対談Q 西野恵未 × 水野良樹

自分という素材が素敵な状態で、いろんなものをリリースしたい。

西野恵未(にしのえみ)
1987年生まれ。東京都出身。国立音楽大学附属幼稚園入園と同時に、本格的にクラシック音楽の勉強を開始。国立音楽大学音楽学部演奏学科鍵盤楽器専修卒業。大学卒業後、教育機関に教師として就職。2014年春から本格的にスタジオミュージシャンとして演奏活動を開始。2022年11月、ドラマ『作りたい女と食べたい女』で俳優デビュー。同年12月、1stソロシングル「暁」を配信リリースにてアーティスト活動も開始。


水野:西野さんも本間昭光さんのもとで学ばれていて。僕らのリハーサル現場にいらっしゃったり、ビッケブランカさんのところで演奏されていたり、最初はミュージシャンとして出会わせていただきました。それがあるとき、ドラマ『作りたい女と食べたい女』が始まるというニュースを見たら、西野さんの名前があったので驚いて。そして、その後もお芝居の仕事を続けられています。今回はご自身にとっての“表現”についてお伺いしたいなと。

「死ぬかもしれない」と思ったら…

水野:音楽を演奏するということと、お芝居を演じるということが、西野さんのなかでどのようにリンクしているのか、とても興味があります。まずは、お芝居の仕事をスタートされたきっかけというと?

西野:私は2歳ぐらいからピアノに触れていて、国立音楽大学附属幼稚園に入り、音楽を始めました。とはいえ、いろいろあって音楽から1回離れて、学校の先生をやっていた時代もあります。でも、「やっぱり私は歌い手の伴奏をすることが好きだった」と気づいて、27歳でスタジオミュージシャンに転職したんです。本間さんにも出会い、いろんなことを教えていただき、「このお仕事が天職だな」と感じるようになって。ただ、そんななか、コロナ禍に入ってしまい。さらに同時期、交通事故に遭いまして。

水野:ええ!いろいろ重なったんですね。

西野:はい、人生について考えるタイミングになったんですね。それで、しばらく休養していたら、あっこゴリラさんが、「ライブをするから、恵未ちゃん復帰したら?」と声をかけてくださって。新代田のライブハウス「FEVER」に出て。そこに偶然、ドラマのプロデューサーさんと脚本家さんが遊びに来ていたんですよ。

水野:なんと!

西野:当時、ちょうど『作りたい女と食べたい女』(略称:つくたべ)の春日さん役を探していて、もうその段階ですでに相当な数のひとに会っていたそうで。なかなか見つからなくて、たとえば、焼肉屋さんの店員さんにまで声をかけたり。

水野:本当にいろんな場所で探していたんですね。

西野:「今日、○○のスーパーによさそうなひとがいました」というレベルで探していて、おふたりがステージ上の私を見たとき、「春日さんだ!」と思ってくださったらしく。インスタのDMから連絡をいただきました。もちろんお芝居の経験はないですし、春日さん役は物語のなかでもメインキャスト的な役だったので迷いまして…。でも、プロデューサーの大塚安希さんとお話をしたら、私と大塚さんのピアノの師匠が、実は一緒だったことがわかったんです。

水野:マジですか!

西野:「こんな縁があるひとに、こういう形で出会うことって、なかなかない」と運命を感じてしまって。そこから、挑戦する気持ちが芽生え、お芝居のお仕事がスタートしました。“つくたべ”で共演させていただいた比嘉愛未さんとも、今では親友になっていて。この作品に出会えたことは本当に大きいなと思います。

水野:しかも、“つくたべ”のみならず、その後も俳優としてのキャリアが続いていますよね。

西野:それも引力で。嬉しいことに“つくたべ”のシーズン2が決まり、それをたまたまNetflix作品の『新幹線大爆破』のプロデューサー・佐藤善宏さんと監督・樋口真嗣さん、おふたりが観てくださっていたんです。そして私を見つけてくださった。そういう連鎖が今まで続いてきたので、もう自分の意思という次元ではなくなっているような気がします。“運命”を体感していますね。

水野:とはいえ、キャリアの初期の時点で、まず教師を辞めることもかなり大きな決断だったのではないでしょうか。

西野:大学卒業のタイミングで、「ステージには選ばれし立つべきひとが立っている。私は覚悟も含め、人前に出る人間ではない」という直感が降ってきた瞬間があって。そこで音楽はすぐに諦め、教師になって。それもすごく幸せだったんです。子どもたちと一緒に学び、成長していけることも。でも、東日本大震災のとき、職員室にいて棚が倒れてきて「死ぬかもしれない!」と思ったら、本当にやりたかったことがバーッと出てきまして。

水野:はい、はい。

西野:自分の人生には、とくにやりたいことなんてもうないと思っていたのに。いちばん最初に、「やっぱり私は歌手の伴奏がしたかった」という気持ちが、あまりにも明確に出てきたので自分でも驚きました。それで、すぐに学長先生のところに行って、「こう思ってしまったからには、子どもたちにも失礼なので辞めます」と言って。そんな感じで、再び音楽の道へ進んだんですよね。

水野:直感に対して素直で在ることが、ご自身の指針なのかもしれませんね。

アプローチが“生活”になってきている

西野:あと、実は水野さんに初めてお会いしたのは、本間さんとスタジオ見学に行かせていただいたときではないんです。

水野:え! その前ですか?

西野:先日、実家に帰ったとき、ライブのバックパスを眺めていたら、「おや?」と気づきまして。2014年4月14日のTSUTAYA O-WEST『良いLIVEはじめました』、あの日が最初でした。

水野:えー!

西野:当時、水野さんのバックでドラムを叩いていた髭白健くんが、実は私の音大付属の高校時代の同級生なんです。私が教師を辞めた頃、「楽しいライブがあるから遊びにおいでよ」と彼が言ってくれて。そのとき、同級生としてご挨拶させていただきまして。私はそのライブがすごく楽しくて、「やっぱり私もこの仕事を絶対にやりたい」と憧れが深まったんですよね。その記憶が蘇ってきたので、水野さんにお話ししたくて。

水野:まさかあのライブを観てくださっていたとは…。自分の話になってしまいますが、2014年の僕は、「このまま続けていたらヤバいな」みたいなモードだったんです。グループがすごくうまくいっている時期で、大きな会場でライブをやらせてもらって、多くのひとに曲を聴いてもらえて、お客さんもスタッフの方々も含め、周囲にひとがたくさん集まっている状態。そして、「このままやっていけば大丈夫」とみんなが思ってしまっている状態で。

西野:はい、はい。

水野:でも、自分は「限界がある」と感じていました。とはいえ、なかなかグループ外では活動できない時期で。唯一、「小さな編成でひとりでライブをやる」ことだけは許されて。自分ですべてオリジナル曲を作って、ライブ編成用にアレンジもして、ライブハウスのブッキングに出させていただいたんです。いやー、あれが初めましてでしたか。お恥ずかしい(笑)。西野さんもいろんなお仕事をされていますが、頭の切り替えなどはありますか?

西野:最初は、「切り替えを作らないと」と思っていたのですが、そうではないことに気づきました。“西野恵未”という自分さえしっかりしていれば、音楽にでも、役にでも、何にでもリリースできるなと。だからまず、1年間かけて“自分自身を知る”ということをやってみたんです。書きだしたり、本を読んだり、カウンセリングに行ったり、第三者を交えて自分を俯瞰してみたり、そうやって自分の考え方のクセや弱点などをすべて掘り返して。

水野:“自分自身を知る”ということが必要だと、どのように気づいたのですか?

西野:とにかく他者のことを考えている時間が多かったんですよね。スタジオ仕事を始めてからは、まわりより遅れてスタートしていることもあり、「第一線で活躍しているいろんなミュージシャンの方と仕事できるように頑張らなきゃ」とがむしゃらだったので、自分以外のことしか考えていなくて。さらに、役となると自分自身がよりわからなくなりそうな危機感もありました。実際、自分の好きな時間や食べものもわからなくなっていて。

水野:なるほど。

西野:でも、お芝居という表現ツールが増えるのであれば、「自分はどういう人間か」を整理する必要があるなと。そして、それは絶対にあらゆるところでいい方向に働くはずだと。今思うと、28歳~31歳くらいの私って、無意識のうちに調子に乗っていたのだと思います。自分をよく見せようとしたり、ステータスを飾ろうとしたり。でも今は、「自分という素材が素敵な状態で、いろんなものをリリースしたい」と考えが変わったんですよね。

水野:作っていくこと、演奏で支えること、演じること、とくにどれが好きなどはあるのでしょうか。

西野:すべてが心から楽しいです。作ることに集中する時間も、誰かが作っているものをともに彩る時間も、ミュージシャンのみんなと楽器の音色について話す時間も、全部が大好き。あと、ここ数年、私のアプローチが“生活”になってきている感覚もあります。人間を、生活を、よりよくして毎日を過ごして、そこから表現をする。そういうものに自分の表現のフィールドが変わってきている気がしますね。

水野:表現がことさら“特殊”なものではないというか。

西野:そうですね。他者との会話もそうだし、食べるものを選ぶこともそうだし。悲しい気持ちを無視しないとか、行きたくない飲み会には行かないとか、ひとつひとつを丁寧に見つめて、生きていく時間があってもいいのかなと思うようになってきています。水野さんはどう思われますか?

水野:今、SNS上とか、すべてが“わかりやすいもの”に寄っていきがちだけれど、僕はいつも、「世の中はそんなに単純ではないんじゃないか」と思っていて。でも人間は、単純ではないことに耐えられない。あまりに複雑なこの命を生きなければならないことに、いつも耐えられないんです。だから、言葉を作ったり、宗教の力を借りたり、秩序を立てて考えたりして、何が正義で何が悪か整理して、単純化している。それは人間らしい生き方でもあるけれど、でも、単純化しすぎているんじゃないかなって。

西野:そうですね。

水野:そして、実は生活っていちばん複雑なのかもしれません。そう考えると、西野さんが生活と表現を照らし合わせていく行為は、複雑さのなかに向き合っていくということで。僕も、それはすごく肯定したいなと思いながら、お話を聞いていました。

西野:世の中って、名前のつかない感情ばかりじゃないですか。でも「エモいね」とかで片付けられてしまうことが多すぎる。単純ではないところを、表現者で在る以上は忘れたくないなと思いますね。

“予期せぬ表現”が増えている

水野:先日、「はじめての講談会」という催しを観に行きまして。神田伯山さんが出られていて、トリがお師匠さんである松鯉さんだったのですが、凄まじかったんですよ。あれはもう言語化できません。先代の方々が何度もやられてきている古典。だけど、同じ話を別のひとがやると、まったく違うものになる。そのひとの声で表現が活き活きする不思議さ。お芝居もまた、役者さんはセリフ以上のものを表現されますよね。あれは何なのか…。

西野:私も新人俳優で大きなことは言えませんが、今は何もかも経験してきてよかったと思うんです。たとえば、これからの人生をどうすればいいかわからない!ってぐらい悲しかったことが、燃料になるシーンがあって。「人生にはこんな伏線回収があるのか」って鳥肌が立ちました。仕事に行けないほどの大失恋も、大親友との長い別れも、経験しなきゃよかったことなんてない。これからも恐れずに、いろんな気持ちを経験していきたいですね。

水野:ご自身の経験がすべて表現に活きるんですね。多分、これから先さらにどんどん活動が広がっていく気がします。そして、予言してもいいですよ、西野さんは絶対にものを書き始めると思います。いや、もう書いているでしょう?

西野:占い師かと思った(笑)。そうなんですよ。最近、“つくたべ”脚本家の山田由梨さんが『ぜんぜんダメでパーフェクトなわたしたち』というエッセイ本を出されて。冬季うつという状況を4年間ほど繰り返していて、その実体験が書かれているんですけど。彼女に、「書くことは自分を振り返ることになるから、誰にも見せなくても、エッセイを書いたほうがいい」と言われて。その日からひそかに書いています。

水野:読んでみたいな。すべてが表現になっていきますね。

西野:歌を出したのも、きっかけは父が突然、危篤状態に陥ったという出来事なんです。「歌を書いたら?」という父の言葉に間に合わせなければと思って、急遽1曲書いて歌ってリリースしたんですけど。結果、父は病院の先生が、「こんなこと起きるんだ」と言ったぐらい奇跡の復活を果たしまして。今はとても元気です(笑)。

水野:それは何より!

西野:そうやって“予期せぬ表現”が増えているんですよね。

水野:絵は描かれますか?

西野:大好きです。4月には個展をやりました。19歳のとき、サンフランシスコに初めてのひとり旅をしたら、飛行機内で歯が爆発して。さらに、向こうの歯医者でもらった薬が強すぎて、意識がもうろうとしているうちに財布を盗まれてしまって。

水野:どうしてそんなにもいろんな出来事が起きるのか…。

西野:途方に暮れていたら、ギターを持っている路上生活者の方がいたので、「Do you know “SUKIYAKI(上を向いて歩こう)”?」と訊きました。そうしたら「Yes!」ってギターを弾いてくれて。それに合わせて「SUKIYAKI」を歌っていたら、スタバのカップにお金がたくさん入ってきて。そのお金をいただいたんです。

水野:なんですか、そのエピソードは!

西野:当時、mixiが主流だったので、ホテルのパソコンからmixiに、「サンフランシスコでお財布を盗まれてヤバいです。助けてください」って書いたら、友だちの友だちが助けてくれました。そして、そのときの路上生活者の方が私のお尻に敷いてくれたニュースペーパーを持って帰ってきて、初めて絵を描いたんです。

2006年サンフランシスコで描いた作品

水野:すべてのエピソードが巡っていますね。そのままエッセイに書けますよ。

西野:それ以来、旅先で描くことが多いですね。今年の4月に個展をやったら、時期によってあまりに絵のタッチが違いすぎて、「グループ展かと思いました」ってギャラリーの方に言われたぐらい(笑)。自分の人生も、そういう感じでどんどん変わっていく運命なのだろうと、最近は割り切っています。

2025年 最新作

水野:おもしろいですね。変にまとまりすぎず、どんどんやったほうがいいと思いますよ。

西野:でも直近の悩みはまさに、「ひとつに絞ったほうがいいのか」ということで。ゆりやんレトリィバァさんがポッドキャストで、「私のこと好きなひと本当にいるのかな」って歌をよく歌うんですけど、涙が出るぐらい刺さってしまって。でも、今の水野さんの言葉で、「このままでいてみよう」という気持ちになれました。

水野:ひとに好かれたいと思ったら、ひとつに絞るほうが簡単な道なんです。わかりやすいですから。だけど、ひとから好かれることを1回はずしたほうがおもしろいと思います。なんか“とりとめのないひとの会”を作りたいですね。そういうひとを集めて。

西野:たしかに、おもしろそう。きっと結構いらっしゃいますよね。俳優さんであり、本も書くし、監督もやるし、プロデュースもやるし、写真家もやるみたいな。

水野:西野さんは毎回、外の情報に対しても真摯に向き合われていて、いろんな影響を受けているから、表現のアウトプットもその時々で変わっていくのではないでしょうか。自分もそういうタイプなので、西野さんに興味が湧きますし、シンパシーを感じるんですよね。今後も、とりとめなく作っていきましょう。そして、ものづくりの場面で、何かご一緒できたらと思っています。

西野:ぜひ、ありがとうございます!

文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:谷本将典
メイク:内藤歩(水野良樹)CON(西野恵未)
監修:HIROBA
撮影場所:SHIBUYA HALL & STUDIO
https://www.shibuyahall.com

コメント

この記事へのコメントはありません。

他の記事を読んでみる

最近の記事
おすすめ記事
  1. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』槙田紗子

  2. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』阿部広太郎

  3. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』沙羅ジューストー

  4. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』友成空

  1. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』槙田紗子

  2. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』阿部広太郎

  3. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』沙羅ジューストー

  4. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』友成空

カテゴリー

アーカイブ

検索

TOP