共感を突き抜けて、ゲージを突破したい。
HIROBAの公式YouTubeチャンネルで公開されているトークラジオ『小説家Z』。こちらはアーカイブ記事です。
青羽悠(あおば・ゆう) 小説家。2000年愛知県生まれ。京都大学総合人間学部在学中。2016年、小説すばる新人賞を受賞。『星に願いを、そして手を。』で集英社からデビュー。16歳での同賞受賞は史上最年少となる。
流行との距離の取り方
水野:先輩面すると、自分が変わることから逃れられないという難しさがありますよね。
青羽:やはり。新しいものをやり続けないと。
水野:そう。で、進化しているわけじゃなくて、退化する部分もあるから。それも含めての変化なので。だから毎回ガッカリしながら。
青羽:どこにですか?
水野:できてないなとか。わかりやすく流行りものの世界にいるので、如実に出るんですよ。自分の価値観がよくも悪くも古くなっているってことを、パッと面前に突き付けられるような分野にいるから。
青羽:流行にいちばん敏感な分野。音楽のなかでも、ド・流行みたいな。
水野:本当1年とかで変わっちゃいますからね。
青羽:流行との距離の取り方を聞きたいです。
水野:いや、わからないです。全然わからない。誰か取れるのかなぁ。でもね、ぐあーって世の中が注目するときの温度感はなんとなくわかります。ひとが上がっていくときの熱量の感じ。たとえば僕らより若い世代のミュージシャンがどんどん出てくるじゃないですか。
青羽:そうですね。
水野:若いひとがガーッって上っていくときの表情とか、「あぁ、あのときの表情だ」ってすごくわかる。
青羽:かっこよすぎる。
水野:懐かしく見える。顔色が変わりますね。あと、まわりのひとが変わるんですよ。
青羽:今、『幸せのままで、死んでくれ』のなかに書いてあったと思いながら。
水野:まわりのひとの顔が変わっていくのはおもしろいですよ。如実に。真ん中のひとは、「変わったね」ってすごく言われるからこそ、「変わってないんだ」って自意識として思いたくて意外と注意しているんですよ。もちろん変わっているんだけど、わりともうちょっと先に行っている場合が多くて。そのひとを支えているまわりのひとのほうが、自分が変わることに対しての危惧が少ないから。
青羽:なるほどなるほど。
水野:うわーって、チーム全体が変わっていって、それがよいときもあれば悪いときもあるって状況はいくつもあると思います。小説も、自分の存在を誰も知らないところから、「青羽さんの作品が大好きなんです」って読者が増えて、何かを期待されるところのフェーズに来たとき、「あれ、俺、そこと距離取ったほうがいいのかな。もしくはそれにボール返したほうがいいのかな」って。
青羽:応えるべきなのか、自分を優先するべきなのか。
圧倒されたい。
水野:どっちですか
青羽:僕、絶対に応えられないと思う。応える小説が嫌いなんだと思う。上回ってほしい。共感って、自分のなかで価値が低いんだなって思ったりしたことがあって。僕はやっぱり知らないものに圧倒されたい。予想はさせたくないし。でもそれがいいのかわからないですけどね。
水野:他者に出会いたい感じですかね。
青羽:というと?
水野:最近思うんですけど、「作品を読む理由って何なんだ」って。僕、今5歳の息子がいるんだけど、「絵本を読みたい」って言うわけですよ。あんまり言葉もまだよくわかってないのに、「新しい物語を読みたい」ってすごく言うんですよ。あれ何だろうなって。
青羽:貪欲に。たしかになぁ。
水野:それって僕らの世代になると、同じドラマを何回も観ちゃうとか。あと本を読みながら、自分と出会う瞬間があるから、そういうのを見たいとか。それこそ共感したいってわかりやすい例で。「そうそうそう」って、孤独感を抑えたい気持ちもあるにはあるから読む。でもその、「圧倒されたい」って、自分が感じたこともないものとか、見たこともないものに触れてみたいみたいな。
青羽:そうでしょうね。「あ、わかる」とか「俺もそうやな」って共感って限界があると思って。それを突き抜けて、ゲージを突破したいみたいな気持ちがある。でも一方で、共感が持つ力もわかっているから、どうバランスを取るか。でも共感に走ると多分、物語って腐っちゃう気がするから。
水野:難しいですよね。読めないと伝わらないわけだから。ある種、「わかってもらわないと」って宿命づけられているんだけど、「わかってもらっても困るぜ」みたいな。
青羽:そうそうそう。読み心地と読み応えの違いかなとか思ったりするんですけど。ある程度、読み心地のよさは担保しないといけないんですけど、どこかでフックというか、理解し得ないのか、「自分のなかにもそういうのがあるかもしれない」ってちょっとゾワゾワするのか、そういうパワーが欲しいなって思ったりしますね。
水野:他の方の作品に対して、そういうことを感じることってあります? 他の作品に自分の何かが刺激されて、針が動くみたいな。
青羽:ありますね。それが起きたら、好きな作家なり、アーティストになる。フィクションの持つ力ってそこかなって思っていて。たとえば物語のなかで、ひとが死ぬ、偶然出会う、あるいは運命的に別れる、それを100%共感できるひとっていないなと思っていて。そういう強い感情を駆使して、浴びせてくれるひとみたいな。浴びせてくれるし、捉え方を変えてくれるようなひとはずっと残りますね。自分のなかに。
今まで積んでいたエンジンは御免になりつつある。
水野:結局、ずっと変化していくひとなんですね。自分と違うものを受け入れて、自分のゲージが変わっていくわけじゃないですか。それをある種の快感として、刺激を求めていくとなると結果、青羽悠というひとが変わっていく。変わり続けていく。
青羽:変わり続けないとですね。
水野:ちょっと角度を変えると、どこかを目指しているとかあります?
青羽:今はわりとさまよっている状態ですね。多分、デビューする前とか、直後とか、「何かになりたい!」って憧れて、強い力で書いていたんです。でもそれが最低限、「何者かにはなってしまった」と、思わなくもなくて。そうなったとき、今まで積んでいたエンジンはもう若干御免になりつつある。
水野:なるほど。
青羽:「僕、小説やめちゃうのかな」って思っていたんですよ。でも、書き続けている。じゃあ、なんで書いているの? って言ったら、わからなくて。ただ書いているという事実がある。今は、原稿をひたすら書き続けて、手繰っているしかない時間なのかなって気はしています。これから大きな目標が現れるかもしれないし、知らず知らずのうちにどこかへ向かおうとしているのかもしれないですけど。探している、さまよっているというか。
水野:いいなぁ。楽しそうだなぁ。
青羽:いつか楽しいと言うんですかねぇ。
水野:これからどんな作品を書くかって決まっています?
青羽:もうそろそろ新刊が出るんですけど。今までの読者はどんな顔をするんだろうって、ドキドキしている。
水野:また違う?
青羽:結構違います。でも、共通するものもきっとあるはずで。どう評価されるんだろうっていうのは気になっている。あと、やっぱり書くものが変わりつつあるというか。表れるものが如実に変わっている印象はありますね。それをいかに読んでくれるひとに近づけるのか、遠ざけるのか。あとは単純にエンタメ、物語としてどこまでおもしろくできるか。これは技術ですよね。
水野:あぁー。
青羽:技術と感性ってありません?
水野:すごくありますよ。そ
青羽:水野さんは1回技術を極められて。
水野:いや、全然極められてない。本当に技術が足りない。今日の朝も思ってた。技術が足りないって。
青羽:驚きだなぁ。水野さんが技術足りないって。
水野:いや、でもうまくなったなって思う瞬間あります? 1作1作変わっていって、「あ、ここは超えた」みたいな。
青羽:ちょっとずつ。でも、「いや、これ前もやったなぁ」みたいな気持ちになるときはありますよね。
水野:なるほどねぇ。自分の話をして恐縮なんだけど、ちょっと見えるようになるんですよ。うまくなると。たとえばフレーズ1個浮かんで、「この曲はこういう展開があり得るはずだ」って景色が一瞬見えるじゃないですか。その景色の広がり方が20代のときより広い場合があるんですよ。
青羽:全体像の見え方が広くなる。
水野:そう、広く見えている。だけど、今の俺の技術では書けないっていう。
青羽:あぁ…わかる…。なるほど。
水野:お山のてっぺんは見えているんだけど、「え、今の俺の装備だと、ここ登れない」みたいな。
青羽:遠くで鳴ってはいるんだけど。
水野:そうそう。そういう場面が前より増えた気がしていますね。
文・編集: 井出美緒、水野良樹