自分の思う「甘さ」を適切に言語化することはできない。
辞書が“拾う意味”と“拾わない意味”の差
水野:「意味って何?」というお話に通じるのですが、僕は歌詞を書くとき“意味≒イメージ”であって、しっかり一致しているわけではなくて。
飯間:辞書の“意味”に収まらないイメージもあるということですね。
水野:歌詞に「甘い」という言葉を使ったとき、それは味覚の甘さを意味するのか、輪郭の柔らかさを意味するのか、状況の曖昧さを意味するのか、いくつもの“意味”が派生していくじゃないですか。だけど「甘い」という言葉だけで、ちょっと緩やかでありそうな“こと”をイメージするというか。意味が派生する前の“根源の感覚”みたいなものがある気がしていて。歌詞を書く上では、その“根源の感覚”のほうへ寄っていこうと思うんです。
飯間:なるほど、“根源の感覚”。
水野:そして歌の場合、多くの方が聴くので、僕と違う価値観を持っている方、まったく世の中を捉える目や耳の感覚が違う方が聴いても、なんとなく同じような感覚になっていただかないといけない宿命がある。だから「甘い」という言葉に、世の中は今どういうイメージを抱くのかということを常に意識しないといけないんですね。
飯間:相手が抱くイメージのことまで考えるわけですね。
水野:はい。「おそらく不特定多数の多くの方がこんなイメージをするだろう」と想像しながら書く。だから、派生する複数の意味から、今の世の中にとってはどの意味がいちばん人気か、わかりやすく捉えてもらえるか、意識するんですよ。
飯間:大変な作業…。
水野:そして、辞書で「甘い」を引いてみると、僕が思っているいくつかの意味がそこに書かれている。だけど、まだ僕が言葉にできていない意味や、気づけていないような違う意味もある気がしていて。飯間さんが辞書を書かれる上で、ひとつの言葉を目の前にしたとき、辞書に“拾う意味”と“拾わない意味”の差は何なのかなと。
飯間:辞書が“拾わない意味”というのはどんなものかと言うと、要するに“よくわからない意味”なんです。辞書では、たとえば、ケーキが「甘い」という意味はもちろん拾います。「子どもに甘い親」の「甘い」も拾います。ところが、歌の言葉に「夜風が甘い」とあったとして、その「甘い」はいろいろ解釈できそうですね。
水野:はい。
飯間:つまり、「夜風が甘い」の「甘い」はよくわからない。そういう、いろいろな解釈を許す使い方というのはいくらでもあって、それは辞書がカバーしきれない部分です。ところで、実は私も「甘い」という言葉については、辞書を作る上で悩んでいるんです。
水野:ああ、そうなんですか。
「おばあちゃんちの匂い」をひとに伝えられない
飯間:それは、味の違いを細かく表す言葉がない、という悩みです。たとえば、りんごを「甘くて酸っぱい」と説明するとしますね。では、いちごはどうかというと、やっぱり「甘くて酸っぱい」になるんです。ぶどうもみかんも「甘くて酸っぱい」。はたして、これで説明になるだろうか。もっとフルーツの味の違いを書き分けたいな、と考えたんです。
水野:はい、はい。
飯間:表現を工夫して、「ああ、りんごってそういう味だよね」って読者にわかってほしい。イメージは頭のなかにあるんですよ。「りんごってあの甘さだよね」って。だけどその言葉がない。そこで私、新聞社の方と一緒に、ある香水の研究所に行って、「匂いをどう表現しますか?」という取材をしたんです。
水野:すごい。
飯間:香水の専門家の方が、「この香水は~な匂いですよ」と言っていれば、その「~な匂い」をそのまま辞書に取り入れられるんじゃないか。そこで、「いちごはどういう匂いですか?」と尋ねてみた。すると、まず「みずみずしいです」と。そして「エステル類の匂いがします」って言うんですね。でも「エステル類の匂い」ってちょっと…。
水野:イメージつかないですね。
飯間:さらに、「りんごの青っぽいまでいかないがグリーン要素がある」と言われまして。そういえば、いちごって。
水野:ちょっと青臭さというか。
飯間:ええ。草のような甘酸っぱさがあるのはわかりました。ただ、残念ながら、辞書に「いちごの匂いにはグリーン要素がある」と書いても伝わらない。いろいろ取材はしましたが結局、自分の思う味や匂いを的確に言語化することは難しい。触覚などと合わせて工夫するしかないんだな、と諦めました。ここが言葉の限界なんです。もうひとつ、これと似た話をしますと、私は「おばあちゃんちの匂い」をひとに伝えることができないんです。
水野:ああー。
飯間:私が小さい頃は、埼玉に住んでいたおばあちゃんちによく行っていました。すると、埼玉のおばあちゃんちの匂いがするんですよ。実家の匂いとは違う。だけど、ひとに伝えるときに、「埼玉のおばあちゃんちに行ったら、~な匂いがするんです」って言えない。
水野:ご自身の頭のなかでは確実にそのイメージが固定されているんですよね。
飯間:匂いが目に浮かぶと言ったら変ですが、嗅覚的な印象として、確かに「あのおばあちゃんちの匂い」っていうイメージがある。でもそれを言語化できないんですよ。
水野:それは音楽でも同じですね。たとえばボーカリストに対しても、「個性的な声」とか「唯一無二の声」とか「圧倒的な歌唱力」とか「すごい声量」とか、そういう逃げの表現をするんですよ。彼・彼女にしかない声を言い表すことはなかなかできない。でも、「槇原敬之さんの声をイメージして」と言ったら、みんな多分できると思うんですね。
飯間:はい。もう聴こえてくるような気がします。
水野:有名なシンガーの方って、「そのひとだ」ってわかる個性があるんだけど、それを言語化するのは難しい。
外の世界に行くと言葉は通じない
水野:一方で、少し話が逸れるんですけど、レコーディングの現場で音を表現する言葉って実はたくさんあって。たとえば、「もうちょっとギターの音をかたくしてもらえない?」とか言うんですよ。これは、高音のところをちょっと強調して、鋭角的にするというイメージの言葉なんですけれど。
飯間:それで伝わるんですね。
水野:他にも「もっとベースの低域が、ふくよかな感じになるといいんだよね」とか、日常的にミュージシャン同士で使う言葉があるんですね。客観的になってみると「音がかたいって何?」「音がふくよかって何?」と思うんですけど。言葉の曖昧さがあるからこそ、特定の集団のなかでは共通理解ができる、繋がり合えることもあるのかなって。
飯間:たしかに、共通の経験さえ持っていれば、言葉が伝わるところがありますね。先ほどの「おばあちゃんちの匂い」にしても、私と一緒におばあちゃんちに行ったことがあるひとならばわかる。体験が共通しているから。ミュージシャンのみなさんも、おそらくその「かたい音」「ふくよかな音」の実例をそこで知ることができるので、共通の言語を持つことができる。
水野:はい。
飯間:狭い範囲では共通の言語が持てるけれど、でも、不幸なことにというか、残念なことにというか、外の世界に行くとまるで通じなくなってしまう。そこが言葉の悲しいところですよね。
水野:僕らのような人間が思っている以上に、言葉ってすれ違いがあるものなのかもしれないですね。
文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:谷本将典
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影場所:本屋 B&B
https://bookandbeer.com
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