対談Q 村上健志(芸人) 第2回

俳句はお笑いにも似ている気がする。

「季語」というものが持っている情報量が異常

水野:いろんな句会のなかで「言語化できないけど、こういう感じだよね」という共通認識がありますよね。たとえば「これだと俳句にならない気がする」とか「これって短歌っぽい」とか。それはやっているひとにしかわからない認識なのかもしれない、と感じました。

村上:何か、感覚的なものがあるんですよね。「俳句になるかもしれない」という可能性もずっと残してはいるんですけど。“思い”みたいな部分では短歌のほうが強いし、言えてしまう。瞬発力は短歌のほうがあるかもな、とか。

水野:切れ味は俳句のほうが鋭いですよね。

村上:そうですね。ルールに切れ味がありますし、「季語」というものが持っている情報量が異常です。しかも「それはみんな大体わかっているよね」という前提で、俳句の楽しみ方って進んでいくんですよ。

水野:怖い!(笑)

村上:そんなのは僕もいまだにわからないし、わからなくても楽しめるんですけどね。やっていくうちにだんだん掴んでいく感じです。たとえば「桜」といえば、植物の「桜」じゃないですか。でも日本人はみんな「桜」というとそのまわりにあるものもイメージする。

水野:「出会いと別れ」みたいな。

村上:はい。あと有名な「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という文章もあったりしますよね。「桜」で作られた、いろんな作品の思いも背負っているのが「桜」という季語で。そういう前提ありきで、句に使われている場合があります、ということなんですよね。

水野:季語が、長い歴史の文脈を保管してくれて、土壌を作ってくれているんですね。それもすごいシステム。

村上:季語があるから、短歌ほど音数がなくても込められるものがあるのかもしれません。

水野:そこである程度、表現の前提ができてしまうから。そう考えるとやっぱり俳句って団体競技ですね。季語というバトンを、世代を越えてリレーのように渡しているというか。

“おもしろい”って意味の“つまらない”

村上:それって、実はお笑いにも似ている気がするんです。お笑いも結構、「前提ありき」なところがあるじゃないですか。もちろん誰が見てもおもしろいように作らなきゃいけない部分もあるけど「ある程度はこれを知っていないと楽しめない」というお笑いもある。あと、お笑いも句会と同じで、楽屋で仲間に試してみて、ライブでも出してみて、それをブラッシュアップする。何回もやり直しできる。そういう意味では俳句と近いのかなって。

水野:以前、バラエティー番組の現場を見させていただいたとき、すごくチームプレイだなとも思いました。芸人のみなさんがそれぞれ「このひとはこういうキャラクターで、こう振ったらこう返す」みたいなのをわかっている。だから団体競技という意味では、やっぱり俳句に近いかもしれないですね。

村上:あと、お笑いの世界で、相手の芸人を「つまらない!」って言っておもしろくする、というパターンがあるじゃないですか。つまらなすぎておもしろい、みたいな。それこそ場によって意味が変わってくる。でも、「本当は“おもしろい”って意味の“つまらない”だけどね」って言ったら、まったくおもしろくなくなるんですよね。

水野:なるほど。説明しちゃったらつまらない。

村上:そう。逆に、場にそぐわない状況で、なんでもかんでもスベったひとに「つまらない!」って言うのも違う。その「“おもしろい”って意味の“つまらない”」の説明書はなくて、感覚でしかわからないんです。

水野:その感覚を共有できるのが、プロの芸人さんなんでしょうね。

村上:信頼関係もありますね。

水野:句会でも「この句会だったらこういう言葉を使っても大丈夫だ」とか「突飛な想像でもOKだろうな」みたいなパターンがあって。句会に参加するひとも、場の空気を読む力が強いですよね。

村上:きっとやっていくうちに強くなっていくんだと思います。

「~に」や「~へ」で時間が動く

水野:俳句をやるようになって、ものごとを細かく見るようになったところもありますか?

村上:ありますね。いい影のシーンを見つけたりすると「ラッキー!」って思います。

水野:なるほど。

村上:本の行間にちょうど影がかかっている、とか。階段の下の段に上の段の影がかかっている、とか。

水野:写真みたいだなとも思います。同じものを撮るにしても、それこそ影のかかり方とか角度とかで、まったく違った物語が見えてくる。俳句も「この庭で何か書いてください」って言われたとき、花を見るのか、土を見るのか、それを眺める縁台を見るのか、そのひとの視点がわかりやすく出ますよね。

村上:僕も最初、行った場所を言葉でスケッチする感覚でした。それがだんだん映像にもできるようになって。音にも温度にも触れられるようになって。「~に」とか「~へ」という言葉にすることで、時間が動いたり。

水野:わかります。言葉の機能をめちゃくちゃ考えますよね。普通に会話しているときって、三次元とか四次元とかで言葉を捉えないけど。

村上:「~に」も「~へ」もどこかへ向かうものですけど、「~に」のほうがより焦点が狭い、とかね。

水野:おもしろいですよね。それってすごく作詞に近いんですけど、僕には絶対にできない。

村上:いやいやいや! 水野さんもできると思いますよ。音楽は「歌われる」という前提があって、歌い手の抑揚とかパワーによって、かなり圧倒的に「ここは聴いてほしい場所です」って表現できるかもしれませんけど、やっぱりただ「私はあなたが好き」というだけではダメというか。ラブソングって結局、「すごく好き」とか「好きだったけどかなわなかった」とか、大きく分けたら何種類しかないじゃないですか。

水野:はい。構造がシンプルですね。

村上:物語のゴールがある程度は決まっている。でも、「このひとがどういうひとだったか」というリアリティーのある1行で、グッと引っ張られるみたいなところがありますよね。

水野:いや、今おっしゃられたように、抑揚やパワーで逃げられる部分が大きいんだと思います。「好き」というシンプルな言葉でも、そこを強調するメロディーにしたらまったく違う印象になったり。切なげに歌ったら、「この恋はかなわないかもなぁ」というイメージが伝わったり。それに頼っているから、本当に言葉だけで表現をする俳句って、すごいなぁと思っちゃうんですよね。

文・編集: 井出美緒、水野良樹
撮影:西田香織
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影協力:プルミエメ 
https://premiermai.suzu-pr.com

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