HIROBA TALKS 大野雄二

【大野先生に聞いてみました】
HIROBA with 大野雄二

※こちらは2019年12月にHIROBAにて公開された記事のアーカイブ版です。

2019年12月6日に全国ロードーショーで公開される映画『ルパン三世 THE FIRST』。
「ルパン三世」では史上初となるフル3DCGアニメーション作品ということでも話題を集めています。監督は山崎貴さん。そして音楽はもちろん、大野雄二さん。今作のエンディングテーマ「GIFT」の作詞を、大野先生からご指名いただき、水野が書かせていただくことになりました。


今回の「大野先生に聞いてみました」は、映画公開を機にリリースされる『ルパン三世 THE FIRST』オリジナル・サウンドトラックのブックレットで行われた特別対談のアフタートークとして、水野がいろいろな疑問を大野先生にぶつけてみた、おしゃべりの模様です。

お話は、当初、ジャズプレーヤーとして自由な即興演奏の最前線にいた大野先生が、制約の多いCM音楽のお仕事を始めて、さまざまな気づきがあったというところから始まります。すべての音楽家、音楽ファンに読んでいただきたい、楽しくて、発見に満ちた大野先生のお話です。

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大野雄二(おおの・ゆうじ):1941年生まれ。ジャズピアニスト、作曲家、編曲家。
小学校でピアノを始め、高校時代にジャズを独学で学ぶ。藤家虹二クインテットでジャズピアニストとしてキャリアをスタートしたのち、作曲家としても活動。CM音楽のほか、「犬神家の一族」「人間の証明」「ルパン三世」「大追跡」などの映画やテレビの音楽も手がけ、数多くの名曲を生み出している。近年は再びプレーヤーとしても活動し、都内ジャズクラブから全国ホール公演、ライブハウス、ロックフェスまで積極的にライブを行う。
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音がないから、音がある。

水野:「制約があったほうが面白い」というところが僕は響いてしまって。最初は自由の極地のような、ジャズの最前線でピアノを弾いていらした。それが今度は逆に、制約ばかりのCM音楽のお仕事をされたことで感覚が変わっていく。自由に弾かれていたときの自分の状態ではもう弾けないんだっていうことをおっしゃっておられました。今、ひとりで作曲をされているときと、ジャズピアニストとしてピアノを弾かれるときと、どっちが楽しいですか?

大野:どっちとも言えないな。若いときは若いときでガムシャラというか、信じているんだよね、「これが一番いい」と。自由に全力投球でウワーッって弾くことが一番いいと思って弾いてた。じゃあ、そのときの自由な演奏を今やれと言われても、もう今の自分はいろいろなことを経験で知ってしまっているからできないな。


大野:今はね、理性的になっている自分が必ず(頭上を指差して)この辺から見ている。オーバーしそうになるときに「バカやってるんじゃないよ」ってすごいクールに言ってくれる自分がいるんだよね。これはこれで、だからこそできる演奏があるわけ。若いときの自分にはできない演奏が。

これは哲学的みたいなものだけど、音ってね、休みがないと音は“ない”んだよ。

どこかに休みがあって、はじめて音符があるから。シンコペーションを例にとってみてもね、音がひとつあるときに、そこから平坦にバーっと音を連ねても、あんまり良い感じがしないんだよね。だからそこに音符の長さの違うものや、どこかで休みを入れる。それがシンコペーションだよね。

そういう工夫によって音が“ある”ってことが“ない”ことの証明になり、音が“ない”っていうことが“ある”っていうことの証明になって、それが良かったり悪かったりする。そういうことがだんだんわかってくる。だから、俯瞰して考えていくと、いかに無駄な音をいっぱい使って弾いているかってことに気がつくようになるんだ。もっと休んでもいいんだよって。例えばトリオで演奏していると、自分が弾いているでしょ、ベースも弾いているでしょ、ドラムもいるでしょ。そうするとピアノの自分が8小節ぐらい休んだって何の支障もない。

水野:はい(笑)。でも、埋めていっちゃいますもんね。

大野:ね。埋めちゃう。でも休んで、あえて弾かないことがスリルにもなる。この人、次はどこから出てくるんだろう?何か意味があって弾かないんだろうか?ってね。

水野:自由に弾かれていた頃と比べて、他の演奏者の音の聴こえ方というのは、変化がありましたか?僕はジャズのセッションというものをちゃんと理解できていないと思いますが、ポップスのミュージシャンたちも、いい演奏家だと呼ばれる方々は決まって、他の演奏者の音をよく聴いているように感じています。彼らは自分の音よりもむしろ、他の演奏者の反応に集中力を使っている気がして。CM音楽をやられて俯瞰する視点を持たれた。音楽における“ある”と”ない”ということの価値観を獲得された。そうなったときに例えばベーシストの音であったり、ドラマーの音であったり、すべてが見えすぎてしまって演奏に影響することはないんでしょうか。

大野:一言でいうと、CM音楽っていうのはスタジオで録るわけ。スタジオで録るってことはプレーバック(再生)するんだよね。演奏家としてジャズだけをやっていた若い頃は、スタジオレコーディングっていうものをほとんどやっていない。全部ライブだから。で、ライブは当然プレーバックがない。

水野:なるほど。

大野:だから「終わった!ワーっ!」で終わっちゃうの(笑)。そうじゃなくて、スタジオ録音はその場でプレーバックするから反省させられるわけ。

水野:はいはい(笑)。

大野:それを何十年もやっていると、ものすごく人の音を尊重して聴くようになるんだ。特に自分の演奏をプロデューサー的な立場で聴いていると「こいつ、余計な音をいっぱい弾いてるな」というのがどんどんわかってくるんだよ。その経験がすべて流れとなって、また今度ピアノを弾いたときに自分の演奏に影響が出てくる。

水野:それは作曲にも影響してくるんですか?

大野:うん、そうだね。おおいに

水野:そのお話とつながるかもしれないですが、メロディも言葉も、無駄な表現になってしまうというか、つい冗長になりがちじゃないですか。だから、削いでいきますよね。とはいえ全部削いで、完全な無音になってしまったら駄目なわけで。つまり、残すものを選んでいくわけじゃないですか。その「最終的に何を残すか」という感覚はどう養っていかれたんですか?

大野:だから、すべてが禅問答みたいなもんでね。

水野:はい(笑)。

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大野:まずね、ジャズを演奏するにしても、演奏中の法律、ルールみたいなものは1曲のなかで、すごく短い時間で次々と切り変わっていくものなんだということを理解しなきゃいけない。弾きすぎるな、弾きすぎるなとは言いながら、ある瞬間では弾きすぎていたほうが良いわけ(笑)。その部分では、もう法律が変わっているの。だから、ほんとに禅問答。でね、今の8小節はこういう法律で演奏していたけれど、次の8小節からは違う法律になるんだよって、一緒に演奏している人が瞬時に理解してくれないといけない。「もう法律が変わっているのに、君、まだその法律で演奏しているの?」ってなるとつまらなくなっちゃうわけ。

水野:ああ、すごく難しい(笑)。

大野:それは単位の問題として考えてね、例えばピアノソロの場合、何コーラスも続く大きな単位のなかでは、どこかで弾きすぎる場所が出てきても駄目じゃない。そこではピアノがいっぱい弾いていいよっていう法律だったんですよ、ということ。

でも、そのときに、ベースやドラムが「ピアノのバックだからおとなしくしていよう」じゃなくて、ピアノのソロに一緒になって食い込んで入って来たりするのが面白かったりする。自分がウワーッと弾いているから、ドラムもそこにソロみたいに絡んで来たりとかね。バックでチンチキとか静かにやってるんじゃなくて、ウワーッって入ってくる場所もあっていい。

そうこうしているうちに、ピアノが休む。そこにベースがタイミングよくドルンドンドンって渋く入ってくる。お客さんからすると、今まで主役だったピアノがいないことによって、余計にベースが浮かび上がってくる。だから、そこではピアノが“休んでいる”ことがかっこいいってなるんだよね。

水野:ああ、なるほど。

大野:演奏中の法律がしょっちゅう変わっているなかで、演奏している人たちがものすごく優秀だと瞬時に理解してくれて、「あ、ここはバックだけど、おれの出番だな」って絡んできてくれる。このね、「バックだけど、おれの出番」っていうのはすごく難しいんですよ。

水野:はい。バックだけど、おれの出番。無音の出番ってことですよね?

大野:うん。主役はピアノなの。でも、その合間で、ドラムが「ゴッ」とかって一音叩いただけで、ピアノのフレーズを生かす。「ここを生かすためには、おれが何とかしなきゃ」っていうのは、主役っぽくないけど、考えようによっては、それも一種の主役なわけでしょ。でもそこで、出しゃばりすぎちゃって存在がありすぎちゃっても駄目、ということを理解している人がかっこいいんだよ。

ものすごくクールに、何もしないで、ちっちゃい音でチンチクチンチクってやっているところに、すごくいいシンコペーションで、ピアノがコンッって一音弾く。そこにドラムが韻を踏むように応えて、どこかでコンとかって入る。でも、そこからまたしばらく黙っちゃう。そういうのがかっこいい。

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水野:(笑)すごいな。

大野:これがね、アレンジとしてつくっちゃ駄目なのよ。

水野:そうなんですね。

大野:ジャズのアドリブの場合は。

水野:でも、当然、大野先生はアレンジ(編曲)もされるわけじゃないですか。今のお話、ジャズのセッションのなかで行われていることは、ある種、会話ですよね。立体的な考え方で「今、おまえが前に行ったから、おれは後ろに行く」っていうことのコミュニケーションがずっと…。

大野:そう、続いている。

水野:楽曲の時間軸のなかでそれがずっと続いていて。でも、演奏者間のフォーメーションもどんどん変わっていく。「この4小節では君が前。次の4小節はおれが前」って。お互いに瞬時に理解できないといけない。常に立体的に、すべてが動的な時間経過を、みんなで楽しんでいるわけですよね。

大野:そう。

水野:だけど、大野先生が今、映画音楽とかでやられていることは、作曲家として全体をプロデューサー視点からコントロールすることじゃないですか。

大野:はいはい。

水野:これも、また禅問答ですよね。演奏家としては、チェスの駒同士だったものが、作曲家としてはチェスの駒を上から俯瞰で見るみたいな。そのときの難しさっていうのはないんですか?どの視点から、曲をつくりはじめるのか。

大野:曲をつくるときに、さっきのジャズの当てはめ方みたいなものは当然あるんだけれど、これには限度があるわけ。特に弦(ヴァイオリン、チェロなどの弦楽器)の人とかは譜面に書いていないものは弾かないでしょ。

水野:はい(笑)。

大野:だから、弦の人たちも含めて、いかに、そこに「つい参加してしまった」かのような、「ついこう弾いちゃいました」的な感じに聴こえるアレンジにするのかっていうのがね、難しい。いかにも「できていますよね、これ。きっちり考えたから、こうなっていますよね」っていうアレンジは、わざとらしくなるわけ。アレンジをやり始めた最初のうちって、みんなそうなんだけどね。どんなにそう見えないように書こうと思っても、なかなか難しい。でも、ベテランになってくると、それをうまくできるようになってくるというか。

「合わせる」んじゃない、「合っちゃう」んだよ。

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水野:偶然性を演出するというか、演出しすぎたらあざとくなっちゃうし。

大野:うん。そうそう。だから、そこがちょうどいい、すごくうまくいってるときというのは、流れるようにできあがるよね。例えば、曲の話でいうと、僕みたいなタイプの人は曲頭からしか作曲できない。サビっていうのは、曲頭ありきでサビになると思っているから。サビっていうのはイントロがあって、Aがあって、A’があって、展開していって、そこで初めてサビがくるわけ。

水野:はい、文脈があると。

大野:最近の曲でときどきびっくりするのはね、ほとんどサビから始まっている曲があって。

水野:ごめんなさい。僕、そういうの、いっぱいつくってます(笑)。

大野:そのサビの後の落ち込み方で、落差がありすぎるのはあんまりね。本当だったらAメロが頭のはずなんだから「え、こんな低いところからこんなメロで始まってたの?この曲」って。僕なんかの感覚でいうと、ほんとはあり得ない。「これがあって、ちょっとこうなったのがあって、だったら、サビはこう行ったらどうだ?」みたいストーリーというか、流れがあるはずじゃない。

水野:ハイライトシーンから始まるみたいなことなんですかね。

大野:わざとやることはあるよ。文章もそうだろうけれど、わざと驚かせるためにサビ頭からやる。あえて。でも、基本は流れだよ。いい曲ができているときって、イントロとかすぐできちゃうから。ここに入るために何か必要なのかってことでしょ。アレンジのイントロっていうのは。あるいは、僕が一番悩むのは、イントロ要らないでしょってときがあるんだよね。みんな、しょうがなくてイントロを付けてるじゃん?

一同:(笑)

水野:そういうこともありますね(笑)。登場感をくれって。

大野:でも、無くていいんじゃない?っていうものもあるよね。

水野:ははは。もう、曲が完成されていれば、いいわけですもんね。

大野:あとは、これは悩みだすとずっと悩むんだけど、ストリングスとかを使うときも、どこから出そうかなって。サビから出すか、サビの前にちょっと薄く出しておくか。これが、うまくいってるときっていうのは、全然悩まずにスーッと書ける。

水野:考えなくても流れで?

大野:うん。わざとらしくやると、やっぱり、わざとらしいんだよ。

水野:わざとらしく見えるのってなんでなんですかね。無駄なんですかね?

大野:わざとらしく見えるのは、自分がわざとらしくつくってるってこと。

一同:(笑)

大野:“知らないあいだに”だけどね。

水野:そうか。今、話題の神田松之丞さんって講談師の方が、ご自身の講談のCDのなかでしゃべっていたことがあって。大ベテランのある高名なお師匠さんが「60歳、70歳って年齢を刻んでいくと、芸っていうのはすごくうまくなるんだけれど、パッと外から見たときには、まるで遊んでいるようにしか見えなくなる。それが究極の姿だ」みたいなことをおっしゃっていたと。すごく面白い話だなと思って。結局、それはどういうことなんだろうっていうのをずっと考えているんですね。

神田松之丞シブラク名演集



水野:今、大野先生のお話を聞くと、わざとらしくなっては駄目なんだけれど、でも、偶然性はつくり出していかなきゃいけない。まさに禅問答なのですが、そのお話が、経験を積んで芸が究極に至ると「遊んでいるように“見える”」というお話と、どこかつながるのかな、みたいな。ある程度の究極まで至るというか、何かを積んでいったり、何かを磨いていったりすると、無駄なものを削ぎ落としていった先に、スッと、作為と偶然との間ぐらいで、曲が書けるようになるっていうことなのかな、と。

大野:うん、なるほどね。それを言うとね、僕はもともと現場でリアルジャズを弾いていた人間なわけでしょ?。そうすると、サウンド的にはテンションノートとか普通の人より難しい音が入っているんだけど、その難しい音をどのくらい易しく聴かせるかが、たぶん、うまくなっていったからだと思う。CM音楽いっぱいやったおかげでね。

水野:なるほど。

大野:ものすごく難しいコードを使っているんだけど、メロディックに聴こえるでしょ?

水野:はい、ほんとに。覚えやすいのに、譜面を見るとびっくりするっていう(笑)。

大野:ね。コードのうえに数字がいっぱい書いてあったりしてね。でも、なんでそれが易しく聴こえるかというと、ものすごく多くのCM音楽をやっていたからさ。その経験があるからだね。CM音楽の世界ではスポンサーっていう人が一番偉いわけで、何を書いて行っても「このCMはこの商品のためのものであって、うちの会社からすれば音楽的にいいとか関係ないから」って言われちゃうわけ。そういうとき自分がどう対処するのかって問題に直面して、ほんと最初のうちは「ばかやろう」と思ってたわけ(笑)。

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一同:(爆笑)

大野:なんでわかんねえんだよって(笑)。でもね、ごもっとも!ってなる時期が来る、1年ぐらい経つと。お金を出しているのはあの人たちだしねって。

一同:(笑)

大野:そこからなんだよ、奮起するのは。どうやって、ギャフンと言わせてやろうか、と。やっぱり、人より5倍、6倍は考えなきゃ駄目なの。CMなんて、例えば30秒のなかで「途中のこのキッカケまでに4カ所ぐらい音を変えてくれ」とか無理なことを言われる。そんなことやったら音楽的に無理だろ!って感じのね。

だから、つくっているときは挫折をしょっちゅうしているわけ。「最初のここの難関は突破したけれど、あと、これだけの秒数で、ここでまた違う感じにしなきゃいけない。それは無理だよ!」みたいなね(笑)。でも、5回ぐらい挫折しながら考えつづけると、最後にはできるんだよ。ちゃんと考えれば、できる。

水野:この対談、いろんなミュージシャンが冷や汗をかきますよ(笑)。

大野:さっき、プレーヤー同士がアドリブをやっているときに、何となくひらめいて暗黙でわかる人たちみたいな話があったでしょう。あれも偶然じゃないからね。けっこう必然だから。だから、僕がいつも言っているのは、練習すれば難しいことなんかいくらでもできるわけ。キッカケなんかも、練習すればそりゃいくらでも合うさ。アマチュアだって、譜面に書いてあって、そこをスパッとやるのは練習すれば合わせられるでしょ?

でも「合わせる」んじゃなくて、大事なのは「合っちゃう」こと。

あれ?弾いていたら、合っちゃったって。これはお客さんから見たらびっくりするんだよ。なんで合っちゃったの?って。でも、優秀なミュージシャンたちって「合っちゃう」ことがしょっちゅう起こるわけ。

それはどうしてかというと、素晴らしいミュージシャンは、もう全員が他の人の音を嫌ってほどに聴いてるんだよね。聴いていて、その時々で主役になろうとする人がオーラじゃないけど信号を送るわけ。あとでこう弾きたいから、その前にこういう感じで弾いているんだ、みたいな信号を。その信号をいち早く察知すると、素晴らしい演奏家たちは、その瞬間から何小節かの間にいろんな事をものすごく考えている。次どうなるんだ?と。それで、だんだん確信に変わっていくんだよね。「あ、こいつ、絶対こう来るな、こう来て、ここでこうキメるなって」で、音が、タイミングが、合っちゃう。

大野:でも、それ、1回目はびっくりするけど、2回続いちゃうと同じじゃんってなるんだよね。聴いてる方も、もう、わかっちゃうから。でもね、僕のトリオなんかを聴きにきている人は、できれば毎回同じ曲をやってもらいたいっていう人が多いの。僕のトリオの演奏は毎回違うから。定点観測みたいに毎回同じ曲を聴いていると、前回はこうだったけど今日はこうだった、みたいに違ってることに気付くんだ。なんで同じ曲なのに毎回違って感じるんだろう、って。でもそれはね、その時その時の僕の気分が違うからなんだけどね(笑)。

水野:そうですよね(笑)。どこでピークが来るかはその日によって違いますよね。

大野:そうそう、違う違う。同じなわけがない。でも、毎回違うものになってしまうものをメンバーで合わせるというのは、これは全員が能力を鍛えている人同士じゃないとできない。

水野:はい。

大野:うちのルパンティックの7人編成のバンドでも、本番の日とかリハーサルしないから。

水野:出た。

一同:(笑)

水野:でも、これはほんとに、レコーディングで素晴らしいセッションミュージシャンの皆さんに集まっていただくときとか、あまり無駄に多くのテイク数を重ねないほうがいいんだなっていうのは、経験的にも思います。むしろ、その場の空気とか、テンションをどう素敵なものにするかのほうに気を使うというか。

そもそも演奏は完ぺきにされる方々なので、そこについては何も不安はないんですよね。でも、演奏する手前の何秒前かとかにパッと声をかけて「これ、こういう曲なんですよね」って一言残すかどうかで、できあがりの空気が全然違うとか。そういう経験は、僕みたいな未熟なレベルでもあります。すごいセッションミュージシャンの方々ほど、そのときの温度感を忠実に受け取ってくださるというか。

大野:リハーサルすると、みんなつまらなくなっちゃう。だから、線(配線)がちゃんとつながっているかのチェックしかしないの。だから、その日にやるレパートリーは一切やらない。

大野:これはね、人間ってすごいんだよ、人って。感じとる。機械は絶対そんなことをしてくれないからね(笑)。人間って、それがたとえ決めフレーズでもわかるの。同じフレーズでも、やっていると、あ、今日違うな、ってわかる。たぶん、熱量が出てる。互いにそれを感じとるんだよね。で、ジャズの世界でいうと、感じとって、じゃあどうするのかってなる。熱量を感じて、単純にクレッシェンドするだけじゃなくて、お前がそう行くんだったら、逆におれはちっちゃく叩くわ、みたいな。上に行くか、下に行くか、斜め下に行くか。いっぱい対応の仕方があるわけでしょ?

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水野:はいはい。

大野:そういうことへの技とか、選択肢をいっぱい持っている人っていうのは演奏がどっちの方向へ向かっても大丈夫だよね。いっぱい引き出しを持っている人は、何が来ても「おう、それが来たか」って対応しちゃう。たとえば5つぐらい選択肢を持っている人であれば、5までは対応できるわけ。でも、1つしか持ってない人はそれしかない。何が来ようが、それしかできないでしょ。

水野:はい(笑)。

大野:選択肢をたくさんもっていて、なんでも対応できる。そういう人の集まりみたいなバンドになると「合っちゃった」ってときに、そのすごさに気が付くんだよね。

水野:人間の会話ですね。互いのことを、聴かなきゃいけないし。

大野:人間っていうのは、ちゃんと一種のテレパシーというか、念力みたいなものが出てるんだろうね(笑)。

水野:でも、それを酌み交わした会話によって、展開がわからなくなっている演奏のほうが面白いものなんでしょうね。あらかじめAさんが話したらBさんが必ずこう答えます、みたいな決まり事がある演奏よりも。

大野:決まり事ね。でもね、決まり事がね、ないんだけど、あるんですよ。ある意味では。

水野:禅問答(笑)。

大野:互いのことを聴いて答えるっていう決まり事ね。じゃないと、どんなに良い演奏をしても、お互いが殺し合っちゃうことがあるわけね。すごいプレーヤーが5人全員そろいましたから、すごい演奏になりますよ、とは限らない。相性みたいなことでさ、いまいち他人の話を聞けない人もいるわけ。「おれが、おれが」っていう人が5人集まっても駄目なの。いや、もちろん、ある瞬間すごいことになるかもしれないよ。奇跡的に「おれが、おれが」がうまくマッチしたときはね。でも、ほぼそうはいかない。

そうすると、聴き上手的な人もなかにはいなきゃならない。これね、異常に聴き方がうまいって人がいるんだよ(笑)。あと、盛り上げ役みたいな人とかね。「おれが、おれが」のプレーヤーがいても、かたわらにそういう盛り上げ役タイプの人も入っているバンドっていうのは、人気バンドになりやすい。オールスターメンバーでやったからって、良いものになるわけじゃないから。

水野:4番バッターだけ集めても駄目だと?

大野:ああ、駄目、駄目!

水野:まさにルパンのなかの、キャラクターたちみたいですね。個性をそれぞれ生かしていて。

大野:そういう意味で考えていくと、クールダウンさせる役目を担うのがシンセサイザーなのかも。打ち込み的なもの、ということね。ある意味、今の時代感覚で言えば、人間だけでやると暑苦しいみたいな感じになるでしょ。そんなときに、あいつは一切忖度(そんたく)もしないし余計なこと何もしない、ひとたび誰かがプログラムを打ち込んだら、最初から最後まで間違えないでそれしかやらない、みたいな(笑)。

一同:(笑)

水野:他がどんなテンションであろうと……(笑)。

大野:これは、うまく使うとすごく有効になるんだよ。

水野:例えば、アナログシンセで同じ周波数のロングトーンがガーッと流れていても、そこを軸にしてみんなが動くわけですね。

大野:そうそう。ひとりくらい、おもいっきり鈍感なヤツがいてくれると助かるんだよ。他が何やっても、変わらない。

「素晴らしいドミソ」が、ある。

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水野:ジャズの場合、スタンダードがありますよね。
そのスタンダードナンバーのメロディを、演奏家の皆さんは、思い思いに弾き崩していきます。この弾き崩しの塩梅が重要で、簡単に言うと、原曲だとわからないと駄目じゃないですか。それをわからせながら、だけど、独自性を出さないといけない。そこはどんな判断をされていくんですか。

大野:スタンダードナンバーと言われるような有名な曲は、僕は結構忠実に演るね。あえて丁寧に。覚悟を持ってやっているんだっていうところを見せないと駄目なのよ。こんなに知られたこの曲をわざわざ選ぶっていうのは、自分のなかですごくいいメロディだと思っているから演奏しているわけですよ。いいメロディだから、ちゃんと、もとのままのメロディを弾くわけ。

崩すっていうのは、覚悟だから。

水野:これはめちゃくちゃ重い言葉ですよ。しかも、たくさんの名作を書き続けている大野先生が言う言葉ですから。本当に重い。

大野:ルパンのテーマとかでも、結構、演奏している人は多いよね。

水野:そうですね。多いですね。

大野:だけど、例えば「タッタラッター」ってあるでしょ、最初のメロディ。それを、えらくタメながら弾いちゃう人もいるわけ。「ンタッタラッンター」って。で、次の「ターラーラー」は、ちょっと前から弾いてる(笑)!

一同:(笑)

大野:やってるうちにだんだんつまらなくなるんだろうね、一言でいうと。だから崩す。でも、崩しが上手じゃない。

水野:駄目なんですね。

大野:駄目、駄目。要するに、説得力がなくなってしまうんだよね。

水野:説得力がない。でも、その覚悟があるかってことでいうと、僕は逆の立場になって考えてしまって。僕は演奏が駄目なので、メロディをどう書くかっていうことにこだわっていて、いろんなミュージシャンやシンガーの方が僕の曲を演るとなったときに、どんなふうにしても崩れないメロディっていうものをつくらなきゃ駄目だみたいな、変な意気があったんですよ。そういう覚悟で書かなきゃいけないんだなっていうか、演奏する方にそう思わせるような、このメロディを崩す覚悟が自分にあるだろうかって思わせるようなメロディを僕らは書かないといけないというか。

大野:でもね、そうなんだけど、駄目よ、結局。結局、やるんだよ、崩し。

水野:そうなんですね(笑)。

大野:こんなこと言っちゃあれだけど、演歌の人で一つの曲を15年歌ってますみたいな人がさ、なんでこんなに遅れて歌ってるの?ってことあるじゃない?

水野:レイドバックしますね、すごく。

大野:普通に歌えばいいのに。

一同:(笑)

大野:自分のなかでつまらなくなってきちゃうんだろうね。演歌に限らず、長く歌っている人っていうのは、一種のマンネリとの戦いだから。だってヒットした曲はずっと歌いつづけなきゃいけないしね。そう言ってるおれも一種、マンネリと戦ってるわけさ。「ルパン三世のテーマ」は必ずやらなきゃいけないしね。おれのマンネリは良いマンネリなんだって、覚悟して開き直らなきゃ駄目なの。むしろマンネリをどのぐらい楽しめるかだね。

水野:また落語の話になってしまいますけど、落語って100年とかすごい昔の噺を、何十人もの名人がやっていて、もう噺の筋は決まってるじゃないですか。だけど、それを伝説と呼ばれる、ほんとにすごくうまくやる人と、全然駄目な、同じ筋でやっても駄目な人がいて、その噺自体は水戸黄門みたいに展開が決まっていて同じだけど歴然とした差が出てしまう。音楽で言えば、同じドレミファソでも、魅力を感じるドレミファソを弾ける人と、淡々とただのドレミファソを弾く人がいて、マンネリと戦うという言い方をされましたけど、決められた道をたどっても違うオーラを出せる、ニュアンスを出せるっていうのは熟練なのか、その人の個性なのか……。

大野:僕は若いときには、もうジャズしか聴いてなかった。他のジャンルは一切。ビートルズもろくに知らない。それが、そういうわけにいかなくなった。CM音楽を始めて、何を頼まれるかわからない立場になったからね。そこから初めてポップスを聴きだした。嫌ってほど聴いて。

情けないけど、そのとき初めて気が付いたんだ。“素晴らしいドミソ”があるんだってことに。
良いドミソはいいんだ。難しい音でも、“つまらない難しい音”はつまらないんだってね。その“素晴らしいドミソ”に気が付いたっていうところから今の僕がある。だから、CMをやらなかったら、いいドミソに気付かないまま、たぶん難しいことばかりずっとやってたよ。

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水野:ちょっと感動しちゃってます。これはすごいな。“素晴らしいドミソ”がある。

大野:うん。若い頃はドミソなんて音をさ、恥ずかしくて出せないみたいな。

水野:はい、それはそうでしょう。

大野:「ドミソかよ?」みたいな。

一同:(笑)

大野:死んでも出したくない(笑)

水野:(笑)「えー?」っていうね。でも、いいドミソがあるんですね?

大野:そう。みんなから支持されているいいポップスっていうのは、歌ってる人のドミソが美しいドミソなわけ。もっとCMの仕事をいっぱいやりたい、でも、そのためにはもっといろいろなことを知らないとできないってところに立たされて、初めて真剣にさまざまな音楽を聴いていったんだよね。

昔、骨董通りに有名なレコード屋があったんだよ。そこの店員さんたちがすごくて。すべてのジャンルにそれぞれの専門家がいたの。フレンチポップスはこの人が日本でたぶん一番知ってます、みたいな。さらに、そのフレンチポップスの専門家に話を聞くと、アフリカの音楽っていうのはフランスに集まってるよ、とか教えてくれるんだよ。UK専門の人がいて、アメリカ専門の人がいて、イタリアンポップスとか、ちょっとブラジルとかの人もいて。キューバだったらこの人とか。そういう店員さんを見つけて、嫌ってほど買って聴いていったんだ。なんせいっぱい買いたいから、その店員さんたちに「あなた(店員さん)が気になるものを全部取っておいてくれ」って、あらかじめ頼んでおくのよ。そうしたら、面白いんだけど、後日取っておいてもらったものを買いに行くと、僕用のレコードの袋の横に必ず、筒美京平さんの名前が書いてある袋も置いてあった。

一同:(笑)

水野:今、同じことを考えてました。筒美京平先生のエピソードと同じだなって。

大野:同じもの(袋)があった。

水野:都市伝説のように聞いていたんですけど、レコードを買いにいくとレコードの束があって、予約者の名前欄に「筒美京平」と書かれたものが置いてあったと。そこにたぶん大野先生も同じように置いてあって、同じようにカタログというか、厳選されたやつを。これはとんでもない歴史に触れてしまいましたね。

一同:(笑)

大野:それでね、お店の人に「忙しいのによくこんなに聴けますね」ってしょっちゅう言われたの。

水野:(笑)どういう聴き方をされてたんですか?

大野:まずはね、ジャンルがあるでしょ。それぞれのなかで、今一番いいとか気になっているものを店員さんに選んでもらって、3枚ぐらいは全部聴くの。あとのは、ピッピッピッて。イントロを聴けば何となくわかるじゃない?

水野:何となく。それで引っ掛かるのだけ止めて。

大野:そう。そのときは、レコードだからA面・B面ってあるんだけど、Aの5とかBの3とかさ、レコードジャケットに書いておくんだ。何かあったとき、この曲はちょっと……。

水野:参照しようみたいな?

大野:全部そうやって書いて、結構、短縮して聴いていたと思う。そんなに全部は聴けないからさ。あと六本木にWAVEって店ができて、そこに結構サントラが好きな店員さんがいて。イタリアのサントラとかね。アメリカのサントラは当たり前でさ、イギリスはそれほど良いのないからね。あとは、ブラジルも嫌ってほど聴たよ。

水野:たぶん“素晴らしいドミソ”の価値にたどり着くまでに経ている教養量があまりに違うんですよね。世界中の音楽を知って、いろんな素晴らしさ、視点をたくさん手に入れた上で、どういうドミソが輝くかっていうのを見ていらっしゃるのだろうなと。たぶん、僕はまだその“素晴らしいドミソ”に全然、出会えていないし、もしかしたら、さらに多くの音楽を知ることや、さらに音楽の経験を積むことによって、今、僕が持ってるドミソの気付いていない輝きに気付けるのかもしれないと思ったら、すごく楽しみ(笑)。

大野:最近思うんだけどね。この頃つくってる曲って、どんどん3コードに近くなってきてるんだ。

水野:シンプルになっていってるんですね。

大野:それに「こんなの昔からあるよね」みたいなことをあまり敬遠しなくなった。だって、ここ行きたいんだもんって、開き直れるの。昔だったら、Cの曲で、E7でサビに行きたいみたいなのはちょっと避けたくなるわけ。

水野:はい(笑)。

大野:みんなやってるじゃん、って。

水野:大通りすぎますからね。

大野:でもよく考えると、なんでみんなやってるのかっていったら、良いと思ってるからやってるんだよ。

水野:真理はありますよね。やっぱ、山手通りは通るみたいな(笑)。

大野:そう。だから、そういう吹っ切りが大事。

水野:でもそれは、繰り返しになっちゃいますけど、細道の、いろんな通りの素晴らしさも知った上で「やっぱ、山手通り、いいよね」ってなるんでしょうね。山手通りに行くには、この道を通ってからだよ、とかいう…。

大野:それもすごくある。ちょっと遠回りしないと駄目なの。近道はないの。例えば、うちのバンドのメンバーにいつも言ってるのは、みんな、今流行りというか、一番輝いている人の音を聴いてるわけ。でも、そんなの当たり前だから。それだけじゃなくて、例えば1940年代とかの音も聴いたほうがいい。それは、すぐに参考にはならないよ。今、そんな演奏は求められていないから。でもね。昔のこの人があって、その次にこの人があって、そして今この人がいるっていうことを流れで聴くと勉強になるよっていうことを言ってる。そういう昔の音を、そうですかって割とすんなり聴く人と、とはいっても、ってあんまり聴いてない奴がいる。

ちょっと無駄があっても、40年代とかの演奏を知ってる人っていうのは強い。40年代でも、その時はその時で一番モダンだったわけだよね。今とは時代が違って、ちょっととんがってないとか言う奴いるけどね、でも、とんがらずに吹くとか弾くとかってことが、どれだけ難しいのかっていう考え方で聴いてみると、さっきの話じゃないけど、ドミソみたいなことをやたらうまく使ってるわけ、アドリブで。例えば、サッチモ(ルイ・アームストロング)っているでしょ。あの人なんか、アドリブ入れたってほとんど同じことしかやってない。でも説得力があって、聴いたら「うわ、かっこいいな」って思うわけ、だみ声で歌ってて。

大野:そういうちょっと遠回りみたいなことしながら聴いてる人には、必ずプラスアルファが出てくる。うちのバンドメンバーでいうと、ハモンドオルガンの宮川純っていうのが、32歳で一番若いんだけど、ものすごく昔のものを知ってるの。いったいどこで知ったんだってくらい。50越えたやつよりも、はるかに知ってる。知ってる人はね、何かのときにそれが役に立ってるのよ。僕のつくってる曲が、ちょっとわざと時代が古いみたいなものだったときに、対応ができない人とできる人とで差が出ちゃう。

水野:さっきの言葉数の話ですね。

大野:うん。

水野:たぶん、この話を聞きたかった知り合いのミュージシャン、20名ぐらい挙げられますよ(笑)。

一同:(笑)

水野:でも、先ほどのお話をまとめると、演奏中のフォーメーションの転換というか、会話というか、お互いの音を聴いて、しかも、互いにどれだけ手数を、どれだけバリエーションを出しながら会話しつづけられるかっていうことって、音楽の本質的な部分な気がしますし、それに加えて、偶然性をどれだけコントロールしすぎずに成立させられるか。全部、禅問答ですよね?

大野:そう、そう。

水野:そのうえで、音楽の歴史を知るという意味でも、文脈があるんだと。その時代ごとの制限のなかでやってきたことが、時を経るごとに進化していっているんだと。それを踏まえて聴いていくべきだと。これはかなり、今、音楽をつくる上で非常に本質的な、みんな気付いてないというか……。

大野:あとは、そのチョイスね、拾い上げ方。頭でっかちになりすぎちゃ駄目。だから、徐々にね。例えばひとりのプレーヤーとしてだったら、さっき言ってた禅問答みたいなことを無視した時期もなきゃ駄目なの。
だけど、禅問答みたいなことがあるってことをわかってて、でもそれをあえて無視してやってきた人と、それがあるってことをわからないでウワーッてやってきただけの人とでは、うまくなるスピードがだいぶ違うんだよ。やっちゃう時期があっていいの。やりすぎだよって言われてもいいの。

妙に完成しようと思っちゃ駄目なのね。だから、僕の1976~77年とかのアレンジを聴くとさ、忙しかったこともあったし、技術的には結構乱暴なところがある。今だったらこうやって書くんだけどな、みたいなことがね。でも、それがいいの。今はできない。今の自分にはそのアレンジはできない。もっと考えてしまうから。その考えが足りなかった部分が、実は良かったりもするから。これは難しい。あの頃のつくりかたには戻れない。できないんだもん(笑)。

一同:(笑)

大野:ストリングスの書き方とかも、その頃は今より全然下手でさ。今だったら、もっと対位法的に、ここをこうしているのになって。でもそれは、そのときはそれを無視して書いてるから。

水野:全部、その時代ごとに違う種類の輝きがあるんですね。

大野:ある、ある。

水野:うまくなればなるほど出てくる輝きもあるし、知らないからこそ出る輝きもあるし。かといって、そういうものだよって諦めちゃうのも駄目だし、その都度、その都度で、一生懸命で。

大野:うん。自分は今はどっちかというと、ピアノを弾かないように、弾かないようにみたいなこと言ってるでしょ。でも、これがね、こんなジジイになってもめちゃくちゃに弾きたくなっちゃうときがあるのよ。

一同:(笑)

大野:もう二重人格みたい。

水野:パッと入るときがあるんですね。

大野:ウワーッて。

水野:それは最高ですね(笑)。

大野:快感でさ、怒られるようなことを平気でね。ひじ打ち連打。

画像7

一同:(笑)

大野:お客さんもびっくりするときがあるもん。

水野:でも、それは先生のなかで、この瞬間は必然なんですね、たぶん。今来たっていう。

大野:そう。行っちゃえ!と思うから。

水野:5小節後に絶対行こうって決めてるわけじゃないですもんね?

大野:ない、ない。

水野:弾いてるうちに、「あ、もう次だ」っていうことですもんね。

大野:なっちゃう。それは誰かのせいでもあるんだよ。ドラムとか、誰かが誘発するから。

水野:そうか、会話だから。僕、たぶん、今日伺ったお話っていうのは、もちろん、今の自分にもすごく大きいですけど、ずっと取っておけるというか、10年後に迷ったときも、20年後に迷ったときも参照できるお話ですね(笑)。たぶん、今の自分は頭では理解してるけど、体で理解できてないことが絶対あるはずで。でも10年後、20年後の自分がこの話を聞いたら「あー」って思うことがあるはずだという……。

大野:それはある意味ね、人間ってそういうものなの。わかったつもりでも、そう簡単にわからない。例えば、テーマソングを書くのと劇伴を書くのでは考え方が全然違うの。劇伴は、あくまで映画のアクションであったり、動きであったり、そういうのに合わせるという要件を満たしていないといけない。でも、もうちょっと出ちゃってもいいんじゃない?ってときに、劇判のセオリーを無視することがあるわけ。もっと自分を出しちゃう。さっき言ったのと矛盾するでしょ。

でも、それは、そこにうまくハメてくれる人がいたときに、バチっと絵とハマると、すごくかっこいい。きっちり劇伴は劇伴で完璧にできる人の曲でちょっとそこをぶち破った矛盾があると、結構いいんだよ。矛盾なくすんなり書いちゃう人とは、結構、そこで差が出ちゃう。大人しいタイプの人もいるじゃん。すごくうまいねって感じで。でも、おれはうまいとかだけじゃ嫌なのね。おれはちょっと熱いから。

水野:よくわかります(笑)。

大野:ガンッって行きたくなるシーンのときにうまく音楽を当ててくれる人がいると、劇判としては「ちょっと出すぎなんじゃない?」っていう音が、それによって逆に良い効果が出るってこと。ルパンのなかでも、そんな使われ方かなりしてるよね。

水野:生き物ですよね。すべてに当てはまるルールなんてなくて、常にルールは変更していくというか。

大野:それは意識して変更させてるんじゃないんだよね。その変化にいち早く気付いてくれる人同士がいると、ものすごくすんなり、お客さんがびっくりするようなことができる。誰かがそこをわからないで、いつまでも昭和45年みたいな法律をずっとやってる人がいると駄目だね。もう古いんですけど、っていう感じ。

水野:(笑)

大野:でも、急に戻ったりするわけ、昭和45年の法律に。

水野:そのときの会話で。で、次の小節は昭和60年なんだけどみたいな(笑)。

大野:そうそう。戻るときに、ある種のオーラが出てないと駄目なんだよね。戻すぞっていう、お客さんにはなるべく知られない状態で、フレーズの端々に「きっとこの人、こう行くんだろうな」って感じさせるオーラ。だから、高度なサッカーのパスのさ、もう読んでました!みたいな、そっち行くのか!みたいなことと同じだけど、それは実はわかってましたって動くとかあるじゃない?一種のああいうこと。

水野:かなり貴重な話を。今日は本当にありがとうございました。またぜひお話を伺わせてください。

大野:いえいえ。

水野:ありがとうございました。

Photo/Kayoko Yamamoto
Text/Yoshiki Mizuno
Hair & Make/Yumiko Sano

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