自動筆記になるぐらいまで、何も考えず手を動かして書くのが理想。

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
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“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週土曜日夜21時から放送。
水野:今回のゲストは、映画監督の山中瑶子さんです。

山中瑶子(やまなかようこ)
1997年3月1日生まれ、長野県出身。日本大学芸術学部映画学科に入学後、同校を休学中に19歳から20歳にかけて『あみこ』を制作。同作はPFF(ぴあフィルムフェスティバル)アワード2017で観客賞を受賞し、ベルリン国際映画祭、香港国際映画祭、全州映画祭、ファンタジア国際映画祭など多数の海外映画祭に出品された。河合優実を主演に迎えた『ナミビアの砂漠』は、第77回カンヌ国際映画祭の国際映画批評家連盟賞を受賞した。
毎日3本以上の作品を観る生活

水野:子どもの頃から、映画はお好きだったのでしょうか。
山中:わりと厳しい家庭だったので、あまり娯楽を許可されていなくて。小さいときは唯一、読書だけがOKで、本ばかり読んでいました。だから、物語は身近にあったのですが、映画を観始めたのは高校生からですね。
水野:高校生で映画に触れたのはどんなきっかけから?
山中:当時、高校のまわりに4つも映画館があって。そのうちの1つが、ボウリング場と併設されていて、映画の半券を持って行くと割引してくれたんですね。で、「ボウリングがしたいから半券が欲しい」と学校の先生が言っていて、友だち同士で「先生のために半券を集めよう」と映画館に通い始めたんですよ。
水野:いい生徒たち!
山中:それで最初は、シネコンで上映されているような大きな予算をかけた邦画から観ていたんですけど、私はだんだんと洋画や昔の映画も観たくなっていって。やがてひとりで近くの名画座に通うようになり、どっぷりハマっていきました。東京に匹敵するくらい何でも観られる環境だったので、運がよかったと思います。
水野:作る側にまわりたいと思ったのはいつ頃ですか?
山中:もう毎日、映画を観ていた高校2年生のとき、映画を観る時間を確保したくて部活まで辞めて。ちょうどそのタイミングで、進路調査票が配られたので、「映画をやりたい。映画学科に行きたい」ということを意識し始めました。

水野:そのときはまだ何も撮ってはいなかったのでしょうか。
山中:「自分で撮ろう」という発想はまったくありませんでした。今の子たちなら多分、スマホとかで撮るのだと思いますが、まだギリギリみんながスマホを持っているような時代ではなくて。日本大学芸術学部映画学科の監督コースに入って、授業でカメラの扱い方を知って、やっと「自分でも撮れる」と思ったんですよね。
水野:ただ、学校にはもう早めに行かなくなったそうですね。
山中:ずっと自立したかったので、ひとり暮らしや大学に対する期待が大きすぎたんです。「どんどん映画を作るんだ!」という感じだったのですが、意外とモチベーションが高いひとは少なかった。満遍なくいろんな映画を観ているひともあまりいませんでしたし。ゴールデンウィーク明けぐらいには親に、「もう行けないかもしれない」と言っていました。でも、わずかにできた友だちと映画を作ることができたので、そこはよかったです。
水野:一作目にはどのようにたどり着いたのですか?
山中:大学1年生の夏休みくらいから、完全に学校へ行かなくなって。毎日3本以上の作品を映画館や家で観るという生活をしていたんですね。その時期はハイというか、アドレナリンがすごく出ていて、ちょっとおかしかったのだと思います。
水野:毎日3本以上、とてつもない情報量ですよね。
山中:でも、1年ほど映画を観ることとバイトだけをやっていたら、どんどん自分がソリッドになっていく感覚があって。「このままだと映画に対する理想やハードルが高くなりすぎて、作れないのではないか」という不安が湧いてきたタイミングで、一作目の自主映画『あみこ』を作ろうと決めました。PFF(ぴあフィルムフェスティバル)という登竜門のような自主映画祭を締め切りに設定して、「絶対に作る」という意志でやりましたね。
「すっごい下手!」とビックリしました

水野:いろんな作品を観てきて、ご自身の視野はものすごく広がっているわけじゃないですか。その上で、「自分が何を作るか」って、大変な問いではありませんでしたか?
山中:おっしゃるとおりです。頭でっかちになっていくし、自分は何も撮っていないにもかかわらず、映画に対する感想も批判の言葉が鋭くなっていったりして。「これはすべて自分にブーメランで返ってくる」と思いました。そこに気づいてからは、環境や機材を含め、「今の自分にできることは何だろうか」という意識になりましたし、「何か盗めるものはないか」という視点でいろんな映画を観るようになっていきました。
水野:では、一作目『あみこ』の制作タイミングでは、自分ができること・できないことの整理がもうできていたのでしょうか。
山中:そうですね。救いだったのは、8ミリ時代の日本映画は、技術やクオリティーというより、パッションやエネルギー重視であることで。そういう作品をPFFが発掘していることを知っていたので自信がついて、「大事なのは気持ちとか思惑とかコアの部分。もう技術やクオリティーはすべて捨てる」と決められたんです。
水野:そして、『あみこ』が受賞をして、自分の作ったものが批評される側にまわりましたよね。そのときの感覚はいかがでしたか?
山中:とにかく映画を作って、入選することだけが目標で、その先を一切イメージできていなかったんですね。だから、映画祭の会場で『あみこ』が上映されたとき、「すっごい下手!」とビックリしました。堂々と技術やクオリティーを捨てたけれど、大きなスクリーンでは拙さや粗さのほうが目立つことが衝撃で。そこで自分自身、「これじゃダメだな」と思えたことのほうが大きかったので、まわりの感想はそこまで真に受けませんでした。

水野:学生時代に批評家的な視点を得てしまったからこそ、一作目でその衝撃があったあと、二作目、三作目に向かうのは難しかったのではありませんか?
山中:まさに。だから『あみこ』から長編二作目となる映画『ナミビアの砂漠』が完成するまでは6~7年かかりました。その間は、短編映画やテレビドラマを作って、筋力をつけるような意識で取り組んでいたんです。自分が今まで観てきた素晴らしい映画だって、鍛錬の先で撮られているものだったりするから。そこと比べて落ち込むのは、むしろ傲慢だなと。「尖っていただけなんだ。現実を見よう」と思って、頑張りましたね。
水野:脚本を書かれるとき、どういうところから着手されるんですか?
山中:毎回、真っ白い大きな紙に、そのとき気になっていることやキーワードを何日かかけてたくさん書き出していきます。そこから映画になりそうな要素を繋げる。マインドマップを作るような感覚で取りかかりますね。
水野:ストーリーは頭から書くのでしょうか。

山中:書きたいところから書いていくので、わりとパズルを組み立てるような感覚で、いったん穴だらけのものができます。そして、「その穴を埋めるものがもう何も出てこないなぁ」というタイミングで、いろんなひとに会いに行って喋る、話を聞く。だから、ひとりで閉じこもって内側に入っていく期間があり、煮詰まってオープンになる期間を挟み、また完成に向かっていくことが多いですね。
水野:脚本を書くとき、捨てる部分はありますか?
山中:映画は何回も捨てる段階がありますね。自分では気に入っている完成形を持って行っても、予算との兼ね合いなどで削らなければいけないことが絶対に出てくる。だからあらかじめシビアな目で落としていきたいなと。そこで、欲張っているところ、意味が強すぎるところ、作者が気持ちよくなっているところは捨てます。逆に無駄っぽいところのほうが、実はいろいろ含まれている気がして、なるべくそちらを残すようにしていますね。
『ナミビアの砂漠』の脚本は3ヶ月で…

水野:『ナミビアの砂漠』はどのように着想していったのですか?
山中:この作品は特殊な生い立ちでして。もともと河合優実さんを主演に映画を撮りたくて、まったく別の原作ものの企画があったんです。もう撮影日程まで決まっていました。でも撮影の半年前ぐらいに1ヶ月インドに行ったら、「私はこの企画を誠実にやれないのではないか」と気づいて、プロデューサーに「すみません、降りたいです」という連絡をしまして。そうしたら、「それは困る。よかったら、オリジナルをやらないか?」って。
水野:すごいですね。
山中:素晴らしいプロデューサーですよね。今だから美談にできますけど、結構みなさん焦って。本当に急遽だったので、3ヶ月で脚本を書きました。いちばん人生で集中したんじゃないかな。
水野:どうやってあの脚本を3ヶ月で?
山中:あまり理詰めではできず、直感や無意識から出てくるものを信じているタイプなので、自動筆記になるぐらいまで、何も考えず手を動かして書くのが理想で。むしろ準備期間が長いと、「本当にこれで伝わるだろうか」とか、「やりすぎじゃないだろうか」とか精査してしまって、わかりやすい作品になってしまうんです。『ナミビアの砂漠』は時間がなかったからこそ、ゴロッとしたものを出せた感覚があります。
水野:河合優実さんのお芝居はどれぐらい想定していました?
山中:脚本を書く前に、河合さんと何度か会って、いろんな話をしたんです。そこから影響を受けて書いたシーンもありますし、「河合さんがどう動くのを見たいか」という意識でずっと書いていました。リハーサルもかなりやったので、あまり齟齬がない状態で現場に入ることができたと思っています。日に日に河合さんが主人公・カナになっている感じがありましたね。
水野:あの表情なども予想しているものだったのでしょうか。
山中:いえ、それはイメージしていませんでした。だから、毎日スタッフと一緒に驚いて。私は和気あいあいとした雰囲気づくりは得意ではないんですけど、それでもどうしても笑いが出てしまいそうになるぐらい、河合さんの一挙手一投足とか、声の出し方とかが魅力的で。映画を観た方からは、「緊張感がある」とか「ヒリヒリする」といった感想をいただくことも多いのですが、作っていた私たちはもう本当に楽しかったです。
水野:最近では、Prime Videoの恋愛考察バラエティー『セフレと恋人の境界線』内で上映される短編映画『恋人になれたら』の監督を手がけられたんですよね。
山中:全3作の短編映画があって、脚本はすべて今泉力哉さんと今泉かおりさんご夫婦で手がけられているのですが、そのうちの1作の監督としてお声かけいただきました。去年の秋に撮影があったのですが、それが『ナミビアの砂漠』の公開と被っていたので、普段だったら断っているんですよ。でも、私、しいたけ占いが大好きで。しいたけ占い、知っていますか?
水野:知っています(笑)。

山中:しいたけ占いが私の星座に対して、「来た仕事は何でもやってみよう」と書いていたんです。当時、その言葉を守って、頑張ってお仕事を受けました(笑)。これまでバラエティーやテレビに寄ったものをやってこなかったので、「大丈夫かな?」と思っていましたが、やってよかったですね。「自分はこういうものを楽しめるんだ」と知ることができましたし。自分がひらけている感じがあります。
水野:今後はどういう作品を撮っていきたいですか?
山中:今までは自分と年代も近い女性の主人公に特化した作品が多かったんです。だから、そこはいったん満足した感じがあって。逆に『シン・ゴジラ』みたいな男性社会や組織のようなものを描いた作品をやってみたいと思いますね。
水野:そこに惹かれるのはなぜですか?
山中:社会ってどうしても肩書きとか、いろんなペルソナがあって、それぞれの生活を送らなければならないひとが大半だと思うんです。とくに組織では、自分の個を隠さなければならない。その感じを撮りたいんですよね。ひとをたくさん出したいとか、その組織が在る場所とかを考えると、予算は必要だなと思いますが、これまでとまったく違うものを撮ってみたいです。
水野:では最後に、これからクリエイターを目指すひとたちにメッセージをひと言お願いします。
山中:マイペースに。マイペースでいいと思います。


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文・編集:井出美緒、水野良樹
写真:谷本将典
メイク:内藤歩
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