HIROBA TALKS コンドウアキ

人生において集めてきたかけらの蓄積

※こちらは2020年6月にHIROBAにて公開された記事のアーカイブ版です。

HIROBA TALK 水野良樹×コンドウアキ

プライベートで親交の深いイラストレーターのコンドウアキ先生。実は公の場でじっくりと対話するのは今回が初めて。先生との出会いから作品づくりへの思いまで、ざっくばらんにお話ししたリモート対談をお届けします。

人生において集めてきたかけらの蓄積

コンドウアキ
イラストレーター、キャラクターデザイナー。1997年に文具会社に入社し、リラックマなどのキャラクターデザインを担当。2003年からフリーランスに。うさぎのモフィ、ニャーおっさんなどのキャラクター作成や商品デザインのほか、書籍執筆など、幅広く活躍。

水野:今回はHIROBAでの対談ということで、よろしくお願いします。

コンドウ:はい、よろしくお願いします!

水野:本来であればいきものがかりのツアーでコンドウ先生にライブを見ていただき、お話もできたらなと思っていましたが、ツアーが延期になってしまいました。

コンドウ:そうですよね、なんと言ったらいいか…。

水野:先生には今回のツアーグッズで、我が家のテケのイラストを描いていただきました。これまでも誕生日であるとかプライベートではイラストをいただいてきましたが、ついにオフィシャルにグッズとしてかたちになりました。ありがとうございます。

コンドウ:こちらこそ、ありがとうございます。

水野:この機会に対談できたらと思いまして。

コンドウ:テケまくら、ライブ会場で見たかったです。

水野:ステージ上で紹介するところを見ていただきたかったですよ。

コンドウ:そうですね(笑)。

水野:コンドウ先生との最初の出会いは何でしたっけ?

コンドウ:流れてきた水野さんのTweetの言葉が刺さったんですよね。でも、内容は覚えてなくて…。

水野:(笑)

コンドウ:強く共感できることだったんですよね。誰かのTweetがここまで強烈に届くことはあまりなくて。

水野:でも、内容は覚えていないんですよね。

コンドウ:覚えてないんです(笑)。どんな方なのかなとちょっと様子をみていたんですが、水野さんが次々と刺さることをTweetするので、「これは!」と思ってフォローしたんです。それで、何かのタイミングで強く共感したときにリプライをお送りしたのがきっかけですね。

水野:ああ、そうでしたっけ。Twitterが出会いだったことは僕も覚えていて。

コンドウ:はい。

水野:共通の知り合いである編集者さんもいて。

コンドウ:そうですね。

水野:僕の高校の先輩で「いきものがたり」の編集をしてくださった方で。ライブにコンドウ先生と一緒に来てくださったことがありましたよね。

コンドウ:そうです、そうです!

水野:公の場でお話するのは、そのとき以来ですよね。

コンドウ:そうですよね、裏ばかりで。今回はどうしたのかなと思いましたよ(笑)。

水野:いつかちゃんとお話したいと思っていました。

コンドウ:真面目にお話したことはなかったかもしれないですね。

水野:家族ぐるみのお付き合いで、この場では話せないようなことばかりしゃべってますよね。

コンドウ:(笑)

水野:なぜ、コンドウ先生にシンパシーを感じるんだろうとずっと考えていまして。

コンドウ:うーん、私も何だろうなと思っていて。最初にTweetを見たときは、私が珍しく仕事で悩んでいたタイミングで…勝手に助けてもらったような感覚が強かったんですよね。

水野:そうだったんですね。

コンドウ:同じ言語を使っていても、話が通じないことってあるじゃないですか。

水野:難しいですよね。

コンドウ:水野さんは、非常に通じるなと。

水野:(笑)

コンドウ:具体的になぜかはわからないですけど。

水野:先生が描かれるキャラクターや絵のニュアンスに共感できるのは、なぜだろうと。

コンドウ:うーん。

水野:数値化できないものって、あるじゃないですか。

コンドウ:はいはいはい。

水野:いろんな人が熊を題材にイラストを描かれているけれど、その人にしか出せないニュアンスがある。それは練習で培えるものなのか、本来持っているものなのか…先生はどうお考えですか?

コンドウ:個人的にはですが、技術はきっとある程度のところまでは教えてもらったり、練習していくことで獲得できるものなのかなとは思います。

水野:はい。

コンドウ:でもいろんな人を見ていてセンスや世界観は教わって獲得するものではなく、その人が生きてきた過程や人生において集めてきたかけらの蓄積のようなものなのかなと感じます。

水野:ああ。

コンドウ:絵って実は描くことよりも見ることのほうが大事な気がしていて。

水野:はい。

コンドウ:絵だけではなく、世の中のいろんなものを見ることが大事で。見るときも目だけで見るのではなく、その人それぞれの好みや感覚、感情にも左右される。どう見るかは人それぞれで、その人の置かれた状況や背景にあわせて気づかないうちになにかしら選んで見ていると思います。

水野:なるほど。

コンドウ:選ぶのはきっと、自分が持っているもの、好きなもの、見たいものとかですよね。そういったものが集まって、その人らしさになっていくのかなと。なので、圧倒的なセンスを持っている人に出会うと、一日でいいからその人の目や思考で世界をのぞいてみたいなと思いますね。

水野:それは面白いですね。

コンドウ:作品というのは、その人の地の趣向にプラスしてそのときの状況や環境、テンション、さまざまなものがエッセンスとなってどんどん変わっていくだろうし、かたちづくりたいと積み上げていっているものの結晶なのかなと思うんです。

水野:そうですよね、変化する部分はありますよね。どうやってニュアンスを磨いていけばいいだろうという…まさにそこがポイントで言語化できない部分なのかもしれないですが。

コンドウ:うーん。

水野:先生がおっしゃるように視点が大事ですよね。同じ対象物を見ていても、絵にするときにどこを切り取るか、強調するか、削ぎ落とすか。それはその人の価値観、そのときの価値観によって、全然違うような気がして。

コンドウ:そうですよね。

水野:それが多くの人に受け入れられるパターンもあれば、理解されないパターンもある。

コンドウ:その時代にもよりますよね。

水野:ああ。

コンドウ:受け入れられるポイントが必ず合わせられるのであれば、みんなが受け入れられるものが出せますよね。

水野:そうですよね。でも、合うって…難しいですよね。

コンドウ:そう思います。特に今は数年ごとに価値観が変わっているように感じるし、人それぞれに好きなものが細分化されている。

水野:はい。

コンドウ:今のほうが…きっと難しいのかな。でも発表する場も多いので、その点では世界に見せられる機会はたくさんありますよね。

水野:そうですね。この10年くらいで発表する場がすごく増えましたよね。そこから登場するイラストレーターやデザイナーもたくさんいる。

コンドウ:はい。

水野:そういった状況はコンドウ先生にとっては歓迎すべきことですか?

コンドウ:歓迎かそうでないかですか…あまりそういう視点では考えたことはなかったですね。

水野:他の人のことは気にしないタイプですか?

コンドウ:うーん。以前は絵をいっぱい描いて上手くなれば、自分が持っている悩みがなくなると思っていたんです。

水野:はい。

コンドウ:すごく上手な絵やステキな絵を描かれる友人や知人がいますが、そういう方たちでさえも「全然上手く描けない」と言っていて。描けない悩みはどこまでもついてまわるものだと知ってすごくショックでしたね。どこかに到達すればなくなる悩みだと思っていたのに、なくならないと。

水野:はい。

コンドウ:ああ、そうか。この悩みはずっと抱えつづけて、人と比べるものではないとそのときに痛感しましたね。

水野:なるほど。

コンドウ:自分が好きな感じの作品を目にしたら「おお!かわいい」とうれしくなりますけど、自分と比べてどうかということは考えなくなりましたね。

水野:最初に絵を描きはじめた、まだ絵が仕事ではなかった頃とはどういう違いがありますか?一概に比較はできないかもしれませんが。

コンドウ:職業デザイナーになってからは、関わる人が多くなるので、その人たちにとってなるべくプラスになるようにしたいという気持ちがあります。でも実際に描いているときは一人なので、一人で描いているという作業の面に関しては何も変わらないですね。その作業の先にあるものは変わりますけど。

水野:なるほど。

コンドウ:もちろん締め切りはありますけどね(笑)。

水野:はい。

コンドウ:でも結局は一人遊びなので。

水野:その一人遊びがたくさんの人に見られたり、大好きだと言ってくれる人が増えることは、コンドウ先生にとってはどういう影響を与えますか?

コンドウ:絵を描くことにおいてですか?

水野:そうです。もっと喜ばれたいという思いになるのか、そうではなく自分の世界を守ろうという気持ちなのか。

コンドウ:うーん、完成させようと思いますよね(笑)。

水野:完成させる。

コンドウ:一人遊びであれば好きなようにできますけど、仕事の場合はスケジュールもあるし、ある程度のクオリティーまで持っていかないといけないので。どちらかというとそのほうが気になって、多くの人に受け入れられようとはあまり思っていないですね。

水野:なるほど。

コンドウ:心は人のもので、私がコントロールできる部分ではないですからね。

水野:目の前にいる仲間たち、仕事として守らなければいけないルールや責任がすごく大事というか…それは当たり前か。

コンドウ:締め切りやスケジュールのことばかり気にするので、それはちょっと珍しいと言われます。

水野:真面目ですもんね。

コンドウ:いやいや。私が会社員の商業デザイナーからスタートしているからだと思います。

水野:自己表現に寄ったところからではなく、受ける仕事に対してきちんと応えていくということがキャリアのスタートだったことが大きいと。

コンドウ:そうですね。会社員のときはお題が決まっているもの、自分から提案するもの両方あって、それは今も同じですね。ちなみにリラックマは自分から提案したものなので、純粋に自分の中からでてきたものですね。

水野:どちらも違う楽しさですか?

コンドウ:そうですね、違う楽しさですね。絵を描く人って、なにもなくても自分からどんどん描いていく人もいれば、依頼や課題がないと描かないような人もいて…(笑)。私はどちらかというと後者なのですが。

水野:(笑)

コンドウ:同じ「絵を描く」人間でもそれぞれ違うんでしょうね。でもそうはいっても私、仕事で疲れて息抜きしようと思ったときやることが遊びの絵を描くことなので、少しは「描く」要素があるかもしれない…。

水野:(笑)それはもう、絵の人ですよね。息抜きが絵って。

コンドウ:そうですね。水野さんはどうですか?いまさらですけど、ご趣味は?

水野:うーん、ああ、えっと、趣味…ないですよね。

コンドウ:そうでしょ。私も別に趣味ないんですよ…。

水野:時間空いたら仕事したいって思っちゃう…(笑)。

コンドウ:わかるわかる(笑)。

みなさん一人ひとりのもの

水野:絵を描いていて、どの瞬間に喜びを感じますか?キャラクターを生み出して思い通りに表現できたときなのか、そのキャラクターが受け入れられたときなのか。

コンドウ:リラックマのときは「これ、絶対にいいと思うからなんとかモノにできないか」と別部署の先輩に話したくらい、描けた瞬間がうれしかったですね。そのあとは、かたちになって、グッズになって、道行く人が持っているのを見かけたときに「おお!」ってなりましたね。

水野:ああ、やっぱりそうなんですね。

コンドウ:すごくうれしかったですね。本を出したときもお手紙をたくさんいただいて。そこに「ありがとうございます」という言葉が並んでいて。ここまで想像してつくったわけではないですけど「そうか、お礼を言っていただけるようなことがあったのか」と静かに感動しましたね。

水野:はい。

コンドウ:もともと、キャラクター自体に強い思想は入れていなくて。その分、受け取る側の自由度が広がったらいいなと。人それぞれに届いて何らかの役割を持たせてもらえたと思うと、やっぱりうれしいですよね。

水野:それは歌も同じですね。自分がつくった歌を、街なかで誰かが聞いていたり、口ずさんでいるというのは感動しますよ。

コンドウ:そうですよね。

水野:コンドウ先生もリラックマやうさぎのモフィのグッズを付けている子どもを偶然見かけて。

コンドウ:拝んじゃいますよね(笑)。「ありがとうございます〜〜」って。

水野:思想を入れすぎないということもすごく共感します。

コンドウ:それって商業的な考えなのかもしれませんね。

水野:いろんな解釈ができたり、託したい気持ちや願いを受け取る人それぞれが持てるほうがいいですもんね。

コンドウ:私の手を離れて世に出た瞬間に、受け取ったみなさん一人ひとりのものですからね。

水野:そこは共感するところですね。歌もキャラクターも、自分のものではない誰かのものだと思う瞬間がありますよね。

コンドウ:そうですよね。

水野:商業的という言葉自体が冷たい印象で、誤解されている部分があると思うんですよね。

コンドウ:ホントですよね。

水野:商業的なものは、みなさんに何かしらの意思をもって買っていただくものだから、その人たちのためになるものやプラスになるものを僕たちも提供したいと考えているじゃないですか。

コンドウ:そうですね。

水野:それは、社会との向き合い方として真っすぐな気がしていて。

コンドウ:そうか。そうありたいですよね。

水野:自分を表現したいという気持ちもあるけど、誰かに喜んでほしいというのは根本としてありますよね。

コンドウ:「誰かに喜んでもらえるなら」という気持ちがあるから動けるんでしょうね。

水野:コンドウ先生は奉仕しちゃうタイプですよね。

コンドウ:そんなことないですよ、全然!

水野:頑張っちゃいますよね、いろんな人のために。

コンドウ:そんなに頑張らないですよ。みんなに優しいわけじゃないですよ(笑)。

水野:共通点として、ものをつくるときの姿勢が近いと思います。

コンドウ:そうですね。

水野:絵を仕事にしたきっかけは何だったんですか?

コンドウ:子どもの頃は絵を描くことが好きだったんですけど、でも別に「なにするより絵がいちばん好き!」とかではなくて。

水野:そうなんですね。

コンドウ:小学校のときに将来の夢を書いたり、発表する機会がありますよね。

水野:はい。

コンドウ:それまで将来の夢について考えたこともなかったんです。それでどうしようかなと改めて考えたときに、かわいいキャラクターのノートを持っていたので、そういうキャラクターを描く仕事は何かと先生に聞いたんです。そこでイラストレーターを知って、夢として書いたのを覚えています。

水野:なるほど。

コンドウ:中学、高校は絵のことは忘れていて。でも将来について考えないといけないタイミングで「ああ、絵にしよう」みたいな。

水野:それでいけるのがすごいですよね。

コンドウ:どうしてもなりたいという熱い思いがあったわけではないんですよ。

水野:絵をやめようと思ったときはないですか?

コンドウ:ああ、ないですね。

水野:ないんですね。

コンドウ:音楽やめようと思ったことはありますか?

水野:やめる…か。

コンドウ:なんだかとんでもないことを聞いてしまった気がする…。これ、大丈夫ですか(笑)?職業として引退というかたちはあるけど、それで音楽を離れるかと言ったら違うじゃないですか。

水野:うーん、引退したらどうなるんだろう。音楽好きかどうかもわからないですもんね。

コンドウ:あ!そうなんだ。

水野:どうですか、絵が好きか聞かれたら。

コンドウ:うーん、確かに好きかどうかという話じゃないかもしれないですね。好きとか感情で考えたことなかったかも。でも、時間が空いたら描くから…好きなほうなんだろうな、きっと。

水野:そうですよね。息抜きでも描いているんですもんね

コンドウ:表現方法として手近だっただけかもしれない。例えば写真が好きな人はたくさん撮るじゃないですか。

水野:はい。

コンドウ:私は上手く撮れなくて。もし上手に撮れたら息抜きでやっていたかもしれないけど、上手くなりたいとも思ってないわけだから必要以上に撮ることもなく。よって上手くもならない。ということは特に好きなわけではないんですね、今のところ…。

水野:なるほど。

コンドウ:生活の大部分を占めているのが絵なので、もしやめたくなったときに困らないよう、他にやりたいことは、メモしています。

水野:何がしたいですか?

コンドウ:死海に行きたいなとか。

水野:死海⁉︎

コンドウ:ウユニ塩湖に行きたいなとか。

水野:はいはい。

コンドウ:あとはパッチワーク的な飾りとか。それはすごく時間がかかるし、縫い物が得意ではないので…。

水野:絶対にやれないですよね。

コンドウ:やれないでしょうね。一度やり始めたらやめられないタイプなので…すごく時間がとれないとできないから…でもメモはしておこうと。

水野:僕はそういうものを書いてたら嫌になっちゃいます。

コンドウ:どうして?

水野:一生できないだろうなって。できないまま終わっちゃうのが…。

コンドウ:えーーー(笑)!!いつかもう描きたくない、もう描かないぞってなったときは多分「イエーイ!」っていうポジティブな感じではないと思うんですよ。

水野:はい。

コンドウ:「しょぼーん」って感じだろうから、やりたいことを書いておかないと怖いんですよね。

水野:落ちていくと。

コンドウ:そう、落ちたら嫌だなって。「あ、これやれる!」と前向きになるほうがいい。

水野:僕は解放されたって思っちゃうかも。

コンドウ:何するんでしょう?

水野:うーん…何するんだろう?

コンドウ:(笑)

誰でも描けるようにしたい

水野:好きかどうかで言うと、いろんなミュージシャンの方々にお会いする機会も多いですが、音楽が異常に好きな人っているんですよね。

コンドウ:一緒ですね、絵もそうですよ。きっと、どんな分野でも「敵わないな」って思うくらいその世界が好きな人はいますよね。

水野:すごいですよね。その方々を目の前にして好きとは言えないですし。

コンドウ:はい、よくわかります。

水野:持っている熱量が違う方もたくさんいるし。

コンドウ:同じ絵描きっていうのが申し訳ないなと思う人がたくさんいます。

水野:その感覚はありますよね。

コンドウ:でも、そういう人でも「自分が思うように描けてない」って言いますよ。だから、どこまでいっても付きまとうものだと。

水野:終わりがない。

コンドウ:果てもない。

水野:いやぁ。

コンドウ:ゾッとしますよね。

水野:でも、本質ですよね。

コンドウ:でも、「終わることはないんだな」と思ってもいいなと。

水野:ああ。

コンドウ:ここまでいったら到達というのがない。学問でもなんでも、そうなのかもしれないですよね。

水野:そうですね。

コンドウ:毎回の締め切りがあって、少しの到達があるだけいいのかなとも思います。

水野:なるほど、確かにそうかもしれないですね。

コンドウ:到達点がなくて何年も同じことを続けるのは本当に大変じゃないかなと思うんですよ。

水野:そうか。

コンドウ:その人にとっては当たり前のことでも、他の人からしたら「よく続けられるなぁ」と思うことはたくさんありますよね。

水野:気づかぬうちに僕らもすごいことをしているということですかね。

コンドウ:「ずっと座っていられるのはすごい」って私、妹にほめられました(笑)。

水野:(笑)自分ではすごいとは全然思えないけど…やっぱり果てはないですね。音楽プロデューサーの本間(昭光)さんもおっしゃってました。「坂を登って山頂を目指すけど、登りきったらそこに地平が広がっていて、その向こうにまた山があって…その繰り返しだよ」と。

コンドウ:そうかもしれないですね。ずっと登りつづけていないと、登れないというか。一度止まってしまうとエンジンをかけられないような。ちょっと脳の使い方とか手の感覚を探すのに手間取るんですよね。

水野:わかります。

コンドウ:せっかちなのかなぁ。

水野:僕はせっかちだと思います。

コンドウ:私も。

水野:似通ってますよ、そこは。コンドウ先生、せっかちですよね。

コンドウ:なるべく無駄がないようにしたくて。

水野:パパッとやっちゃいたいというか。

コンドウ:そう。でも、それも面倒くさがり屋だからなんですよ。例えば仕事場からキッチンにお茶を取りに行きたいけど立つのは、宅配便が来たときにしようとか。

水野:可能な限り、労力を使わないように。

コンドウ:そうなんです。

水野:でも、人生そんなに効率よくいかないですよね。

コンドウ:いかないです…。

水野:なんか…人生相談みたいになってきちゃいましたね。

コンドウ:文章になったときに大丈夫かしら。

水野:仕事の姿勢というか…。

コンドウ:もっといいこと言わないといけないですね。

水野:見出しになるような。

コンドウ:面倒くさいとかはダメですね(笑)。

水野:まとめると…こういった細かい価値観の集積がその人のニュアンスになっていくんですかね。

コンドウ:(笑)そうなのかなぁ。

水野:どこか編集的な要素があるというか。曲をつくるときに性格が出るなと思うのは…僕は展開を多くつくりすぎるきらいがあって。

コンドウ:へー!

水野:本来なら4小節で終わるところをもう2小節付けて「ここから盛り上がるパートを」みたいな。いつも気をつけなきゃと思っているんですけど。

コンドウ:そうなんですね。

水野:それは文章を書いていてもそうだし、会話をしていてもそう。しゃべりすぎなんです。

コンドウ:わかります。私もです。

水野:1から10まで全部言おうとするというか。

コンドウ:私も、いろいろ話し終わったあとにあんなにしゃべらなきゃよかった…と思うことが多々あります。

水野:その性格というか持っている資質が作品にも表れるような。

コンドウ:そうなのかなぁ。

水野:テレビに出てしゃべるじゃないですか。OAを見ると間が多いなとか思うんですよ。

コンドウ:間が多いと思うってことは、このくらいのペースでいきたいという理想があるということですよね。

水野:あります。上手な人のしゃべりを聞くと痛感しますね。僕の妻がSMAPの大ファンで、中居(正広)さんのラジオが家で流れていることがあって。

コンドウ:はい。

水野:衝撃を受けたんですよね。雑談だとしても、無駄な言葉がひとつもない。

コンドウ:わかります。無駄なく、スッと言い表しますよね。

水野:そうなんです。音楽も同じで、メロディもそうあるほうがいい。

コンドウ:そうか。

水野:よりスマートにしたら、届く範囲が広がるんじゃないかと。

コンドウ:へー!それは曲ができた瞬間にそう思うんですか?それとも街なかやテレビなんかで流れているのを聴いてあらためて感じるのか。

水野:ああ、それはあります。つくっている途中に感じて削ることが多いですけどね。

コンドウ:もうちょっと削れたなと。

水野:はい。

コンドウ:うわぁ、面白いですね。聴く側からすると、完全なものとして聴くからわからないですよ。

水野:削ぎ落とすのは難しいですね。

コンドウ:削ぎ落としてしまったら、曲のニュアンスは変わりませんか?

水野:手数が多いと、より限定されますね。

コンドウ:え!

水野:メロディも歌詞も詳細に説明すればするほど限定されていく。例えば「うれしい」という感情について書くとして、宝くじが当たってうれしいというときの「うれしい」もあれば、人に喜んでもらったときに感じる「うれしい」もある。「うれしい」にも幅があって、この「うれしい」なんだとピンポイントで言う場合には、言葉を足していくことで近づくんですよ。

コンドウ:なるほど。

水野:言葉やメロディを増やすことで、限定されて狭くなる。

コンドウ:意図的に限定して書かれる方もいるじゃないですか。

水野:はい。でも意味が広がっていくほうがいいなと僕は思っています。

コンドウ:なるほど。

水野:例えば熊にしても、すごくリアルな絵だったら印象は全然違うじゃないですか。

コンドウ:(笑)

水野:もう本当にリアルな熊、山にいそうな。

コンドウ:はい。

水野:でもリラックマは抽象的な部分がたくさんあるから擬人化できるし、山じゃなくて部屋で寝てそうだなとも思える。想像が膨らみますよね。シンボリックにすることでイメージが広がる。

コンドウ:ああ、なるほど。確かにそうですね。あとは…誰でも描けるようにしたいんですよ。

水野:ああ、それはすごい。面白い!

コンドウ:自分で描けると愛着が湧きませんか?

水野:そうか。

コンドウ:情報が多ければ多いほど…自分が意図している…部分に近づく…。うーん、うまく言えない…こういうときに中居さんはスッと言うんでしょうね、きっと。

水野:(笑)そうですね。

コンドウ:やっぱり要素が多いと限定的になってしまいますよね。線とか形が少なくてシンプルであればあるほど、みんなが描ける。情報が多いということは、その情報を積み重ねないとたどり着かない。実は遠くなっているような気もして。

水野:なるほど。シンプルであれば、そのポイントさえ押さえれば、キャラクターの自己統一性が図れると。

コンドウ:そうですね。

水野:そうか。メロディも口ずさめないといけないですからね。

コンドウ:ああ、そうですよね。見る人、聴く人が、自分のものにすることができるものを目指したい、というのはお互いの共通部分なのかもしれませんね。

水野:「上を向いて歩こう」は誰でも口ずさめますからね。

コンドウ:ホントですよね。

水野:ヒット曲は頭の中でメロディが描けますよね。

コンドウ:誰もが知っているということは、とてもいいことだと思います。同じものを知っていると、それについて話せますから。知らないと話せない。

水野:そうですよね。

コンドウ:どんな意見があってもいいけど、そもそもそのことについて話せるか、話せないかの違いはコミュニケーションにおいて大きいですよ。

水野:「ベートーヴェンの『運命』って知ってますか?」「ダダダダーンですよね」という。

コンドウ:そうそう。

水野:だけど「リストの『ラ・カンパネラ』を口ずさめますか?」となると…。

コンドウ:「…ん?」ってなりますよね。

水野:ポピュラーであること。それは絵も音楽も共通する部分かもしれないですね。

コンドウ:そうですね、面白い。今までそんなふうに考えたことがなかったから。いいところに気づけそうです。

水野:いいところに気づけそうですが…お時間が。

コンドウ:あっという間!

水野:いつかツアーができるようになったら、ぜひまた!

コンドウ:そうですね。楽しみにしてます。

文・編集:Go Tatsuwa
イラスト:Aki Kondo

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