作家に冷静でいてほしいか、
それとも、いちばん猛り狂っていてほしいか。
HIROBAの公式YouTubeチャンネルで公開されているトークラジオ『小説家Z』。こちらはアーカイブ記事です。
1か月ぐらいスケジュールが空いたとしたら
彩瀬:たとえば、水野さんが洞窟に閉じ込められて、もうひとりだけ。音楽を作っても聴くのは自分だけ。自分の魂を慰めるための曲を作る。ってなったら、今とはまったく違う曲を作られますか?
水野:作ってみないとわからないところがあるんですけど…。曲を作ることは間違いないですね。
彩瀬:あぁー。
水野:2~3年前、すごく忙しかった時期、本当に疲弊して精神的にヤバくなって。スタッフのみなさんが気を遣ってくれて、1~2週間の休みを取ってくれたんですね。で、休もうってなって。締め切りもなくて。そしたら、落ちちゃったんですよね。逆に。
1週間ほどの休養をとった。 これまでも休みがなかったわけではないのだけれど、これまでの自分にとって休みとはつまり“作業ができる日”“考えることができる日”であったので、たぶん、世間一般の休みとは違ったのだと思う(たぶん、じゃないな)。これまで自分が「やすみ」という言葉を聞いてまっさきに思うのは「やった!作業ができる!」だった。 なかなか理解されないと思うけれど、テレビやらラジオやらいわゆるPR稼働がなくて、打ち合わせの類もない日はつまり『一日の“すべての時間”を作業に費やせる日』であり、上記の稼働がある日は『“それ以外の時間”のすべて』を作業に費やせる日だった。前者のような日は
彩瀬:落ちちゃった!? あー、そうなんだ!
水野:そこで、内省的な曲であれ、期待にお応えするような職業作家的な仕事であれ、書くことで自分を繋いでいたんだってことに気づいて。
彩瀬:なるほど。
水野:不思議な話なんですけど、書いていると、自分を保てているというか。逆に書かないと、保っていけないと思うので、書きます。絶対に書いちゃダメですって言われたらどうします? きつくないですか?
彩瀬:えー…。誰か言ってほしい(笑)。
水野:止めてくれと(笑)。
彩瀬:でも、たとえばすべての締め切りがひと休みになって、1か月ぐらいスケジュールが空いたとしたら、何か書く気がしますね。病気っていうか、そういう習性なんですかね。
水野:ここでの病気という言葉は褒め言葉です(笑)。習性はありますよね。
彩瀬:ありますよね。待ちわびている感じもしませんか? 自分がすべての約束事から置かれて、今の技量で好きなものを作っていいよって言われることを。
水野:わくわくしちゃいますね。
彩瀬:何しよっかな!って。
水野:また今、共感ボタン押しそうになりました。やっぱりその行為自体が楽しいのかな。
彩瀬:多分。しかも、「ちょっと失敗してもいいよ」って言われて、やったことない文体をまねてみようかなみたいな。あのひとのあれ、かっこいいと思っていたんだよな。ちょっと20枚だけまねして書いてみようかなみたいな。それって普段の仕事があると、なかなかできないじゃないですか。
水野:やっぱりものづくりとか、書くことにどこか子どものような遊びの部分も持っていますよね。
小説家とアーティストが出会い、新たな「物語」が生まれるーー 小説家の「歌詞」から生まれた5つの小説と楽曲。 収録作品 <小説> 「みちくさ」彩瀬まる 「南極に咲く花へ」宮内悠介 「透明稼業」最果タヒ 「星野先生の宿題」重松清 「Lunar rainbow」皆川博子 <楽曲> 「光る野原」彩瀬まる×伊藤沙莉×横山裕章 「南極に咲く花へ」宮内悠介×坂本真綾×江口亮 「透明稼業」最果タヒ×崎山蒼志×長谷川白紙 「ステラ2021」重松清×柄本祐×トオミヨウ 「哀歌」皆川博子×吉澤嘉代子×世武裕子 作曲・Project Produce 水野良樹
彩瀬:遊びの部分を保持し続けるって大事じゃないですか。長くものを作る仕事をしていくなかで。
水野:それが保持できない瞬間もありました?
彩瀬:あったかもしれません。とくに目の前の仕事が難しくって、どう咀嚼すればいいのかわからないみたいな苦しいとき。楽しんで作っていたときのリズムとか、パッとあちこちに目が向いて、おもしろいものを見つけられる感じとか、そこが保持できなくなってくると、やり方を変えなきゃって感じがあったと思います。
高校の廊下にうずくまる、かつての少女だったものの影。疲れた女の部屋でせっせと料理を作る黒い鳥。母が亡くなってから毎夜現れる白い手……。何気ない暮らしの中に不意に現れる、この世の外から来たものたち。傷ついた人間を甘く優しく
自分のセンサーは頼りにならない。
水野:苦しんでいるバージョンと、楽しい楽しいと見えていくというバージョンと、彩瀬さん的にはどっちの作品が完成したラインでよりいいものになっています?
彩瀬:正直、わからないんですよ。自分では重い岩を押すような形で仕上げた作品でも、それほど読み心地が違うとは言われなかったり。逆に、「これはぽんぽん思いつく!」みたいな作品でも、大きな違いがあるようには見えないんだろうなって。作り手のテンポのよさによって、作品の完成度が変わったことありますか?
水野:やっぱり音楽は結果がわかりやすいので…。たとえば、これはよく言う話なんですけど、僕らのなかでいちばんヒットしたのが「ありがとう」という曲なんですけど。あれほど自信がない曲はなかったんですよ。
彩瀬:えぇー!?
水野:もうダメだって思っちゃって。形にはしたけど、出てからも自信がなかった。
彩瀬:それはつらい。でもわかる気がします。自分の、「これだ!」っていうのと、市場や業界内の評価って連動しない。
水野:連動しないですね。僕、20代の頃とか若気の至りなんですけど、自信のある曲だとスタジオで、「あー、これはヒットしますわ」とか聖恵に言っちゃっていたんですよ。で、「マジで? よっちゃん、すごい今回は自信あるね!」みたいな。だけど、僕がヒットするって言った曲、絶対にヒットしないんですよ。
彩瀬:(笑)。
水野:途中から「もう縁起悪いからそれ言うな!お前が自信を持っていると、あんまりうまくいかない。むしろ自信ないときのほうがうまくいく!」みたいな。で、デビュー曲の「SAKURA」なんかは、僕ら新人だったこともあり、当時の担当ディレクターがすごく厳しくて。38パターン、歌詞を直したんですよ。
彩瀬:なぁー!
水野:正直、もうなんだかわからなくなっていくんですよ(笑)。
彩瀬:どうしたかったんだっけ、みたいな。
水野:言われるがまま、書いて直して。そして今、ちょっと技術がついた自分が振り返って読んでみると、よくできた歌詞なんですよ。よう書いたねっていう。だからそのときの自分の手ごたえとか、できている感とかは、あんまり頼りにならないなっていうのが僕のなかではあります。
彩瀬:私も今、共感ボタン押しています。でも自分のセンサーが頼りにならなくて、どうやっていけばいいのか。
水野:でも常にセンサーについて考えることは大事な気はしていて。わからないから、「わからないでいいや!」って投げちゃったら、多分書けないと思うんですよ。
彩瀬:継続的に、自分的には綺麗だと思うフォームで、力を込めた球を投げ続けることで、時々勝手にヒットしてくれるみたいな。「これはヒットする」ってセンサーは持ってないけど、なるべく自分的に美しいフォームで力強い球を投げ続ける。
物語を書き始める前に、音楽をたくさん聴く
水野:それで言うと僕、なるべく同じフォントで、同じ大きさで、全部の曲の歌詞を書くようにしているんです。
彩瀬:はい、はい。
水野:手書きだと、どうしても筆圧が違ってくるじゃないですか。自分のテンションが字に出ちゃうから、フラットな状態で見られない。だから無味乾燥な状態を、フラットに見る。バランスが崩れてないかなとか、今までの自分の感覚とどう違うのかなとか、確かめながらじゃないと怖くて書けないんですよね。
彩瀬:すごく作られ方が理性的ですね。私は物語を書き始める前に、音楽をたくさん聴くんです。ぼんやりと、こういう話で、こういう湿度で重さで、とか想像しながら。歌詞というよりも、メロディーですね。「こういう気分にさせてくれるのがちょうどいい」みたいなやつをなるべく溜めて、書き始めたりします。逆にわざと脳をテンション上げさせているというか、変な脳内麻薬を出させてから書いているような。
水野:なるほど! 僕は逆です。まずメロディーが浮かんで、「あ、今いいフレーズが浮かんだ。これ曲になる!」って思ったら、勢いでグワーッとやるんですよ。そして、勢いがピークにいく手前でやめるんです。
彩瀬:やめるんですか!?
水野:勢いでいくとうまくいかないんですよ。テンション上がっているから楽しいんですけど、そこでやめて。外に出ちゃいますね。
彩瀬:そうなんだー。1回冷ますんですね。
水野:冷まして、なんなら寝ちゃって。で、冷静な状態でテンションが上がっているものを聴くと、だいたい粗があるので。
彩瀬:なるほどー。
水野:その粗に気づいて、「ここはこうしたほうがいいな」とかやることが多いですね。
彩瀬:私もそのやり方をちょっと見習ったほうがいい気がします。
水野:でも結局、順番が違うだけで、自分のテンションのコントロールは絶対あると思いますね。
ドラッグストア店長の梨枝は、28歳になる今も実家暮し。ある日、バイトの大学生と恋に落ち、ついに家を出た。が、母の「みっともない女になるな」という“正しさ”が呪縛のように付き纏(まと)う。突然消えたパート男性、鎮痛剤依存の
彩瀬:私はテンションをわーっと上げることで、普段の自分だと思いつかない領域の1行が出てきてくれないかなっていう期待がどこかにあるんですよね。でも水野さんはすごくフラットな精神状態で作っていらっしゃる。
水野:どうなんですかねー。行ったり来たりはしているんですけど、フラットなところに戻りたいんだと思いますね。やっぱり聴くひとは冷静だから。
彩瀬:まぁそうですよねー。
水野:ポップスの曲はとくにそうですけど、街中でまったく違う用事で歩いているひとが「なんかいい曲だな」って思わないといけない。そういう受け手の冷静さに対する角度が必要っていうのは、よく思います。
彩瀬:受け手が冷静な状態で作品を受けるという視野を、私は欠いたまま10年やってきましたね。次の10年はちゃんとそこを反省して、活かしていこうと思いました。
水野:でも、小説は読む側が能動的じゃないと入ってこないじゃないですか。その本を取って開いて、自分の時間をそこにぶつけるってすごいことだと思っていて。音楽って結構、暴力的だから。テレビで流れて、バッって耳を掴むみたいな。小説は読むひとが出会いに行くから、逆にあんまりフラットでもよくないのかなぁ。
彩瀬:どうなんでしょうねぇ。作家に冷静でいてほしいか、それともいちばん猛り狂っていてほしいか。読者によってもまた違うと思うんですけど…。多分、今まで10年間、私の作品を追ってくださっている読者さんたちは、私がちょっとおかしくなっているのを楽しんでくださっていると(笑)。
水野:それはね、なんとなくわかります(笑)。
彩瀬:「変なことまた書いてる!」みたいなのを楽しんでくださっている方だけが、今も付き合ってくださっていると思います。
水野:読者の方が今、「そうだよ、そうだよ」ってボタンを押していると思います。ただ、彩瀬さんの作品は、作者が没入はしているけれども、開いている扉があるような気がします。読者が入れるというか。
彩瀬:作り手の没入と大衆性って、実はちょっと齟齬があるんですかね。決して連動するものではないじゃないですか。水野さんがおっしゃるように、作り手がフラットで落ち着いた状態で、冷静な受け手も巻き込めるような形で緻密に作っていったほうが、絶対に大衆性は獲得できる。でもそれを突き詰めていくと、今度は、作り手として自分はどこにいるんだ? みたいな感じになっていくんですよね。これは永遠の…。
水野:課題ですね。
文・編集: 井出美緒、水野良樹