『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』青松輝【前編】

結局、どの年代にも“エリート”っているから、普遍的なテーマ

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
https://www.j-wave.co.jp/original/creatorsnote/

“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週金曜日夜24時30分から放送。

とにかく変な子どもという感じでした

水野:水野良樹がナビゲートしています『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』、今回のゲストはYouTuberで歌人の「ベテランち」こと青松輝さんです。よろしくお願いします。

青松:よろしくお願いします。

青松輝(あおまつあきら)
1998年生まれ。歌人。東京大学Q短歌会に2018年から2022年まで所属。歌集『4』(2023、ナナロク社)。「ベテランち」「雷獣」の名義で YouTube でも活動している。

水野:最初に言ってしまうんですけど、東大医学部なんですよね。

青松:はい、それ1本でインターネットの大海原をやっています(笑)。

水野:今、いろんな活動をされている青松さんですが、日本最難関と言われる灘中学校・灘高等学校を卒業後、東京大学理科三類、つまりいわゆる医学部に進学されたと。幼少期から優等生という感じでしたか?

青松:いや、優等生にはほど遠かったですね。今、僕は26歳なんですけど、4留してまだ大学にいるんです。もともとそういうところがあって。授業中も立ち歩いちゃうようなタイプの子でした。両親もエリートなわけではなく、わりと苦労してきたので「子どもを塾にだけは入れておこう」と塾に入れてくれて。そうしたらたまたま勉強だけできて、現在に至る感じです。

水野:勉強ができるという自覚はあったのでしょうか。

青松:最初に塾に入ったのが小学2年生の頃だったので、わりと早かったんですね。それで入ってしばらくしたら、塾長みたいなひとが、「点数がいいから飛び級させたらどうですか?」と言ってきて。母がかなり喜んで。そうやって飛び級していったので、自分でも、「これはさすがに勉強できるか」と。

水野:勉強ができるということは、自己肯定には繋がりましたか?

青松:どうだろう。繋がっていたんですかね。とにかく変な子どもという感じでしたから。遅刻するし。ひとりだけ水色のボロボロのランドセル背負っているし。

水野:典型的な天才型に見えるじゃないですか。ご自身はそこに生きづらさを感じたことはありませんでした?

青松:ありました。でも水野さんも一橋大学じゃないですか。

水野:僕は落ちぶれた一橋学生だから(笑)。

青松:それで言うと、水野さんも幼少期とか、勉強ができて浮いていた側だったんじゃないですか? 正直、それとそんなに変わらないと思います。

水野:僕の場合、多少ですよ。明らかに違うという優等生ではありませんでした。でも青松さんは、明らかに違うひとじゃないですか。どういう景色なんだろうなって。

青松:両親は、僕が今に至るまでを多分、受け止めきれてなくて。「ちゃんと勉強して医者になってほしい」という感じが小さい頃からありました。まぁでも、「このひとたちに説明してもわからないだろうな」と。あと、僕はひとに合わせることを早い段階から覚えていて。だから、小手先の喋りができるようになって、今YouTubeとかに繋がっている気がします。

水野:孤独ではないんですか?

青松:早! すごい早さで踏み込んできているんですけど(笑)。

水野:(笑)。

青松:まあ孤独ではありますよ。そうじゃないと本を出したり、動画を出したりしてないと思う。短歌とYouTubeを始めたのが、それぞれ5年前ぐらいなんですけど、それぐらいからだいぶ話せるひとが増えた感覚です。

水野:共感してもらえるひと、理解してもらえるひとに、どうして短歌だと出会えるのだと思いますか?

青松:それまでいた世界が、エリート中高、東大となると、すべてを手に入れてきたようなひとが多かったんですね。僕はそっちの面もあるけれど、そういうひとと話が合わなくて孤独を感じていたところがあって。そういうなかで、短歌とかYouTubeとか、創作っぽいことが100%合っているわけではないけれど、それによって自分のなかのバランスが取れてきたんだと思います。

「じゃあ1回もうすべて捨てよう」と

水野:一方でYouTubeでは、世間的な東大のイメージなどをうまく使っていらっしゃるじゃないですか。インテリという部分の偏見を利用するというか、テコにするというか。

青松:短歌を書くようなピュアな心だったら、そんなYouTubeをやるのはしんどいんじゃないの?というか。

水野:はい。

青松:そのしんどさはずっとあります。もともと中学生ぐらいから、音楽とかお笑いとかすごく好きで。「このまま勉強だけをしていても、まわりのやつらと同じぐらいしかうまくいけないだろうな。自分にしかできないことをやりたいな」みたいな感覚はあったんですね。とはいえ、東大に行って、お笑い芸人やミュージシャン1本でやっていくというのは、なかなか環境的に厳しいというか。そんなひとはいなくて。

水野:なるほど。

青松:それで短歌を先に始めたんですけど、どんどん狭い界隈の人間関係に飲み込まれていきそうな感じがして。「いや、これは仕事をしているよりもっとヤバいかも…」と。中途半端に創作なのに、どんどん狭いところに自分が入り込んでいく。それで、「じゃあ1回もうすべて捨てよう」と。

水野:ああー。

青松:5年前って、今よりもっとYouTuberが馬鹿にされていたというか。おもしろくないひと、シャバいひとみたいなイメージだったんですよ。「じゃあ、そのシャバいとされているところに飛び込んでみようかな」と、2020年にYouTubeを始めました。それがたまたますぐそれなりの数字になったので、「もうこっちだ!」みたいな。多少しんどいけれど、やって得しているから、という感じで今に至っていますね。

水野:短歌という創作に表れる、ご自身のピュアで本質的なところ。YouTubeの集客に繋がる、東大生を全面に出したエンタメ。そこにかなりのギャップがあるじゃないですか。創作においてはむしろ、東大生という情報や偏見が邪魔くさくなってしまいそうだから、実際はむしろ隠すタイプの方なんじゃないかなって。

青松:はい、もっと別のことでうまくいっていたら隠していたと思います。でも一度こうなってしまったから、今後、「すべてを捨ててアーティストになりました」とやっても、よっぽど才能がない限り、「結局はコンプレックスを捨てられなかったんだ。表現者になりたかったんだ」みたいなことを言われる。今さらもう遅いんですよね。だから、しょうもないことをやって、金を稼いだりしようかなと。

水野:いいですね。潔いというか、カッコいいな。

青松:それを聞いてくれたということは、水野さんも葛藤があったんですか? たとえば、みなさんご存じのとおり、日本中で流れるポップソングを作るわけじゃないですか。それはもともと自然に?

水野:ああ、多分みなさんが思っているような葛藤はないんですよ。つまり、「お茶の間最前線でやっています」、その一方で、「いや、俺はもっとやりたいことがあるんだ」みたいなものではない。万人受けこそがいちばん影響力があるはずだから。最もエゴが発揮できるのはそこなんです。そうじゃなくて、むしろ自分のエゴを最大限に出していることが理解されないことに対しての葛藤がある。

青松:なるほど。「自分を消してポップス書いているんでしょう?」扱いされるのが鬱陶しいというか。

水野:そうそう。「あなたはエゴを消して、万人受けを覚悟してやっているんですよね」と、わかったように言われると、すごく反発したくなるというのはある(笑)。そういう意味ではどこか、青松さんと似ている部分があるのかもしれません。

青松:あと、僕はこういうときに潔い感を出したほうがウケるし、モテたいっていうのがあって。「覚悟の上で東大生を押し出してまーす」って言っていますけど、家では泣いているかもしれない(笑)。

水野さんが“糧塾”という言葉を口にする日が…

水野:YouTubeを始めたとき、ある程度は計算で、「これぐらいの反応はあるだろうな」という感じでしたか?

青松:いや、まったくありませんでした。最初は「東大理三の左手」とか5秒ぐらいの動画を暇なときに上げていた感じなんです。2019年から半年ぐらい。そうしたら2020年にコロナ禍になったんですよね。3月からすごく暇で。で、当時、オンライン飲み会とか流行ったじゃないですか。

水野:はい、はい。

青松:それで久しぶりに昔の友だちと話すことが増えて。そこで喋っている話とかが結構おもしろかったんです。「じゃあこの感じでYouTubeで喋るか」となって、その動画を上げたら、1~2カ月で5万人くらいになったのかな。YouTuberとしては大したことないんですけど、当時の僕からしたらありえない数字で。そこから、「真面目にやるか」と、成り行きで今も頑張っている感じなんです。

水野:最初の友だちとの会話の内容はどういうものだったんですか? 灘高あるあるみたいな?

青松:そうですね。当時、動画で出していたような会話そのもの。たとえば、灘高って、嘉納治五郎という柔道の創始者が作った高校なんですね。だから必ず柔道教師がいるんです。で、勉強のできる高校なので、教師もみんな灘高OBとか、京大卒とか、東大卒ばかりなんですけど、柔道の先生だけ絶対に日体大から呼ばれていて。

水野:なるほど、もうその段階でおもしろいな。

青松:柔道の先生だけ、ノリも違う。遅刻したやつを傘でしばいたり(笑)。そういう話を「懐かしいな」って喋っている動画を出したら、再生数がまわって。「ほな、しばらくこの感じでやるか」と。

水野:登録者がつき始めると、だんだん観るひとを意識し始めるじゃないですか。それで変化もあったんですか?

青松:いや、まさに。2~3年目、観ているひとが一緒なので、内輪ノリも飽きてくるじゃないですか。かといって、普通のYouTuberっぽいことをやってみようとしても、あまりうまくいかなかったり。それがここ2年くらいで「雷獣」っていう、高校の同級生とやっているチャンネルがまた伸びてきて、今はいい感じなんですけど。

水野:どういうふうにいい感じになっていったのですか?

青松:ちゃんとYouTubeのマナーを理解できるようになっていったんだと思います。音楽でもそういうひとがいると思うんですけど、最初に一発当てて。それが奇跡の一発だったものだから、数年は苦戦して。その間に真面目に勉強したことでマシになるという。サムネを工夫したりとかね。

水野:ノウハウが詰まっていったんですね。その上でここからどうなっていくのでしょうか。

青松:いやぁ…どうですかね。わからない。自信ないですね、正直。

水野:東大生や灘生の経験だったり、インテリあるあるだったり、勉強できるひとの一芸はたくさんあると思うんですけど、それもネタが尽きてくるじゃないですか。

青松:マジでそうなんですよ。でも最近、少し考え方が変わって。最初はそれこそ、「これはもうどんどんオワコンになっていくんやろうな」と思って病んでいました。でも結局、どの年代にも“エリート”っているじゃないですか。普遍的なテーマというか。だから、受験のこと、友だちのこと、仕事のこと、会社のこと、って徐々にターゲットの年齢を上げていけば、本質はそんなに変えずに続けていけるのかなと。

水野:学生時代からスタートしている分、それぞれの成長がちゃんとネタに合っていくんですね。さらに、YouTubeではまさに子どもを持つ親としては気になる、東大志望者を指導する塾“糧塾”というものも。

青松:まさかいきものがかりの水野さんが“糧塾”という言葉を口にする日が…。

水野:これはどういう塾なんですか?

【糧塾プロジェクトvol.3】

青松:まだ塾としてはちゃんと動いてないんですけど。「雷獣」のメンバーで、1個下の後輩がいて。その子は大学時代、ずっと塾でバイトをしていて、「将来は塾をやりたい」と言ってくれているんです。そのテスト版みたいな感じで、動画の企画として視聴者から生徒を募集して、毎週2時間ぐらい授業して。そして、東大に受からせようとしている。ラジオOA日にはもう3月10日を過ぎているので、合格発表が終わっていますね。

水野:マジですか。結果がわかるんですね…。


Samsung SSD CREATOR’S NOTE 公式インスタグラムはこちらから。

文・編集:井出美緒、水野良樹
写真:谷本将典
メイク:内藤歩
番組:J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
毎週金曜夜24時30分放送
https://www.j-wave.co.jp/original/creatorsnote/

コメント

この記事へのコメントはありません。

他の記事を読んでみる

最近の記事
おすすめ記事
  1. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』青松輝【前編】

  2. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』千代田修平【後編】

  3. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』千代田修平【前編】

  4. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』福里真一【後編】

  1. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』青松輝【前編】

  2. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』千代田修平【後編】

  3. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』千代田修平【前編】

  4. 『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』福里真一【後編】

カテゴリー

アーカイブ

検索

TOP