すべての卒業アルバムに「私は作家になる」と書いてきた。
この小説は書きたかったことの集大成
水野:僕はいきものがかりとは別に、HIROBAという活動をしていまして。そのなかの小説家Zという企画で、小説を書いているみなさんに、「なぜものを書くんですか?」とか「どんなところに書く楽しさを感じますか?」とか、いろんなことをお伺いしています。今回は福田さんにもその枠組みでお話いただければと思っております。
福田:よろしくお願いします。

福田 果歩 (ふくだ かほ)
1990年生まれ。東京都出身。日本大学藝術学部映画学科脚本コース卒業。2025年1月公開の映画『366日』(主演/赤楚衛二、出演/上白石萌歌)の脚本を担当。同作のノベライズ小説も担当する。受賞歴に、2022年の第48回城戸賞準入賞などがある。『失うことは永遠にない』が初のオリジナル小説となる。
『失うことは永遠にない』 著/福田果歩
水野:もう本題に入ってしまいますが、この小説『失うことは永遠にない』を書かれたきっかけというと?
福田:実は書いたのはもう10年ぐらい前なんです。小学生の頃から小説家になりたくて、小学6年生で小説を書き始めて。中学生の頃には、コンクールに応募したり、出版社に持ち込んだりしていました。だけど、中学3年生のとき、読んでくださった編集者の方に、「君は書く才能があるけれど、同じくらいの才能を持っているひとは世の中にたくさんいるから、もう送ってこないでくれ」とバシッと言われてしまったんですよね。
水野:怖いですね…。
福田:その挫折で高校3年間はまったく書けなくなりました。でも、そんなとき映画に出会って、「脚本家という道もあるかもしれない」と。日本大学藝術学部の映画学科脚本コースに入って、ガッツリ勉強して、コンクールにも応募して。だけど、なかなか芽が出ず。さらに就活もせず、脚本家の先生に弟子入りして、1年間プロの現場で学ばせていただいたんですけど、「自分にはできないかも」と思う場面が多くて、また挫折をして。
水野:ああー。
福田:再び、何も書けなくなってしまった。それでも、やっぱり「書きたい」という気持ちだけは消えなかったんですよね。そこで今まではコンクールなどに応募するために書いてきたけれど、「そもそもどうして小説を書こうと思ったのか」という原点に立ち返って。もう構成も展開も何も考えず、ただただ文字にするという作業をしてみたんです。結果、この『失うことは永遠にない』という形になりました。
水野:なるほど。
福田:一般的に評価されるようにとか、いろんなひとが読みやすいようにとか、考えずに。本として世の中に出す感覚を削ぎ落としていって。自分の頭のなかにずっとぐるぐるあったものを、心のなかで誰かに語りかけるように書いてみようと。

水野:僕は最初に福田さんの存在を知ったのが、脚本家というお仕事からで。だからこそ、小説を読んだとき、「なぜ、これを書くひとが、脚本家なんだろう?」と興味が湧いたんですよね。ドラマや映画の場合、視聴者を惹き込むためのテクニックやセオリーってあるじゃないですか。でもこの小説は、いい意味で、構成が考えられているタイプのものではなかったから。ずっとひたすら一人称で進む特異な物語で。どうしていろんな挫折を経ても、書くことができたのでしょう。
福田:まず『失うことは永遠にない』に書いたことは、それまで書きたかったことの集大成なんですよね。ずっと同じことを言いたかった。それは、書き切ることができた理由のひとつだと思います。あと、小学校、中学校、高校、大学、すべての卒業アルバムに「私は作家になる」と書いてきたんです。
水野:ものすごく一途じゃないですか。
福田:小さい頃から夢をはっきりと持っていたがゆえに、かなり思い詰めてしまっていたところがあって。「もしそれが叶わないなら、私の人生って一体、何だったんだろう」みたいな。とくに20代の頃は、意地だったなと。
野島伸司さんの作品を読み漁りました

水野:影響を受けた作家さんというと?
福田:野島伸司さんですね。脚本家の方ですけど、オリジナルドラマがすべてノベライズ化されていて。脚本家であり、小説家でもあるというところも、私の理想の原点だと思います。
水野:野島さんの作品のどういった部分に影響を受けたのでしょうか。
福田:まず、最初の出会いは子どもの頃で。親の仕事の都合で、香港に住んでいたときがあるんですね。そのとき、母が日本の友だちに、日本で流行っているドラマやアニメをビデオにダビングして送ってもらっていたんです。そしてあるとき、私がアニメを観ようとして、間違えて流してしまったのが、野島伸司さん脚本のドラマ『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』で。
水野:そのエピソードがもうドラマですね。
福田:当時、私は小学2年生とかだったので、ドラマや映画という概念がなくて。たとえば『ぐりとぐら』の絵本を読んだら、ぐりとぐらは世界のどこかの森に実在していると思っていたんです。だから、突然ドラマが流れたときも、本当に起きていることだと思いながら観ていました。
水野:はい、はい。
福田:そうしたら、堂本剛さん演じる役が、屋上から飛び降りて死んでしまうという、いちばんセンセーショナルなシーンを目撃してしまいまして。「ああ、お兄ちゃんが死んじゃった…」って、ものすごくショックで。
水野:フィクションということがまだなかなか理解できない。
福田:そうなんです。だけど、日本に帰国してテレビをつけたら、死んでしまったはずの堂本剛さんがアロハシャツを着て、陽気に「フラワー」を歌って踊っていて(笑)。それに驚いたとき、母が「ドラマというものがあって、脚本家さんがお話を書いているんだよ」と教えてくれて、印象に残っていたんですね。
水野:なるほど。
福田:それから月日が経ちまして。小学6年生のとき、太宰治さんの『人間失格』を読んでみようと古本屋に行ったら、間違えて野島伸司さんの『人間・失格』のノベライズ本を買ってしまって。偶然にも、同じ作品に再会したんです。
水野:おもしろいですねぇ。
福田:それで改めて読んだら、内容が刺さりまくって、ボロボロ泣きまして。小学2年生のときの記憶も相まって「物語を作るってすごいな」と。そこから『未成年』とか『聖者の行進』とか、野島伸司さんの作品を読み漁りました。当時、中学生だったので、刺さるセリフもたくさんありましたし。今だと放送できないぐらい、センセーショナルな物語が多くて、野島さんが描く包み隠さない苦しみや叫びによって、私自身が救われたというか。
水野:今、お話を伺いながら、まだフィクションを理解できない子どもの頃、誰かが飛び降りて亡くなるセーショナルなシーンを思わず信じてしまった、というその感覚が、この『失うことは永遠にない』という小説にもあるなと。
福田:ああー、たしかにそうかもしれないです。
水野:主人公の奈保子は、自分が生まれ育ったところから離れた土地で、自分の生活とまったく違う現実を生きているきょうだいに出会う。そのなかで、目の前のことを認識しようとしながらも、どこかで勝手に他者を物語化してしまう感覚がリアルで。そういうフィクションと現実との関わり方、行ったり来たりする感じが、実は福田さんのエピソードとリンクするなと感じました。この物語の設定や登場人物の姿は、最初から見えていたのですか?

福田:いえ、何も考えず、家族の話を書き始めました。大阪弁のきょうだいも、最初はまったく想定していなくて。突然、現れたような感じ。どうして書こうと思ったのかも覚えていないんです。
水野:それはおもしろいですね。最初のほうから、呼びかける“あなた”がいるじゃないですか。読者は「この“あなた”がいずれキーポイントになるんだろうな」と考えるだろうけれど、福田さんはその“あなた”がどういう人間であるかもわからず、手紙を送るように書いていた。
福田:“幻”でもいいなと思って。小さい子どもに、みんなには見えない友だちがいるような感覚というか。苦しい現実に立ち向かうため、ずっと心のなかで誰かに語りかけている。そういう気持ちで最初は書いていて、実体として登場させるかどうかは考えてなかった気がします。
水野:ネタバレになってしまうからあまり言えないのですが、最初から考えていたわけじゃないとなると、後半のあのシーンの行動に自然とたどり着いたということですよね。
福田:そうですね、はい。
水野:それは恐ろしいですね。書いていて、あのシーンが訪れてくるとき、ご自身ではどういう心理に?
福田:本当に淡々と書いていましたね。感情としては、主人公の奈保子に入っていたので、何も考えず一緒にたどり着いていたというか。読み返してみると自分でも、「あ、結構ひどい…」とか感じるんですけど。そのときは、そうすることしかできなかったんだと思います。
小説という場があるから、脚本もおもしろい

水野:こうした作り手ご自身も意識していないような、潜った作品がある一方、脚本というと、ある程度の計算をしなければならないし、文字以外の要素が多いじゃないですか。役者さんがどういう演技をされるか。カメラがどういうカット割りになるか。脚本家にコントロールしきれない部分がたくさんあるなかで、意図をわかりやすく書かなければならない。小説脳から脚本脳になると、どのように取り組まれているのですか?
福田:小説と脚本って、もっと近しいものだと思っていたのですが、いざやってみると、おっしゃるように真逆で。だから、完全に割り切っているかもしれません。小説は、自分の内面に潜っていく作業が楽しいからやっている、くらいの感覚。脚本はお仕事。ある意味、作品から距離を置いて、俯瞰で見ながら冷静に取り組んでいるなと感じます。
水野:もし、「脚本も小説と同じ距離で作っていいよ」と言われたら?
福田:監督さんがとんでもなく大変だと思います(笑)。映画は総合芸術なので、もちろん脚本家ひとりの意見で何かが決まっているわけではなくて。お話自体もいろんな方の意見があって、どんどんセリフも変わっていく。多分、小説に向き合う精神をそのまま持ってやると、壊れてしまうというか、苦しい作業になる気がしますね。
水野:では、福田さんから見て、野島伸司さんの作品はどういう橋の架け方をなさっていると思いますか?
福田:それが不思議と、野島さんにはまったくズレがないように感じるんです。ドラマと小説の訴えてくる熱量が同じだった。天才なんだろうなと思います。あと、当時のドラマ制作環境とか、野島さんがもう大ベテランであったというところも関係しているのかもしれません。
水野:たしかに、ドラマがいちばん勢いのあった時代ですもんね。福田さんはどこか、「これを書いたら難しいだろうな」と遠慮してしまうこともあるのですか?
福田:そうですね。でも、「お任せしたい」という気持ちも強くて。脚本の場合、すべてを自分の思い通りにはできないけれど、役者さんのお芝居とか監督の演出で、自分が想像していなかったものが出来上がっていく楽しみがあって。それはそれでおもしろいと思えるので、すごく好きな仕事なんです。それに、自分がやりたいものを100%ぶつけられる小説という場があるから、脚本にはまた別の魅力を感じられるのもありますね。
文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:谷本将典
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影場所:co-ba ebisu
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