物語が生まれる瞬間の話をしたい。
主人公にならないひとを書くことが使命。
水野:HIROBAという活動をやっていまして、違う分野の方々にお話を伺っています。そのなかに対談Qというコーナーがあって、ひとつの問いやテーマを立てて、それについて相手の方と一緒にお話していくという内容なんですけど。岡田さんとはこちらの「物語が生まれる瞬間の話をしたい」というテーマで。どのように物語を編み始めるのか、そんなところからお話を伺えたらと思います。
岡田惠和(おかだよしかず) 脚本家。1959年2月11日生、東京都出身。テレビドラマでは「ちゅらさん」「おひさま」「ひよっこ」(共にNHK)、「最後から二番目の恋」(フジテレビ)、「泣くな、はらちゃん」(日本テレビ)、「日曜の夜ぐらいは…」(ABCテレビ)等。映画では『いま、会いにゆきます』『世界から猫が消えたなら』『8年越しの花嫁 奇跡の実話』『雪の華』『メタモルフォーゼの縁側』等。2019年の天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典では奉祝曲「Journey to Harmony」の作詞を手がけた。待機作としてNetflixオリジナルドラマ「さよならのつづき」が2024年に配信予定。
水野:たとえば、今日は少しラグジュアリーな雰囲気のホテルのカフェレストランを会場として、今、お話をさせていただいているんですけど。もしここを舞台に物語を書くとしたら、まずどこから見るのか、どこから物語をスタートさせるのかなって。
岡田:そうですねぇ…。わりと冴えないタイプの登場人物を書くことが多いので、あまりラグジュアリーな空間のドラマは少ないんですけど(笑)「ここを使って何か書いて」と言われたら、やっぱり最初に思うのは“働いているひと”についてですね。
水野:ああー。
岡田:どういう気持ちで働いているんだろうな、とか。あとは自分も含めてこの“場違い感”みたいなものから発想していくのかなぁ。
水野:普通に考えたら、この店にやってきたひとを主人公にして、お客さんの視点からスタートしてしまいそうなんですけど。そういう岡田さんなりの視点の置きどころには、どんな理由があるのでしょうか。
岡田:世の中の中心にいたり、みんなに語られることがあったり、いかにもドラマの主人公になりやすいひとは自分が書かなくてもいいかな、みたいなスタートがあるんですね。それはサブの道を行きたいというよりは、王道をやっている強いひとは他にいるから。なかなか主人公にならないひとを書くことが、自分の使命かなと思っているところがあって。たとえばこの店でも、シェフは花形でしょ。そこに語られるべきドラマはもうある。
水野:なるほど。
岡田:料理を運んでくるひとも(シェフと)同じようにちゃんと仕事をしているけれど、そんなに褒められることもなく。ひょっとしたらキツイことが多いかもしれない。そういうひとのほうが興味はありますね。
水野:物語になりづらいひとを選ぶと、簡単に言えば、物語が書きづらいんじゃないかなと勝手に思っちゃうんですが。つまり、いわゆる“ドラマ”が起きなかったりする。描くうえで、そこの難しさはありませんか?
岡田:そこが多くのドラマで描かれてないってことは、たしかにおっしゃる通りで「描きにくい」ということでしょうね。おいしい話がないというかね。でも、だからこそ、他の脚本家はあまりやっていない。もし自分が書いている主人公と同じようなタイプのひとがドラマを観て、共鳴し合えたなら、それは素敵なことだなって。
小さい頃に母親と大河ドラマを観ていて…
水野:どうして物語になりづらいほうを選ぶようになったのでしょうか。
岡田:自分は子どもの頃、わりと身体が弱くて、学校にもあまりいけないタイプの子だったんです。教室の端っこにいたし。(活発な)“あっち側”のひとと自分は一緒には生きていけない、という感じが基本にあって。でも、自己表現したいという自意識は高いわけですよ。そこのギャップが埋まらない子ども時代を過ごしてきたことは大きいと思います。
水野:はい。
岡田:小さい頃に母親とテレビを観ていてね。大河ドラマだったと思うんですけれど。わーっと戦っている合戦シーンを観ていて。普通に主人公の英雄側を観ていたら、ふとした瞬間に馬の上からひとりの兵が切られて落ちてきたんですよ。いちばん下っ端のやつですね。
水野:物語のなかでは名前もないような。
岡田:そう、名前もないようなひとが、合戦で死んでゆく様を捉えていたんだけど。そのひとがね、自分の父親にそっくりだったんですよ。顔が。
水野:えぇー!
岡田:その瞬間、子どもながらに何かを思ってしまって。このひとにも家族がいて、奥さんや子どもが待っていて。でも、死んじゃったから、帰ってこないわけじゃないですか。しかも、今みたいに「あいつは死にました。帰れません」という連絡もないんだろうな…みたいな。それ以来、自分は英雄じゃない側にしか興味がなくなっていっちゃったんですよね。
水野:なるほど。
岡田:怪獣映画とかでも、ゴジラとか出るとワーッ!っと逃げますよね。でも、リアルに言ったら、あそこでひとが潰されているわけじゃないですか。そのとき、自分はダメなほうだな、逃げ遅れるなって(笑)そういう側に立ってものを考えるようになったというのもありますね。
水野:ただ、脚本って小説や漫画と違って、演じるという行為が入ってきますよね。演じるひとの肉体や、その方が持つイメージを通して、登場人物の有り様が伝わっていく。岡田さんがお書きになられた作品に出演されている役者さんって皆さん大スターじゃないですか。そういう特別な輝きを持った方が、(物語のなかでは)名前も顔も知られていないとされている主人公を演じる。これは、どう繋がっていくのか。
岡田:やっぱり脚本って自己完結できないので、マンションとかの設計図みたいなものだと思います。住むひとによって、その設計図よりも素敵な住み方をするひともいれば、台無しにしてしまうひともいるし。僕は委ねるのが仕事ですね。おっしゃるように、違うひとの肉体や感性が入ることで、違うものになっていくことを楽しんでいるところがあります。自分のイメージ通りじゃないことにイライラすると、多分この仕事はキツイ…。
水野:すべてはコントロールできないことを逆にポジティブに。
岡田:そういう意味で言うと、向いているのかな。すべて自分の責任だと逆につらい。日常の世界においては、みんな自分が主役でありたいひとたちじゃないですか。だけど、役者さんはやっぱり、その自分を消せると思います。登場人物の内面も含めて“うまくいってない感じ”を演技で出せるひとはいる。そういうことが好きな役者さんが好きですね。
水野:以前ラジオに呼んでいただいたとき、「キャスティングが決まって、その人物が見えたほうが書きやすい」とおっしゃっていました。役者さんのイメージから引き出されるものがあったりするんですか?
岡田:そうですね。ただ、それは“当て書き”というもので。その役者さん個人のことはわからないんですよ。交流もそんなにない。だけど、“そのひとがやったらうまくいくんだろうな”って役を書く。逆に役者さんの素にはあまり興味がないというか、むしろ知りたくないと思いますね。
知らないことをフィクションで知る。
水野:それは不思議な感覚ですね。物語の虚構と、役者さんの作り出した虚構とをかけ合わせているのか。フィクションからスタートしているのに、どうして多くのひとがそこに共感できるのか。「これはもう私の物語だ!」って思うほど感情移入できたり。リアルじゃないのにリアルと感じるのは何故なんだろうって。
岡田:ひとはフィクションだから安心して委ねられるところがある気がしていて。たとえば悩んでいて、つらい思いをしているひとに「私はこういうつらい思いをしております」って実際の話を聞かされても、実はあまり心は動かないというか。フィクションのほうが安心して同化できる。
水野:あぁー。
岡田:知らないことをフィクションで知る、みたいなことが本能的にあるんじゃないですかね。小説もドラマも映画も。実際に生きているなかで知ることができることってたかが知れているから。真実には勝てない、って気持ちになることもよくあるんですよ。でも、ドキュメンタリーだから限定されることもあって。フィクションのほうが、間口が広い気がしていますね。たとえば、あの…水野さんの小説も読ませていただいて。
水野:ああ、ありがとうございます。
2023.08.22
「おもいでがまっている」
「待つ」ことでしか、進まなかった人生がある。 今は古びた平成初期の新興マンション。 その一室に、ひとりの年老いた男が、孫とともに住んでいた。男が訥々と語る、心温まる、この部屋の思い出。 しかし、男が語る思い出はすべて“嘘”だった。 風吹く部屋で、ずっと誰かを待ち続けた、ある家族と男の物語。 ...
清志まれ『おもいでがまっている』(文藝春秋)
岡田:あれはフィクションじゃないですか。いわゆるクリエイターの方が小説を書くとき、自分を投影したものを書くひともいるけど、水野さんはまったく違う物語を書いた。しかも、ひとり語り的なものではなく、ものすごく構築したでしょう。よくできているなと思って。最後の畳みかけとか、シナリオライターかと思うぐらい。
水野:そんな褒めていただいて(笑)。歌って短いので、どうしても主人公の視点でしか書けないことが多いけど、小説なら群像劇が書けるなと思って。それで複数視点で書いて。各々の登場人物から見えるものや事情が違って、ズレがたくさん生まれて、俯瞰して見るとちょっと心が切なくなる…みたいな構造にしたんです。
岡田:なるほど。
水野:岡田さんと同じジレンマかもしれないんですけど、歌っているひと、演じているひとが、ヒエラルキーの上に立たされてしまうのがイヤで。僕らの世界だと多いんですけど「こういう考えのアーティストだからついていきたい」というのがビジネスになっちゃうコースがあったりして。そこに10代の頃、共感できなかった。だから「誰のものでもないけど誰のものにもなるもの」を作りたいと思ってグループをやっているんですけど。
岡田:いきものがかりで曲を書くと、歌詞の部分に関しては、「水野さんがこう思っているんだ」って捉えられてしまう。
水野:それが、また完全に嘘ではないのがややこしい。どうしても(作品に)自分は出ていっちゃいますしね。でも書いた人間と曲とが結びつきすぎちゃうと、残っていかない。格好つけるようですが、詠み人知らずになったほうが、多くのひとのものになる。
岡田:それはわかる。僕も「全然知らなかったけど、あれ岡田さんだったんですね!」って言われるのが好き。
水野:いちばんいい伝わり方ですよね。
文・編集: 井出美緒、水野良樹 撮影:西田香織 メイク:内藤歩
監修:HIROBA 協力:Gallery 11