対談Q 村上健志(芸人) 第1回

自分の言葉が
“場”に影響を受ける瞬間

俳句はライブ感を大事にする文化

村上健志 (むらかみけんじ)
お笑い芸人。1980年生まれ、茨城県出身。青山学院大学を卒業後、2004年に吉本総合芸能学院(NSC)の東京校に入校。2005年に同期の亘 健太郎と「フルーツポンチ」を結成する。2008年『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)に出演し、村上の“ウザキャラ”を全面に押し出したコントで人気を博す。最近では『プレバト!!』(MBS・TBS系)で俳句の才能を発揮。自身の句が2021年度の中学3年生向け教科書『現代の国語3』(三省堂)に収録。著書「フルーツポンチ村上健志の俳句修行」が好評発売中。

水野:村上さんは俳句をやられているということで、今回の対談Qでは「自分の言葉が“場”に影響を受ける瞬間」というテーマについて、一緒に考えていきたいと思います。

水野:まず、村上さんの出された本『フルーツポンチ村上健志の俳句修行』を読んで、これだけ“句会”というものがあることにビックリしました。

https://www.shunyodo.co.jp/shopdetail/000000000744

◆『フルーツポンチ村上健志の俳句修行』(春陽堂書店)
これは俳句を愛する人たちと出会った記録である。本のサイト『好書好日』(朝日新聞社)の人気連載を書籍化した、フルーツポンチ村上健志初の著書。無理難題(⁉)なテーマが飛び出す句会の様子を、本文→解説の順で17編を収録。特別対談やコラム、書き下ろしの巻頭俳句(『つむじにチョップ』『ハムで吞む』)も! 俳句の才能を開花させている芸人・村上健志は、さまざまな句会からのお題にどう応えるのか――。

水野:句会ってそれぞれとても個性が強くて。歌舞伎町での句会があったり、参加者のみなさんでお酒を飲む句会があったり、真面目に語り合う句会があったり。その句会の個性に合わせて、村上さんが作られるものも語り口も変わっていく気がして。

村上:僕も句会の多さについては、俳句修行の企画をやってみて知りました。それまでは「俳句は俳句じゃん」とか思っていたんです。でも、いろんなカラーがあって、違いがあって、集まっているんだなと。

水野:僕は勝手に、俳句って個人競技だと思っていました。でも、団体競技みたいだなって。

村上:俳句の前に短歌も少しやっていたんですけど、短歌はどちらかというと個人競技というか。自分のなかにある思いを綴っていく、内へ内へ行く感じがあって。でも俳句はそうではなく。俳句のほうが古めかしくて固いイメージがあるじゃないですか。それが意外とライブ感を大事にする文化で。俳句をやるひとにとって、句会は日常的なもので、句会で出してよかった句をブラッシュアップする、というのが常識的にあるみたいで。

水野:句会はあんなにライブのような感じでやるものなんですね。

村上:最初は句会といったら、めちゃくちゃ怒られるようなイメージがありました。「はい、あなたの句はここが間違っているのでダメです」みたいな。でもまったくそうではなくて。「俺はいいと思うけどな」とか「この言葉を変えたほうがいいと思う」とか、そういうやり取り。そっちのほうが僕はありがたいなと思いましたね。

水野:僕は即興で書くなんて絶対に無理ですが、村上さんは楽しいですか?

村上:即興は本当に難しくて「もう!出さなきゃ!」って感じですけど(笑)。ただ、どんなものづくりでも結局、締め切りがないとどうにもならないところがあるじゃないですか。むしろ締め切りがあるからこそ、思わぬところに手を伸ばせて何かが見つかるようなときもあって。句会でも、席題を与えられて、自分としてはまだ整っていないような「雑かな」とか「狙いすぎかな」みたいなやつが、意外と「それいいね」って言ってもらえたり。自己判断だけでやっていたらボツにしていたものを、思い切って人前に出せるのも、句会のいいところですね。

書かれてない部分も楽しむ

水野:何かを作っているとき、あんなにひとの視線が目の前にあることってないですよね。作品に対する解釈もそれぞれですし。しかもみなさん、その句会に応じて、求められるものや、たどり着こうとしている場所が違ったりもするので、おもしろいですよね。

村上:「いろいろあっていいんだ」と思えたのが楽でしたね。ひとつしか正解がなくて、みんながその高みを目指していくとなると、ちょっとしんどいかなと思うんですけど。場所によって、「これを“よい”と言うひともいれば、“よくない”と言うひともいる」という感じが、なんかいいなって。

水野:句を作ってみて、自分がいいと思っているものに対して何か言われることは、ポジティブに受け取れるものなのでしょうか。

村上:やっぱり「よくない」と言われたら、腹が立つというのが最初にあります(笑)。でもそう思った理由を聞いてみると、なるほどなぁと思うこともあるし。とはいえ「参考までに…」という受け取り方ですね。相手の解釈が正解というわけでもないので。

水野:おっしゃるとおり、正解がないなかで、解釈違いをあんなに受け入れられる空間って平和だなと感じました。専門家の方も、解釈違いを戦わせる時間を楽しんでいたり。それってすごい。今、SNSなんかでは「どちらが正しい」とか「論破した」とか勝負になりがちじゃないですか。でも、違いを語り合うという楽しみを、みんなで抱えて作ることができるって、眩しくて。

村上:俳句というもの自体、あまりにも字数が少なくて、込められる思いが少ないじゃないですか。もちろん、「絶対に違う」という解釈には行かないように気をつけなければならないんですけど。そもそもの空白部分がものすごく多いので、その空白を埋めることが俳句の楽しみ方なんじゃないかなと僕は思います。書かれてない部分も楽しむ姿勢というか。すべてを文字にしちゃうと、要約とか説明文でよくなっちゃうんですよね。

水野:たしかに、要約や説明文ではないというのはポイントですよね。それを読んだからってすべてがわかるわけではなくて、そこから想像したり、自分なりに読み込んだり。

作るより、解釈のほうが難しい

村上:音楽の歌詞でも「失恋」って言葉だけ出てきたら、それに抱く大きなイメージって「悲しい」とか「かなわなかった」とかじゃないですか。でも大きなイメージの端っこに「ほんとは僕、清々しかったな」とか「ちょっとホッとしちゃったな」とか、実は含まれていたりしますよね。

水野:はい、はい。

村上:俳句もそういう、「このひと、実はこう思っているのかもなぁ…」とか想像しながら主人公を思う感覚で。それが楽しいんですよね。

水野:読み手に与えられている余地がだいぶ大きいですね。

村上:そうなんです。だから難しいんです。俳句を作るより、解釈のほうが難しいかなって思うほど。

水野:俳句を作っていくうちに、自分の読む能力も変わっていくところもあるんですか?

村上:ありますね。多分、読むだけで俳句と向き合っていくのは難しいと思います。正直、作っていても最初は何が狙いなのかわからなくて。でも、「どうやらこのほうが褒められるらしい」とか「これはやってはいけないらしい」とか学んで。模索して作り続けていくと、正解というより「好き」「嫌い」が出てきたなって。それは本当に感覚的なものなんですけど。

水野:感覚の細かいグラデーションがしっかり出てきたんですね。

村上:そうそうそう。たとえば、「この言葉に合わせるのは“青空”より“夕焼け”のほうがいいかも」とか。それって、どっちでもいいというか、変わらないんですけど。自分にとって「こっちだな」というのが出てくる。作っていくなかで視野が広がっていく感覚がありますね。

水野:センサーが増えていくというか。

村上:どうして自分がちょっとだけわかるようになってきたのかわからないけれど、とにかくやってみるしかないんだなと思います。

文・編集: 井出美緒、水野良樹
撮影:西田香織
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影場所:プルミエメ
https://premiermai.suzu-pr.com

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