旅人であるというスタンスは崩したくない。あくまで僕はそこに迷い込んだひとり。

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
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“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週土曜日夜21時から放送。
水野:今回のゲストは、フォトグラファーの佐藤健寿さんです。

佐藤健寿
1973年、横浜生まれ。武蔵野美術大学卒。フォトグラファー。世界各地の“奇妙なもの”を対象に、博物学的・美学的視点から撮影。写真集『奇界遺産』シリーズは異例のベストセラーに。ほか著書に『CARGO CULT』、『PYRAMIDEN』、『世界の廃墟』、『奇界紀行』など。テレビ朝日『タモリ倶楽部』、TBS系『クレイジージャーニー』ほかテレビ・ラジオ・雑誌への出演歴多数。2022年から2024年まで全国を巡回した『佐藤健寿展 奇界/世界』は全国で13万人を動員。
雪男を求めてヒマラヤへ

水野:写真を撮り始めたのはいつ頃からですか?
佐藤:僕は美術大学に行っていまして。写真や映画、CGなどをまとめてやる学科だったんですけど、大学のときは映像寄りのことをずっとやっていたんですよね。それが大学卒業後にアメリカへ留学して、もともと旅も好きだったので、南米とかいろんなところに行くようになって。その過程で、なんとなく写真をやるようになったという感じです。学生の頃から写真家になりたかったとか、まったくそういうタイプではないですね。
水野:撮ったものが評価されたりしたことで、自分に写真が合っているかもと思うようになっていったのでしょうか。
佐藤:そうですね。向こうの大学で課題があって、撮ってくると、わりとそれがおもしろがられたんです。あと、映画ならひとがたくさん必要だし、チームでやらないといけなくて運営が大変じゃないですか。CGも当時のMacは遅くて、レンダリングを十何時間も待って、挙句クラッシュしてデータが飛んだりする。クリエイティブ以外のことが多すぎて大変だと思っていたんですね。でも、写真はひとりでフラッと行って、ひとりで撮って、それを作品にできる。それがわりと性に合っていることに後々気づきました。
水野:自分の見方がひとと違っていることや、異質なものに興味があることに気づいたのはいつ頃ですか?

佐藤:最初に意識的に撮影したのは、アメリカのエリア51でした。昔よくテレビでやっていた、UFOが地下施設で研究されているみたいなところです。アメリカの大学で、「どこか州をひとつ撮影してこい」という課題があって。当時はサンフランシスコにいたんですけど、よく考えるとネバダ州のエリア51が近いなと思って、行ってみました。正直、日本の美大にいた頃、「嘘っぽいな」と思っていたところがあるんですよ。
水野:そうなんですね。
佐藤:取ってつけたようなテーマで、理屈っぽく壮大なことを考えて何かを作る。でも、自分の皮膚感覚としてリアリティがないなと。そんななか、気軽にエリア51に行って、単純に自分が好きだからという理由で撮影してみたら、やっていること自体が楽しかったんです。当時、近くにゴールドラッシュ時代の廃墟もたくさんありました。そういう非現実的な光景を撮っていたら、大学でも「おもしろい」と言われて。さらにWikipediaのエリア51の主筆みたいな方から、「立ち入り禁止の看板の写真を使わせてくれ」と連絡が来たんです。
水野:へえー!
佐藤:たまたまネットにアップしていた写真に問い合わせが来て。それがインターネットの原体験でもあります。「こんなに有名な場所なのに、ちゃんと写真家が撮ってないんだ。これはテーマとしておもしろいかも」と思って、気になったものをひたすら行って撮ってみようと。南米へ行き、ナチスドイツのひとたちが亡命してUFOを作っていたという噂を検証したり。ウユニ塩湖やナスカの地上絵、イースター島、雪男を求めてヒマラヤへ行ったこともありました。そうするうちに雑誌から声がかかるようになって、写真家になったというか。
水野:今挙がったようなものは、佐藤さんが撮ったことによって、ただの観光写真ではなく、違った視点を与える作品になったわけですよね。その差は何なのでしょう。
佐藤:ひとつ言えるのは、写真家がわざわざテーマとして選ぶものではなかったのかなと。ナスカの地上絵もウユニ塩湖も、当時はまだ飛行機とかで簡単に行けなかったですし。相当な旅好きやもの好き、研究目的のひとがコンパクトカメラで撮っている程度だったんですよ。ヒマラヤにしても、山の写真を撮りに行くひとたちはいるけれど、雪男を目当てに6000mも登るひとはいません。多分、僕は視点が微妙にズレていたんです。
水野:さらっと6000m登ったとおっしゃいますが、すごいことですよね。恐怖感はなかったのですか?
佐藤:僕はわりと計画的に物事をやっているように思われがちですけど、全然そんなことなくて。写真家になったこともただの偶然みたいな感じだし、ヒマラヤも別に行くつもりはなかったんですよ。カトマンドゥで、地下王国シャンバラというチベット仏教の伝承を調べていたら、雪男の本がたくさんある店を見つけて。「これは行ったほうがいいのかな」と思いつきで行って。標高6000mなのに、僕はジーンズでした(笑)。今思うと、迷惑登山者だなと。でも、それくらい思いつきで行動していましたね。

水野:題材はそういうふうに偶然的に出会っていくことが多いのですか?
佐藤:現地で知って、教えてもらって撮影に行くこともありますけど、大体1~2か所は「ここ行こう」と決めています。それは普段から気になったものとかですね。当時はUFOのような“世界のミステリー”をテーマにしていましたが、だんだん広がってきて。ひとつ転機になったのは、中国の貴州省に行ったとき、向こうの地方新聞で、「最近、雨が多くて洞窟村のひとたちが困っている」みたいな記事を見つけたことです。「洞窟村って何だろう」と思って。それは巨大な洞窟のなかに村が丸ごと入っている場所で。そこへ撮影に行ったんです。
水野:はい、はい。
佐藤:そういう場所って、報道のひとたちなどは行っているんですけど、僕は別に写真家という自認のもと行っているわけじゃなくて。一方で、ロケットの打ち上げに行ってみたり、結構テーマとしてはめちゃくちゃなんですよね。ただ、すべて“自分が奇妙だと思ったもの”という共通軸でまわっています。
水野:どうしてフラットに素材を見ることができるんですか?
佐藤:今でも、旅人であるというスタンスは崩したくないんです。あくまで僕はそこに迷い込んだひとり。「これをみんなに知ってもらいたい」とか、「暴いてやる」とか、そういうスタンスは全然なくて。自分が言っていることが正しいとも思いません。フラットに見えた視点で、「僕、こんなものを見てきました」くらいの提示しかしていないんですよね。あと、奇妙なものを探して行くんですけど、実はそこに暮らしているひとたちは普通で。結局、“普通のひとが普通にどう考えているのか”に興味があるのかなと思います。
奇妙なものって、この世界にないんじゃないか

水野:ちょうど目の前に佐藤さんの作品集『奇界/世界』があります。僕が思ったのは、撮影している対象に対して物語やご自身の言いたいことが介入していかないな、ということでした。それができるのはなぜでしょう。自分の正義や意見を反映するために写真を使う方もいるじゃないですか。
佐藤:まず、「奇界」っていう言葉自体も、僕が「ここは奇界です」と言いたいわけではなくて。「奇妙な世界」を略したようなところがあるんです。つまり、我々も含めて、“世界は変なことだらけだ”っていう意味で。なぜ、そういうものが撮れるのかは自分でもよくわかりませんが、結局、自分がいちばん知りたいからだと思います。誰かを助けたいとかいうことでもなくて、ただ、普通のひとが奇妙に見えるというか。
水野:なるほど。
佐藤:たとえば、ニュースになるとデフォルメされた話になって、こちらもステレオタイプを期待してしまう。少数民族を撮影すると、「お金を欲しがらない」とか、“心の交流だけで撮影できた”という美談を求めがちじゃないですか。でも日本なら、モデルの方に撮影させてもらったら当然対価を払うわけで。同じ人間なんだから払うでしょう、っていう。そういうリアリティを、ニュートラルな視点で見たいっていうことなのかな。
水野:そのスタンスを維持できること、フラットな視点のままでい続けられることが、実はすごいことだなと思います。

佐藤:語りすぎない、みたいな意識はあるかもしれないです。ネットの世界では、見てきたことに絶対的な権威があるみたいに思われがちで。「佐藤さんは行っているから本当でしょう」とか言われるんですけど、行っても本当かどうかわからないことは多々あります。たとえば、自分の地元のお祭りについて訊かれて、ルーツをパッと答えられるひとって少ないじゃないですか。それと同じです。現地に行ったから聞いたことが100%事実だとか、自分が正しい情報を得たとかは錯覚だなと思いますね。
水野:いろんなところに行かれるなかで、「ここからが自分たちのコミュニティだ」と分ける文化を感じたりしますか? 街と街の分岐点というか。
佐藤:アメリカに行くとよく言われるのは、「ひとつコーナーを曲がると別世界になっている」ということですね。たとえば、「この先は絶対に行っちゃいけない、治安がめちゃくちゃ悪い」と言われているところに行くと、景色が一変します。急に路上にやばい感じのひとたちがたむろっている。日本で、そこまでのことはないのかなと思うんですけど、とくにアメリカやヨーロッパは、悪いひとたちがちゃんと固まっているというか。
水野:遊牧系のひとたちには、ゾーン分けをする気持ちはあるのでしょうか。
佐藤:彼らは、“固定したところに住む”という概念がないですよね。たとえば、アフリカのブルキナファソには、国境をまたいで勝手に行き来している民族がいて、そういうひとたちは意外と世界にまだいる。国とか街という概念が希薄で、一応政府から「〇〇人」と言われていても、自分たちはブルキナファソ人ではなく、ティエベレという民族だと思っている。部族のほうが行政単位よりも強い国はありますね。

水野:でも、みなさん何かしらの帰属意識は持っていらっしゃるのですね。
佐藤:帰属意識がないひとはなかなかいないですね。いまだに遊牧民であったり、そういう暮らしをしているひとたちは、古い時代の民族的な区分けを意識しているひとが多い気がします。バヌアツみたいな国だと、違う部族のひとと結婚すると大ごとになったりもする。北朝鮮と韓国も、何十年と違う環境で暮らすだけで、文化もひともあれだけ変わる。住む環境や所属するコミュニティで、景色は一変するんだなと感じます。
水野:ご自身にとって、何が「変だ」とか「おもしろそうだ」という基準になっているのでしょうか。
佐藤:僕が好きなのは、“なぜかそうなってしまったもの”とか、“狙ったわけじゃないもの”です。歴史の因果で天然的にそうなっているというか。そういうところに、最初はビジュアルや、そこに流れている歴史や逸話がおもしろくて行ってみる。でも実際に行って、話を聞いたり見たりすると、奇妙さがだんだん薄れて、自分の理解のなかに収まってくる。それが気持ちいいんですよね。
水野:はい。

佐藤:だから『奇界/世界』でも書いているんですけど、“奇妙”というテーマで世界中を巡っていたら、結果的に「奇妙なものって、この世界にないんじゃないか」という逆説にたどり着いたんです。すみません、自分の本のお話ばかりで。
水野:いえ、聞きたいです。
佐藤:『奇界/世界』のスラッシュはひとつの境界みたいなもので。自分たちにとっての“普通”と、“奇妙”の境界って何なのか。結局、僕はそのスラッシュの部分に興味があるのかなと思っています。ケースバイケースなので、「こうだから奇妙」「こうだから普通」と言えるものではないんですけど。ひとが奇妙さやユニークさを感じるのは何なのか、いまだに答えがありませんね。
水野:その場所に行ってみて、見たり聞いたりしているうちに、ご自身の“普通”が緩くなっていくというのがおもしろいですね。
佐藤:そのドキドキの楽しさが原点ですね。子どものとき、テレビでエリア51を見て、「なんだこれ?」と思っていた初期衝動をずっと引きずっているというか。だから、見たことのない文化のところに行って、「なんだこれ?」って思ったときが、いちばん生きていて楽しい。好奇心って、人間の三大欲求にはカウントされないけど、実はかなり大きな欲求だと思います。科学者が顕微鏡を覗くのも、音楽家が作曲するのも、「?」や「!」が浮かぶ何かに到達するためで。その瞬間にひとは充実を感じるんじゃないですかね。
適度なよそよそしさが、世界の正しい距離

水野:撮っていて、自分について考えることはありますか?
佐藤:いろいろ見ていくなかで、「自分も変わっているな」とは思いますけど、“そこに行っている俺”みたいなことはまったく思わないです。その場所自体がおもしろいので、そこに立っている自分は透明でいいというか。言いたいことも別になくて、作家ですらないんじゃないかと感じることもあります。ただ「おもしろくないですか?」っていうだけなんですよ。仕事として、本にするために外向けのこともやりますが、承認欲求などはないほうですね。自分を称賛してほしい、という気持ちも少ない気がします。
水野:透明なまま写真を撮れる状態がすごい気がします。
佐藤:結局、自分がそういうものを見たかったんだろうなと思うんですよね。エリア51も、テレビでは編集されていて、最後の場面だけを見せているじゃないですか。「そのまわりってどうなっているんだろう」と、周辺のリアリティが気になって、「そこを自分で見てみたい、撮ってみたい」と思ったのが最初で。民族にしても、報道はそのひとたちの特徴を引き立てるけど、僕は“旅人がそこへ行ったときに何が見えるか”という視点なんです。だから、しらじらしく仲よくする必要はなくて。
水野:はい、はい。
佐藤:もちろん、そういう手法も大事でしょうし、一緒に同じものを食べたりするやり方もある。でも僕は、それってある意味ナチュラルじゃないと考えていて。こちらは“写真を撮りたい”という下心があるわけじゃないですか。それを隠して子どもと遊んだり、老人とニコニコしたりするのは、誠実ではないんじゃないかなって。向こうがこっちを睨んでいるなら、それこそがナチュラルな視点だと思うんです。自分にとっては、適度なよそよそしさが、世界の正しい距離である気がします。
水野:やっぱり“距離”は大事ですね。

佐藤:だから、「写真家は一歩前に踏み込んで撮れ」とよく言われるのですが、僕は引いて撮ろうかなと。彼らにとってもナチュラルな自分を見せたほうがいい気がします。もともとそういう人間でもないのに、向こうに行ったからといって、変にニコニコしたり、キャラ変したりするのもイヤなので。彼らに見えたままの、自分の自然な態度でいたいし、それが最低限できる、お互いにとっての対等さだと思いますね。
水野:これから自分の撮るものが変わっていく可能性は考えたりされますか?
佐藤:だんだん“奇妙なもの”とは何なのか、広がりすぎて自分でもよくわからなくなってきて。日本でも海外でも、「なんでもない光景もこれはこれでおもしろいんじゃないか」みたいになってきているんです。今までは強い被写体、はっきりとしたものを撮ってきたんですけど、最近は映画『バックルームズ』みたいな、パッと入り込んだ空間や景色にある微妙な違和感を、写真でも表現できたらおもしろいかなと思ったりします。
水野:その場には、世界の果てまで行ったことと同じくらいの違和感があるみたいな。
佐藤:そうですね。J-WAVEの待合所の景色とかも不思議で。椅子があって、窓があって、その先に東京タワーが見える。ああいう景色も“奇妙だな”と感じます。今まで作品にはしづらくて出してこなかったんですけど、『バックルームズ』みたいな作品がヒットしているのを見ると、微妙な違和感が意外とみんなに通じるようになってきたのかなと。10年ほど前のいわゆる絶景ブームなどがひとまわりして、さらっとした写真のほうが若いひとに受けていたりもする。だから、そういう表現もやってみたいですね。
水野:最後に、これからクリエイターを目指すひとたちに残したいマインドやアドバイスを、ひと言お願いします。

佐藤:平常心、ですかね。
水野:「うわっ!」って思うときはないですか?
佐藤:もちろんあります。すごいものに遭遇したときは思うんですけど、そういうときこそ興奮を抑えないといけません。興奮したまま撮るとダメになってしまうので、無意識に「落ち着け」という装置が作動するんです。だから旅では、いいことも悪いことも起きるけれど、たとえば飛行機に乗り遅れたぐらいでくよくよしない。悪いことが起きても、逆にいいことがあっても平常で。それは人生においても大事なのかなと思います。


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文・編集:井出美緒、水野良樹
写真:谷本将典
メイク:内藤歩
番組:J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
毎週土曜夜21時放送
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