『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』甫木元空

どの部署のひとたちも、横一列でものづくりをする現場にしたい。

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
https://www.j-wave.co.jp/original/creatorsnote/
“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週土曜日夜21時から放送。

水野:今回のゲストは、映画監督で音楽家の甫木元空さんです。

甫木元空(ほきもとそら)
1992年、埼玉県出身。多摩美術大学映像演劇学科在学中に青山真治の指導を受け、卒業後、青山真治、仙頭武則の共同プロデュースにより、自身が監督、脚本、音楽をつとめた『はるねこ』で映画デビュー。2019年にBialystocksを結成、22年にメジャーデビュー作『Quicksand』を発表。本作に収録された「はだかのゆめ」を主題歌とする第2作『はだかのゆめ』が同年に公開。23年には同名の小説で小説家としてもデビューした。

反抗なんてしていられない現場

水野:小さい頃から、映画や音楽のようなエンタメはご自身にとって身近なものでしたか?

甫木元:そうですね。母は家で小さなピアノ教室をやっていましたし、父は舞台やミュージカルの演出みたいなことをやっていましたし。僕自身も数年間、町の合唱団を任されていた時期がありました。だから、ものづくりに対するハードルは低かったかもしれません。母親が子どもたちに読み聞かせをするときには、小中学校についていっていましたし。ケーブルをさばいたり、マイクをつけたりしていました。

水野:見学というより、もうスタッフとして動かれていた。

甫木元:完全に裏方として働かされていました(笑)。父親が外国で演出の仕事をするときにも連れて行ってもらって、「フェーダーはこのときに上げろ」みたいなことも言われながら手伝っていましたね。

水野:思春期に親御さんに対する反抗心はありませんでしたか?

甫木元:すごくありました。小学生の頃は楽しくやっていましたが、徐々に心が荒んで、「またこの演目か」とか、「親に指示されるのイヤだな」とか、思うようになっていって。でも、中学生の頃、父親が初めて中国で上演をするときに、ついていったときの体験が印象的で。異国でものを届けるために、違う国のひとたちとものづくりをする大変さを目の当たりにしたんです。反抗なんてしていられない現場というか。

水野:なるほど。

甫木元:それまでは、言われたことだけをやっている感じだったのですが、中学1年生ぐらいになると、音響の方々が本当にスタッフとして扱ってくれて。怒られつつも、一緒にものづくりをする現場を初めて見ることができた感覚でした。それは自分のなかで、ひとつの大きな転機でしたね。

水野:ただ、舞台ではなく、映像のほうに進まれたんですね。

甫木元:何も考えてなかったんですよ。当時、大学を調べていたら、“旅をして得たものを、ゆうパックに入れて送って、通ったら合格”という学科があることを知って。ためしに受けてみようと。ただ、受かったあと、いろんなひとに聞いたところ、みんなは美大の予備校でデッサンなどを勉強した上で、旅というものも解体していたというか。たとえば、“猫にとっての旅”を知るために、近所の猫を追いかけて、その動線を地図に書いたり。

水野:ちゃんと企画性があるというか。

甫木元:はい、それぞれオシャレなことをやっていましたね。でも僕はシンプルに屋久島へ行って、ファームステイをしてマンゴー農園で働いて、撮った写真を送ったら、たまたま受かってしまったんです。そして、美大って大体、先に方向性を決めておくものだと思うけれど、そこが自由で。入ってから映像演劇学科を選択しました。その美大で、たまたま青山真治監督に出会うことができて、映像のおもしろさを知っていった感じですね。

正解なんてないんだな

Bialystocks「Kids」MV現場写真

水野:美大に入って、青山監督に出会われて、どのような学びがありましたか?

甫木元:まずはいろんな現場を見てみようと、監督を補助する“助監督”になって、MVやCM、映画の現場に入らせてもらいました。さらに、青山真治監督の青山ゼミというものがあって。夏休みの期間、役者もみんな学生で、青山さんが短編を撮る企画があったんです。そのときにプロの映画監督のひとたちが、どうやって撮影しているか、いちばん近い距離で見ながら、一緒にものづくりをすることができた。その体験が大きくて。みんなやり方もバラバラで、正解なんてないんだなと。

水野:はい、はい。 

甫木元:机の上で考えることと、現場で起きることは違うことも学びました。天気が少し変わるだけで、絵が繋がらなかったりするわけです。たとえば、ロケハンで下見に行ったときにはいい草が生えていたのに、「綺麗に刈っておいたので、撮影しやすいと思います」と当日、管理人さんにニコニコ言われたり(笑)。僕はその現場の担当だったので、「終わった…」と思いながら、青山さんに報告しました。

だけど「じゃあ、こうしよう」と、我々が拙いぶん、青山さんがいろんな手を見せてくれるんです。学生からの意見も受け入れながら、現場でどんどん変わっていく。もちろん自分ひとりで考えて作るものにも、素晴らしい作品はたくさんあります。ただ、そこにひとの手が加わって、「あ、こんな広がり方、こんな方向への曲がり方もあるのか」と気づく。それは音楽でも同じですよね。そういうものづくりの楽しさを知りました。

水野:今、ご自身も監督になって、チーム作りをする立場になり、その経験が活きてくる部分はありますよね。

甫木元:今でも、撮影初日はなかなか難しくて、現場が終わるくらいにいちばん仕上がって、ツーカーになるんですけど(笑)。青山さんが学生といたときの、監督としての在り方はすごく参考になっていますね。上から見ているわけではなく、自然に意見を拾う。いろんな時間の制限があるからこそ、何パターンも用意している。そうやって現場に挑み、最良のものをその場のひとたちと作っていく様子が痛快でした。だから、自分の現場もそれが理想ですね。どの部署のひとたちも、横一列でものづくりをする現場にしたいなとは思っています。

水野:『はだかのゆめ』を拝見したのですが、チームで作るときは、どこまでご自身の作家性を出されて、どのように協調されますか?

甫木元:あの作品は、僕の母の死がテーマであり、個人的なものだったので、共有という意味では難しいなと思いました。内容的にもわかりやすい話ではないですし。だから、母と暮らしていた高知県の実家に、役者さんも含め、みんな来てもらって。「今回は、この場所で絶対に撮る」と。そして、何日か撮影していくうちに、土地の雰囲気に助けられるみたいなことがあったんですよね。そこで共通項ができてきたり。

水野:ああー、そういうことはありますよね。

映画『はだかのゆめ』©PONY CANYON

甫木元:あと、目指していることも個人的なもので。母がそこで生活していた痕跡をずっと探っているような映画というか。だからこそ、ディテールに関しては、「このショットはああいう感じにしよう」と具体例をあげながら伝えました。映画だったり、絵画だったり、写真だったり。いろんな人物が、一枚の絵に入ってないんですよ。それぞれ切り離されていて、何が生きていて、何が死んでいるかよくわからないような世界。みんながそれぞれひとりごとを言っているというか。そういう感覚を話し合いながら、少しずつ歩み寄っていく感じでしたね。

水野:途中、いろんなシーンで音楽がパタッと切れるじゃないですか。リズムが止まるというか。あれはどういう意図だったのでしょう。

甫木元:生と死は突然に起こるから、長回しのなかでも、絵が切り替わるときに、驚きやどこに繋がるかわからない感じがほしいなと。最初は、ドキュメンタリーみたいなことも考えていたんです。でも、母が亡くなる直前、もうカメラを向けられなくなってしまって。カメラの怖さというか。死にゆくさまを撮ることは、自分にはできないなと。だから、個人的な話だけれど、少しでも風通しがいい“作り物”にしたいなと考えていましたね。

どの作品にも個人的な喪失があった

水野:青山真治監督の脚本を引き継いで、映画『BAUS 映画から船出した映画館』を公開されました。こちらの作品はどのような経緯で?

甫木元:もともとクランクイン手前まで進んでいたのですが、直前に青山真治監督が亡くなってしまって。それで一度止まったものを、「引き継いでやってくれないか」というお話をいただきました。青山さんは、僕が映画と音楽をやる両方のきっかけを与えてくださった方で。学生の頃から、脚本を書いたらまず青山さんに見せて、いろんなアドバイスをいただいてきたんです。卒業しても定期的に会っていましたし、青山さんの企画に同行したり、一緒に脚本を書いたりしていたんですけど、まさかこんなことになるとはという気持ちでしたね。

水野:どこらへんから手をつけようと思いました? 

©本田プロモーションBAUS/boid

甫木元:脚本を少し修正していくところから始めました。中途半端になることがいちばん失礼だなと。青山さんに対しても、映画を作る上で巻き込むスタッフに対しても。だから、「青山さんだったらこう撮るかな」ということはいったん忘れて、「自分だったらどうできるか」を考えていきました。吉祥寺に実在したバウスシアターという映画館の100年にわたる実話がベースなのですが、自分が今までやってきたことと地続きの部分もありましたし。共通項を探しながら、スタッフからもいろんなアイデアを出してもらって、制作していきました。

水野:映画の場合、ご自身の作品に、どれぐらい自分の考えは入っていくものですか?

甫木元:僕は今まで映画を3本、劇場公開しているのですが、なぜかすべて“誰かの死”がテーマだったんです。1本目は父の死、2本目は母の死、3本目は青山さんの死。どこか、そのひとたちと過ごしていた痕跡を残しておきたい願望がありました。記憶と記録というか。今後はそこからいったん離れて、単純に物語で観る者を惹きつける映画を作っていきたいです。少しでも自分が楽しめそうな作品には、チャレンジしたいと思っています。

水野:映画と音楽ではモードを分けますか?

甫木元:ありがたいことに両方やらせてもらっているので、行ったり来たりしているからこそ、どちらも客観視してできている部分があるかもしれません。水野さんは、文章と曲を書くのって違いますか?

水野:違うと思っていましたが、結局は同じような感情のたどり道を進んでいる気がします。

甫木元:僕も、「これは映画でしかできないかな」とか、「これは映画かな」とか、単純に入れる籠を分けているだけですね。意外とそんなに難しく何かを切り替えている感じではないと思います。

水野:いろいろやっていることが強みにもなりますよね。

甫木元:アイデアが浮かびますね。ひとの映画を観たり、音楽を聴いたり、美術館に行ったりするときに、アイデアが浮かぶことが多いんです。鏡を見ているかのように、「自分だったらこうするかな」と考えるというか。そして、自分が音楽を作っているときにも、映画のほうのアイデアが浮かんだり、映画について考えているときに、音楽のアイデアが浮かんだりする。それぞれが俯瞰するための道具になっている感覚はあります。

水野:では最後に、これからクリエイターを目指すひとたちにメッセージをひと言お願いします。

甫木元:「答えはない」ということが、僕は学生の頃、いちばん背中を押されました。誰も正解ではないし、「このとおりにやったら成功する」というものもない。それがおもしろいなと思います。あとは、本当に大変なので、「気合」ですかね。何も浮かばなくても、とにかく書く。やっているうちにたどり着くこともありますから。

Samsung SSD CREATOR’S NOTE 公式インスタグラムはこちらから。

文・編集:井出美緒、水野良樹
写真:北川聖人
メイク:Miyajima haruka
番組:J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
毎週土曜夜21時放送
https://www.j-wave.co.jp/

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