対談Q 高橋久美子(作家・作詞家)第2回

違う人間同士だからこそおもしろいものを目指せる

言葉よりメロディーのほうが感情を呼び起こしてくれる

水野:作詞を依頼されたとき、どこから手をつける? 先にメロディーがある場合。

高橋:2パターンありますね。ひとつは、パズルみたいに言葉を入れていって、音で作る。もうひとつは、原稿用紙何枚分かの長い物語を書く。それはやっぱり後者のほうが難しいかな。歌詞って大体200~300文字くらいでしょう。そこにそのひとの人生をガッと入れるのは本当に難しい。でも、「ありがとう」のひと言に集約されることもあったりするから。いったん長い物語を書いたあと、構成していく感じです。

水野:その長い物語から、どうやって取捨選択をしながら、言葉をメロディーに変換していくの?

高橋:私は、言葉よりメロディーのほうが感情を呼び起こしてくれると思うんです。だから、「これだけメロディーが美しいのであれば、このワードひとつで十分だろう」とか、そういう感覚で作っていきますね。

水野:HIROBAで「48時間で一緒に曲を作ろう」という企画をしたとき、先に久美子ちゃんに歌詞を書いてもらって、それに僕が曲をつけたじゃないですか。で、曲がついたものを聴いてもらったら、「もっと言葉を削いでもいいかも。このメロディーがある程度は伝えているから」とおっしゃっていましたよね。

高橋:まさにそういうことですね。ああやって作曲家の方とディスカッションできるのがいちばん理想。

水野:ただ、お互いの感覚が合わないパターンもあるじゃないですか。それはそれで人間らしいと思うんですけど。「メロディーが説明しているから、ここに言葉はいらない」とか、そういう感覚を持っているか持っていないかで大きく違う。自分が正解だとも限らないし、難しい。

高橋:それぞれのやり方があるからね。どの方向を目指しているかによる。誰が歌うかでも変わるし。

水野:そうなんだよね。簡単な言い方になっちゃうけど、すべての要素が掛け合わされていく。どこかひとつ同じものを見ていて、同じ感覚を共有しながら、それぞれの役割を果たしていくとうまくいきやすいのかな。

高橋:違う人間同士だからこそおもしろいものを目指せるところもあるし。水野くんは作曲するとき、自分の詞のほうがやりやすい?

水野:いや、苦しい場面が多いかな。もちろんちょっとずつ自分にも変化はあるけれど。曲作りで向き合う自分は「自分という他者」であり、完全なる他者ではない。やっぱり自分は自分でしかないから、つまらないんですよね。それより、いただいた詞に曲を書いたり、自分とは違う価値観、違う皮膚感覚が表れたり、そういうほうにおもしろさを感じます。すべて自分で作りたいと思うことある?

高橋:あんまりない。いろんなひとと何かをしていることが多いんです。画家の白井ゆみ枝さんとタッグを組んで、「ヒトノユメ」展という展覧会をしていた時期もあるし。よく考えると、吹奏楽部にずっと入っていたり、バンドをやったり、自分ひとりでは成立しないことをやってきた。自分以外の脳みそに興味があるのかな。いつの間にか、ひとりではたどり着かないところに行っている気がします。

水野:僕はひとに興味を持てないところからスタートしたので、そこが久美子ちゃんとの違いだと思う。何の因果か、いきものがかりというグループが世に出て、結果的に他者と作らなきゃいけなくなった感覚が最初はあった。でも、それが教えてくれるものが多かったから、今はなるべくひとに会おうと、HIROBAをやったり。久美子ちゃんは最初から、誰かと繋がることでおもしろいものができる感覚があったということだよね。

高橋:そうだね。中学生の頃、吹奏楽部で30~40人のなかのひとりとして演奏したとき、いちばん最初の感動を覚えたかな。心がこんなに震えるんだなと。

文章のビート感とメロディー感

水野:そんな久美子ちゃんが、作詞まではまだわかるけれど、文芸という非常に孤独に見えるところに向かっていった。

高橋:本当にそう。流れとしか言いようがないよね。突き詰めていったら、そうなっていた。

水野:どちらもないといけないのかもしれないね。ひとりの作業と、ひとと繋がる時間。

高橋:そうね。吹奏楽をやりながらも、詩はずっと書いていたから、二つの川があったんだろうなとは思う。そこからひとつの川に。水野くんも小説を書いているけれど、音楽よりもさらに孤独な世界よね。正解がないし。

水野:物語を書いているとき、歌詞を書いているときとは感覚が違いますよね。

高橋:違う。真逆と言えるぐらい違う。

水野:何がいちばん違うのかな。

高橋:歌詞は、歌ってくれる方とか、そのファンの方とかを想像しながら書くんだと思う。「誰かのために」という感覚があるかもしれないね。でも本はもう、「書きたいから書く」ぐらいの気持ちじゃないとやってられない。

水野:小説を書いていて、女性のキャラクターが出てきて、明らかに僕と違う存在じゃないですか。異性だし。だけど、そこに自分を見る瞬間があったりする。ずっと自分。小説の場合、そこが色濃く出てしまいますよね。

高橋:本当にそう。どんなひとを書いたとしても、どこか自分の混沌とした部分の何かは出ているかな。水野くんは長文でもビート感みたいなものは意識して書く?

水野:僕の場合、ビート感ではなくメロディー感だと思う。わあって盛り上がっていきます、ここでシュッとカットアウトします、とかそういう感覚。

高橋:わかりやすく言うと、起承転結みたいな。私には小説だとしてもそれがないかもしれない。

水野:いやいや、それはリズムをキープするとか、グルーヴをキープするとか、ドラマーの持っている要素が個性として出ているんだと思うよ。自分はメロディーを作りたいという個性が出ちゃっている。それがお互いの違いなのかな。あとXにも書かせてもらったけど、『いい音がする文章』には時間的な楽しさがあった。読んでいて急にスピードアップしたり。

高橋:急にしっちゃかめっちゃかになったり。

水野:そうそう。16ビートでガーッ!って来ていたのが、8分の6拍子になった!みたいな。それを体感できる文章な気がして、繰り返しになっちゃうけど、「ドラマーなんだなぁ」って。

高橋:本では、いきものがかりの「じょいふる」についても少し書かせていただきました。ある日、スクランブル交差点を歩いていたら、聖恵ちゃんが踊り出すポッキーのCMが流れてきて。いろんな音がする街のなかで、<JOY>とか<HAPPYなピーポー>とか言葉がはじけ飛んでいたんだよね。「いきものがかりがこういう感じの曲って新しいチャレンジなのかな。おもしろい曲やなー!」って思った。あれはすごく印象深くて。

歌詞:https://www.uta-net.com/song/84248/

水野:それを音の分析的に書いてくれていたのが嬉しかったです。まさにそういう感じで作った曲だから。リズム感と気持ちよさ。あと、当時はバラードが何曲か続いていて、少しずつブレイクし始めていたタイミングでもあったんですね。でも、歌詞に意味を求められるのがイヤな時期ってあるじゃない。

高橋:あー、そういうことか。

水野:ちょっと尖っちゃうというか。メッセージとか言われるのがすごくイヤで。そうしたらポッキーのCMで、「踊れるナンセンスな感じがいいんですよね」というお話をいただいて。

高橋:そうなのよ。当時のいきものがかりの印象からすると、ナンセンスだった。だからこそビックリして、ビジョンにくぎ付けになったのを覚えています。そのあと分析的に聴いて、「水野くんさすがやな」って。まさに今日のテーマにピッタリじゃない? 「いい言葉が聴こえてくるメロディーとはなんだ」。

文章に自分の色を身につけて鳴らす

水野:やっぱり繰り返しになるけれど、体感を持ってないとダメだよね。チャットモンチーのときは、セッションをやっているときに歌詞を書いていたんですか?

高橋:ううん、詞先だから、ツアー中にバスのなかで書いたりしていた。物事がバーッと動いているときのほうが出てくるかな。忙しいときにこそ歌詞が出てこない?

水野:いや、歌詞は本当に出てこない。作詞家でいうと、阿久悠さんとかどうやっていたのかなと思う。自分でメロディーを作るひとじゃないけれど、あれほど歌詞を作り上げていて。たとえば「津軽海峡・冬景色」って曲先らしいんだよね。

「津軽海峡・冬景色」 歌詞:https://www.uta-net.com/song/3088/

高橋:そうなの? あれ、曲のザッバーンって感じがすごいよね。やっぱりもう音が語っているんじゃない? 

水野:あれこそメロディーから言葉が聴こえてくる。<こごえそうな鴎見つめ泣いていました>って完璧じゃないですか。

高橋:やっぱり作曲家目線としてもすごい?

水野:だって曲先でしょう。あれに詞をつけるって…。あのメロディーに作曲者自身が歌詞を書くならわかるんです。それならハマっていくのがわかる。でも、違う感覚を持った作詞家が渡されて、あそこまで音としてハマった歌詞を書けるなんて。それでいて音だけじゃなくて、物語ができていて。あれは完璧な歌詞だよ。

高橋:たしかに、いちばんいいところに<ああ>も持ってきているもんね。

水野:でも、あえて踏み込めば、それが“本当にいい歌詞か”どうかはわからない。技術の究極にある歌詞が、はたして“いい歌詞”かは、まだわからない。

高橋:そうだよね。

水野:いつか完璧なAIによって、計算され尽くした歌詞ができたとしても、何か踏み越えられないところがあるじゃないですか。そういうことにちょっとずつみんな気づきはじめていて。実は、そこに阿久さんの話も繋がると思うんです。阿久さんがおもしろいのは、こんなに完璧な歌詞を書いていたにも関わらず、世の中にすごく受け入れられた時期と、だんだん世の中の流れから離れていった時期、どちらもあるというところなんです。そこに僕は阿久さんの人間味だったり、阿久さんがいてくれたことによって、後進の僕らが気づける部分があって、とても惹かれる。

高橋:うんうん。

水野:『いい音がする文章』を読んで、参考にできることはたくさんある。でも、これを学べばいい音がする文章を書けるかといったらそうではなくて。やっぱり自分の音を見つけていかないと、ダメなんだろうなって。

高橋:本の最初のほうにも書いたんですけど。「LINEで長文を書くひとはダサイ」とか、「絵文字をたくさん入れるひとはダサイ」とか、あるテレビ番組でやっていて、おもしろくて観ていたんですよ。ただ、「これをやったらモテる」みたいなことを全部やったとしても、それはモテないぞ、と。

水野:わかりやすいね(笑)。

高橋:そのひとがちゃんと自分の色を身につけて鳴らしていたら、どんなにマニュアルから外れていても、カッコよかったりする。だから、自分で掴むことが大事なのかもね。

水野:それを繰り返して生きていかないといけない。もちろんすべてが上手くはいかないから、失敗を繰り返しながら。そうやって掴むものがあるんだろうね。

文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:軍司拓実
メイク:枝村香織
監修:HIROBA
撮影場所:HOTORI
http://hotori-coffee.com

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