対談Q  飯間浩明(国語辞典編纂者)第3回

辞書に載ってない言葉のほうが多くてむしろ当たり前。

「泣き空」と「泣き合う」

水野:飯間さんは用例採集を日常的に、とにかくたくさんされるんですよね。

飯間:言葉を集めるというのは、もう毎日の作業ですね。

水野:ご著書を読んだら、たとえば、1冊の週刊誌を読むだけで、もう数十個の新しい用例、興味深い用例を見つけられると。普段これだけたくさんの言葉を見ている方が、そうおっしゃるぐらい、新しい言葉は日常のどこにでも、たくさん散らばっているものなのだと驚きました。

飯間:おっしゃる通り。辞書を作っている人間は、すべての日本語を知っているのか、なんて訊かれるんですが、そういうひとはおそらく辞書を作らないと思います。自分がすべて知っていたら、もう新しい言葉を知る必要がなくなりますからね。

水野:ああ、なるほど。

飯間:でも、そうじゃなくて。あちこち行くと、知らない言葉ばかりなんですよ。それがおもしろくて、辞書作りを続けているところもありますね。水野さんの書かれた詞も当然、採集の対象になります。その中には、将来は辞書に載ってもおかしくないな、と思う言葉もあるんですよ。たとえば『ゲゲゲの女房』主題歌の「ありがとう」。

「ありがとう」歌詞

https://www.uta-net.com/song/94247

飯間:この詞に<あおぞらも 泣き空も 晴れわたるように>というフレーズがありますね。「あおぞら」はもちろん辞書に載っていますが、「泣き空」はどうでしょうか。調べてみると、今のところどの辞書にも載っていないようです。

水野:はい。

飯間:でも、イメージはわかりますよね。泣いているような空。「あおぞら」の反対の意味での「泣き空」。これは、「今日は泣き空だね」と言ってもまったく違和感なく伝わりそうなので、もっとみんなが使うようになると、もしかしたら辞書に載るかもしれない。

水野:うわー! なんでしょう…嬉しい。

飯間:さらに、同じ「ありがとう」の<ケンカした日も 泣きあった日も>というフレーズ。辞書に「笑い合う」はあるけれど「泣き合う」はまだない。でも「笑い合う」ことが表現できるならば、“お互いに泣くこと”をなんと表現するかといえば、それは「泣き合う」でしょうね。

水野:僕らだと気づかないかもしれないですね。“ある”と思って書いちゃっている。

飯間:もちろん、言葉は書かれたその瞬間から“ある”んですよ。それは間違いない。よく「そんな言葉は辞書にない」とか「辞書にない言葉を使っちゃいけない」とか、相手の言葉を批判するひとがいるんですけれどもね。

水野:よく言われます。

飯間:辞書に載っている言葉なんて8万語ぐらいしかないんですから。というより、辞書は現実の言葉を拾い集めて一冊の本にしているわけですから、辞書に載っていない言葉のほうが多くて、むしろ当たり前。それぐらい言葉というのは掴みきれない、捕捉できないんですよ。新しい言葉は、本や雑誌、テレビやスマホのなかにも、街のなかにも、ものすごくたくさんあります。辞書には載っていないとしても、必要な意味をうまく伝え、役に立っているんです。

水野:なるほど。日本語を話す、膨大な数のひとたちがそれぞれに、ある感情やある状況を言葉で定着させるという行為を、生活のなかで無意識に起こしているとしたら、たしかに辞書だけでは拾いきれないですね。常に言葉は生まれ続けている。

新しい日本語として定着した「エモい」

飯間:ミュージシャン同士の「音がかたい」も、辞書に載っていないひとつの言葉でしょうね。もっと言えば、誰しも自分のグループだけで使っている言葉があると思います。私自身にもあります。私は家でよくお茶を飲むんです。そして、お茶が途切れると、禁断症状が出てくる。だから、チェーンスモーカーならぬ、「チェーンチャモーカー」っていう。これはもう家だけで使っていますね。

水野:可愛い(笑)。いいですね。これが何かの記事でバズったりしたら、みんなが使うようになる可能性もある。

飯間:そう。個人的な言葉が、何かのきっかけで、広く使われるようになることはあるんです。世の中のひとが、「この使い方は便利だね。すごく自分の言いたいことが伝わる」ということに気づくと、バズるどころか、それが新しい日本語として定着するわけです。「エモい」という言葉もその例ですね。「エモい」は、新しい辞書にも載せたんですけど、他の言葉でもう言い換えられないんですよね。

水野:はい、はい。

飯間:たとえば、いきものがかりの歌を聴くと、ある表現しがたい気持ちが生まれます。懐かしさもあり、キュンとする感じもあり、憧れるような感じもある。これをなんと言えばいいんだろう。そんなとき、誰かが「エモーショナルだ」「エモい」と言い始めたんでしょうね。古典の時間に「あはれなり」という言葉を習いますが、「エモい」はこれと非常によく似た意味を含むんです。

水野:なるほど。

飯間:何とも形容しがたい漠然とした気持ち、それが「エモい」という言葉でようやく捉えられた、といったところでしょう。

水野:僕、7歳の息子がいるんですけど、だんだん言語を覚えていくじゃないですか。で、先ほどの「甘い」もそうですし「エモい」もそうですけど、主観的な感情の言葉を、どうして覚えられるのか不思議で。

飯間:不思議ですよね。

水野:とくに味覚に関しては「酸っぱい」「甘い」「辛い」ってなかなか教えられないじゃないですか。「これが“辛い”だよ」って無理やり食べさせて学習させるわけにいかないし。でもいつの間にか使えるようになっている。それと同じで「エモい」も、ライブの感想とかでお客さんによく、「今日のあの曲エモかったなぁ」とか言われるんです。しかも、みんなわかり合っているような顔をしているから。

言葉は1対1の共通体験

飯間:もしかすると、その内実は違うかもしれませんね。Aさんが感じる「エモい」とBさんが感じる「エモい」は、微妙にズレているでしょう。Aさんがイメージする「甘い」とBさんがイメージする「甘い」も、実は違うんでしょうね。

水野:「エモい」を三省堂国語辞典で引くと「心がゆさぶられる感じだ。ロックの一種エモ〔←エモーショナルハードコア〕の曲調から、2010年代後半に一般に広まった。古語の“あはれなり”の意味に似ている」。そう言われると、「あはれなり」の意味も、前より理解できる気がします。国語の授業で、古語として「あはれなり」を覚えても、なかなかそれを自分のものとして捉えられないけれど。「エモい」に近いと言われたら、「あの時代のあのひとたちはこういう気持ちだったのか」と。

飯間:翻訳することで理解できるのはありますよね。私は「いとをかし」は「ヤバい」じゃないかと思うんです。

水野:なるほど(笑)。

飯間:「春はあけぼの…いとをかし」と言うのは、「超ヤバいよ」っていう感覚でしょう。どちらも、自分の感情というよりは、見たもの、聞いたものの素晴らしさを賛美する言葉ですね。

水野:はい。

飯間:「エモい」も「ヤバい」も、初めて聞いた人は意味がわからなかったはずです。周囲のひとが「エモい」「エモい」と繰り返すので、「なんじゃそりゃ」となる。ところが、誰かが実際にいきものがかりの歌を聴かせてくれて、「この曲を聴くとエモいんだよ」と言う。そこで初めて「なるほどね」と意味がわかるんです。お子さんが「辛い」を覚えたのも、おそらくカレーライスか何かを食べて、「大丈夫? それ辛くない?」と訊かれたりして、「辛い」の意味を学習したのかもしれませんね。

水野:コミュニケーションのなかで、なんとなく言葉の共通理解が図られていって、お互いに覚えていくというか。

飯間::互いに1対1の共通体験を重ねながら、言葉を共有していくんですね。カレーを食べながら「これ辛いよね」と教えられれば、「辛い」という言葉を覚える。だから、体験の違う人同士では、理解している言葉の意味にズレがあるのは当然です。また、ある地域では普通に使うけれど、別の地域だとわからない、ということも起こります。つまり方言ですね。そういうこと考えると、同じ日本列島に住んでいても、こっちの言うことが100%相手に伝わることはありえないんです。むしろ絶望的に伝わらない。どうしましょう。

文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:谷本将典
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影場所:本屋 B&B
https://bookandbeer.com

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