いい言葉が聴こえてくるメロディーとはなんだ
「喋らない」という表現

水野:久美子ちゃんが今年、『いい音がする文章』という本を出版されて。読ませていただきました。HIROBAでのやり取りも少し取り上げてくださったり。そこで今回の対談Qでは本のタイトルとは逆に、「いい言葉が聴こえてくるメロディーとはなんだ」というテーマで、お話をしていけたらなと思っています。
高橋:はい、よろしくお願いします。

高橋久美子(たかはしくみこ)
1982年、愛媛県生まれ。作家・作詞家・詩人・農家。ロックバンド“チャットモンチー”のドラマー兼作詞担当を経て、2012年より本格的に文筆活動を開始。多彩な創作活動を続ける。一年の半分を愛媛の実家で農家として過ごしている。著書に小説集『ぐるり』、エッセイ集『一生のお願い』(共に筑摩書房)、農業ノンフィクション『わたしの農継ぎ』、『その農地、私が買います』(共にミシマ社)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)、絵本『あしたがきらいなうさぎ』(マイクロマガジン社)などがある。アーティストへの歌詞提供も。翻訳を担当した『おかあさんはね』(マイクロマガジン社)で第9回ようちえん絵本大賞を受賞。2025年1月に『いい音がする文章』(ダイヤモンド社)を発売。
『いい音がする文章』

https://www.diamond.co.jp/book/9784478117620.html
水野:まず、こういう視点で文章について書いてみようと思ったきっかけは?
高橋:ダイヤモンド社の編集者・今野良介さんが、「こういう視点で本を書いてくれませんか」と声をかけてくださったんです。「そうか、言葉と音、私はどちらもやってきたんだな。おもしろそう」と思って。それから3年ぐらいかけて書いていきました。
水野:3年!
高橋:参考文献としていろいろ読んで調べたり。日本の音楽や日本語のルーツを遡ったり。街を歩いていても、気になるところがたくさん出て。締め切りがあったから書き切ったけれど、リミットがなかったら、まだまだ街のなかで気になり続けていると思う(笑)。
水野:普段、メロディーに対して詞を書いている僕らにとって、「当たり前」と思ってしまうことってあるじゃないですか。言葉にはイントネーションがあって、そこにメロディーがハマっていないといけないとか。文章には、抑揚やリズムや気持ちいいテンポ感があって、それが詞を書く上で大事なポイントであるとか。言語化しないまでも体感している。だからこそ、改めて本に書くことって難しいと思うんですよ。
高橋:まさにそうなんですよ。「当たり前」と思いすぎている。だから今野さんに何回も、「こんなこと書いておもしろいですか? 大丈夫ですか?」と言っていて。これを今さら書く必要があるのか、とも思ったし。でも、「いや、めちゃくちゃおもしろいですよ」と言ってくれるから、今野さんを指標に書いていたところはある。
水野:しかも歌や文芸作品だけではなくて。LINEとか会話のやり取りについても書かれていて。「お互いの音が合ってないんじゃない?」というズレが生まれると、コミュニケーションがギクシャクする、みたいな話まで広がっていて。
高橋:目がひらかれた状態、耳がひらかれた状態で会話をすると、「私は今、水野くんの喋っている言葉だけじゃなくて、表情とか間合いとか、そういうところから30~40%くらいは受け取っているな」と気づいたんですよね。すべてを含め、音としての言語である。とくに日本人は、空気を読む文化だから。
水野:それが日本人の強みでもあるし、日本語を発展させてきた要因でもある気がします。英語はもう少し直接的じゃないですか。でも日本語は、ひとつのものを表す言葉のグラデーションがたくさんある。
高橋:英語の何倍もあると思う。それなのに、「喋らない」という場合もあるでしょ。はっきり言わず「空気で察せよ」みたいなね。言葉数がそんなに多くないのも日本人の特徴ですよね。
水野:あえて書かない、言わない、というのも実は表現で。それは文章でいうと行間。音楽でいうと無音。そういう部分って、まさにドラムと近いんじゃないかなとも思いました。メロディーとは違って、リズムには必ず点と線が途絶える瞬間がある。途絶えることの素晴らしさがあるじゃない。ドラム的な感覚を、頭だけじゃなく体感で持っていた久美子ちゃんだからこそ、いろんな気づきがあったのかなって。
ドラムと作詞の思考回路は似ている

高橋:バンド時代、ドラムと作詞の両方をやっていたのは理にかなった行為だったんだなって。「ドラムなのに歌詞を書くのは珍しいですね」と言われることも多かったんだけど、そんなことなくて。私は当時から、いちばん音として近いんじゃないかなと思っていました。物事を言葉で表すか、リズムで表すかの違い。思考回路は似ている気がする。
水野:曲先だったら、詞を書くときに何を意識して書いている? たとえば、「ドラムのフレーズを、言葉のイントネーションで表す」とか、すごくビックリして。そんな作り方があるんだ!って。
高橋:もちろんずっと8ビート、16ビートで叩き続けるのも“語り”であって。ただ、私はもう少し言語に乗っている意味に反したり、合わせたりしていたね。おもしろくて。それはもういたずら心に近いんだけど。
水野:そうなんだ。
高橋:あと今、曲先で作詞するというとき、「編曲はまだなんです」という場合が多いのよ。メロディーラインだけがくる。でも、メロディー以上にビートによって、かなり言葉の乗り方が変わるなと思う。逆に、詞を先に書かせてもらって、そこから作曲となると、私は最初にりんごとみかんを育てているようなものじゃない。
水野:それがどう料理されるか。
高橋:うん。作曲家の方が「どうぞ」って出してきてくれたとき、「おお、アップルパイが来たわ」とか、「こっちはムースにしたか」とか、いろいろ驚きがある。
ピンチこそ楽しめる

高橋:水野くんは、作曲だけのときと、自分が作詞作曲するときで、まったく感覚が違う?
水野:びっくりするぐらい違うかな。
高橋:それは作詞した方に、気を遣ってしまうとか?
水野:いや、創作に関係ない気遣いはあまりない。だけど、「こういうイントネーションなんだろうな」とは想像する。あと、いただいた言葉に対して、「言葉がすでにメロディーを持っている」と考えるんですよね。
高橋:なるほど。言葉がすでにメロディーを持っている。
水野:ある程度、「こっちに行きたい」というメロディーのベクトルを持っている気がして。主役になりたそうな言葉もあったりするじゃない。「これはサビだな」とか。すると、歌詞に呼ばれてメロディーがくっついていく。不思議な感覚なんだけど。
高橋:それを裏切ってやろうとかもあるの?

水野:手法としてはあるだろうけど、歌詞がある場合はあまり裏切らないほうがいいかなと思いますね。HIROBAで皆川博子さんに詞を書いてもらったことがあって。それはいわゆるポップスの歌詞ではなかったので、「これはどうやってメロディーをつけたらいいんだろう」と最初は面食らってしまったんです。だけど、歌い始めたら、最後までバーッて曲ができた。言葉に呼ばれて。
高橋:へぇー!
水野:そして、自分で作詞作曲する場合は、メロディーに言葉を当てはめていく。逆にメロディーがすでに言葉を持っているんです。
高橋:メロディーが先なんですね。
水野:そういうとき、意味としては何もおかしくない、歌えなくもない、表現としてもいい、だけど“音が合っていない”という瞬間がありますね。
高橋:地に足がつかないような感覚ね。
水野:久美子ちゃんは、どう取り組んでいいかわからないものとか、あったりする?
高橋:あるけど、そういうもののほうが、やってみたら実はのめり込むくらいおもしろいときもある。本当に「わからない」ってときは、正直にディレクターさんとかに相談するし。ピンチこそ楽しめるところはあるかもしれないね。
文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:軍司拓実
メイク:枝村香織
監修:HIROBA
撮影場所:HOTORI
http://hotori-coffee.com
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