“書く”ということは ひとにとって何なのか。
「私だけのオリジナルのひねくれだと思っていたのに」
水野:僕はいきものがかりとは別に、HIROBAという活動をしていまして。この対談Qというコーナーは、ひとつのテーマを決めて、それについてゲストの方と一緒に考えていくというものです。たくさんの作品を書かれているくどうさんと今回お話したいのは、「”書く”ということは ひとにとって何なのか」というテーマです。

くどうれいん
作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『桃を煮るひと』(ミシマ社)、『コーヒーにミルクを入れるような愛』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)、第一歌集『水中で口笛』など。初の中編小説『氷柱の声』(講談社)で第165回芥川賞候補に。最新刊「湯気を食べる」(オレンジページ)。現在、講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」ほか連載多数。
くどう:水野さんにお会いして今、「ドラえもんって本当にいるんだ!」みたいな状態です。私はいきものがかりさんの楽曲が青春とともにあった世代で。体育祭では「HANABI」で行進して、文化祭では吹奏楽部で「気まぐれロマンティック」を吹いて。
水野:なるほど。ちょうど中学生ぐらいの時期ですか?
くどう:そうですね。卒業式では「YELL」を歌いました。自分の生活や人となりを形成する時期、教科書と同じくらい当たり前にいきものがかりさんの作品があったので、そういう曲を作ってきた方が、私の作品を読んでくださって、盛岡まで来てくださっていること自体がとんでもなくて、本当にありがたくて。
くどう:今、自分がものを書くようになってみて、作品が世の中に知れ渡り愛されることがどれだけ大仕事なのか。水野さんにかかるプレッシャーにも思いを寄せてしまいます。水野さんが清志まれ名義で書かれた小説『おもいでがまっている』も拝読しまして。いい意味でずーっと貪欲なんだなと感じました。作らずにはいられないところが、きっと水野さんにもおありなんだろうなと。
水野:僕も生意気にも、その“作らずにはいられないところ”が、くどうさんと近いのかもしれないなと。くどうさんのいろんな本を読ませていただきながら思っていました。
くどう:小説では名義を変えたかった理由も気になりました。私自身は逆に「くどうれいん」で統一したので。だから今日、いろいろお話するのがすごく楽しみで。
水野:先ほど、おっしゃってくださったみたいに、自分が書いた曲が、誰かの大切な思い出と繋がるような場面で流れることが多く、「歌いました」とか「聴いていました」とか言っていただけることはすごく嬉しいんです。そこを目指してやってきたところがあるし、ポップス自体がそういう宿命性を持っているから。ただ、「プレッシャー」という言葉を使っていただきましたが、まさに“聴かれていることの怖さ”も感じていて。
くどう:はい、はい。
水野:僕が思ってもいないような文脈で曲に出会っている方もいる。たとえば、大多数のひとにとっては、愛に溢れたように感じる曲だとしても、ものすごく悲しいことがあったばかりのひとが触れてしまったら、それは暴力になりえる…とか。そういう怖さや葛藤はずっとあって。くどうさんの場合、ご自身の人生そのものが文章化されていく場面が多いじゃないですか。それがたくさんの方にどんどん読まれていく。その状態をどのように受け止めていらっしゃいますか?
くどう:最初にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』を書いたときは、「人生最後の本だ」と思っていたんです。一度でいいから本を出してみたいという夢が叶ったので、「もうこれでよし。この先は趣味として楽しく書けていけたらいいな」と。でも、Web掲載だったものが書籍化された途端、思いがけないところまで届いて。
水野:そうだったんですか。

https://booknerd.stores.jp/items/61f228c3e859260a59e1fe05
くどう:作家人生を諦めるために書いたところがあったのに、それによって、作家として独立するところまで至ったのは、いまだに不思議で。ただ、昔も今も自分がいちばん救われたいというか。自分のためだけに書いているんですよ。だから読者の方に、「私のことかと思いました」とか「救われました」とか言われたとき、「あなたは私じゃない。あなたが救われたければ自分で書け」みたいな気持ちになってしまう時代もあって。
水野:はい、はい。
くどう:ありがたい気持ちで近づいてきてくださる方を蹴っ飛ばしてしまうような感覚。あと、「私も同じです」というひとがいかに多いか。「私だけのオリジナルのひねくれだと思っていたのに」という悔しさを味わいました。だけど、今はだんだんとシンプルに、「ありがたいな」と受け止められるようになってきましたね。
本心を守るために書いている

水野:どうして変化することができたのでしょうか。
くどう:諦めた瞬間があったんですよね。「売れたんだな」って。
水野:大事ですね。
くどう:いじけているのが自分の持ち味だと思っていたけれど、それではダメなときが来たというか。ひとを僻んで、そういう気持ちを糧に書いていたような自分が、僻まれる側にまわったのかもしれないと思った時期がありました。その難しさとか脆さとかとも向き合ったんですけど。初の中編小説『氷柱の声』で芥川賞候補作になったあたりで明確に、「これは胸を張れるような自分でいないといけないな」って。
水野:書くものは変わりましたか?
くどう:変わってないです。私は多分、昔から見せたいところだけ、「そういうことにしたい自分」だけ、みなさんにお見せしているので。それだけ読んでくださった方が、「本心を書いてくれている」と感じてくださったとしても、実は本心を守るために書いているんですよね。
水野:なるほど。
くどう:エッセイはどうしても「赤裸々」という言葉と紐付けられることが多いのですが、私は赤裸々に書いたことはなくて。もっと禍々しい部分、もっとうぬぼれている部分もあるけれど、見せたいところしか見せていない。だから、”書く”ということは、編集だと思っています。晒すために書いているわけではなく、むしろ、自分の都合がいいように、編集するために書いているという意識がかなり強いです。
水野:間違っていたらごめんなさい。ご自身が“見せたいもの≒見たいもの”なのかなって。人間って日々のなかで、ほとんどのことは言葉にできないというか。整理できないというか。言葉にすると、かなりどきついものや汚いものになってしまう。それを物語化すると、何かまとまって綺麗に見えたりすると思うんです。
くどう:はい、はい。
水野:自分自身、恥ずかしい思春期に書いたものを読むと、「こういう自分で在りたかったんだろうな」と感じたりするから、それはすごく理解できる。ただ、それがどうご自身を救うことになるのでしょうか。
くどう:「対面して会う私がいちばんおもしろく在りたい」と常に思っていて。本が、もっともいい自分の姿ではない。なんなら抑えているつもりというか。すると、本だけで私を知ったつもりになっているひとには、「本だけで私を知った気になっているな」と思えて、自分を守ることができている気がするんです。
水野:ああー。
くどう:思春期に東日本大震災があって、「感動」というものに踏みにじられてきた世代という感覚もあって。自分が赤裸々に語ったことが、別の誰かの手によって感動の物語にされてしまう。そういうことに対する、「守らなければ」という意識が強い。ひとを感動させたいわけではなく、自分の感動を自分だけのサイズで味わいたいのだと思います。
書かないとすべてが「あったこと」になってしまうから。

くどう:だから、本当はもっと味の濃いもの、大きなアクシデントも書けるけれど、「そうではないところをどれだけ書き続けるか」というほうに向いたんですよね。「日常を愛するために、目にとめた些細なことを書いている」とよく思われるのですが、少し違って。10代の頃は、「忘れてしまうから記憶しておかなければ」と思っていたけれど、30代に突入した今は、「覚えていたいことだけを覚えていたいから書いている」かもしれないなと。
水野:すごい。おもしろい。
くどう:忘れたいことなんていくらでもあって。私にとって、「書いたこと」は「あったこと」になるけれど、書かないとすべてが「あったこと」になってしまうから。書くことで救われている。だから、書き続けているのだと思います。それを止めた途端、無編集の自分だけが前に出てしまう気がして、それがイヤなのかな。
水野:僕は誤解をしていたと思います。これだけ自分の生活に近いところを、しかもいろんな表現方法で書き続けているということは、結果的に自分を晒すことになるだろうという短絡的な考えでいたんです。現実として、本人や作品を「消費される」棚には置くじゃないですか。そこをどう伺おうかなと。だけど、くどうさんはもう一歩、先を行っていて。消費されることへの防衛をすでになさっていたんだなということがわかりました。
くどう:そういうことなんです。
水野:また、「書いたこと」は「あったこと」になるって、強烈ですね。作詞家の阿久悠さんっていらっしゃるじゃないですか。
くどう:大好きです。
水野:阿久さんは小説も書かれているのですが。あれだけ詞では虚構を描いてきたひとが、小説では自伝的なものがすごく多い。主人公が阿久悠というペンネームに近い名前で書かれていたり。それを読みながら途中で、「このひとは自分を阿久悠にさせたいんだな」と思ったんですよ。本名の自分ではなくて、自身の人生さえも阿久悠というドラマティックなスーパースターのものにさせようと。
くどう:ああ、なるほど。
水野:遺作として没後に発表された小説(「無冠の父」)では、戦争で亡くなられたお兄さんや、淡路島の駐在員だったお父さまのことが書かれていて。これは、ご家族との関係を再編集したいんだなと。それは「書いたこと」が「あったこと」になるお話と繋がるかもしれないなと今、感じました。
文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:谷本将典
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影場所:光原社
https://morioka-kogensya.sakura.ne.jp
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