歌ものは“お皿の上の食べもの”を作り、ソロ作品は“建築”から考える。

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
https://www.j-wave.co.jp/original/creatorsnote/
“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週土曜日夜21時から放送。
水野:今回のゲストは、音楽家の江﨑文武さんです。

江﨑文武(えざきあやたけ)
音楽家。1992年福岡市生まれ。実写映画『秒速5センチメートル』『#真相をお話しします』、ドラマ『シナントロープ』などの音楽を手がける。バンド・WONKのメンバーとして活動するほか、King Gnu、Vaundy、米津玄師、藤井風らのレコーディングおよびライブサポートに参加。NHK FM「江﨑文武のBorderless Music Dig!!」パーソナリティ。西日本新聞「音聞」にて連載を執筆中。
とにかくビル・エヴァンスになりたかった

水野:最初に音楽に触れられたのはいつ頃ですか?
江﨑:父も母も音楽好きだったので、生まれた頃からいろんなジャンルの曲が家で流れていました。両親の話によると、僕は2~3歳の頃には、ビートルズを認識していて、街でかかっているのを聴くと喜んでいたそうです。トイピアノを前に嬉しそうにしていたところから、4歳でピアノ教室に通わせてもらうようになったのがスタートで。ご多分に漏れず、レッスンが苦手で、当時は泣きながら練習していたんですけどね(笑)。
水野:作る側になるのはどれぐらいからですか?
江﨑:一応、ピアノ教室のカリキュラムとして作曲や即興演奏のレッスンもあって、それは楽しくやっていました。ただ、その道を志していたわけではなくて。小学校高学年になる頃、ドラマ『砂の器』で千住明さんの「宿命」に衝撃を受けまして。「これを弾きたい。こういう曲を作りたい」って、家で珍しくピアノを練習しまくったんです。すると、「それでフェスに出てみたら?」と母が背中を押してくれて。
水野:フェスですか! 結果はどうなったんですか?
江﨑:一般公募枠で、小学6年生のときに「ピアノソロで出たいです」と応募したところ、無事に通りました。そのときが、ピアノ教室の発表会とは違って、一般のお客さまの前で自分の好きな曲を弾いて、拍手をいただける初めての体験になって。「人前に立つのって楽しい」と思い始めたんですよね。

水野:なるほど。
江﨑:さらに同時期、父がたまたま買ってきたビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビイ』を、僕も手に取って聴いたら、「次はこういうピアノを弾きたい」と思って。それで中学1年生のとき、ジャズピアノトリオを組みました。とにかく「ビル・エヴァンスが好き。このひとみたいになりたい」という気持ちがものすごく強くて。学校から急いで家に帰って、ビル・エヴァンスのコピーをやり続けていましたね。
水野:当時、もうご自身の音楽性は見えていましたか?
江﨑:とにかくビル・エヴァンスになりたかったです。ものすごく美しくて、でも内省的で、少し影があって、危うさを孕んでいる感じが、魅力的に見えて。
水野:実際、音楽を生業としていくことをイメージされたのはいつ頃からでしょうか。
江﨑:大学受験のタイミングまではまったく。音楽は趣味にして、理系の大学へ行くことを考えていました。でも、ジャズトリオのメンバーが僕以外2人とも、音楽大学に進学することになりまして。自分もそういう道を考えてみようと、急に進路変更して受験して、上京したんです。ところが、自分はまあまあ音楽ができるほうだと思っていたのですが、東京でその次元ではないレベルのひとたちの存在に気づいて。一度、挫折しました。
水野:挫折したんですか。

江﨑:それで僕、音楽レーベルのインターンをやっていたんですよ。ひと通り音楽業界の仕事の勉強をしたので、「このままここで働くのかな」とぼんやり考えていました。でも、並行して、たまたまバンドに誘ってくれた仲間がいて。それがWONKでした。リーダーの荒田洸が「バンドやらない?」って。そして、活動が始まり、音源を作り、自主リリースするタイミングが大学卒業と重なって。突然、音楽業界に演者として足を踏み入れて。気づけば、「あれ、食べていけるかもしれない」と思うようになっていて。
水野:江﨑さんがそこで出会った方々が今、ミュージックシーンの最先端でそれぞれ活躍されていますよね。当時、ライバルや同志たちの存在はどのように見えていましたか?
江﨑:ずっとおもしろいことをやっているな、と。さらに、「僕たちはこういう表現を社会に届けたい」というものがしっかりありました。まだ何も花が開いてない状態で、お互いに支え合っていて。とにかく「内に閉じていたらダメだ」という意識は、大学の頃からみんなあったように思います。焼肉とか食べながら、「一旗あげてやりたいんだよ」みたいなことを言い合っていた仲間たちが、それぞれに発射していった感覚がありますね。
水野:今、その世代の社会への浸透度はいかがですか?
江﨑:一緒に焼肉を食べていた仲間、見事にみんな音楽業界にいるなと。着実に届いていっている実感があります。僕、第一弾の挫折はドラマー・石若駿の存在なんですけど。彼のおかげで、そのあとに続くひとたちがプロの世界の景色をなんとなく見ることができていた感じがあって。WONKのデビュー後、King Gnuの常田大希は、「じゃあ、俺は日本のロックバンドをやる」って実験的な音楽からポップなものにシフトして。その結果、今の彼がありますし。石若駿が切り開いてくれた地平にどんどん同世代のひとたちが連なっている気がしますね。
大事なのは、役者さんにお会いしたときの“佇まい”

水野:WONKとしての活動、レコーディングやライブサポートの活動、江﨑文武としての活動など、いろんな種類の音楽制作がありますよね。それをご自身のなかではどのように整理されているのでしょうか。
江﨑:バンドやいろいろなアーティストさんの作品やライブには、デザイナー的な視点で参加をしています。困っていることや、実現したいことがあるひとに対して、自分がどういうスキルを差し込んでいけるか。何を手伝えるか。そうやって“寄り添っていく”という感覚です。そして、ソロと劇伴の活動が実は近いものがあって。
水野:ああ、そうなんですか。
江﨑:もともとは「劇伴作家になりたい」という思いがあったので、そこが実現しているという部分でも、自己表現に繋がっているように思います。ソロアルバムを作るときも、基本的には視覚芸術をもとに何かを作ることが多いですし。ソロと劇伴は“自分のやりたい表現をやっている”という感覚です。
水野:音楽を作るとき、どこに視点を絞っていますか?
江﨑:歌ものに参加するときは、料理で例えると、お皿の上の食べものを作っている感覚があるんですね。でも、自分のソロ作品を作るときは、まず引いた風景で、建築から考える。そのあと、テーブルやお皿を考えて、最後の最後に核となるものを考える。つまり、歌ものとは真逆の方向なんです。最新作『Whispers of Silence』も音の全体像が最初に設計としてありました。そこから、1曲1曲の細かな部分を構成していきましたね。
水野:それをライブでやるときの再現性はどうするのでしょう。

江﨑:ライブは、まったく別ものだと思っていて。やっぱり完全にCDと同じものは再現できないので。“リスナーのみなさまと会うリアルな場”という感覚なんです。音楽そのもので感動させたいというよりかは、照明の美しさや、コンサート会場に足を運ぶまでの時間も含めて大切で。そのために、会場を名建築や美術館に設定して、「これまで体験したことがなかったな」みたいな気持ちを持ち帰っていただくほうに重点を置いています。
水野:劇伴のように、役者さんのお芝居や、音楽と並行して進む物語がある場合は、どのように作っていくのですか?
江﨑:難しい問題です。映画作品だと、大体はすべてパッケージされて、完成映像ができた段階で着手するので、やりたいようにやることができます。でも、ドラマはそういうわけにはいきません。そこはもう割り切ってしまっているというか。自分の音楽がオンエアでどう使われるかも、コントロールできない部分があるじゃないですか。だから、最初に自分が思い描いていた世界観がどれだけマッチするか、賭けでしかないですね。

水野:劇伴の場合、主にどういう情報をご自身のなかにインプットしていきますか?
江﨑:必ず脚本は読んで、「どういう質感で映像を撮ろうとお考えですか?」みたいなことは、事前に監督ともお話をします。そして、撮影現場を見に行けるものに関しては、なるべく行く。そこで役者さんの佇まいや空間の光、香り、そういうものを持ち帰って、自分なりに再現するという作業をやっていますね。
水野:役者さんの声はどれくらい意識されますか?
江﨑:声というより、佇まいから敏感にいろいろ感じ取ってしまうタイプですね。脚本を読んで、想像していたものとはまったく違う佇まいをお持ちの役者さんもいらっしゃいますし。その場合は、もう完全にその役者さんの雰囲気に塗り替えて、イメージしなおして、向き合うことが多いです。実際にお会いしたときの空気感が、いちばん大事だなと思っています。
“自分の感情100%”みたいな作品を

水野:ソロ作品の場合は、“江﨑文武”という人間がどれぐらい表現に影響しますか?
江﨑:僕はまわりに助けられて、音楽業界で仕事ができていると思っていて。だから常に「仲間に何ができるか」を考えて、積み重ねてきました。それが5~6年経ったとき、「ビル・エヴァンスに没頭していた時代のように、自分自身にもやりたいことがあったはずだ」と感じるようになって。“自分の感情100%”みたいな作品を作ろうと、2021年にソロ活動をスタートしたんです。だから、ありのままの自分が詰め込まれている感覚があります。
水野:ご自身を出し切ることができている実感はありますか?

江﨑:今のところは出し切れていますね。プロジェクトチームにも恵まれていて。自分が好きだと思うものを、同じように好きだと思っているチームで構成されているから、自分の頭にある世界が拡張されている感覚なんです。ただ、実は授業参観のときなど、“いかに保護者の方々の笑いを取れるか”みたいなことに命をかけていたような少年時代だったので(笑)。そういうコミカルな部分は、まだなかなか出すタイミングがないんですけどね。
水野:最新作『Whispers of Silence』は、山梨県北杜市にある森の中ホールで、3日間滞在してレコーディングを行われたそうですね。これはどのような経緯だったのでしょうか。
江﨑:生のピアノのレコーディングに苦戦し、悩んでいた時期があったんです。そんななか、A&Rの方から、「多面体スピーカーを手がけている、奈良県のlistude(リスチュード)さんのアトリエで録ってみるのはどうですか?」と提案していただきました。そのときに、古楽器の修復をしてらっしゃる調律師の小川さんという方と出会って。「ピアノは機械で、細かく調整することで理想の音が出せるんだ」と改めて気づきを得たんですよね。
水野:はい、はい。
江﨑:「調律師の小川さんと、listudeの環境、これで自分の理想の音が録れた」と思いまして。今作『Whispers of Silence』でもご一緒したいなと思っていたら、listudeさんが奈良県から山梨県の北杜市に移転されて、新しくアトリエ兼ホールを作られたということで。「ぜひ、そこで録らせてください」という形になりましたね。小川さんも大阪から来てくださって。3日間滞在していただきました。
水野:音楽を通して、繋がりをどんどん生んでいらっしゃるんですね。
江﨑:僕には取り立てた才能があるとは思わないんですけど、ひとと巡り合う才能だけはあるんですよね。「このひとすごいな、会いたいな」と思っていたら、会えることがずっと続いている人生なんです。不思議といい出会いが続いていきますね。

水野:これからどういう音楽を作っていきたいですか?
江﨑:これまではピアノを軸にした曲をたくさん作ってきましたが、『Whispers of Silence』では環境音を取り入れたり、フィールドレコーディング的なことをして混ぜ込むということをやっているんです。あと、アンビエントな方向にかなり関心があって。アンビエントとエレクトロニカを掛け合わせて、脱ピアノした音のテクスチャーを織り上げていくことにも興味があります。そういう4~5年にしていきたい感覚はありますね。
水野:いつまで音楽をやるイメージがありますか?
江﨑:もう死ぬまでやろうと思っています。
水野:淀みがないですね。
江﨑:水野さんはいかがですか?
水野:多分、表に出る・出ないということを考えなければやると思います。ある種のタレント的な要素からは降りたいと思う瞬間が来るかもしれない。とはいえ、音楽だけが残ったとき、それが職業として成立するような能力を自分が持っているかどうかもわからないけれど。でも結局、考えたことを、メロディーなり何なりにまとめたい気持ちはどうしても持ち続けてしまうし、それがないと自分を保っていけないだろうなと思いますね。
江﨑:そうですね。
水野:だから、それこそ江﨑さんのように、しっかりとした才能と教養と技術を持ちながら、葛藤して作られている方とお会いすると、刺激や力をいただきます。本当にありがとうございます。では最後に、これからクリエイターを目指すひとたちにメッセージをひと言お願いします。

江﨑:“とにかく世の中に向けて出してみる”というのが、常々思っていることです。今はコメント欄などにすぐレスポンスが来る時代だから、わりとみんな作品を発表することを怖がっている印象があります。でも、「完璧にならないと見せられないんです」という状態は、なるべく早く脱したほうがいい。勇気を振り絞って、まず一歩進んでみる。多分、それさえできれば、ずっとものづくりをしながら生きていける気がしています。


Samsung SSD CREATOR’S NOTE 公式インスタグラムはこちらから。
文・編集:井出美緒、水野良樹
写真:北川聖人
メイク:内藤歩
番組:J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
毎週土曜夜21時放送
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