対談Q  飯間浩明(国語辞典編纂者)第4回

ずっと使われている言葉は、あと10年は確実に使われる

言葉はちょっと緩いほうがいい

水野:歌を作っている身からすると、言葉の緩やかな感じというか、固定されてないこと、わかり合えないことが、歌にとってプラスになる場面もある気がして。

飯間:プラスになりますか。

水野:それこそ先ほど取り上げてくださった「ありがとう」って、「ありがとう」を言う対象の姿も、「ありがとう」の意味合いの重さも、聴き手によって個別性があってまったく違うじゃないですか。誰もそれをわかり合えない。でも「ありがとう」という言葉によって、誰もがそこに自分の気持ちを乗せることができる。自分なりの解釈をすることができる。

飯間:自分にとっての「ありがとう」があるんですね。

水野:はい。すると歌は、もっとも不特定多数のひとに届くんですよね。意味が固定されすぎていると、それがわかるひとにしかその歌を楽しめなかったりするんですけど。

飯間:誰しも、人から心のこもったことをしてもらった体験がある。その時に感じたあったかい気持ちが「ありがとう」という歌によって再生されるんでしょうね。これは『ゲゲゲの女房』の主題歌ですから、ドラマに即して考えれば、まずは夫婦愛であるとか、あるいは、貧困の時代から助けてくれた妻に対する「ありがとう」という感情がイメージされますね。

水野:はい。

飯間:でも、それだけじゃなくて、この歌詞はいろいろな人の、いろいろな「ありがとう」に当てはまる。そうして、広く共感を呼ぶんでしょうね。

水野:「ありがとう」って言葉で感謝を伝える場面は、それこそ夫婦愛でも、教師と生徒の間でも、親子間でもいろいろあるじゃないですか。それぞれの言おうとしている感謝の種類も、実は違っているはずなんですよ。いちごとりんごの「甘い」が違うように。だけど、言葉の不完全さ、限定ができないという未熟な部分によって、実は達成できている、それぞれとの密着がある気がしていて。

飯間:言葉の不完全な性質が、かえっていい結果を生むんですね。たとえば「甘い」の場合、さらに細分化して「りんご甘い」「いちご甘い」という新しい言葉を作ることはできます。でも、いくら新語を作っても、さらに新しく出てきた珍しい果物の甘さは、それでは表現できません。言葉が指し示す範囲というのは、ちょっと緩いほうがいいんです。

水野:緩いほうが歌を書く身としては楽です。そこをちょっと利用しているところがあるのかなって思いますね。

飯間:個別具体的なことを伝えようというとき、言葉は本当に無力です。大ざっぱに「甘い」を伝えるのでなく、「昨日食べたいちごのあの甘さをどうにかして伝えたい」というのはとても難しい。おそらく歌の世界でも同じように、ある特殊な状況で、きわめて個人的な喜びや苦しみを体験した、それをなんとか歌にしたい、というときのほうが苦労されるんじゃないですかね。

水野:そうですね。とくに僕らのグループはポップスなので、聴いている方の個別の状況に合わせたいんですよ。だから、聴いている方が言葉にできないことを、歌によって言葉にできるような状況に持っていきたいという気持ちがあって。

飯間:ああ、なるほど。応援歌を書くにしても、「あるスポーツ選手のために書きました」というだけでは共感を持たれにくいかもしれませんね。むしろ、これはスポーツ選手にも言えるし、頑張っている受験生にも言える、っていうほうが心を動かされる。

さぁ10年後「エモい」で伝わるのか

水野:その言葉の限定と緩やか具合も、今と10年後とでは違う気がするんです。ある言葉がより限定的になったり、もしくはすごく広範な意味を持つようになったり。

飯間:そうですね。時とともに変化するというのも、言葉の厄介な特徴です。ここまでは「言葉は人によって受け取りかたが違う」という話を中心にしてきましたが、これは言わば空間的な話です。「音楽業界では伝わるけど別業界では伝わらない」とか、「この地域では伝わるけど別の地域では伝わらない」とかね。でも、言葉についてはもうひとつ、時間的な側面もよく考える必要があります。

水野:大いにありますよね。

飯間:今は「甘い」って言えば伝わるけれど、将来は「甘い気持ちになった」って言うと、「え? どういう気持ちですか?」って言われるかもしれない。今は「エモい」って言うと伝わるけれども、さぁ10年後「エモい」で伝わるのか。そういう不安はあります。

水野:いや、それは本当に怖いですね。でも書き手の勘で、「これは普遍的になりそうだな。時間の経過に、ある程度まで耐えられる言葉だな」って、多分、辞書を編纂される上でもそこをみなさん意識されると思うんですけど。

飯間:この言葉はこの先も使われそうだな、という判断はします。

水野:「一時的な言葉ではないな」っていう感覚はどこかにあるかもしれないですね。

飯間:これまで言葉を観察してきた経験から言うと、10年使われてきた言葉は、あと10年くらいは使われる可能性が高いんです。言葉というのは、誰かが生み出してから少しずつ使う人が増えて、長い時間をかけて徐々に広まっていきます。それがある日、使う人がいきなりガクンと減ることはないんです。人為的な力が加わらない限りね。だから、たとえば、「エモい」という言葉にしても、これまでじわじわ広まってきたことを考えれば、まだ当分は使われるでしょうね。

水野:はい。

飯間:そういう見通しのもとに、辞書に言葉を入れています。作詞をされるときにも、その言葉の寿命というか、どれだけ長続きするかは意識されますか?

水野:意識しますね。

飯間:わざと「今年しか伝わらないだろう」というような言葉を使うことも?

水野:それもあります。でも、やっぱり憧れるのは何十年か前の曲だったりするんです。そのときのみずみずしい意味を持ったまま、伝わっていくもの。そうやって時代を超えていく歌のほうに憧れてしまうところはあります。

飯間:そうですね、いい曲は何十年経っても共感できるものがあります。

水野:だから名詞を避けることが多いですね。名詞はやっぱり時代に応じて変わってしまう。たとえば、「携帯」は今はもうほとんど「スマホ」って言われているじゃないですか。きっと「スマホ」って言葉も、予想もできずに廃れてしまう可能性があるから出しにくい。だから「電話」だったらいけるかな、とか。

飯間:「ポケベル」はどうなんだ、とか。

水野:「ダイヤル」って言葉も、もうなかなか見ないですよね。昔、「恋におちて-Fall in Love-」に<ダイヤル回して>ってフレーズがありましたけど。

飯間:フィンガー5の「恋のダイヤル6700」っていうのもありましたね。

水野:それがもう“レトロ”というような意味合いを持ってしまったので。

飯間:そうですね、別の意味合いを持ってしまう。

水野:だから、名詞は出しづらくなって。すると、歌詞がどんどんぼんやりしていくという難しさがあったりします。

飯間:この話は止まらないですね。

水野:もう1回やりたい。

飯間:言葉の時間的な変化に対して我々はどう対処していけばいいのか。

水野:これは、次のテーマですね。今日は本当にありがとうございました。

飯間:こちらこそありがとうございました。時間がすぐ経ってしまいましたね。

文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:谷本将典
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影場所:本屋 B&B
https://bookandbeer.com

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