弱くなっている自分を
受け入れてどうしていくか
「負けるんだよな、今の俺は」って。
渡辺:オリンピックのテーマソング(ロンドン2012 NHK放送テーマソング)とかって、依頼が来た瞬間どういう気持ちになるんですか?
「風が吹いている」/いきものがかり ロンドン2012 NHK放送テーマソング
歌詞 https://www.uta-net.com/song/131062/
水野:いやぁ…プレッシャーですね。僕は当時29歳とかだったんですけど。この勝負、人生で1回だなって。オリンピックの曲って時代そのものを歌うことになるような、デカいテーマなんですよ。しかも当時は、世の中の注目も僕らにまだ集まっていた時期で。単純に売れていたというか。いちばんいいところの、いちばんいい試合の、いちばんいいバッターボックスに立てる瞬間だった。
渡辺:そうですよね。
水野:しかも、まだ若くて落ちていく段階にないから、フルパワーで戦う覚悟で。なにも言い訳ができない。「これ、空振り三振しちゃったらどうしよう」「空振りだったらまだいいけど、見逃し三振しちゃったらどうしよう」みたいな。極限まで追い込まれて作った記憶があります。
渡辺:それはどれぐらいの期間で作るものなんですか?
水野:あれは1週間とか。
渡辺:え、1週間!? イメージ、1ヶ月とかなんですけど…。
水野:1週間くらいでしたね。最初の5日間ほど作業部屋にこもって、もうずーっと歌いながら作り続けて。最後は、絶叫したようなデモをスタッフとメンバーに聴かせて、という感じでしたね。
渡辺:想像を絶する世界ですね。オリンピックなんて、日本で何千万人観るかわからないですもんね。
水野:でもタイトル戦もそうじゃないですか。しかも、歴史に残る。「ここであと一手、勝てればタイトルが取れる」みたいなとき、プレッシャーはないんですか?
渡辺:それは今でもあります。「この一手でこの一局が」とか、「ここが最後の山場で、乗り切れば勝ちだな」ってところのプレッシャーは何歳になってもあるんだと思います。あと僕、4月で40歳になるんですけど、39歳のシーズンって、「こんな将棋、今までだったら負けるはずなかったよな」って思った瞬間が今まででいちばん多かったんです。でも変な話、それにも慣れてきちゃって。「負けるんだよな、今の俺は」って(笑)。
水野:今後、ご自身の棋士像としてはどういうふうになっていきたいですか?
渡辺:テーマとしては、「弱くなっている自分を受け入れたうえで、どうしていくか」ですね。タイトルもなくなっちゃったんですけど、「藤井聡太くんみたいな存在が出てきたから取られたよね」って見方をしているひとも多くて。だけどそうじゃなくて、「あぁ、もう自分がこんなに弱くなっちゃっているんだ」ってことを実感した1年だったというか。ちょうど40歳という節目でもあるし、考え方を変えるにはいい機会だなとも思っています。
水野:すごい話です…。
休むという。
水野:それは、いちファンとして見ている側からしてはたまらないというか。天才の歩む道として、なんて過酷でドラマティックなんだろうって。史上4人目の中学生棋士という天才としてスタートしたひとが、勝ち上がっていって、不調も乗り超えて、さらに自分の肉体的な衰えにも向き合い始めて、AIという新しい革命にも向き合って…。
渡辺:そう考えると棋士には、自分を客観的に見る能力に長けているひとが多いかもしれないですね。羽生さんなんかも多分そうだと思います。僕より14歳上だから、もうとっくに僕の今の悩みなんか通り過ぎているでしょうし。そのたびにご自身でいろいろ変えてきたから、今の羽生さんがこれだけ活躍できているんだろうなって。監督やコーチがいるわけでもないし。結局、そういうひとが息が長く活動するんだと思いますね。
水野:最後の最後までご自身で考えて、ご自身で判断していくという。
渡辺:そういうことって30代半ばくらいまではみんなあまり考えないんですよ。普通にやっていれば強いから。年齢を重ねるにつれて、「若いときほど勝てなくなってきたな。じゃあ、どうやり方を変えていこうか」って考える。将棋は本当にいろんなアプローチがあるので、自分で判断してやっていく。その繰り返しですよね。でも、今までとやり方を変えるとして、1年間で50試合ぐらいしかないのでちょっとデータとしては弱い。
水野:なるほど。
渡辺:2~3ヶ月おきに変えていたらダメだし、最低1年ぐらいはそのやり方を続けないとジャッジができない。とはいえ、その1年間をお試し台みたいに使っていいのかと言われたら…。
水野:できないですよねぇ。
渡辺:まぁ、ある程度は自分の今の技量があるので、お試し台みたいなことをやってもそこそこの将棋は指せるんですよ。そこそこ指せた上でお試しもやっていかないと進まないんですよね。結局それがイヤだからってずっと同じ戦法でやっているひともいるんですけど、そのひとが違う戦法をやってみた未来はわからないじゃないですか。だから1年でもいいから、やっておく作業は必要なのかなって。
水野:僕も最近よくこれを言っているんですけど、3年ぐらい引退したい。勉強したい。1回リセットしないと。
渡辺:そうするとどうなります?
水野:多分、選択肢が増えると思うんですよね。フレーズの選び方にしても。あと、今お仕事をいただいているものって、過去の僕を見た上で、「じゃあ水野に書かせてみよう」っていうものじゃないですか。だから過去を引きずった上でやらないといけなくて。新しいことをしようとしても、「それは別に要らないよ」ってなっちゃう。
渡辺:でも3年ぐらい休んだとして、それでも世間の需要があるんだったら、休むという選択も全然ありだと思います。
水野:いや、需要はなくなると思います。代わりは膨大にいるし、日々、シーンは変化しているので。だから「引退」になっちゃうんですけど…。もし1年間、試合に出ずに研究期間を与えられるとしたらどうですか?
渡辺:多分変わらないですね。結局、対局に向けた研究をしているので。1年間休んでいいんだったら、むしろ休みたいです。1年は言い過ぎかもしれないですけど、半年くらい。そのほうがモチベーションは戻るというか。
水野:もっとフレッシュな状態に。
渡辺:でも制度上、不戦敗になっちゃって無理なので。たとえば2024年6月から休もうとしたら、もう今ぐらいの時期からトーナメントの抽選を、「ここは出ません。ここも出ません」ってあらかじめ言わないと。まぁそれも悪くないかなと思っています。やっぱり今の研究する密度や時間が長すぎるので、かなり疲弊度があって。
水野:はい、はい。
渡辺:今、60歳過ぎて元気に活躍されている先生方もいらっしゃいますし、もし60歳、70歳まで将棋をやるんだとしたら、別に今、半年ぐらい1回休んでもいいじゃんって。低空飛行みたいなモチベーションは良くないじゃないですか。ずーっと日々に追われて。そういう意味では、半年ぐらい休んで、リフレッシュされてモチベーションも上がるならいいかなと思っていますね。
それを見て何か思ってくれるひとがいるから。
水野:いやぁ…改めて厳しい世界だなと。
渡辺:こういう「努力と才能」みたいなテーマって終わりがないですよね。「努力」の定義も難しいというか。僕は競馬ファンなので、どうしても血統論みたいな感じで考えちゃうんですけど。競馬ってご覧になります?
水野:いや、あまりわからないです。
渡辺:競走馬にも性格があって。それがレースの成績に良くも悪くも出るんですね。競争心が高い馬が良いケースもあれば、全然ダメになっちゃうケースもある。でも基本、遺伝なんです。種馬の。そう考えると人間も、「そのひとが努力できるか」ってある程度は親から受け継いだ性質なんじゃないかって僕は考えちゃうんですよ。結局、努力も才能を含んでいる。そこが難しいなと思って。
水野:はい。
渡辺:でも人間は競走馬と違って、自分で選択できるから。「この曲に影響されて、生まれ変わったんです」みたいなひともいっぱいいるじゃないですか。将棋でも、「この対局に感動して勉強する気になりました」とかあって。そういうところに存在意義があるのかなって。表現者の方もそうだし、僕たちもそうだし。自分自身の仕事としてとは別に、きっとそれを見て何か思ってくれるひとがいるから。
水野:まさに僕自身そうですから。渡辺さんがこの過酷な勝負を続けていて、しかも勝ち続けて、さらに様々なドラマがあるなかを生きてらっしゃるのが、同世代としてめちゃくちゃ励ましになるんですよ。いろんな世代に挟まれているところも含めて。多分、アラフォーになると、それぞれの分野で多くのひとが「今までのままでいいのかな?」って考えたり、何かしらの衰えを感じたりすると思いますし。
渡辺:水野さんも僕がさっき言った、「こんなの今までだったら楽勝だったのに…」という現実を受け入れて、次に進むみたいなタイミングはありましたか?
水野:うーん、受け入れてんのかなぁ…。
渡辺:僕はまだ完全に受け入れきれてはいないんですけど。ちょっともう薄々勘づいてきちゃったんです。普通に勝てない自分に。
水野:戦い方を考えるようにはなりましたね。今のトレンドはこうだけど、自分の持っている今までの形をベーシックにしながら戦っていく。トレンド側でやっても、ただおじちゃんが頑張っているだけになっちゃうから。
渡辺:そこで対抗するのは難しいですもんね。それって自分の長所を活かさないってことですし。
水野:おっしゃるとおりです。それをどこまで開き直ってやるかだと思いますね。いやぁ…今日は本当にありがとうございました。もしよろしかったらぜひ、いつかライブにいらしてください。
渡辺:ぜひ!
文・編集:井出美緒、水野良樹 撮影:軍司 拓実 メイク:内藤歩 スタイリング:作山直紀
監修:HIROBA 協力:公益社団法人日本将棋連盟