こんなにおもしろいひとが世界のどこかにいるから、現実は楽しいし、生きるに値すると伝えたい。

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
https://www.j-wave.co.jp/original/creatorsnote/
“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週土曜日夜21時から放送。
水野:今回のゲストは、文筆家の伊藤亜和さんです。

伊藤亜和(いとうあわ)
1996年、神奈川県横浜市生まれ。文筆家。学習院大学 文学部 フランス語圏文化学科卒業。noteに掲載した『パパと私』がX(旧Twitter)でジェーン・スー氏、糸井重里氏などの目に留まり注目を集める。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)は、多くの著名人からも高く評価された。その他の著書に、『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)、『私の言ってること、わかりますか』(光文社)などがある。
自分のことなら何でも書いてしまう

水野:子どもの頃から、文章を書くことは好きだったんですか?
伊藤:まったくそんなことはないですね。文章を自主的に書いていた記憶というと、当時はmixiが流行っていたので、そこで友だちの“紹介文”というものを書くのが楽しかったこと。高校に入ってからはTwitter。でも、まさか文章を書くことが自分の仕事になっていくとは思いませんでした。とにかく人前に出たい気持ちはあったので、いろいろなことに手を出して、そのなかでたまたま見つけてもらえたのが文章なのかもしれません。
水野:人前に出たい、という気持ちはどこから来るものなのでしょう。
伊藤:最近、「私は小さい頃から、自分が公共のものだと思っていた部分がある」ということに気づいたんですね。見た目が他のひとと違うので、ずっとひとからの視線を受けてきた。だから、常に自分の一挙手一投足をパフォーマンスとして見せなければならない気がしていて。当たり前に、自分のすべてが開示されているべきだと感じていました。それが「人前に出たい」という気持ちにつながっているんでしょうね。

水野:人前にさらされない部分も欲しい、という気持ちは生じませんでしたか?
伊藤:発想にありませんでした。今になっても、ひとりで静かに過ごすことは得意ではないんです。
水野:今、ご自身の言葉が世の中に広まっていますよね。すると、自分の書かない部分も大事にしたくなってしまう気がするのですが。
伊藤:いや、ないですね。家族のことなどもわりと書き尽くしてしまいました。ただ、最近結婚をしまして、人生で初めて“ある程度はプライバシーを守らなければならないひと”をそばに置いたんです。そこで初めて、「書くべきではないこともあるんだな」ということに気づいたぐらいですね。自分のことなら何でも書いてしまう。私が自分の話をしているだけなのに、それが商売になっているのは変な話だなとも思いますが。
水野:むずがゆい気持ちはありますか?

伊藤:ないんです。本の感想を言ってもらったり、「本当に好きなんです」って、会って涙を流してくれるひとがいるのを見たりして、「大変なことをしてしまったのではないか」という気持ちは一瞬よぎります。ただ、恥ずかしさはありませんね。
水野:恥ずかしさがないってすごいことだと思います。
伊藤:最近、いろんなひとに会って、「これは言いたくないです」とか「これは秘密です」みたいなことを、みんながごく自然に言っているのを聞いて。「みんな、秘密主義だな」と不思議に思っている状態です。
水野:僕も「これは話せないな」と思うことありますよ。あと、「自分をこう見せたい」という気持ちを、多くの人はよくもわるくも無視できない。
伊藤:「自分をこう見せたい」という気持ちは、私にもあると思いますが、その範囲が限りなく広いのでしょうね。情けなく見られたいときもありますし。
“自分だけの意識の部屋”に自分も入れてもらえない

水野:『パパと私』が大きな反響を呼んだときには、どのような気持ちでしたか?
伊藤:「よかった、やることが見つかった」と思いました。大学を卒業して、毎日夕方に起きて朝までガールズバーで働いていたので、出勤してお酒を飲んでという生活だったんです。それで、「この先どうしよう」と思っていたところで、みなさんから見つけていただけたので、やるべきことがはっきりしたというか。
水野:ジェーン・スーさんだったり、糸井重里さんだったり、たくさんのひとが目の前に現れてくるじゃないですか。そういうひとたちが、「水野くんさ」って話してくださるときの、不思議な感覚と怖さと嬉しさと。すべてがないまぜになるような瞬間が僕にも何度かあったのですが、伊藤さんはいかがでしたか?
伊藤:すごくわかります。「なんでこのひとが話しかけてくるんだ」みたいな。でも、それが一定を超えると、何も思わなくなりませんか?
水野:はい、はい。
伊藤:それが悲しい。最初の頃は、「このひとに会えた!」と思っていたけれど、「そういえば会ったな」くらいになってきてしまう。「もっと噛みしめろや」と自分に感じたりはしますね。会いたいひとを聞かれても、いない気がする。そういうことが最近は空しいです。
水野:逆に今、伊藤亜和さんに会いたいひとがいっぱいいるじゃないですか。

伊藤:ありがたいことに。「なんで私なんかに会いたいんだろう」と思いますね。相手の“好き”を壊さないように、ちゃんとしなければと。
水野:苦手なひとはいますか?
伊藤:いないです。
水野:それはどうしてでしょう。
伊藤:話す相性はあるでしょうけど、明らかに合わないひとがいても、私はそれをサファリパーク的に楽しんでしまっているのかもしれません。車の隙間からちょっと肉を出して、それに飛びかかってくるのを「おおー」みたいに眺めている感じで。よくもわるくも、自分事としてそのひとにかかわってない気がします。
水野:エッセイに書かれるご家族のお話も、付き合った方のお話も、プライベートな空間の自分事であるはずなのに、どこか自分事ではなくなっていくじゃないですか。なぜ、その距離を取ることができるのですか?
伊藤:私は自分自身とも距離を取っているのだと思います。まんなかに“自分だけの意識の部屋”みたいなものがあって、そこには他のひとたちは入れない。私だけが入れるはず。だけど、その“自分だけの意識の部屋”に自分も入れてもらえない感覚があるんです。だから、みんなと一緒に自分のことを見ている。それは多分、多くの視線を受けてきたことや、「自分が何者か」ということを問われ続けてきたことの結果だろうなと。

水野:僕は逆に、視線を受けてこなかったタイプで。いつも大勢のなかのひとりだとされていた。常にマジョリティの側にいると決めつけられてきた。それが、いきものがかりの名前で世の中に出ると、いろんなイメージを投影されるようになって。そのイメージと自分がかけ離れているというか、ズレがある。それがいまだにイヤで、どうしたらいいのかわからないんですよね。
伊藤:いきものがかりとしての水野さんの人格みたいなものはありますか?
水野:多分、あると思います。求められているもの、そう思われているもの、結果的に“そうしなければならないんだろうな”ってなっているもの。だから、いきものがかりでいると、大人だったら普通にするような話を絶対に公の場でしないんです。たとえば、性やお金の話。別に表立ってしたいとも思わないのですが。
伊藤:たしかに。どこか教育テレビのお兄さんお姉さんのような見られ方をしていますよね。
水野:そうそう。だから、伊藤さんのように自分のことを書くひとは、どう処理されているのか知りたくて。
伊藤:私は、ひとつの人格しか持っていなかったのだと思います。小さい頃から常に「伊藤亜和ならどうする?」と考えてやっていた。無意識に自分をコンテンツにしていたんですよね。でも最近は、「どうしたら“自分だけの意識の部屋”に入れるのかな」ということを考えていますね。
「そのひとが実在する」ということが大事

水野:読み手のことは考えます?
伊藤:読み手のことしか考えてないですね。書くことで自分が安らいだり、何かが救われたりするわけではなくて。誰かが読んでウケるか、おもしろいか。全身商品のような感覚です。
水野:かっこいい。小説も書けるんじゃないですか?
伊藤:それがわからないんですよね。書けるでしょって感じで、当たり前のように依頼が来るのですが、私は小説を読んでこなかったので、どうやって物語を作ればいいのかまったくわかりません。しかも、小説の場合は“存在しないひと”を書くじゃないですか。以前、短編を書いたときに、「知らないひとの嘘の話を書いている」と思ってしまって。そこをどう楽しめるようにしていくのか。
水野:嘘か本当かということは、伊藤さんにとって大きいのでしょうか。
伊藤:「そのひとが実在する」ということが大事なのかもしれません。作った話の世界がいくら楽しくても、現実に戻っていくわけじゃないですか。私は読んでくれたひとに、「こんなにおもしろいひとが世界のどこかにいるから、現実は楽しいし、生きるに値する」と伝えたいのだと思います。それにもったいなくて。楽しいひとが近くにいたら、「みんな、こんなおもしろいひとがいるから見て」と勝手に共有したくなりますね。
水野:本に対するフィードバックに対しては、どのように向き合っていますか?
伊藤:誰かの人生に関わってしまっている。その重みがわかってない自分が怖い状態です。水野さんはたくさんのひとに曲が聴かれている状態をどう思いますか?

水野:恐ろしいと思っています。たとえば、こうしてゲストに来てくださった初めましての方に、「世代です。卒業式で歌っていました」と言われることの恐ろしさ。
伊藤:恐ろしい。私も同じです。普通に憧れていたひとの講演を見に行った帰りに、「本、読んでいますよ」と言われたときの恐怖感。「こっちを見ないで」みたいな(笑)。それで、「気取りすぎた。やばい。ふざけなければ」と思って出したのが、いちばん新しい本である『変な奴やめたい。』なんです。今まででもっともくだらない自負があります。
水野:ここから何を書くんですか?
伊藤:ね。「もう書くことないですよ」って言っていて。でも、絵本を出す予定はあります。
水野:どういった絵本なのでしょうか。
伊藤:弟をモデルに書きました。彼が、学校にも行かず、引きこもってしまった時期があって。そのとき、「見られるから行きたくない」と言っていたんですね。私とは正反対だと思っていた弟ですが、感じることは一緒なんだなと気づきました。だから、そういう子とか、まわりにそういう子がいる子どもたちに、何か伝えられたらなと。でも、どうして絵本の物語は書けるんだろう。
水野:多分、そこに弟さんという存在がいるから、構造としてはエッセイに近いんですかね。
伊藤:物語において、初めて「伝えたい」という気持ちが出たのかな。小説を書く場合にも、それが必要なのだと思います。私は、自分の思想や考えがほとんどないんですね。だから、できることは、「こういうひとがいるよ」という事例をいろんな形で提示し続けて、想像力を膨らませてもらうこと。私自身がいつも“例外”として扱われてきたので、自分が普通に存在できる社会を作りたくてやり続けているんだろうなと思います。

水野:では最後に、これからクリエイターを目指すひとたちにメッセージをひと言お願いします。
伊藤:やはり“出すこと”が大事だと思います。友だちと話していても、「やりたいことがあるけれど、まだ満足がいってないから出せない」と言うんですよね。でも、それだとキリがない部分はある気がして。優れているかどうかは、まわりの評価で決まるから。世間に知ってほしい、自分を外に出したいという気持ちがあるのなら、とりあえず出してみる。それはまったく恥ずかしいことではないと伝えたいです。


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文・編集:井出美緒、水野良樹
写真:北川聖人
メイク:内藤歩
番組:J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
毎週土曜夜21時放送
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