脈々と受け継がれてきた日本文化を、イノベーションによって再定義する。

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
https://www.j-wave.co.jp/original/creatorsnote/
“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週土曜日夜21時から放送。
水野:今回のゲストは、現代美術家の舘鼻則孝さんです。

舘鼻則孝(たてはなのりたか)
1985年、東京都生まれ。2010年、東京藝術大学工芸科染織専攻卒。在学中には、遊女に関する文化研究とともに日本の伝統的な染色技法である友禅染を用いた着物や下駄を制作する。卒業制作として発表したヒールレスシューズは、レディー・ガガに愛用されたことでも世界的に知られている。近年は、国内外の展覧会へ参加する他、伝統工芸士との創作活動にも精力的に取り組んでいる。作品は、メトロポリタン美術館やヴィクトリア&アルバート博物館などに永久収蔵されている。
センスは訓練で身につく

水野:アートやものづくりに興味を持ち始めたきっかけというと?
舘鼻:小学生の頃からでしょうか。あまり勉強は得意でなく、図工でものづくりをするのが好きだったのが、ひとつのきっかけになっていると思います。あと実は母がものづくりの仕事をしていて。シュタイナー教育で使われる“ヴァルドルフ人形”を作っていたんです。それで自宅に母のアトリエがあったので、ものづくりが身近な環境で育ったことは大きかったですね。
水野:いつ頃から、ものづくりが生業になるイメージがあったのでしょう。
舘鼻:「この道で行こう」と最終的に思ったのは、高校生ぐらいだと思います。東京藝術大学に進もうと。でも、とくに予備校で評価されていたわけでもありませんでしたし、ただ夢を抱いていたくらいの感覚です。
水野:何がいちばん楽しかったですか?
舘鼻:小さい頃、「欲しいものや好きなものがあるなら、自分で作りなさい」とよく母に言われていて、あまりおもちゃなどを買ってもらえなかったんですね。それでおもちゃ作りを始めて、実際にできたおもちゃで遊ぶのがゴールだったのですが、知らず知らずのうちに、そのプロセスである制作自体がおもしろくなっていました。
水野:東京藝術大学に進まれて、自分の得意分野に気づく過程はどのようなものでしたか?
舘鼻:まず、東京藝大は最難関なので、結果的に僕は二浪して、高校1年生から通い始めた予備校に計5年ほど通ったんです。最初はいちばん下手で。もともと“得意”というより“好き”で始めたものの、予備校ではまったく褒められないし、自分のレベルの低さに気づかされる。それで一時期は“嫌い”になってしまって。でも、そこから逆襲のように努力をしました。1日1枚以上描くと考えると、年間で500枚ぐらい。すると上手くなるもので。

水野:やっぱり技術の進化があるんですね。
舘鼻:ただ、美術の場合は体が覚えるわけではないんですよ。勝手に手が描いてくれるわけではない。では、何が上達するかというと、ものを捉える力、見る力。そこが備わっていくことで、結果的に上手く描けるようになっていきます。だから受験でも、技術があるひとが合格できるとは限りません。「ちゃんとそのものを捉えられる力があるか」というところが、いちばんの物差しになってくるんです。
水野:大学に入ってから、多くの作品をつくられていますが、“見る力”は伸びている実感がありますか?
舘鼻:伸びていると思います。センスって、訓練で身につくものなんですよ。たとえば、色合わせも、どれだけの“引き出し”を持っているかで決まる。つまり、どれだけ多くのものを見てきたか。情報がなければアウトプットもできないので、インプットがすごく大事なんです。
水野:ただ、訓練で得られる力って、ある種、画一化されていくイメージもあります。一定レベルまではみんな到達できるというか。
舘鼻:おっしゃるとおり。たとえば、東京藝術大学には訓練すれば絶対に誰でも入ることができると思います。だけど、その先で“自分の表現”というまったく違う引き出しが必要になってくる。そこで挫折するひとが多いんです。大学に入ってから、「自由に作っていいですよ」と言われたとき、「俺、何をやればいいんだろう」って。訓練と個性がかけ合わさることで、やっと“オリジナル”になるんでしょうね。
日本人の僕にしかできないことは?

水野:舘鼻さんはキャリアの初期にレディー・ガガの靴を作られて。そこから活動の幅がどんどん広がり、日本の伝統工芸とのコラボレーションや、日本の歴史・文化が溶け込んだ作品へと展開されていますよね。海外のポップアーティストに向けた作品と、伝統工芸のような属人的ではない作品、どうつながっているのでしょう。
舘鼻:実際に自分がやっていること、目指していることは変わっていないんですよね。たとえば、レディー・ガガさんに履いてもらったヒールレスシューズは、僕の大学の卒業制作で。僕は東京藝大の工芸科・染織専攻にいたのですが、そこでは友禅染めで着物を染めたり、下駄を作ったり、伝統技法を研究しながら制作をしていました。振り返ってみると、高校時代にこの道を志したときは、ファッションデザイナーになりたかったんですよ。
水野:なるほど。
舘鼻:でもファッションの本場って、日本ではないじゃないですか。たとえばパリ・コレクションとか、海外で活躍することを考えたとき、「自分の武器って何だろう」って思ったんです。最初は本場で学ぶというところで、「やっぱり留学かな」と。ただ、フランスの学校に行ったとしたら、自分以外はみんな“地元のひと”たちなわけで。彼らにとってはホームグラウンド。そんな彼らと肩を並べても勝てる気がしなかったんです。
水野:はい、はい。

舘鼻:「じゃあ、日本人の僕にしかできないことは?」と考えたときに思い浮かんだのが、日本の文化やファッションでした。たとえば着物とか、日本の和装文化。そうしたものをしっかり学んでから海外に出ても遅くはないと思うようになったんですよね。
水野:日本の伝統工芸って、海外ではどう強みとして作用するのでしょうか。僕らが見落としていることも多い気がして。
舘鼻:僕の場合は、“Rethink(リシンク)”という概念を掲げて創作活動をしています。過去の日本文化を見直しながら、現代において何を表現すべきかを考える、というスタンスです。もともと日本文化のなかに答えはあり、日本で生まれ育った自分にしかできないことがあると思っていて。ただ、ステレオタイプな“日本らしさ”って、海外にはたくさん溢れていて、それが必ずしも“カッコいい”とは限らないじゃないですか。
水野:僕らはみんな“忍者”じゃないですし(笑)。
舘鼻:そうそう、“侍”でもないですし(笑)。だからこそ、脈々と受け継がれてきた日本文化をイノベーションによって再定義することが重要だと思っているんです。たとえば、僕のヒールレスシューズは、花魁が履いていた高下駄から着想を得て作ったものです。でも、下駄そのものではなく、現代のひとが履く“靴”としてデザインしました。どういう視点で物事を捉えて、どう表現するかが重要である気がしていますね。
水野:“Rethink(リシンク)”というコンセプトで実際に今、伝統工芸の職人さんたちとコラボレーションされていますよね。職人さんのなかには、“現代性を取り入れること”に抵抗感を持つ方もいると思うのですが、どのようにコミュニケーションを取るのでしょうか。
舘鼻:僕にとって重要だったのは、自分自身も作家であり、手を動かしてものを作るということで。そういう共通言語があったことはよかったですね。デザイン画を持ってきて、「これを作ってください」という話ではなく。「一緒に新しい時代のものを作りましょう」という姿勢で話ができる。職人さんの技術が込められた作品が、現代で再評価される。そのための新しい尺度や基準を提示していくことが、自分の仕事でもあると感じています。
まだまだ知らない日本がある

水野:ひとつの作品を作るときに、どのようにテーマを見つけていくのでしょう。
舘鼻:僕の場合は展覧会ごとにテーマを考えます。それによって、絵画作品もあれば、彫刻作品もあれば、靴もある。たとえば、「日本の香りの文化」をテーマに展覧会を開いたことがあって。そのときは、まず香りの文化について学ぼうと、京都の老舗・松栄堂さんにお話を伺って勉強しました。そこから作品を考え、ラインナップを組んでいく。最初から詳しいわけではなく、勉強するところからスタートします。
水野:楽しそうだなあ。まっさらな状態で、プロのところに行く。そのやり取りのなかで、職人の方にとっては意外性のある答えにたどり着くこともありますか?
舘鼻:灯台下暗しのようなパターンで、「あ、ここに着目したんだ」とおもしろがってもらえることはありますね。そして、僕が“Rethink(リシンク)”して、できあがった作品を展覧会で発表する。それをお客さんが観ることで、僕のプロセスを追体験してほしいんです。
水野:アウトプットが絵画や彫刻、靴など様々ですが、表現によってモードを変えたりしますか?
舘鼻:そんなに意識してないかもしれません。過去の文献やいろんな芸術モチーフを調べていくなかで「このテーマは絵画がいいな」「これは彫刻だな」と取捨選択をしていくのですが、物理的な形状によるモードの差はあまりない気がします。
水野:「彫刻を作ろう」と思って考え始めるというより、「このテーマだったら彫刻のほうがいいな」という感じなのですね。
舘鼻:あと、展示会場の影響はありますね。「このお部屋に、こういう作品があったらカッコいいな」とか、「ここは自然光が差し込む空間だから、こういう素材にしよう」とか。
水野:展覧会が終わったあとの作品の影響については、どんなふうに考えていますか?
舘鼻:音楽の場合、瞬発力があるじゃないですか。ライブで感動して泣いていらっしゃる方がいたり。ムーブメントが起きやすい。そこは羨ましくも思います。ただ、美術は不変的です。たとえば、ピカソの『ゲルニカ』は何十年も前に描かれたものだけれど、今でも反戦のメッセージを伝え続けている。あまり流行り廃りなく、長く受け継がれる力があるので、そういう作品を自分も作っていけたらいいですね。

水野:今年9月には、北陸で開催される『GO FOR KOGEI 2025』というアートイベントに参加されるそうですね。これはどんなイベントなのでしょうか。
舘鼻:北陸を舞台にした、工芸にフォーカスした芸術祭のようなイベントです。今年は、富山県岩瀬と石川県金沢で行います。昨年も参加したのですが、桝田酒造店のなかの大正時代に建てられた蔵の床面に、大きな絵画作品を制作しました。今年もそれに付随して、いろいろ作品を展開させていただく予定です。
水野:最近は稲妻をモチーフにした作品が多いと伺いましたが、それはどこから?
舘鼻:桝田酒造さんの蔵のいちばん奥に神棚がありまして。そこから稲妻が出ているようなイメージなんです。やっぱり雷や雲は、古くから象徴的なモチーフとして日本で扱われていますよね。たとえば、神社のしめ縄。白いジグザグは雷で、しめ縄は雲のような形状になっていて、いわゆる“雷雲の図”になっています。それを現代的に解釈して、グラフィカルな絵画に落とし込みました。
水野:当たり前のように見ていたものですが、お話を聞くと、「そういう意味だったのか」と再発見できますね。
舘鼻:そう。シンプルに魔除けのような意味合いもある作品です。
水野:長期的には、どういったビジョンで作品を作っていかれますか?

舘鼻:日本国内にも、まだ行ったことのない場所がたくさんあるんですよね。それぞれの地域にカルチャーがあってとても興味深い。だから、知らない日本を掘り下げながら、それを若いひとたちにも「カッコいい」と思ってもらえるような新しい形で表現していきたいですね。
水野:では最後に、これからクリエイターを目指すひとたちにメッセージをひと言お願いします。
舘鼻:今回はいろんなお話をしました。訓練が必要だということ、センスは身につけられるということ。そしてやっぱり“続けること”が重要です。僕がレディー・ガガさんのお仕事を掴んだのも、世界中のひとにメールを送りまくって、最後の1通で返事が来たのが、レディー・ガガさんの専属スタイリストだったからなんです。でも、それが最後の1通になったのは、成功を掴むまでやめなかったから。“続けること”がいちばん大事だと思います。


Samsung SSD CREATOR’S NOTE 公式インスタグラムはこちらから。
文・編集:井出美緒、水野良樹
写真:谷本将典
メイク:内藤歩
番組:J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
毎週土曜夜21時放送
https://www.j-wave.co.jp/
コメント