語を提示するのがいいはずだ、とか。そういうセオリーがあって。
田中:はい、はい。
水野:だからあの歌って、「ありきたりなことしか書いてなくて、毒にも薬にもならないじゃないか」という批判の言葉をいただけるんですけど。逆に、「そうですよ」と言いたい。
田中:僕が作っているものも、まさにそれなんですよ。
水野:「毒にも薬にもなりませんよ。ただ、あなたが毒を必要としているときは毒になり、あなたが薬を必要としているときには薬になるものであってほしい」っていう。それが難しいんですけどね。どうやったら作れるのかがわからない。たまたまできることもあるし。
田中:僕もAmazonのレビューとかで、「うちの子は何のことかわからずに、ハマりませんでした」とか書いてあるんですけど、「そやろな」って思いますもん(笑)。
『はれときどきぶた』の怖さの理由

水野:ちょっと話が脱線するんですけど、僕は子どもが生まれたことで、絵本を読むという時間にまた出会っているんですね。で、大人になった今読むと、また違ったものが見えてくることがあって。田中さんの作品も、今読んでいるうちの息子が10年後とかに読んだら、また違ったおもしろさを感じるのかなって。
田中:そういうのってありますよね。『はれときどきぶた』という絵本ご存じですか?
水野:はい、はい。
田中:小さい頃、すごく楽しく読んでいたんですけど、どこかうっすら怖いような感覚があって。大人になってもう1回読んだとき、あの怖さの理由がわかったんです。あれはたしか、主人公が絵日記に嘘を書いたんかな。それを消しゴムで消したら、消し忘れた文字が「はれときどきぶた」となって、本当にブタが降ってくる。つまり嘘が本当になっちゃうみたいな話で。
水野:はいはいはい。
田中:他にも嘘ばかり書いてあって、そのなかに鉛筆を食べるシーンがあったんですよ。“鉛筆を揚げて天ぷらにして、お父さんもお母さんも妹も「うまい、うまい」って食べている”という嘘が現実で起きてしまう。当たり前のことみたいに鉛筆をバリバリ食べている風景が描かれているんですけど、それがむちゃくちゃ怖くて。
水野:怖いですね(笑)。
田中:似ているけれど違う、パラレルワールドに入っちゃった感じ。あの自分だけひとりぼっちの感じ。大人になって改めて読んでみたとき、そういう怖さの理由に気づきましたね。
水野:意味のないもののおもしろさって、そこにあるのかもしれません。そのひとの年齢や経験、状態によって意味が変わる。だから何度でも楽しめるんですよね。最後に田中さん、これからクリエイターを目指す方たちに向けて、何かメッセージをお願いします。
田中:僕がずっと持っているのは、読むひと、見るひと、聞くひとを、「びっくりさせたい」という気持ちなんですよね。驚かせたい。ポジティブでもネガティブでもどっちでもいいんですけど、とにかく「なんやこれ!」ってびっくりしてもらいたい。
水野:僕も読むたびに驚いています。
田中:多分、ものづくりってこの気持ちを失うと、本人もつまらなくなってしまう気がします。僕はたまたま「笑ってもらいたい」が「びっくりさせたい」のベクトルだし、これがホラー漫画家だったら「怖がらせたい」になるんだろうし。言い方を変えたら「感動させたい」なのかな。そういう気持ちを持っていたほうが楽しいと思うので、そこを大事にしてほしいですね。
文・編集: 井出美緒、水野良樹
写真:谷本将典
メイク:内藤歩
番組:J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
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