「この物語はフィクションです」という一文が入れば、
何を思っていてもいいんだって。
HIROBAの公式YouTubeチャンネルで公開されているトークラジオ『小説家Z』。こちらはアーカイブ記事です。
小説だと無限にできる。
水野:さぁ小説家Zです。こちらのコーナーでは小説や物語を書かれている方に、「どうして物語を書くのか」、「どういうふうに物語を書いているのか」を伺っていくコーナーです。今日は初小説となる『匿名』を出された、柿原朋哉さんにお越しいただきました。よろしくお願いします。
柿原:よろしくお願いいたします。柿原朋哉です。はじめまして。
柿原朋哉(かきはらともや) 1994(平成6)年、兵庫県洲本市生まれ。立命館大学映像学部を中退し、映像制作会社「株式会社ハクシ」を設立。二人組YouTuber「パオパオチャンネル」(チャンネル登録者140万人)として活動したのち、2022(令和4)年、『匿名』でデビュー。
柿原:僕は一方的にずっと拝見していたので、すごく緊張しています。中学生時代に「YELL」を聴いていた世代なんですよ。
柿原:ドストライクの世代でして。
水野:今おいくつですか?
柿原:今年で28歳になります。
水野:「YELL」が2009年だったので、14歳とか15歳のときか。
柿原:15歳ですかね。
水野:すみません、こんなんで…。いつも「YELL」の話になると、「すみません、こんなんで」って思っちゃうんですけど…。もともと“ぶんけい”さんとしてYouTubeで人気を集めていらっしゃる方が今回、ご本名の“柿原裕也”さん名義で小説を書かれて。しかもタイトルは『匿名』というところにまたいろんな意味合いを感じてしまいます。
柿原:はい。
水野:そもそも小説を書こうと思ったきっかけみたいなものはあるのでしょうか。
秘密は、あたしを自由にしてくれる。 超人気YouTuber・ぶんけいが匿名時代の若者を描く、渾身の初小説! 覆面アーティストとして活躍するFと、ファンアカウントでFの正体を追う友香―― 渋谷の屋上で命を絶とうとしていた越智友香を救ったのは、Fの歌声だった。 Fへの思いが生きる原動力となった友香だったが、彼女は覆面アーティストだった。 Fを追い続けた友香は、衝撃の事実を知ることになる。
柿原:ずっと僕、映画監督になりたくて。高校時代は放送部、大学時代は映像学部。そのあと起業して映像の会社を作ったという経歴なんですけど。そうやって映像にずっと携わっていたんですね。そのなかで、25~26歳のときに改めて、「今後の人生をどうしていこうかな」って考えたんですよ。そうしたら、「僕、映画のどこが好きなんだろうな」って考えるようにもなって。出た答えが“脚本”だったんですね。
水野:あー、はい。
柿原:映像やカメラよりも上にあったのが物語で。映像も、スケジュールの都合だったり、予算の都合だったりが理由でできないことっていっぱいあるじゃないですか。それが小説だと無限にできるんだって思ったんですよね。
水野:そうですね。なるほど。
柿原:自分のイメージどおりの役者さんをキャラクターとして作って、好きな場所に連れていける。「何でもやっていいよ」って言われたら、僕は何を作るのか、一度挑戦してみたくて小説を書きました。
水野:もともと映像から入られたということですけど、ものづくりに入るきっかけとして何にいちばん興味があったんですか? ずっと本とか読まれていたんですか?
柿原:いや、そんなに読んでいるタイプではないんですよね。昔まで遡ると、小さいときから絵を書いたり、それこそ小説ごっこみたいな感じでちょっと文章を書いたり、迷路を書いたり。作ったものをひとに見せることは大好きだったんですよね。母がすごく褒めてくれるひとだったのもあって。
水野:はい、はい。
柿原:多分それが原体験としてあって。具体的に仕事にしたいと思うようになったのが、中学生ぐらいのとき。湊かなえさんの『告白』がちょうど出た時期だったんですけど、映画化もされて、「小説がこんなふうに映像になるなんておもしろい」って思って。そのときの僕は映像のほうに転んだんですよ。でも今は、「その元となった小説を書いてみたい」になっていった感じで。
内面をストレートに書きやすいのは小説の武器
水野:物語を作るとき、文字が浮かんでくるのか、それとも場面が浮かんでくるのか。何を言いたいかというと、映像で浮かんでくるのか、論理で浮かんでくるのかって、ひとによって違うと思うんですけど。そういう意味ではどっち派だったんですか?
柿原:どちらかというと映像ですかね。今回、書いた話が一人称で主人公の内面がいっぱい出てくるんですけど、内面のことって映像にはできないじゃないですか。場所とか行動は映像的に出てきたけど、思っていることは日ごろ自分が感じているフラストレーションとか、「もっとこうなったらいいのに」みたいなほうから生まれた気がします。
水野:言い方が悪いかもしれないけど、映像をたくさんやられていたからこそ、映像の限界であったり、映像ではなかなか表現しにくかったりすることが、よりわかってしまったところはあるんですかね。
柿原:そうですねぇ。
水野:僕ら素人だから、映像って無限にできるんじゃないかって思いがちだけど。実際に作っているひとからすると、「こうすると表現が狭まってしまうよな」とか。先ほどおっしゃられたように、「内面をどう伝えるか」ってなるとなかなか映像的な手法では難しいかもしれない。「だったらやっぱり言葉ではないか」みたいな。そこって、映像を1回通ってないとたどりつかないのかなと思うんですけど。
柿原:映像も極めてから言えば、より説得力があるんだと思うんですけど。自分はまだ映像の会社を育てている最中なので、限界までは多分行ってないんですよね。でもその上で、内面の部分をストレートに書きやすいところはやっぱり小説の武器だなって思いました。あと、自分で自分に嘘をつく作業とか、映像ではなかなか難しい。
水野:なるほど、なるほど。
柿原:でも小説だと、「自分はこんなに弱くない、自分はもっと強いんだ」って思い込もうとしているのを書きやすい。映像に比べると。
水野:そういう場面が登場人物に多くありましたね。ひと言で「自問自答」って言っちゃうと簡単に思うけど。たしかにそれを詳細に表現するのは難しい。自問自答自体が生々しく書かれたほうが理解しやすいですよね。
柿原:自分が小説を読んでいて好きな部分もそういうところだったりしますね。
ぶんけいという人格は「言うべきでないことを」ずっと意識している。
水野:こうやって形になって、これから自分の表現ってどう広がっていくと思います? もっと書きたいって意欲がすごく感じられるんですけど。動画とかも拝見すると、やっぱり小説、物語を書いたことが柿原さんのなかで非常に大きな一歩であったというか。踏み越えたという気持ちが伝わってくる。それだけ扉を開いちゃったところはあるのかなと思っていて。
柿原:あると思いますね。いちばん大きいと思ったのは、名義を変えたことによって自分がリミッターを外せた感じがあったことで。インフルエンサーとして、Youtuberとして活動しているぶんけいという人格は、「言うべきでないことを」ずっと意識しているんですよ。多分、水野さんもだと思うんですけど、「これはするべきでない」「これは言うべきではないし、思うべきですらない」みたいなことが結構、表に出るとあるじゃないですか。
水野:はいはいはい。
柿原:ただ、作家として生きている自分は、「この物語はフィクションです」という一文が入れば、何を思っていてもいいんだって。免罪符みたいな働きもある。だから、より人間くさく、ありのまま、本能のまま生きられるのは、作家としてなのかなって。そこは嬉しい一歩ではありました。水野さんも小説を書かれましたよね。そのとき、そういう意味で普段の創作と違うところってあったりしましたか?
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水野:すごくあったんですよ。僕は虚構を書いているつもりでいたんですね。フィクションを書いて、登場人物を書いていた。でも“作り物”を書いていくなかで、自分に出会う瞬間がすごくたくさんあって。たとえば、女性のキャラクターが出てきて、自分と性格も違うし、考えていることも違うであろうはずなのに、そこに自分を見る瞬間があるというか。作るという作業がこれほど自分に出会わせてくれるんだって、小説で思いましたね。
柿原:なるほど。
水野:僕の場合は逆に、いきものがかりとして世に出させていただいたんですけど、水野良樹って本名なんですね。神奈川の片田舎から出てきてみたいなことも、事実としてあって。でも、事実の人生を背負っているはずなのに、虚構性を帯びていく瞬間があって。もっと大スターになっていたらいいんですけど、中途半端。
柿原:いやいや、大スターですよ。
水野:本当に中途半端な位置に僕はいるんですけど、それはラッキーでもあったなと思っていて。いきものがかりって名前は知っていただいているけど、僕自身は街にも普通に出られる。「みんなのものになったもの」と「ただの一個人」ってところを行き来できるような立場にいる。だからこそ、そこで迷っちゃうところがあって。
柿原:水野さんの小説のなかでもそういう描写がありましたよね。
水野:あー!
柿原:ライブのシーン。ご本人が思われてないと出てこない言葉だろうなと思いながら読んでました。
水野:それはあるかもしれないですね。でもそれこそインフルエンサーとして、YouTuberとして、多くの方に顔を晒し、言葉を晒し、「これは言ってはいけない」とか、自分という生身の人間をプロデュースしていく時期ができていくじゃないですか。そうすると、この『匿名』のようなテーマに行くのは、すごくわかるんですよね。
柿原:はい。
水野:やっぱりそこでの経験って作品に影響を与えていきますか?
柿原:そうですね。自分のなかでどうしても解決できないから、フィクションのなかで向き合ってみるというか。読んだひとに楽しんでもらうのは大前提ですけど、書くモチベーションとしてそこはあった気がします。
水野:一方で、自分の内面に向き合えるからこその苦しさもある気がするんですね。「これは自分じゃないから」って逃げられるものもあるというか。たとえば僕で言うと、近くに芸名で活動されている方もたくさんいて。違う自分像を持っていて、「素の自分とは違うんだよ」とはっきり分けて、そこで逃げているひともいると思うんですよ。でも、逃げれなくなっちゃったじゃないですか。そこはどうですか?
柿原:そうですよね。くだらないことですけど、「病院で名前を呼ばれたとき、もしかしたらこの“柿原朋哉”を知ってくれているひとがそこにいるかもしれないなぁ」とか考えたりしました。だから何だよって話ですけど。でも本名が出るってことは、そういう意味で生きづらくなったりするのかな、どうなんだろうなとはちょっと思っていて。水野さんは本名で活動することってどうなんですか? 漢字まで一緒ですか?
水野:まったく戸籍どおりの。僕らはもう何も考えてなかったから、全員本名だったんですよ。
柿原:芸名とかを考える前から活動されているんですもんね。
水野:そうですね。普通に神奈川の高校生だったので。いや、まさかね。
柿原:名前がこんなに知られるようになるとは。
水野:あんまり気づかれることないけど。唯一言えば、Uber Eatsとか頼むときちょっと躊躇するみたいな。宅配便の宛名を、妻の名前にしたり。そういうことはありますね。あと、僕はそういう経験はしてないですけど、やっぱり追われちゃって、セキュリティーをすごく気にして過ごさなきゃいけない方もたくさんいらっしゃるので。それは大変そうだなぁって思いますけど。
柿原:自分もまだ経験してないですけど、柿原朋哉として有名になっていきたい気持ちと、有名になったときどうなるんだろうという不安もある感じですね。
水野:どうなんでしょうね。僕、今までの過去をリセットできるとして、芸名でスタートするかってなったら、ちょっとわからないですね。
柿原:あ、そうですか。
水野:やっぱり名前を出しているからこその覚悟もあるし、そこで得たものもある気はしていて。だから柿原さんがぶんけいという名前ではなく、本名で出されたところ、僕はすごく肯定的に見ちゃうんですよ。
柿原:ありがとうございます。
水野:その覚悟に拍手を送りたくなっちゃう。それはすごくいいことなんじゃないかなって。苦しんじゃうかもしれないけれど。
柿原:まだわからないですね。
文・編集: 井出美緒、水野良樹