どんな内容を伝えるかより、どんなひとが伝えるか。
“伝わる”ってどういうこと?

藤井貴彦(ふじいたかひこ)
フリーアナウンサー。1971年、東京都出身。慶應義塾大学環境情報学部卒。1994年、日本テレビ入社、2010年から『news every.』にてメインキャスターを務める。長年の報道キャスター生活において東日本大震災・熊本地震・西日本豪雨・能登半島地震など数多くの被災地取材活動を行い、被災者へ言葉で寄り添い続ける。2024年3月末で日本テレビを退社。同年4月から『news zero』にてメインキャスターを務める。
水野:今回は、同じ高校を卒業している藤井先輩と、「“伝わる”ってどういうこと?」というテーマでお話できたらと思います。藤井さんは、まさに伝えるお仕事、ニュースを観る相手に伝わらなければいけないお仕事をずっとされていて。今までもご著書で「どうしたら伝わりやすくなるか」をいろいろ語ってこられたかと思うのですが。改めて“伝わる”という状況をどのように捉えていらっしゃいますか?
藤井:アナウンサーは、すぐに答えを出さなくてはならないと言われて育つ仕事なので、実は今すぐ答えが出せてしまうんです。それを先に言ってしまうと、「どんな内容を伝えるかより、どんなひとが伝えるか」なんですよね。たとえば、「不器用ですから」という言葉も、高倉健さんが言うからこそズドーンと入ってきて伝わる。だけど、普通の小学生が言っても、相手の心は簡単には揺れません。つまり、同じ言葉でも、どんなひとが言うかによって伝わり方が変わってきます。
水野:はい。
藤井:いきものがかりの楽曲を、どこかのバンドがコピーして同じように演奏して歌ったとしても、いきものがかりのみなさんほどは心を揺さぶらない。なぜかというと、いきものがかりには、どんなひとたちに歌いかけてきたかという歴史があるから。成功も失敗もすべて、関東ローム層のように積み重ねてきて、その土台の上に立ったひとだから伝えられることがあると思うんですよ。どんなにYouTubeで伝え方だけを理解しても伝えられない。
水野:でも、一方でそれは、ご職業的には実現するのが難しい答えですよね。アナウンサーの方は、タレントさんではないから、立ち振る舞いにどこか、匿名性も求められてしまう。
藤井:そう、おっしゃる通り。

水野:どのニュースを伝えるべきか、どういう伝え方をするべきか。それらは放送局や所属しているメディアが決めていて、アナウンサーは用意されているものを伝えなければならない。すると、本人の人格とは別のかたちで喋らなければいけない。でも、今の藤井さんのお話ですと、本人が個人としてどんなキャリアを積んできたのかが、説得力や人格を持っているということで。そこはどう整合させていくのでしょう。
藤井:正直、外科手術的な回答はありません。普段からどんな飲み物や食べ物を摂取しているか、どんな本を読んでいるか、どんなひとと会っているか、どんな言葉に触れているか、そういう人生そのものが出てしまう。
水野:なるほど。
藤井:たとえば、お店でお蕎麦を食べて「美味しいな」と思ったとき、その蕎麦の向こうには匿名性のある蕎麦打ち職人がいますよね。食べた側は誰が作ったかわからない。だけど、一朝一夕に作られた蕎麦ではないことはみんなに伝わる。それはまさに、本人の影での努力が生産物に映し出されているのだと思います。いきものがかりでいうと楽曲ですよね。水野くんがラジオに出てくれたときの表現がすごくよかったんですよね。“綺麗事系”だったかな。
水野:はい。綺麗事をやる担当、ですね。
藤井:そうそう。「いきものがかりは綺麗事をやる担当だ」って水野くんが思った時点で多分、それを自分の修行だとして捉えていたんじゃないかな。「こうしたら伝わる」とか、「これは伝わらなかった」とか、トレイ&エラーを繰り返して、いろんなスキルを身につけていったんだと思う。しかも、「綺麗事だ」という声をアンチとして跳ね除けずに受け入れてきた。だから本人自体が分厚くなっているのかなと。
「アナウンサー人生が終わるかもしれないな」と

水野:藤井さんにはとくにコロナ禍、ニュースでの語りかけが注目を浴びたタイミングがありました。たぶん藤井さんはあの語りかけを「自分だけの言葉ではない」とおっしゃるような気がするけれど。
藤井:さすがだな(笑)。
水野:とはいえ、なぜあのとき、藤井貴彦の言葉は世の中に届いたのか。
藤井:私自身は「アナウンサー人生が終わるかもしれないな」と思いながらコメントを作っていました。
水野:ええ! それはどういった理由で?
藤井:たまたま最前線で火中の栗を拾う仕事だったんです。もしかしたら苦しんでいるひとに語りかけられるかもしれないチャンスをいただいた。そういう場所にたまたまいた。それは同時に大ピンチでもあって。言い方やスタンス、タイミング、一言一句を間違えるだけで、「なんだこのアナウンサーは」と、リコール運動が起きてもおかしくありませんでした。
水野:はい、はい。
藤井:私はそれまでどちらかというと平和主義だったんです。だけど、新型コロナウイルスで日本中、世界中が分断して。どちらサイドにも立ってあげたいけれど、あちらを立てればこちらが立たず。そういうなかで一生懸命、相手のことを考えて汗汗しているところをみなさんに理解していただけたというか。「火傷しながらも火中の栗をずっと拾い続けてくれたね、藤井さん」くらいには思っていただけていたんじゃないかなと思います。

水野:まさに、そうだと思います。
藤井:一方で、「偽善者」とか「自分の言葉に酔うな」とか、よく言われました。偽善という気持ちもないし、酔ってもいなかったんですけれど。それでも、「本当に困っているひとたちはどう考えているかな」といろんな言葉を駆使して、歌詞をひねり出すように、なんとかコメントして。メロディーに乗せない歌詞をテレビでお伝えすることができたのではないかなと感じていますね。
水野:どうしてリスキーな方向に踏み込もうと思われたのですか? 当時は、放送局のアナウンサーというお立場で。踏み込まなくても、ある意味では責められないじゃないですか。それでも「自分は今ギリギリのラインに踏み込んで、ちゃんと言葉を残すべきだ」と行動されたのは、なぜ?
藤井:2021年がいちばんコロナ禍の大変な状況だったのですが、僕自身、48、49歳ぐらいで。もう50歳が見えているタイミングだったんですね。だから、「ここまでよくやってきたから、アナウンサー人生が終わってもいいかな」と思ったのかもしれません。
水野:ああー。
藤井:自分がこれから先、野望を持っているわけでもない。それなら今、なんとかしてマイナスな世の中の状況を、プラスマイナス0にしたい。私のアナウンス人生がそのための役に立って、終わりを迎えるのであれば、それでもいいかなと。それこそ相模川を鮭がのぼって産卵して、その後、力尽きて川をそのまま下っていくような感じでもいいんじゃないかなと(笑)。
アンチの対象になったのも私の副産物的な仕事

水野:当時、藤井さんの言葉が流れているのを観て僕が、「あ、これだな」と思った、社会に向き合うときの“在り方”があって。今はとくにSNSにおいて、人々の発言パターンがふたつに分かれる気がしているんです。ひとつは、A派かB派か極端に行くパターン。「○派以外はダメ」と振り切ってとにかく大きな声を出す。もうひとつは、「どこにいても責められるから、何も言わない」というパターン。だけど、現実の多くは0か100かではなく、Aの要素もBの要素も持っている。
藤井:そうですね。
水野:「Aでもない、Bでもない」とグチグチ言ってしまうと、非常に弱虫のように、もしくは優柔不断のように思われてしまうかもしれないけれど。「Aの立場もある、Bの立場もある。だけど今、これをあいまいなまま語らなければいけない」というひとが、いちばん現実を見ていて、強いと思うんですよ。藤井さんの発している言葉は、まさにそういうギリギリのバランスを保っていらっしゃるように見えて。後輩として「すごいな」と感じておりました。

藤井:ありがとう。たまたま水野くんと同じ高校だったから、今回の対談も成立したと思うんだけど、きっとその高校時代も関係していて。僕の高校時代はまだ「多様性」という言葉もなかったんじゃないかな。でも当時から学校内では、多様性を受け入れる風土があったんですよね。それが私を育ててくれて、そのまままっすぐ進んだら、新型コロナウイルスに突き当たったという感じで。
水野:高校卒業からもう30年ぐらい経っていらっしゃいますけれど。
藤井:僕らの高校って、「誰かが責任を持って物事を進めないと、何も前に進まない」って、みんなどこかでわかっていたから。ひとりひとりがちゃんと責任を持ったと思うんですよ。それが心地よかったというのもあるし。
水野:はい、はい。
藤井:そして先ほどの発言パターンの話に戻ると、昔はみんな、自分の別人格を発揮する舞台なんてなかったんだと思うんですよ。それが今は、裏アカを作って、誰にも知られず存分に発言を楽しんでいるひとも多い。だから“隠れA派”みたいなものが増えていて。SNSで発散したら、日常では“B派”に戻ったりという場合も多分あったんだと思うんです。そうやってバランスをとる。そういう“隠れA派”の方が、コロナ禍で私のようなちょっと目立ったひとを攻撃したんじゃないかなという気はしますね。
水野:決して“隠れA派”の在り方がよいとは思わないのですが、そう考えると当時、アンチ的な怒りを藤井さんにぶつけることが救いになってしまっていたひともいるのかもしれませんね。
藤井:そうだと思います。私の言葉がダイレクトに伝わって、「藤井さんに共感します」というひとは、意外とネットに何も書かないんですよ。でも、アンチ的なみなさんにとって、「お前の正論なんて聞きたくないんだよ」という罵詈雑言を吐き出す対象になることができた。それは、私の副産物的な仕事であり、よかったなと思います。私に卵を投げつけられるだけのエネルギーが生まれたということですから。「お、元気でよかった!」と。

水野:そう思えるのはすごいことです。
藤井:ステイホームしていたから、みなさんエネルギーが有り余っていて。「藤井、ふざけんなよ!」って言いたいことを書いて、「スッキリした!」と感じられるのであれば、それでもうオッケーだなと。そう思えたのは多分、「アナウンサー人生が終わるかもしれないな」と思っていたから。最後のお仕事で、「どうぞお好きなように、私へ批判や罵詈雑言を投げつけてください」っていう開き直りも実はありましたね。
水野:そうだったのですね……。
藤井:あともうひとつ、あのときを語るうえで大事なことは、日本テレビという会社が守ってくれたこと。それは大きかったです。アンチのみなさんの批判を、安心して受け入れる状況を作ることができたのは、会社のおかげだなと思っています。
文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:谷本将典
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影場所:芝パークホテル
https://www.shibaparkhotel.com
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