魂が先に動いて、あとから身体を沿わせるイメージがある。

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
https://www.j-wave.co.jp/original/creatorsnote/
“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週土曜日夜21時から放送。
水野:今回のゲストは芸人で歌人の鈴木ジェロニモさんです。

鈴木ジェロニモ
お笑い芸人、歌人。1994年生まれ、栃木県さくら市出身。プロダクション人力舎所属。R-1グランプリ2023、ABCお笑いグランプリ2024準決勝進出。TBS『ラヴィット!』「第2回耳心地いい-1GP」準優勝。第4回・第5回笹井宏之賞、第65回短歌研究新人賞最終選考。ボイスパーカッションを取り入れたネタが特徴的。2022年より短歌のライブイベント「ジェロニモ短歌賞」を主催。2023年にプチ歌集『晴れていたら絶景』を刊行。YouTube動画「説明」が穂村弘氏、高橋源一郎氏に注目されるなどじわじわ話題になっている。
生きていること自体がネタ作り

水野:もともとお笑いには興味があったのですか?
鈴木:子どもの頃からお笑いは好きだったのですが、大学卒業時は就活もしていて。家系に教員が多かったので教職免許も取っていました。ただ、就活の面接中、普通に話しているだけなのに、自分の椅子が宙に浮いて、景色が360度左回転するような感覚に襲われたんです。「今、何が起きている? おかしいぞ」と。それで、「就活は自分に合っていないのかもしれない」と思ったんですよね。
水野:はい、はい。
鈴木:それはきっと、“自分のなかで思っていないことを言う”ということが、本当にできないからでした。第一志望じゃないのに、「御社が第一志望です」と言うのがあまりに苦しくて、景色が回転してしまった。そこで初めて、「自分は思ったことしか言えない人間なんだ」と気づいたんです。そして、就活がうまくいかないと感じていた頃、「そういえばお笑いが好きだった」と思い出して、芸人の養成所に行こうと考え始めましたね。

水野:もしかすると、お笑いの世界では“いい意味での嘘”をたくさんつかないと、笑いが生まれない場面もあるかもしれませんよね。そうしたことに対する恐怖はありませんでしたか?
鈴木:自分が嘘をつく、つまり思っていないことを言うのだとしたら、それは“誰かを笑わせるため”であってほしいという気持ちがありましたね。できるだけ嘘はつきたくない。でも、誰かが求めているなら、ギャグとしてなら許せるし、心地いいとも思えたんです。それに、芸人という立場であれば、そこからどこにでも着地できる感覚もあって。まずは空中に飛び出してみて、どこに着地するかはあとから決まる。そう思って飛び込みました。
水野:ネタを作る必要もありますし、コンビやグループを組むなど、いろいろな選択肢があると思います。そうしたなかで、自分の適性や進む方向はどのように選んでいったのですか?

鈴木:最初に入った人力舎の養成所では、「まずはコンビかトリオを組むこと」と強く言われていて、ピン芸人は基本的に認められない方針だったんです。養成所は学校のようなものなので、そこで評価されることが大事だと思い、講師の指導に従ってコンビを組んで。そして、ネタ見せの授業を重ねるなかで、「こうすれば評価される」という感覚も少しずつ掴んでいきました。そもそもお笑いをやるなら、いちばん大きい吉本の養成所に行く選択肢もあるわけです。
水野:なるほど。
鈴木:そのなかであえて人力舎に来ているひとたちなので、いわば“クラスの端にいるひとたちが集まってできたひとたち”みたいな状態で。でも、そのなかでも、自分と他者の違いがよりはっきり見えてきたんです。つまり、ここまで絞られた集団のなかでも個人差はあるし、学校というシステムのなかで講師が評価するポイントもある。その両方の軸を意識しながら、自分の立ち位置を試行錯誤していました。
水野:ずっと考えているのが好きなんですね。
鈴木:そうかもしれません。「ネタはいつ考えているんですか?」と訊かれることがありますが、ずっと考えてはいるんです。生きていること自体がネタ作りに繋がっている感覚というか。今見た風景が、あとでふとネタとして形になることもある。生きることと考えることが常に並走している状態が、自分には心地いいんです。就活ではその感覚が合わなくて、「自分が何を考えているかじゃなく、相手が言ってほしいことを言わなければならないんだ」と気づいたけれど。自分の考えを軸に生きる延長線上にお笑いがあったんだと思います。
共感を狙うより、自分にとっての真実を言う

水野:ジェロニモさんは、ボイスパーカッションを取り入れたネタや、説明ネタなど、とくに“言葉”にフィーチャーしている印象があります。“言葉”というジャンルに行き着いた過程を教えてください。
鈴木:自分のなかでは、「最終的に“言葉”だったんだ」という感覚があります。子どもの頃は、現在、東大で助教をしている兄との比較から、自分は身体表現のほうだと思っていたんです。でも大学や養成所で外のひとと出会って、「言葉を立たせる言い方をするよね」とか「語彙が豊富だよね」とか言われるようになって。二十歳を過ぎて初めて、「自分には言葉の可能性もあるのかもしれない」と気づき、シフトチェンジしていきました。
水野:そうなんですね。
鈴木:芸人になって、最初はコンビでコントをやっていて、ピンになってからも、舞台上では身体でおもしろくあろうという意識が強かったんです。ただ、いろいろ試すなかで多くのひとに届いたのは、空耳ボイパや「水道水の味を説明する」動画のように、言葉を使ったネタでした。最初から言葉を選んだわけではないのですが、言葉がいちばんスピードの出る表現だと気づいて。そこから言葉の使い方をより意識するようになりました。

水野:ネタを考えるときは言葉と映像、どちらが先に浮かびますか?
鈴木:映像ですね。ただ、思い浮かんだ情景や味わいを、表情や動きで表現するのが自分はあまり得意じゃなくて、どうしても濁ってしまうんです。その点、言葉は、いちばん濁りが少なくアウトプットできる感覚がある。ひとによっては音楽や絵だったりすると思うのですが、自分にとっては言葉がいちばんクリアに届けられる手段なんです。薄張りのグラスで提供できる。だから、最終的に言葉で表現することが多いのだと思います。
水野:芸人という立場にいる以上、常に“笑い”という重力がかかると思うのですが、それを苦しく感じることはありませんか?
鈴木:自分にとって、ひとを笑わせる行為は、かなり社会的なものなんです。ひとが笑う言葉は社会に向けた言葉だという感覚がある。だから、舞台でのエピソードトークやネタでは“お客さんがどう感じるか”を強く意識して、いわば“笑いの重力”に従って言葉を選んできました。ただ、「水道水の味を説明する」動画を出したときに、かなりその重力から外れた言葉を使えた感覚があって。
水野:なるほど。
鈴木:台本も脚本もなく、その場で思ったことを話してみたら、むしろそれがいちばん「わかる」と言ってもらえるコンテンツになったんです。それは不思議な体験でした。自分で操縦するより、操縦桿を壊して、とりあえず歩いてみた先にひとがいる感覚というか。短歌も、もともとは“笑いの重力”のなかで使いづらいものの置き場でしたが、そうした言葉が新しい届き方を生む可能性も感じていて。最近、ストレスがなくなってきましたね。
水野:「他者に共感されたい」という気持ちもありますか?

鈴木:もともとは共感されたくて始めましたし、今でもウケたい気持ちはあります。ただ、自分が想定している共感の幅は狭いし、世の中にはもっといろんなひとがいると気づいて。だから、「これが共感ですよね」と提示するよりも、「自分はこうでした」とひとつの例として出したほうが、「それ、今まで触れられたことがなかったけれど、自分も同じです」と届くことがある。自分にとっての真実を言うことが、結果的にいちばん共感に繋がるんじゃないかと思っていますね。
水野:『水道水の味を説明する』は、単行本化されていて、その帯に“谷川俊太郎さんが帯を断ったときの文言”が載っているんですよね。「僕は『定義』には興味があるけど、『説明』には興味がないので帯は書けません」という言葉。実はこれがいろんな本質を炙り出しているなと感じました。
鈴木:谷川さんの詩集『定義』も踏まえた表現をしてくださったのだと思いますが、編集者の方と「これはお断りの文言だけど、“説明”というものを暴いているよね」と話して、掲載させていただきました。自分の動画も「詩みたいだ」と言われることがあるんです。ただ、僕は詩を作っているつもりはなくて、やっているのはあくまで“説明”なんです。自分が小さくなって対象の内側に入り、触りながら言葉にしていく感覚。一方で詩や“定義”は、外側から全体を俯瞰して捉える。まったく逆のアプローチで、同じ形を描いているのかなと解釈しています。
世界、頼んでいません

水野:ものの見方には常識の枠があるじゃないですか。でもそこから自然と外れていっているように見えるんです。意図して外しているというより、普通に話していたら結果的に外れている、というか。水道水の味を説明すること自体は、やろうと思えば誰でもできるはずなのに、実際にやっているのはジェロニモさんだけで。その時点でどこかズレている感じがしますよね。
鈴木:たしかにそうですね。常に“世界はすでにできあがってしまっている”みたいな感覚があるんです。自分の知らない間に。実家も今住んでいる場所も自分が作ったわけじゃないのに、当たり前のようにそこにあって、その利便性を享受している。でもふと、「なんで、もうあるの?」という気持ちになります。飲食店で頼んでいないものが出てきたら「頼んでいません」と言うじゃないですか。それと同じで、「世界、頼んでいません」みたいな。
水野:(笑)。
鈴木:その「頼んでいない」の初期症状が“水道水の味”について考えたことでした。水って「味がない」と言われがちですが、本当にそうなのか疑問に思ったんです。そこが「水道水の味を説明する」動画に繋がっていった。「頼んでないのにある」という状態に慣れてしまうのもよくない気がするから、一種の抵抗というか。もちろんバランスは必要ですが、おっしゃるとおり、今はその違和感にかなり敏感になっている状態だと思います。
水野:それをアウトプットしていくときに、短歌や笑い、あるいはそれ以外の表現があるということなんですね。

鈴木:根本的には、笑わせたいというよりふざけたい感覚が強いんです。舞台で自分を自由に振り回したいし、相手の期待も裏切りたい。ある意味、決められたルールや法律から逸脱することに近いと思っていて。ただ、ネタや文章、動画のような創作の場では、それが許されている。外からの期待はあっても、最終的に従うかどうかは自分で決められる。そこを自分は楽園のように感じているからこそ、大切にしているのかもしれません。
水野:主格が奪われるのがイヤなのでしょうか。
鈴木:そうですね。とにかく主導権は自分で持っていたいんです。何者にも譲りたくないというか。たとえば、“雨が降っているから傘を差す”とかもイヤで。“自分が濡れたくないと思ったから差す”という動作でありたい。だから、一度あえて濡れてから傘を差すこともあるんです。それが気持ちいい。就活で思っていないことを言うのが苦しかったのと同じで、“自分がそう思ったからそうする”というところに固執しているのだと思います。
水野:常に現れ続ける自分を確認していく感覚ですかね。
鈴木:たしかに、生きている実感を得たいという感覚に近いと思います。魂が先に動いて、あとから身体を沿わせるイメージがあるんです。つまり、「濡れたくない」と思った時点で、魂世界ではもう傘を差している。でも、実際には身体を動かさないと濡れない状態にはならないわけじゃないですか。その魂からの遅れの時間にこそ、身体の実感がある気がして。それを失いたくないから、身体が魂を先回りするのはイヤなんですよ。

水野:すると、短歌では終わらないんじゃないですか?
鈴木:まさに新しいジャンルに出会うたび、「ここでも結局、求められる身体があるんだな」と感じますね。そこからはみ出してしまう自分を受け止めるために、また別の置き場所を探している感覚があるんです。決められた器のなかで頑張ろうとしても、どうしてもこぼれてしまう。それこそが“自分らしさ”じゃないかなと思っています。だから、こぼれた欠片を拾い集めて、自分という存在の証拠を集めたいのかもしれません。
水野:考えているとき、自我はどこらへんにありますか?
鈴木:自我のさらに内側に入っていく感覚だと思います。たとえば、水道水を飲んで「鏡の味」と言うとき、実際に鏡を食べたことはないけれど、その瞬間はそれ以外に言いようがない状態が訪れるわけです。身体や社会の優先順位が下がり、自分の魂の感覚だけが真実として存在する。そして、考え終わったあとには、不思議な気持ちよさがある。椅子から一歩も動かない旅行として、自分は「説明」というものを楽しんでいる気がしますね。
水野:では最後に、これからクリエイターを目指すひとたちにメッセージをひと言お願いします。
鈴木:これは自分にも言い聞かせていることですが、「あなたになれ」ということだと思います。誰かに憧れても、自分はそのひとにはなれない。だからこそ「自分はどう思うのか」を突き詰めることが大事です。僕は他者との比較ではなく、自分自身に対して「おもしろい」と思える感覚があるんです。自分の失敗も含めて興味深いし、常に自分が新鮮に感じられる。そういう感覚を持ち続けることも大切かもしれません。

Samsung SSD CREATOR’S NOTE 公式インスタグラムはこちらから。
文・編集:井出美緒、水野良樹
写真:谷本将典
メイク:内藤歩
番組:J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
毎週土曜夜21時放送
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