群像劇のなかで何かが生まれていく。
― 水野さんは今、いきものがかりというグループと、ご自身が主宰されているHIROBAと、いくつかの顔がありながらご活躍されています。ものづくりに取り組むとき、それぞれの場で作り方は変わってくるのでしょうか。
水野:HIROBAを始めたときは、いきものがかりとまったく違うやり方になるんじゃないかと思っていましたが、よくよく考えたら同じでしたね。いきものがかりでは僕が作って、吉岡が歌う。吉岡は、社交性の塊みたいな明るい眩しい子で、僕とは性別も考えていることも違う。そのひとが僕の言葉を歌ってくれることで、客観性が生まれているんだと思います。曲に紐づいている、僕という人間の属性が外されていくというか。
一方で吉岡も、僕の作った曲を歌うときは、自分の言葉じゃないものを自分のものとして歌うことで客観性が生まれていて。お互いに曲との適度な距離ができて、普遍的な創作物に近づいていく。それがいきものがかりで行われていることなのですが、HIROBAも結局は対話する相手が違うだけだなと感じます。
たとえば、小説家の方、俳優さん、同世代のミュージシャン、それぞれのひととの関係のなかで作られていく。変わるのは“相手に預ける部分”です。『OTOGIBANASHI』という企画では、小説家のみなさんに歌詞を書いていただいて。となると、まず相手の言葉を待つ状態になり、かなりの部分を預けているんです。地図を書いていただいて、その地図を僕が辿っていくというか。そこで違う関係と違う創作が生まれていきます。
また、普段は歌い慣れていない方に歌唱をお願いしました。たとえば俳優の柄本佑さん。彼は語るように、何か物語を朗読するように歌われるんですね。そのひとの持っているものによって、僕自身も変わる。誰が主軸になるわけでもなく、群像劇のなかで何かが生まれていくという構造は、いきものがかりもHIROBAもあまり変わらないのかなと思います。
― HIROBAは作られた当初からそういうイメージをしていたわけではなく、活動されていくなかでそうなっていったのですね。
水野:はい。これが「いきものがかりの水野がソロ活動を始めたぞ」的な感じになると、僕が主格になり、ヒエラルキーの上に立たされ、「水野は何がしたいの?」という話になってしまう。それがイヤでHIROBAにしたんです。すると、対等というか、「同じ場所に立って一緒に作ろう」というスタンスをわかっていただけることが多いかもしれません。
― 野呂先生は「ともに作る」という面で、何か感じられる部分はあったりしますでしょうか。
野呂:私はねぇ…ひとりが大好きなんですよね。水野さんっていかがですか?
水野:めちゃくちゃひとりが好きです(笑)。
野呂:同じ(笑)。飲み会とか苦手で、ひとりで映画を観ながらお酒を飲む、とかが好きなんです。研究も然りで、人文学の研究者というのは、ひとりこつこつ何千年前の資料を読む世界で。すごく孤独ですけど、私はそれが大好きです。ただ、その作業は自分が読んでいるようでいて、何千年前の誰かと対話をしている、ということにもなるのかなと思います。
「疎外されないこと」を実現するために。
― ちなみに僕はHIROBAと聞いたとき、自由度を感じる言葉だなと思ったんですね。最近「コミュニティー」という言葉を聞くことが多く、それは“ひとが集まる場所”みたいなものですが。HIROBAは、そういうものよりもうちょっと風通しがいいというか。みんなが同じ方向を見ないといけないわけではないというか。
水野:まさに「コミュニティー」にしたくない、誰かを囲いたくない、というところをすごく考えました。集団になると、また違う集団との分断に繋がったりする。枠を作ると、内側のひとと外側のひととでやはり分断が生まれる。だからすぐに入ってこられて、すぐに出ていけるような“場”を想定したんです。誰かを拒むわけではない、緩い境界というか。
その場に入ったら、なんとなく言葉を整えるとか。乱暴なことをするひとはいないとか。ちょっとずつみんなの意識によって、そこにおける空気というか、安全性や統一性が保たれていく。そういうイメージができるのが、このHIROBAというタイトルかなと思いましたね。
― そこにこだわりたくなった経緯はあったのでしょうか。
水野:根幹に「とにかく自分自身が疎外されたくない」という気持ちがあるんだと思います。高校時代、音楽に触れて、思春期なので夢中になるじゃないですか。そういう時期に、なんとなく自分の好きな音楽を「好き」と言うこともスクールカースト的に難しかったというか。「イケているあの連中しか、あの曲を聴けない」みたいな感じ、よくありますよね。
野呂:あります、ありますね。
水野:「お前は何でも持っているだろ」とか「勉強できるだろ」とか、マジョリティー側に追いやられ。優等生的であることをバカにされ。茶化すのに都合のいいという意味での、虚構の“マジョリティー”に嵌め込まれる。でも現実の自分はマジョリティーにいないということを何度も経験してきて。ずっと「疎外されているなぁ」と感じていたんです。だから「疎外されないものを作りたい」と思ったんですよね。
とくに10代だったので、「こんな世の中をぶっ壊してやろう」みたいな反体制の気持ちも当時はありましたし。さらに突き抜けて、「俺を嫌っているやつも夢中になってしまう曲を作ってやろう」と思っていました。そういうふうにポップスの方向へ向かっていって、「疎外されないこと」を実現するためにはどうすればいい?ということをずっと考えた結果がHIROBAなのかなと思います。
野呂:私は水野さんの書かれた本も読ませていただいて。そのなかで「お!」と思ったのは、「はぐれたもの」とか「眩しい太陽というのは影を作るんだ」とか、そういう表現をされていたことなんですね。いきものがかりの歌の印象って一見、そういう「疎外されたもの」はあまり出てこないように思っていたのですが。実はよく聴いてみると、そうじゃないんだなと感じたんです。まさに「疎外されたものへの目線」があるというか。
水野:本当に疎外されているひとのことはわかってはいないと思います。ただ、100%実現することはできないかもしれないけれど、そこへの目線や意識を失いたくないなという気持ちが強くありますね。
「奪われないもの」をどう活かしていくか。
― 「今の時代」はどのように捉えて活動されていますか?
水野:他人の言葉がとても見えやすい時代になりましたよね。「多様化したよね」と言えるということは、多様化したことを把握できるようなSNSの状態がある、ということでしょうし。みなさんもX(旧Twitter)を見ていると、意見の違うひとが目に入るでしょう? 逆に、自分の意見と近いひとがタコツボ化して見えたりもすると思うんですけど。
そういうなかで、自分の言葉や感動を守るのが難しくなっているなと感じます。たとえば炎上した、とかで簡単に「自分が感動した」という事実を捨ててしまう。まわりの反応に合わせてしまう。あと「AかBか」という問題があったとき、自分は絶対的にA側だとしても、そう言ったら攻撃を受けるから、「AもBもありますよね」って言っておこう、とか。
これは今の時代、僕も含めみんな陥りやすいところだなと。自分の言葉、自分の感動、自分の物語、自分の人生をどう築いていくかということは、難しい課題になっていますよね。それにAIも出てきて、もう何でもできちゃうでしょう。「いきものがかりの水野っぽい曲を」って言ったら、いくらでも精度の高いものは出てくると思うんです。
ただ、そこに対して僕は不思議と楽観的で。それは、「僕自身が作るという行為を楽しむ感動」は、誰にも奪われないから。それはみなさんも同じです。みなさんの感情や感動は奪われない。その「奪われないもの」をどう活かしていくか、が大事なんじゃないかなと。だからこそ、僕はいつも曲で、「あなたが主人公なんですよ」ということを書いているんですよね。
― 最近は「考察」というものの気持ちよさもありますよね。あと、作品を観る前にSNSで先にレビューを読んだり。その本質をすぐに知りたいというか。それは今のお話でいう「感動」をないがしろにしている面もあって、もったいない気もするのですが…。そのあたり、作り手として水野さんはいかがですか?
水野:僕の家にCDの棚があるんですよ。壁一面にCD。あれは息子が2~3歳のときだったと思うんですけれど。幼い息子がある日、「この壁は箱の集まりなんだ」と気づいた瞬間があったんですね。手に取ってみたら、色がついている。壁だと思ってたら、ぜんぶおもちゃだったみたいな。それはもう楽しくて仕方ないわけですよ。きゃっきゃ言いながらどんどんCDケースを取り出して、そこらへんにばらまいて。その姿を見たとき、「ああ、感動って大事だな」と思いました。
僕はもう“CDケース”だと思ってしまっているわけじゃないですか。妻も「片づけてよ…」みたいな(笑)。でも息子には、CDケースという既成概念はなくて“色のついたガラスの楽しいもの”なんですよね。そういう「自分の感動」はやっぱりすごく大事だなと。どうしてもSNSの分析とか考察に僕も影響されてしまうけれど。誰が何を言おうと、「今、自分にとってこれはとても大事だ」という感覚は尊重したいなと強く思いますね。
― 最後に、「煩悩とクリエイティビティ」という言葉に対して改めて思われること、メッセージがありましたらお伺いできればと思います。
水野:先ほどの話と重なりますが、自分の物語を大事にすることがいちばんだなと思います。僕もすぐ他者の目が気になってしまうし、どうせなら「いいひと」と言われて死にたいと思うんですけれど。そうやって思ってしまうがゆえに、自分の感動を簡単に捨て去らないようにしたいなと。それが創造において、実は大事なことだと感じております。
野呂:私も水野さんに近いのですが、最近は「それでも生きる」という言葉をずっと考えています。よく「仏教を勉強していると、煩悩から離れられるんじゃないですか?」と言われますが、まったく離れられないんですよね。誰かを妬んだり、羨ましく思ったりしてしまう。それは結局、自分を傷つけていくし、ひとに傷つけられることも多くなるし、すごく生きづらい世界だと思うんです。
でも、あまり絶望せずに「それでも生きる」にはどうしたらいいんだろうかと。そのためには、最初にお話したように「善」か「悪」とか「生」か「死」かとか、切り分けてしまう考え方をやめよう、と。もしよかったら、みなさんもそう生きてほしいです。どちらかを選ぶのではなく、中途半端だとしても、煩悩とともに生きる。…というとカッコよすぎる言い方かもしれませんが。どうしようもなさと生きていく。そういうことが大事かなと思います。
龍谷大校友会「煩悩とクリエイティビティ」第8回
司会:田中友悟
登壇:野呂靖(龍谷大学心理学部准教授)
登壇:水野良樹
文・編集: 井出美緒 水野良樹
メイク:内藤歩
協力:龍谷大校友会
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