対談Q 斎藤佑樹 株式会社斎藤佑樹 代表取締役・元プロ野球選手  後編

この幸せな野球人生を多くのひとたちに共有したい

野球を辞めようかなと思った瞬間もありました

水野:斎藤さんが、野球に興味を持ってくれる方を増やしたいという気持ちになったきっかけはありますか? たとえばYouTubeの動画では、栗山英樹監督とまさに「野球場づくり」のお話をされていましたよね。そういういろんな方との出会いからの影響なのでしょうか。

斎藤:いろいろ観ていただいてありがとうございます。最初にもお話したとおり、18歳の頃から良くも悪くもみなさんに注目していただいた分、多くのひとに出会えて。僕は野球人生が本当に楽しかったし、すごく幸せだったと胸を張って言えるんですよ。だからこそ、この幸せな野球人生を多くのひとたちに共有したいと思うんですよね。それが、場をつくることによって、ひととの交流が生まれるようなことがしたい理由の答えです。

水野:すごくポジティブ。眩しいです。元気が出ます。先ほども「みなさんに注目して“いただいた”」とおっしゃっていたじゃないですか。それもすごいなって。もし僕なら、投げ出してしまいたくなりそうだし、もっとネガティブな強い感情を抱いてしまうだろうけれど、斎藤さんはプラスの気持ちで。もちろんそのマインドになるまでには、僕らが想像もできない大変な思いもあったかもしれないけれど。今、斎藤さんの口から出てくるのがすべて肯定の言葉で。

斎藤:それも周りのひとに恵まれたからだと思います。水野さんがおっしゃるように、普通なら投げ出したくなると思うんですよ。だって甲子園から帰ってきて、ずっとパパラッチに追われていたんですよ。悪いこともしてないのに、息苦しさを感じて、もう野球を辞めようかなと思った瞬間もありました。でもそれ以上に、すごく素敵な仲間たちがいて、この先も一緒に野球をやりたいと思わせてくれた。

水野:なるほど、なるほど。

斎藤:だからこそ辞めなかったし、辞めなかったからこそ、楽しい瞬間や出会いがいっぱいあったんですよね。本当に仲間に感謝ですし、そういう仲間に対して今、「もう1回、何かつくりあげていこうぜ」という思いです。それこそ水野さんも辞めたくなった瞬間ってないですか?

水野:もうたくさんあります。

斎藤:どういう瞬間に?

水野:斎藤さんを前にすると小さなことかもしれませんが…。曲ができないこともあるし。いきものがかりというグループを多くの方に知っていただいたことによって、できあがったイメージにどう向き合っていくかみたいな葛藤もありますし。自分たちは年も老いていくし、家族もできて、価値観が変わっていくし、人生は動いていく。でもグループのイメージはあまり変化しない。そのバランスを取るのが難しい。

小田和正さんの言葉、栗山英樹監督の言葉

斎藤:そうですよね。変わらないでいることって難しいし、変わっていくなかで何かを生み出さなければいけない。野球選手とはまた違った苦労なんだろうなと思います。あと、僕は野球をやっていて思ったんですけど、進むべき道しるべを考えたとき、「誰を見本にしたらいいんだろう」とかもあるじゃないですか。

水野:はい、はい。

斎藤:僕の場合は、栗山監督という本当に素敵な方が人格者として、ずっと自分のそばにいてくださって。いろいろ教えてくれて、道筋を作ってくれたからこそ、迷わなかったんです。水野さんはいかがですか?

水野:浮かぶのは小田和正さんですね。小田さんはTBSの音楽番組『クリスマスの約束』をもう20年ほどやられていて。他のアーティストの曲を「いい曲ができたね」ってお互いに称え合えるような場を作りたいというコンセプトで、いろんなアーティストを呼んでコラボレーションしていて。僕もデビュー当時、その番組に呼んでいただき。さらにある時期からは、毎年呼んでもらって、近くにいさせていただく機会があったんですね。

そのときに気づいたのが、小田さんはずーっといい曲を作ることと戦っているということ。そして、ご自身にそんな意識はないかもしれないけれど、誰かを“励ましている”歌ばかりであること。そうやって葛藤も含んだ道のりを歩んでいらっしゃる小田さんの遠い背中を、僕は追いかけているところがありますね。

それこそ、いろいろ悩んでいた頃にも、小田さんからメールをいただいたことがあって。「今はとにかく、今の場所で自分のことを頑張りなさい。そうしたら、20年、30年経って振り返ったときに、“あのときの自分が決めたのはそういうことだったのか”って思うだけだから」って。それがすごく響いて、支えにしています。

斎藤:栗山監督がまさに同じようなことを言ってくれたことがありました。「今はツラいし、苦しいかもしれない。でもガムシャラになって、泥だらけになって、その姿を多くのひとに見せなさい。その責任が佑樹にはある」って。当時は、そんなの当たり前だし、自分は一生懸命やっていると思っていたんです。

でも、引退するとき、引退試合を開いてもらって、多くのひとに見送っていただいて。すごく幸せな野球人生だったなと思えたんですよ。そのとき栗山監督が、「これが佑樹が見せ続けてきた姿。ここまで頑張った。お疲れさま。これからも頑張れよ」と言ってくれて。こういうことだったのかと感じました。今の小田さんのお話を聞いても思いましたが、やっぱりすごいひとってそうやって言葉を残してくださるんですね。

歩き続けている姿が大事

水野:もちろん選手って、良い成績を残すとか、良いプレーをすることは大事で、そのために大変な努力をされていますよね。でも栗山監督がおっしゃるとおり、怪我などもされながら、とにかく頑張っていらした姿が、誰かを感動させる物語になっていたというか。だからこそ、あの引退試合があり、今の斎藤さんの場づくりを、みなさんが助けたくなる気持ちにも繋がっているのかなって。

斎藤:本当に選手は結果を残してなんぼの世界だと思います。でも、他の多くのプレイヤーの方々を見ていて思うのは、苦しくても頑張っている姿とか、言い訳しないで前に進もうとしている姿とか、わかってくれるひとはわかってくれるというか。深いところに刺さる。僕はそのことに、引退したあと気づきました。生きる上で必要なことだと感じたし、引退して3年弱が経った今でも思うんです。歩くことを止めないことが大事だって。

野球場づくりに対して、批判的な意見も多いんですよ。「つくってもしょうがない」とか。でも、その歩き続けている姿が大事だと思うんですよね。水野さんは先ほど「他者のことを考えている」とおっしゃってくださいましたけど、同時に自分自身と戦っている気持ちもあって。自分で決めた目標だから、途中でやめたらダサいし、絶対にやり遂げたい。だからこそエネルギーが湧いてくるし、そのために頑張っている気がします。

水野:僕にとっては、HIROBAも“場づくり”なんですよね。今、いろんなSNSがあって、言葉を発信するのは簡単だけど、すぐ喧嘩になっちゃうじゃないですか。正直、「こんなこと言ったら炎上しちゃうかな」ってみんなビクビクしている。だからこそ、誰もが気軽に話せて、互いに攻め合うことなく、「きみはそんなふうにかんがえているんだ」って言い合える場所を作りたいなって。曲に対しても、作ったひとだけが偉くなるんじゃなくて、“みんなのもの”という気持ちがあります。で、自分を主人公にするんじゃなく、“場”というふうに考えていて。

斎藤:へぇー!

水野:だけど“場”って、誰かが旗を振っていないと、ひとが集まってくれない気がするんですよ。斎藤さんはご自身も一生懸命に旗を振っているからこそ、みんなが集まってくる。ただ場があるだけじゃダメで、そこに斎藤さんのような楽しくてポジティブでアツいパワーを持っているひとがいるから、みんな「なんかおもしろそうだな」って思うのかなって。

斎藤:アーティストで水野さんのような考えの方っていますか? 僕も何人か知り合いがいてお話をするんですけど、すみません、言葉を選ばずに言うと、自分のことばかり考えているひとが多い気がするんですよ(笑)。

水野:いや、それも大事なんですよ(笑)! 僕はたまたまステージで歌うひとじゃなかったから。みんなの視線が吉岡にむかっている状態が普通。ステージとお客さんの“あいだ”にいるような人間。その立場がラッキーだった気がします。いろんな視点を持つことができたから。もしみんなが僕だけを見ているのが当たり前だったら、やっぱりどれだけ自分をカッコよく見せるかとか、もっと自分のことを考えていたと思うんだけど。

斎藤:そうか。たしかに先日、いきものがかりさんのライブに行かせていただいて、まさにそれは感じました。吉岡さんと(ゲストの)上白石萌音さんとの繋ぎ役をされていたり。

水野:総合司会みたいな。

斎藤:そう! しかも総合司会がめちゃくちゃおもしろい。そういうことなのか。すごく納得したなぁ。

水野:だからこそ、大きな注目を受けていた立場の斎藤さんが、いろんな視点を持っていることがすごいなと思うんです。きっと本当にたくさんの経験をされて、野球以外の世界のひとのことも考えられて、この場づくりに繋がったんだろうなと。

斎藤:だいぶ遡ってしまうんですけど、小学生の頃、「あれ何?」「これ何?」と母親に質問ばかりしていた時期があって。そうしたら母親が、「佑樹、知りたいことがいっぱいあると思うけど、お母さんはすべて答えを知っている。でもそれを佑樹に言っちゃったらおもしろくないでしょう。エジソンはね、知らないことがたくさんあって、自分で調べて勉強したから、あんなすごいひとになったんだよ。佑樹はエジソンみたいな素質を持っている。だからいっぱい自分で調べてごらん」って言われて。

水野:素晴らしいですね。

斎藤:そうやっておだてられて、「自分で知らないことを調べたらエジソンみたいになれるんだ!」って思えたんです。今思えば、上手だな、まんまとハメられたなと(笑)。でもだからこそ、好奇心が強かったし、それを自分で調べたし、いろんな話を聞いたんです。僕は母親の影響も大きいですね。

水野:ちょっと話が止まりませんが、このあたりでHIROBAは終わりにしましょう。このあとは斎藤佑樹さんのYouTubeチャンネルに出させていただきます。ありがとうございました!

斎藤:ありがとうございました! 

文・編集: 井出美緒、水野良樹
撮影:軍司拓実 谷本 将典
メイク:内藤歩
監修:HIROBA 
撮影場所:海老名運動公園
協力:株式会社 斎藤佑樹

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