『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』島田昌典

いろんなジャンルが大好きで、それがごった煮で出てきて個性になる。

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
https://www.j-wave.co.jp/original/creatorsnote/
“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週土曜日夜21時から放送。

水野:今回のゲストは、音楽プロデューサーの島田昌典さんです。

島田昌典(しまだまさのり)
1961年大阪生まれ。音楽プロデューサー、アレンジャー、キーボーディスト。大学では軽音楽部に入り、当時大ブームだったジャズフュージョンの洗礼を受ける。その後「NANIWA EXPRESS」の青柳誠にピアノを師事し、同じくNANIWA EXPRESSの清水興率いる「HUMAN SOUL」に参加。自身のバンドや関西をベースにキーボーディストとして仕事を始める。プライベートスタジオ「Great Studio」から数々のヒットソングを創作。aiko、いきものがかり、秦 基博、back number他数多くのアーティストの楽曲のアレンジ&プロデュースに関わる。

今は部屋がミュージアムのよう

水野:島田さんには、僕らいきものがかりのデビュー曲「SAKURA」から、「帰りたくなったよ」や「ノスタルジア」、そして最新曲「生きて、燦々」まで、たくさんの楽曲をプロデュースしていただいております。まずは改めて、音楽の道に進まれたきっかけから教えてください。

島田:最初は、本間ちゃん(本間昭光)と同じ。昭和60年代後半から70年代は高度経済成長期で、団地に住むことや子どもをピアノに通わせることが親のステータスだったんですよ。僕も団地に住んで、小学1年生くらいから小学5年生くらいまで、クラシックピアノを習っていました。

水野:島田さんがお好きなThe Beatlesにはいつ頃に出会ったのですか?

島田:小学4年生ぐらいの頃かな。近所のお兄ちゃんが、「これカッコいいよ」とカセットプレーヤーでかけてくれて。それがThe Beatlesの「Help!」で、衝撃を受けたんです。そこからThe Beatlesが好きになっていって、中学からはブリティッシュロックとかをどんどん聴き始めました。当時は、ラジオくらいしか情報源がなかったから、FMをチェックしてはカセットに録音して。ラジオが僕の音楽人生を作ってくれた感じですね。

水野:耳コピとかもされていました?

島田:耳コピしたり、バンドのスコアを買ったり。中学時代は、今みたいなリハスタジオがなかったから、家に友だちを呼んで、音が漏れないように窓を閉めて練習していました。しかも、たまたま父がテープレコーダーを持っていて、LR別々に録音できたんです。片方にドラムとベースを録音して、それを聴きながらギターと歌を被せて、さらにカセットに録音して。スピーカーで聴いたときに、「うわー!すごい!」って感動して。

水野:島田さんは今でこそ、とてつもない数の機材や楽器を持っていらっしゃる、ものすごいコレクターでもありますが、当時はどうされていたのでしょうか。

島田:まずはドラムやギターを中古で買って。いろんな雑誌を穴が空くぐらい読んで、「何を使っているんだ?」とか「このマイクは何だ?」と調べていましたね。インターネットが普及してからは、「この機材を使えば、ビートルズと同じ音が出るんかな?」と、さまざまな機材を次々と揃えるようになりました。今は部屋がミュージアムのようになっています(笑)。

水野:音楽を生業にしようと思うようになったのはどのあたりから?

島田:まったく音楽は関係ない理系の大学に3年生まで通っていて、軽音楽部に入っていたんですけど、音楽をやりすぎて留年しまして。そのタイミングで、「サラリーマンになるよりは、音楽をやっていきたい」と決意して、大学を辞めました。そして22~23歳のとき、たまたまひとのつながりがあって、キャバレーのハウスバンドのステージにピアニストで呼ばれるようになり。そこでいろんな譜面の勉強ができたんですよね。

水野:演奏については何か言われましたか?

島田:いや、「自由に弾け」という感じだったので、おもしろかった。ピアノの横に譜面がザーッとあって、順番に演奏していく。ブワーと弾くと、「OK!OK!」って。ジャズやポピュラーソング、お客さんがダンスをしているBGMとかも、いろいろ弾きましたね。たまに演歌歌手の方が来たりもして。

水野:その野性味が溢れるライブシーンから、レコーディングの仕事にどうつながっていったのでしょう。

島田:キャバレーに多くのミュージシャン方が来るなかで、自然と縁がつながっていきました。まずは、円広志さんやもんたよしのりさんのバックバンドを始めて。さらに、円広志さんのライブアレンジなどもやらせてもらえるようになり、アレンジのおもしろさに気づき。どんどんいろんな方とお仕事できるようになっていきました。関西時代はすごく勉強になりましたね。まったくアカデミックではなく、我流でやりたい放題ですが(笑)。

若い頃は、「俺が俺が!」だったけれど…

水野:そして、aikoさんと出会われて、さらにキャリアが変わっていかれたんですよね。当時、aikoさんの印象はいかがでしたか?

島田:もう天才。歌詞の世界観もすごいし、パッと歌って、フェイクもして、どんどんメロディーも変えていく。「ハモリを入れてみようか」と言ったら、何も聞かずにハモることができる。今でもそんな感じなんですけど。さらに、aikoちゃんの作っている曲は、僕の大好きなビートルズとコード進行が通じる部分もあったりして、おもしろいなと。アレンジを提案したときもすごく喜んでくれたし、波長が合いましたね。

水野:ご自身のサウンドの個性とは、どういうものだと思われますか?

島田:自分でもまだよくわかりません。ロックもジャズもブルースもソウルもいろんなジャンルが大好きで、それがごった煮で出てくるというか。コントロールできない部分があります。弾き語りの曲をもらって、その歌に合わせてピアノをバーッて弾いたときに出てくるものがすべてです。曲からインスピレーションを受けて、「こうしたい」というイメージを作っていくんです。だから、アーティストによって変わるかな。

水野:島田さんはよく、「すっぴんなデモのほうがやりやすい」とおっしゃるんですよね。

島田:歌だけを聴いて、そこからイメージできるものをピアノで弾きまくって、歌に対するアプローチやコード進行が見えてくるので。あまりに作り込まれたデモだと、引っ張られすぎてしまう。歌とピアノだけ、歌とギターだけ、みたいなデモのほうが、僕はやりやすい気がします。

水野:いきものがかりの「SAKURA」はどのように作っていったのですか?

島田:昨日、たまたま当時の譜面を見たんだけれど、制作が20年前の11月だからちょうど今頃ですね。あの頃を思い出します。まず、やっぱり聖恵ちゃんの歌声が本当に素晴らしいので、それをどう活かすかをいちばん大切にしました。当時は3人だったので、この曲のなかで3人の顔がどう見えるかということも考えたかな。あと、歌詞の世界観。<さくら ひらひら>を音でどう表現しようかと。

水野:歌詞から音につなげるとき、何を大事にされますか?

島田:その情景がどう見えるか。生ピアノか、エレクトリックピアノかで、温度感がすごく変わるし。ピアノのタッチでも聴こえ方がまったく違う。そこはいろんなことを試しながらやるので、時間がかかりますね。

水野:僕らの楽曲に「SNOW AGAIN」という楽曲がありまして。

島田:それ、大好き。

水野:僕もあのアレンジが大好きなんです。聴いたことない方、聴いてみてください。音で雪が降っているんですよ。しんしんと。そしてこの曲は、リフレインするフレーズが続いて、何度もモチーフとして出てくるんですけど、淡々と雪が降ってくる感じもありながら、グッと熱がこもる瞬間もある。それがまた歌詞の物語に合っていて、本当に素敵で。

島田:2月ぐらいに雪が東京に降るたび聴きたくなります。あれができたのは、メロディーや歌詞があったから。0から1にしているのは水野くんだからね。でも、いろいろ入れ込んだことを、ちゃんといきものがかりが受け取ってくれて、「これでいきましょう」と言ってくれて、嬉しかったね。

水野:キャリアを長く積まれていくなかで、ご自身の変化を感じる面というと?

島田:若い頃は、「俺が俺が!」みたいな感じだったんですよ。いわゆるオーバーアレンジもあったし。でも最近はもう、「最初からこの曲にはこのアレンジがあったな」と思うぐらい、自然な聴こえ方が好き。ちょっと大人になったのかな。アーティストや聴いてくれるひとに喜んでほしいから、想像のちょっと上をいきたい気持ちはあったりするので、自分のなかで葛藤しつつも、いろいろ実験はし続けていきたいと思っています。

「ばらすーし」

水野:島田さんの曲は、どうしてずっとみずみずしいままなのでしょう。あまり時代を選ばないというか。

島田:いつ聴いても、新鮮な気持ちになることができる曲にしたいと思っているからですかね。最初に聴いたときの衝撃やワクワクを大事にしているというか。あと、いわゆる流行りのシンセサイザーの音色とかは、自分のイメージに出てこないから、あまり入れてなかったり。基本的には生の響きが好きですかね。なるべくアンサンブルで。みんなで音を出したときに、デモからパーッと広がる感じは目指しています。

水野:みなさんに訴えたいんですけど、島田さんのデモって半端ないんですよ。一流のスタジオミュージシャンのみなさんが、「このデモを超えるのが大変なんだよなぁ…」ってボソッとこぼすぐらい(笑)。そして僕らが幸せなのは、「せーの!」で録る瞬間も目の前で見ていることで。ファーストテイクで演奏されたとき、ものすごい感動でした。

島田:あれはすごいよね。そのときのアンサンブルの空気感とか、ミュージシャンのちょっとしたアクセントとか、ミュージシャン同士が生で反応し合って、曲が盛り上がっていったりする。デモとは変わりますよね。大体、デモには余白を作っていて、現場でマジックを待つ感じなんですよ。

水野:そして最近、まさにまたマジックを起こしていただきまして。新曲の「生きて、燦々」のアレンジを手がけていただきました。

島田:水野くんのデモがもうすごかった。コーラス、クワイヤーのメロディーもちゃんと入っていたし。「ここから何をしたらいいかな」って感じだった。でも、これをブラッシュアップして、マジックを起こしたいなと。

水野:いつも僕らの作品をレコーディングしてくださっている、甲斐俊郎さんというエンジニアさんと聖恵と話したんですけど、「島田さんのサウンドは、歌の通り道ができているよね」と。それはやはり歌を中心に考えられているからでしょうか。

島田:ああー、自然と考えているかもしれないですね。前にドーンと聖恵ちゃんの声があって、そのまわりを楽器が固めている感じかな。でも「生きて、燦々」は軍勢のイメージも大きかったです。聖恵ちゃんのまわりを、1万人くらいのひとたちが馬に乗って、ブワーッと前に進んでいく。そんな情景が浮かぶ曲になりましたね。

水野:最近は、aikoさんのツアーに帯同されたりしているんですよね。

島田:aikoちゃんがスタジオから引っ張り出してくれました(笑)。ライブはおもしろいですね。生ものだし、生き物だし、その場でどんどん音楽が変化していく。ライブで学んだものが、曲のアプローチや盛り上げ方にもすごく影響しているなと思います。

水野:これからのビジョンはありますか?

島田:どうしようかね。でも今、AIがすごいじゃない。たまに聴いて、「えー!すげぇな!」とか思うんだけど、なんとなく違和感も抱くんです。人間味が足りない。音楽には絶対に人間味が必要だから、そこにこだわりながら表現していきたいですね。アレンジにしろ、ライブにしろ。「人間がやっているんだ」というところを大事に。

水野:これからもよろしくお願いします。

島田:いや、こちらこそ。

水野:島田さんって、ミュージシャンのみなさんが素晴らしい演奏をすると、「ばらすーし」って言うんですよ。意味がわからないでしょう。

島田:あ、それを最後に言おうと思ったのに(笑)。

水野:言っちゃった(笑)。では、「ばらすーし」の意味の前に、これからクリエイターを目指すひとたちにメッセージをひと言お願いします。

島田:心が折れることはたくさんあると思うんだけど、初心を忘れず。何でもいいんですよ。作ったものが、あなたの作品で。それが本当に「ばらすーし」なので。

水野:きた。魔法の言葉ですよ。

島田:「素晴らしい」という意味ね(笑)。

水野:先日、ファンモンの加藤くんもしみじみ、「俺はもう一回、ばらすーしが聞きたい」と言っていました(笑)。島田さんに関わったアーティストはみんな、あの魔法の言葉を聞きたいんですよ。改めて、これからもいきものがかりをよろしくお願いします。そして、いきものがかりのみならず、素晴らしい方々とたくさんの楽曲を作っていらっしゃるので、僕もいちリスナーとして島田さんの楽曲を聴き続けていきたいと思います。

Samsung SSD CREATOR’S NOTE 公式インスタグラムはこちらから。

文・編集:井出美緒、水野良樹
写真:北川聖人
メイク:内藤歩
番組:J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
毎週土曜夜21時放送
https://www.j-wave.co.jp/

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