対談Q 渡辺明(将棋棋士) 第3回

棋士は永遠の受験生

「よかった、最後の30分で予習した手が出てきたよ

渡辺:音楽業界にサブスクが入ってきたぐらいのエポックメイキング的な出来事って、今後はもう起きないですか? それともまた何か変わっていくんですか?

水野:20~30年ごとに大きな変化は起きているんです。たとえばレコードがCDになったとき、音質も変わったし、レコーディングのシステムも変わったし。あと、それまで音楽って、家のオーディオで聴く文化だったんですけど、ウォークマンができたことで、個人が通勤や通学で聴くようになった。数十年のスパンで音楽をとりまく環境や技術のベースが変わっているので、今後また違うことが起きる可能性は全然あって、予想がつかないんですけど。

渡辺:じゃあ将棋の世界もまた何かあるのかもしれないですね。

水野:AIってとてつもない変化ですもんね。ある種、答えを先に出されてしまう。

渡辺:今は朝の10時から対局が始まるんですけど、たとえば7時に起きるような棋士だったら、家に出るまでの1時間半ぐらいずっと研究をしていると思いますね。昔だったらそんなのないです。朝起きたら、ゆっくりごはん食べて、心身を整えて、「さぁ行くか」みたいな。1時間半あがいたって変わらなかったんですけど、今はちょっと予習しておくだけで変わったりしますからね。

水野:もう分単位で。

渡辺:はい。「よかった、最後の30分で予習した手が出てきたよ」みたいなことがざらにあるので、みんなギリギリまでやるんです。僕は朝遅いので、寝る前に夜1時ぐらいまでやっているんですけど。

水野:他のインタビューでおっしゃっていた、「あと一手、予習しておけば勝てたかもしれない」みたいな場面が。

渡辺:あります、あります。

水野:プロの方はその一手が致命傷に。

渡辺:「その一手を、その場で自力で考えろ」って言われたら、下手したら1時間か2時間ほど考えた上に、手を間違えたりするわけです。だけど持ち時間には制限がある。一手に1時間なんて使ったらもったいないし、当然、そのあとも山場はいっぱいあるので。将棋というゲームは最後にひっくり返ることもあるので、持ち時間があって損をすることはないんですよ。そこを家で予習しておけば、持ち時間の貴重な1時間が節約できたよね、みたいな話になっちゃう。

水野:永遠の受験生みたいな感じですね。

渡辺:もう完全に。「みんな時間が空いたらちょっとでも研究しないとダメだよね」ってことになっている。

水野さんは誰と勝負しているんですか?

水野:その上で「良い将棋」って何ですか? ブログにもご自身の対局の内容について、「今回は悪かった」とか勝ち負けとは別におっしゃるときがあると思いますけど。

渡辺:「良い将棋」の定義もプロとアマチュアとで、また違って。プロが言う「良い将棋」とは、お互いミスがないまま、ずーっと続いて、最後にちょっとごちゃごちゃとなって、どちらかが勝つみたいな。グラフで言えば、平行ラインが長いのが「良い将棋」ですかね。アマチュアの方が言う「良い将棋」はもうちょっと波があって、いわゆる逆転みたいなドラマティックな形。

水野:綺麗な手筋がお互い続いて、ずっと拮抗していって…というのが「良い将棋」なんですね。

渡辺:はい、玄人にとっては。それはアマチュアの方が観ると地味なんですよ。常にフィフティフィフティで動かないですし。

水野:野球で言えば、投手戦の完封試合みたいな。

渡辺:ええ。プロ的には1対0みたいなゲームは「レベル高かったー!」って言うかもしれないですけど、アマチュアの方がそういう試合を観たら、「なんだよ、今日はしょっぱい戦いだったな」って思う。ホームランで点をとりあって、8対7みたいな試合を観たいわけで(笑)

水野:音楽とひとつ違うのは、対戦相手がいるところかなって。一手を指すにも、対戦相手の方の一手があった上での次じゃないですか。それって二人で作っていくものだなぁと。

渡辺:たしかに、相手と勝負しているんですよね。水野さんは感覚的には誰と勝負しているんですか? たとえば作詞作曲しているとき、目の前には誰を座らせているのでしょう。

水野:世の中のひとですね。たとえばCMソングだったら、CMを聴く入り口にいるひと。街で流れている様子とか、音楽が聴かれている状況を常に想像するので。ドラマの主題歌だったら、テレビの前で感動しているひとじゃなくて、ポテトチップスぽろぽろ食べながら、「ああ…」って感じで観ているひとをなるべく思い浮かべます。家族と会話していて、ドラマを気にしてないひととか。

渡辺:ふと「この曲、何?」みたいな。

水野:そうなるような、多少の暴力性がないと。あっちを向いているひとを、振り向かせるような。

渡辺:ドラマ主題歌とかCMソングとか、テーマがある曲を作るほうが、楽だったりするんですか?

水野:楽ですね。広っぱで自由に走ってくれと言われるほうが難しい。

渡辺:将棋の研究もテーマを決めてくれたほうが楽だなって思います。「この形を研究して、5時間ぐらいである程度の結論を出せ」って言われるほうが得意なんですよ。だけど、それが定まらないと、なんか気分も乗らないし、「あぁ今日は何を研究しようかなぁ」って考えている間に1時間ぐらい経っているみたいな。

水野:おこがましいですけど、わかります。楽曲提供のお仕事をいただくときに、「水野さんの曲だったらなんでもいいです」って言われたときがいちばん困る(笑)

渡辺:「なんでもいい」がねぇ。

水野:「このアーティストの、この時期の、この曲で、こういう狙いがあって、こういうヒットの仕方をしたい」とか、わーって条件をつけてくれたほうが取っ掛かりがあるので。「だったらこうかな」って攻め方がわかる。

渡辺:将棋だと「次の対戦相手はこのひとです」ってなったとき、実は分析なんてしなくても大体、相手の戦い方はわかっているんですよ。トップグループだったら同じ30人ぐらいが1年間で戦うので。相手のことはわかってる。ただ一応、最近の(対戦相手の)傾向とかを見た上で、どういう将棋になりそうか、自分で判断するんです。その判断を僕は、誰かに丸投げしたいなと思うことがありますね。

水野:へぇー!

渡辺:「次の試合はこうなりそうなので、これだけ研究してください」って言われたほうが、捗るなぁって(笑)

水野:それもAIにアドバイスされたらどうなりますかね。

渡辺:あ~、将来的にはできるようになるかもしれないですね。「今このひととマッチングしたら、こういう戦型になりそうです」みたいな。でもそれをやると、逆に相手に外されちゃう気がします(笑)。

良い曲が流行るのか。流行った曲が良い曲なのか

水野:音楽もAIが発達してきて、たとえば僕の過去の楽曲データを入れたら、僕っぽいメロディーができるみたいなことが、どんどん可能になっているんですよ。

渡辺:らしいですね。物書きのひとに話を聞いたら、それができるって。

水野:しかも結構な精度で。もう僕、要らないんじゃないかなって(笑)。

渡辺:そういうのやってみたことあるんですか?

水野:しっかりはないですね。ただ、細かい部分でAIを使うのは、だいぶ当たり前になっていて。

渡辺:「細かい部分」というのは?

水野:たとえば、レコーディングした声って、そこからいろんな処理をして磨きをかけていくんです。それは今までエンジニアの耳に頼っていたんですけど。もうAIが判断してある程度、「こういう楽曲の、こういう楽器構成で声が入るなら、こういう処理をしたほうがいいです」って勝手にやってくれる。そういうソフトがどんどん出てきているんですよね。そうやってAIで下処理してもらったものを、プロが聴きながらまた処理していくというか。

渡辺:それは便利になっているんですか?

水野:便利にはなっていますね。ただ、AIって今日この時点の僕の情報しか知らないんですよ。でも人間なので現在進行形で変わっていく。そこでどう差異が出てくるのかなとは思っています。

渡辺:そうなるとどうなっていくんですかね。音楽業界を目指しているひとは無数にいて、しかもAIである程度の曲が作れる。そこそこの曲を作って、YouTube上で発表するみたいなひとはもう出てきているんですか?

水野:いっぱい出てきていると思いますね。

渡辺:やっぱりそうなんですね。でもそういうものが流行るかというと、そうでもない。そこが僕らにはわからないところで。良い曲が流行るのか。流行った曲が良い曲なのか。

水野:これはもう永遠の課題です。ただ、良い曲は残りますね。最初の瞬間風速は、曲の価値以外の影響もあるんです。これは別に悪いことじゃなくて、エンタメの世界なので、複合的な要素でヒットしていくので。

渡辺:有名なひとが、「この曲が良いよ」って言ってくれたとかね。

水野:たまたま旬の俳優さんが歌ったからヒットしたとかもあるし。だけどそことは関係なく、ヒットしてから残る曲と残らない曲があって。

渡辺:20年、30年のスパンで見たときに。

水野:はい。その違いが何かっていうのはわからないんですけど。でも振り返って分析されると、「たしかにあの曲のあの部分は当時としては革命的だった」とか、「歌詞の無駄なものが排除されていて、だからこそ価値観が変わった今でも受け入れられている」とか、あとから気づくみたいなことはありますね。

文・編集: 井出美緒、水野良樹
撮影:軍事拓実
メイク:内藤歩  スタイリスト:作山直紀
監修:HIROBA
協力:公益社団法人日本将棋連盟

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