自分の格好、髪型から生き方まですべてを説明できることは大事。

「シャツのボタンっていちばん上まで留めていますか?」
水野:僕、いきものがかりでデビューする1年前に当時のディレクターから、BUMP OF CHICKENさんの「天体観測」の歌詞を読み込むように言われて。「こういう歌詞を書け」って。そのときは心底、「書けない!」って思って(笑)。木崎さんが教えてくださった3つのアドバイスを、自分なりに咀嚼すれば、いつかは書けるようになるものなのでしょうか。
木崎:それはわからないですねぇ。今、僕が話していることも、ピンと来る部分はそのひとの経験や考え方によって違いますから。自分がピンと来るものだけを集めればよいと思います。僕も同じです。生きているなかで、引っかかるものが大事なのかなと。見えているものは、きっともう頭のなかにあるもので。その頭のなかにあるものを、うんと広げていけば、いろんなことに引っかかるようになっていくというか。
水野:何かに引っかかることとか、「これはなぜだろう?」と考えるスタンスって、簡単に失ってしまいますよね。常に社会は変化しているし、自分も変化しているし、本当は気づくことってたくさんあるはずなのに。
木崎:僕、その理由についても考えました。“感じる”ということは、生活する上でちょっと邪魔なんです。たとえば、9時には会社に行かなければならない。途中でかわいい女の子がいて、「話しかけたいな」と思う。だけど、その感動は捨てて、会社に向かうでしょう。そうやってみんな“やらなければならないこと”のために生きているんです。
水野:そうですよね。理性で抑えていかないといけない。

木崎:ずっと右脳じゃなく、左脳が優位な状態なんだと思います。本当はものを作ったり、何かを感じたりするためには、右脳を優位にしなければならない。リラックスしてα波が出ている状態を多く作らないといけない。でも、生活がありますから。僕はみんなよりお風呂に入ったりするひとつひとつがゆっくりだから、いろんなことに気づいてしまうのかもしれません。
水野:木崎さんのお話を伺っていると、日常のちょっとした気づきが、実は創作をする上での大きな差になっていくように感じます。
木崎:そういえば、元チャットモンチ―の高橋久美子さんと話したとき、「シャツのボタンっていちばん上まで留めていますか?」と訊いたんです。水野さんは?
水野:僕は一応、上まで留めていますね。
木崎:高橋さんも、「私は上まで留める派です」って。僕は、上まで留めているときもあれば、1つ2つ開けたいときもある。そんなこと訊かれることって、あまりないと思うんだけれど、そういうところに個人の美学がある気がして。パーカーのジッパーの上げる位置とか、ズボンの折り方とかね。自分の格好、髪型から生き方まですべてを説明できることは大事だなと思うんです。
水野:木崎さん、ずっと服装にまつわるお話は大事だと、おっしゃっていますね。

木崎:服はコミュニケーションツールなんですよ。僕、よく槇原の服装チェックもしていて。だから槇原は、「木崎さんに会わない日でも、会ったら絶対に何かツッコまれるから、これを着ている言い訳を出かけるときに考えておく」と言っていました(笑)。言い訳を考える、というのは、やっぱり歌詞を作れるひとの考え方ですよね。
水野:なるほど。
木崎:僕も同じようなことを考えるんですよ。たとえば、ゴルフのあと、お喋りしながらみんなはお酒を飲むんだけれど、自分はお酒が飲めないから、あんみつとかを頼む。すると、店員さんがクスッと笑うわけ。それに自分はどうしても言い訳をしたくなる。「僕は肝臓がダメなので、お酒が飲めないんですよ」とかね。関係ないひとなのに、わかってもらいたいというか。そういうコンプレックスみたいなものも、日常に出てきますね。
水野:いろんなところに話が飛びましたが、改めて、「タイトルを考えること」「誰に何を伝えたいのか考えること」「歌詞になっているか考えること」という3つのアドバイスをいただきました。さらに、その3つから派生して、日常のいろんなところに気づきがある。そんなことを感じさせていただきました。
【質疑応答コーナー】
質問① J-POPでは複数のアーティストの方が、同じタイトルで曲を書かれていることがよくあると思います。その内容の差異はどのように生まれているのでしょうか。

水野:同じタイトルはドキドキしますね。たとえば、いきものがかりは「SAKURA」でデビューしたわけですが、すでに森山直太朗さんの「さくら(独唱)」、ケツメイシさんの「さくら」、河口恭吾さんの「桜」などが存在していて。さらに、ちょうどコブクロさんの「桜」が世の中で流れているタイミングでした。でも、モチーフは同じでも、そこに対するアプローチはひとによって違うから、自分なりのものが書けるはずだと。また、「桜」はJ-POPのみならず、日本の文化の文脈のなかで重要なモチーフとしてずっと使われてきたものだから、「そこから逃げちゃいけないよな。真正面から行こう」という気持ちもありました。アプローチの違いによって個性が出せるからこそ、残酷なことを言うと、実力が表れてしまうものでもあるなと思います。
木崎:自分はまったく気になりません。同じタイトルがいくつあってもいいと思う。だって、同じようにみんな暮らしていて、そんな変わったことをしているひとはいないじゃないですか。朝昼晩3回食べて、歯を磨いて。好きなひとができたら、LINEを交換する。歌になるのはそのなかで感じるそれぞれの“気持ち”なんですよね。たとえば、「手をつなぐ」というタイトルでも、「君の手って小さいんだな。守らなきゃ」と思うひと、「汗をかいているから緊張しているのかな。僕のほうがもっと緊張しているよ」と思うひと、「これでお前は俺のものだ」と思うひと、「いつか君はどこかに行ってしまいそうで心配だから、手をつないでおこう」と思うひと、いろんな考えで手をつなぐ。だから、「誰に何を伝えたいのか考えること」さえしっかりしておけばいい。僕はもうメロディーなんて60年代ぐらいでなくなっていると思っていて。もう新しいメロディーはない。そうすると、決められた規則のなかで、新しいものを作らなければならないわけで。俳句のようなものですね。変わったものを作るのは簡単だけれど、それだけ「いい」と言ってくれるひとの確率は下がる。
水野:変わったものを作るのが簡単で、ルールのなかでやるほうが難しいというのは、大事なポイントですね。
木崎:アメリカのヒーローもの映画だって、大体は展開が決まっているでしょう。最後は必ず助かるとわかっているんだけれど、観ていてドキドキしてしまう。そうやって決まりのなかで、新しい作品を音楽を作ることができるのが、プロフェッショナルだなと思います。

Q2.大学で出される、「このテーマで曲を作ってきてください」という課題で毎回、「正解を出したみたいな作品だね」と言われてしまいます。自分らしい音楽を作るためには、どういうところから始めたらよいと思いますか?
木崎:社会人になったら、もう先生は問題を出してくれないですよね。ここが大切だと思っています。自分で問題を考えて、自分に問題を出すようにしてみるんです。たとえば、まずタイトルを考えて、「こういう曲を作りたいな」と思いながらやってみるとか。あとは、先生の言うことを真に受けず、斜め45度ぐらいから返すとか。今は先生に怒られてしまうくらいのことを、やったりすると、もっと自由になれるかもしれません。
水野:僕もどちらかというと、課題に対して「正解」と言われるものを出しがちなんです。その「正解」は決して褒め言葉ではなく、「みんなが出しがちな答えで、綺麗にまとまっているね」みたいなニュアンスだと思うんですけど。それを言われ続けてきました。でも、それを突き詰めれば突き詰めるほど、異常なやつになっていくんですよ。つまり「正解」をやり続けるということも、個性になっていく気がします。もし、「正解」を出し続ける自分に疑いを感じたときは、多分、自分に合ってないということであり、成長のチャンスでもあるのかもしれません。常に自分が納得している状態を繰り返したほうがいいですね。それこそ木崎さんがおっしゃるように、自分で問題を出して、「どうすれば私は納得できるだろうか」と。
木崎:そのとおりだと思います。自分がいいと思ったものを、信じるしかありません。僕もやりながらいつも不安なんですよ。「これで正しいのかな?」って。でも、正しいものってたくさんあると思う。数学と違って、正解はひとつではない。10%のひとが「いい」と思ってくれれば、それはそれですごいいいものです。全員が納得するものなんてない。だから水野さんが言うように、自分が納得することがいちばん大切かもしれないな。
水野:奇しくも今、木崎さんがおっしゃってくださいましたけれど、全員が納得するものは現実上、存在しない。そのことは頭ではわかっているのですが、それでも僕は、「全員に気に入られる曲を目指したい」と言い続けてしまうんですよ。それは多分、自分が異常だから。その個性を貫きとおそうと思うし、ずっと自分自身が納得したくてやっている部分がありますね。そこは勇気を持ってやらないとけないところだと思います。
木崎:あと、自分と他者の感性が一緒なのか、違うのかは確かめておくとよいかもしれません。僕も時々、「この曲のどこが好き?」と訊いたりするんですよ。すると、自分の感覚がどこに在るのかわかる。そして、まずは自分の感覚に近いひとが「いい」と言ってくれる音楽を作ることができる。それが結果として、ジャンルや年月を越えて残るかどうかは、考えなくてもいいんじゃないかなと。
水野:難しいですよね。自分も同じような問いについて、よく考えますが、なかなか答えが出ません。木崎さんは今もどんどん作られているんですよね。
木崎:はい、新しいチャレンジをしたくて。
水野:ずっと現在進行形で作られている姿がまぶしいです。
木崎:自分も今、新しい挑戦をしながら、「こういうのが好きなひともいるんじゃないか」という仮説のもとやっています。それは不安だけれど、だんだん「いいね」と言ってくれる仲間が増えてくる。そこから、そういうひとたちと一緒にやっていけばよくて。ひとりの気持ちから始まって、孤独に作業をして、それがいろんなひとから「いいね」と言ってもらえるのが、アートであり、音楽であるのだと思います。
文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:Haruka Miyajima Shimpei Nakagawa
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影場所:文喫 六本木
https://bunkitsu.jp/
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