彩瀬まる 第1回

小説を書く体感は山登りと同じ。

HIROBAの公式YouTubeチャンネルで公開されているトークラジオ『小説家Z』。こちらはアーカイブ記事です。

五感が働く細部の感覚をみちみち書くのが好き。

水野:小説家Z。このコーナーは小説家の方、物語を作られている方に、どのように物語世界を作っているのか、なぜ物語を書いているのか。2つの軸をテーマにお話を伺っていくトークセッションです。今回のゲストは作家の彩瀬まるさんです。よろしくお願いします。

彩瀬:よろしくお願いします。

彩瀬まる(あやせ まる)
1986年千葉県生まれ。上智大学文学部卒。
小売会社勤務を経て、2010年「花に眩む」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞しデビュー。著書に『あのひとは蜘蛛を潰せない』『やがて海へと届く』『朝が来るまでそばにいる』『くちなし』『森があふれる』『まだ温かい鍋を抱いておやすみ』など。五感を刺激する柔らかでうつくしい文章と、どんな境遇の人にも寄り添う平らかな視点から紡がれる物語で読者を魅了。他に東日本大震災の被災記『暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出―』がある。

水野:まず彩瀬さんとの繋がりのスタートラインとして、HIROBAの『OTOGIBANASHI』という企画に参加していただきまして。「光る野原」という歌詞、そして『みちくさ』という小説を書いていただきました。

彩瀬:はい。

水野:今度『やがて海へと届く』が映画化されます。そういうふうに小説から二次創作的に違う作品ができることは、経験されていると思うんですけど、実際、音楽になってみていかがだったでしょうか。

彩瀬:映画は監督さんがいらっしゃる分、自分はあくまで基礎の土台を作っただけというか。実際の作品は別の方に作っていただいて、テーマは通底するけれども、自分とはある程度は切り離したもの、別のものとして見るんですけれども。「光る野原」は、自分が書いた歌詞を、そのまま歌っていただいている分、自分と近い。

水野:なるほど。

彩瀬:けれど、自分が絶対に到達しないものとして仕上げていただいている。だから、不思議だなっていうのと、お得だなっていうのと(笑)。両方ありました。

水野:僕は普段、詞と曲の両方を書くことが多いんですね。ですので、自分からすると身体の一部を預けているような感覚だったんですけど。

彩瀬:ああ。

水野:彩瀬さんに書いていただいた詞がまた素晴らしくて。たくさんの物語を書かれていらっしゃるけど、ポップスの詞は初めて書かれるというところで、最初は不安なことも吐露されていたのに。できあがった歌詞を見たらもう、職業作詞家の方が書くような。

彩瀬:いやいやいや。

水野:表現はもちろんですけど、字数のハマりとか、完全に技術的なところ。もうできてるやん!みたいな(笑)。あと、これは感覚的なことで恐縮なんですけど、景色が浮かんでくる。僕はメロディーを書いているときに(彩瀬さんの詞から)湿度であったり、温度であったり、五感的なものを感じて。これはなんなんだろうと。

彩瀬:うーん。

水野:彩瀬さんの作品から、そういう質感というか、生々しさを感じるのは、どうしてなんだろうって思いまして。書かれるとき、どういったことを意識されて書いていらっしゃいますか?

彩瀬:書きたい世界の光景を頭のなかに広げて、どこをクローズアップしたいか無意識のうちに選んでいるんだと思うんですね。「光る野原」だったら、広い野原と言わなくても、なんとなく視界いっぱいの野原が広がっていて。どうやらここを走らなきゃいけない。しかも不安定な心地で走る。となると、草を駆ける音だったり、足に草が絡みつくちょっと重い感じだったり、そういう五感が働く細部の感覚をみちみちと書いていくのが好きなんです。

水野:なぜ、彩瀬さんはそこに気づけるんですかね。たとえば、「失恋をしました」ってことは誰でも、いろんな形で経験していると思うんですけど。「こういう理由で相手が私を嫌いになった」とかは覚えていても、「あのとき、部屋のなかがめちゃくちゃ暗くて」とか。「そのとき持っていたコーヒーのカップが冷たくて」とか、状態に関わることってなかなかたどり着けないというか。

彩瀬:失恋って言われたときに、ぽって浮かんだのは、自分が意中の相手と話しているとき、別のクラスメイトが来て、その子に向ける笑顔の質と自分に向ける笑顔の質が違うみたいな。明確な越えられない線があるみたいな。そういう些細な絶望って簡単にできるじゃないですか。その些細な絶望を表現するとき、友人の側にだけ日が当たっているように感じるとか。

水野:あー。

彩瀬:まず、「軽いけれども明確な絶望」っていうテーマを設定したあとに、手元の情景を振り返っていく。すると、「多分この焦点を結べば作品として書けるぞ」みたいなものが見つかってくるんだと思います。

水野:そこからさらに描写に入っていくとき、その些細なところをどんどん拾っていくじゃないですか。でも、それが多すぎてしまうと、物語が進行しない気がするんですが、さじ加減はどうされているんですか?

彩瀬:「光る野原」だと、どれだけ細かい描写が累積しても、最後に思うことは、<光る野原を 君にあげたい>っていう。その境地が見えていれば、そこまで走れる。終着点がわからないうちは描写が散漫になっちゃうんです。自分がそれほどたしかな存在じゃないけれど、君の手を引いて明るい場所に出たい。必ずしもうまくいくとも限らない。途中で弱い心が出て、逃げたくなっちゃう瞬間もある。その一連の流れの果てに、<野原をあげたい>と思っている終着点がある。その起伏に沿って描写を乗せていくと、整理ができていく気がします。

「ある」と「ない」だけわかるんです

水野:すごい旅をされているんですね。

彩瀬:そうですね。描写を積み重ねていくっていうより、何かしらの起伏があって、それに描写を添わせていっている。無意識にそういう作り方をしていると思います。

水野:どこか彩瀬さんが旅行者としてずっといるというか。「この地点に着いたら、これが必要だ」っていう視点がある。でも小説を書くときは、どこか俯瞰していないといけなくて。

彩瀬:ああ、はい。

水野:全体のバランスを見て、たとえば1合目ではこんな描写を書いたけど、8合目まで来たら、この1合目の描写は必要なかったかもな、みたいな瞬間もあると思うんですよ。

彩瀬:私は多分、俯瞰をあまりしないほうの作家で。世の中には常に俯瞰している作家さんもいると思うんですよ。でも私は、プロットとかを出すのも下手で。

水野:そうなんですね。

彩瀬:小説を書く体感は大体、山登りと同じなんです。わからないけど、てっぺんのほうにいいものがあるらしい気配はわかる。

水野:はい、はい。

彩瀬:この物語のざっくりとした設定やテーマを決めて。「多分、こういう内容になる」って、編集さんと話して。そして、なんとなくあのへんに、まだここにない、掴むと気持ちのいい概念が転がっているから、それを取りに行こうって感じで、登り始めて。で、大体あるから、よし!みたいな。

水野:不安にならないですか? もし見つからなかったらどうしようみたいな。

彩瀬:「ある」と「ない」だけはわかるんです。技量が及ばず、掴み切れないみたいなのはありますけど。ただ、このルートで考え方や物語を育てていくと、とりあえずおもしろいものが「ある」ことはわかる。

水野:何の違いがあるんですかね。「ある」と、「ない」では。

彩瀬:自分が喜ぶかどうか。

水野:ご自身がですか?

彩瀬:はい。自分がそれを見たら、楽しいって思うかどうかかなって思います。

100%、自分のために書いています。

水野:ちょっと質問の質が変わってくるかもしれないんですけど、自分のために書いています? 他人のために書いています?

彩瀬:100%、自分のために書いています。他人のために書くのは難しい。もしかしたら今の自分ではないのかもしれないんですけど。

水野:なるほど。

彩瀬:過去の自分とか、未来の自分とか、いずれこういうことに苦しむかもしれないから、今こういうことを考えておこうみたいな無意識とかも多分ある。ほぼ、私は自分のために書いていると思う。水野さんはご自身のために音楽を作っていらっしゃるんですか?

水野:これがずっとわからなくて。

彩瀬:なんと! そうなんですか。

水野:ずっとわからないですね。僕の場合は、はっきりすぐ答えにたどり着くわけじゃなくて。何周かして、「結局、それって自分のためだよな」っていう感じで。

彩瀬:うんうんうん。

水野:僕の場合は自分のキャリアのスタートが、いきものがかりという非常にポップなグループだったので、他人に聴かれることをすごく意識しながら書いていて。他人に喜ばれるとか、他人の大切な思い出に繋がるとか、そういう喜びを求めていました。なので、おこがましい言い方だけど、他人のために書いている意識を強く持っていたんです。ただ、振り返ると結局、自分のためだったかなとか。

水野:それは、聴いてくださった方に肯定してほしいという意味での自分のためでもあるし、作品と向き合ったときに、当時の自分を救おうとしていたという意味での自分のためでもある。結局、書くことに救われていたのかなって思うときはあるんですよね。

彩瀬:第一次的な喜びとして「まだ作ったことないものができた」っていう、目の前にある喜びってあるじゃないですか。その先で、思ったよりたくさんの方に読んでもらえたり、思いがけない角度で共感してもらえたりしたとき、「誰かの役に立ったなら、本当によかった」って思います。達成感にもフェーズがあるというか。

水野:あー、なるほど。

彩瀬:第一次のいちばん身近なところが、私は自分のため。とにかくてっぺんに何かありそうなものの確認をしたいみたいな感じで。

水野:もし、読むひとがいなかったとしても、書いています?

彩瀬:書いていると思いますけどね。うん、書いていますね。

水野:僕ずっとそこが長いこと不安だったんです。「聴くひとがいなかったら書いていないだろうな」みたいな気持ちを、とくに20代の頃とかは持っていて。

彩瀬:すごい親切だなって思います。受け手のことをちゃんと考えていらっしゃって。尊いです。私は水野さんより数歳年下だと思うんですけど、もう20代の青春をいきものがかりに掴まれていた世代なので。

水野:すみません(笑)。

彩瀬:「SAKURA」をカラオケで100回ぐらい聴いたし、私もそのぐらい歌ったんですよ。

水野:それはそれは!

彩瀬:いつも流れるし、誰か歌う。だから、みんながいい気持ちで歌えて、幸せな気分でそれぞれの青春を回想できるような曲を、こういう優しい心の持ち主の方が贈ってくださっていたんだなって今すごく思いました。

水野:大衆歌謡的なものって、そこが宿命づけられているところもあるから。でも今だったら僕も、「聴くひとがいなくても書いている」って言えるなって。どうしてそういうふうに変遷したか、わからないんですけどね。あと、小説を書かれる方、物語を編まれる方って、書くことに救われている方も多いんじゃないかと思っていて。書くことは苦しいですか?

彩瀬:体調にもよるんですけど、やっぱり書くことに助けられていると思います。ここを考えるとおもしろいだろうみたいなことの表現の器になってくれたりもするので。体調が悪いと、締め切りの日数を数えながら絶望的な気分になるんですけど…。

水野:たまにつぶやいていらっしゃいますよね。「このページが書けない」みたいな。

彩瀬:そう。私、Twitterで他の作家さんが弱音をあまり書かないことが不満で。

水野:そうなんですか(笑)。

彩瀬:もっとみんな手持ちの締め切りがやばいことを発信していこうよ! って、思っています(笑)。

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