『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』立川吉笑さん【前編】

  落語はネタの情報ではなく、
空気感を伝えているのかもしれない

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
https://www.j-wave.co.jp/original/creatorsnote/

“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週金曜日夜24時30分から放送。

一瞬で未来にも過去にも行ける魅力

水野:水野良樹がナビゲートしています『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』本日のゲストは、落語家の立川吉笑さんです。よろしくお願いします。

立川吉笑(たてかわきっしょう)
落語家。1984年生まれ。京都市出身。立川談笑門下一番弟子。2010年11月、立川談笑に入門。わずか1年5ヵ月のスピードで二ツ目に昇進。2022年11月、落語立川流としては17年ぶりとなるNHK新人落語大賞を50満点で受賞。古典落語的世界観の中で、現代的なコントやギャグ漫画に近い笑いの感覚を表現する『擬古典<ギコテン>』という手法を得意とする。主な著作に『現在落語論』(毎日新聞出版)がある。

水野:若干、番組のスタッフと僕が緊張しているんですけど。

吉笑:いや、突然ね、呼んでいただいて。なぜですか?

水野:落語家の方に「落語が好きです」って伝えるのは勇気がいるんですけど…。信頼するスタッフから「一風変わった落語をやられていて、しかも同世代の方がいる。水野なら絶対に興味を持つはず」と聞いたんです。それで、にわかの極みなのですが、動画で上がっているものやご著書の『現在落語論』を読ませていただいて、一度お会いしてみたいと思いまして。今回、来ていただきました。

吉笑:ありがとうございます。

水野:まず、吉笑さんはもともと落語家ではなく、お笑い芸人を目指されていたと伺ったのですが。

吉笑:そうなんです。とくに僕は京都出身で関西人なので、いわゆるお笑いのほうをずっと通っていて、高校生ぐらいの頃には、お笑い芸人になりたいと思い始めていました。それこそダウンタウンさん直撃世代で、もろに影響を受けて。そして「お笑いで天下を取るんだ!」と、大学を1年で中退して、そこから何年かお笑い芸人を。

水野:そこから、どうして落語へと?

吉笑:当時、吉本さんの劇場が大阪にあって。そのオーディションに通ったら劇場所属になり、どんどん入れ替え戦を勝ち上がっていったら、テレビに出るような芸人さんになっていくという、そんな仕組みになっていて。

水野:はい。

吉笑:オーディションは1ヶ月に1回、ネタの持ち時間1分。劇場に3人ほど審査員の方がいて、芸人は毎回300組ぐらい受けるんですけど。「A」「B」「C」の評価結果が貼り出されるんですね。Aが5組くらい。いちばん下のCは5~10組くらい。残りの280組はBなんですよ。

水野:ほぼB。

吉笑:そう。結果を見に行って、自分のコンビ名の横に「B」と書いてあって。また1ヶ月ネタを作って、1分やって、また「B」と書いてある。それを続けているうちに、「いや、これ結構キツイな」と。手応えもないし。お笑いはやりたいけれど、これに自分の人生を賭けるには自分以外の要因が大きすぎるなと。そう思っているときに京都で活躍している“ヨーロッパ企画”という劇団に出会いまして。

水野:はい、はい。

吉笑:彼らは演劇という土俵だけれど、わりとコメディーもやっていて、お笑いのほうの活動も大きくなってきているタイミングで。「そうか、別にお笑い芸人以外でも、笑いは表現できるんだな」と、気がついたんですよね。そこからいろいろ試行錯誤し、最終的に26歳のとき、落語家になりました。

水野:劇団を見られて、お笑いの形もいくつも見られて、なぜ落語に行ったのでしょう。

吉笑:いちばん大きかったのは、自分の適性ですね。とくにお笑い芸人は駆け出しのとき、たとえばお笑いライブのエンディングコーナーとかで、ガーッ!と前に出ていく圧力が必要で。でも、自分はあまりそういうタイプではなかった。ちょっとシュッとした、斜に構えて捻ったコントとかやる感じだったので、前に出づらい状況がたくさんあったんです。

そんななか、たまたま落語を聞く機会があって。すると、落語家さんはわりとひとりの世界だから、大人数の場で、ひとを押しのけて前に行くプレッシャーが少ない。それはもしかしたら、自分に合っているのかもしれないなと興味を持ったのが最初で。それ以降、落語をどんどん聞いていくうちに、それまでは古くさいイメージが強かったし、もちろん昔ながらの笑いも多いんですけど、「こんな発想のネタもあるんだ!」みたいなものがいくつか見つかってきて。これが表現できるなら、落語も人生の選択としてあるな、と思った感じでした。

水野:落語のどういうところにいちばん惹かれました?

吉笑:落語って、座布団に座って、ただ右見て左見て喋るだけで、時間も空間も自由に行き来できるじゃないですか。コントだとなかなかそうはいかないんですけど、落語は一瞬で未来にも過去にも行ける。たとえば「胴斬り」という古典落語があって。達人の武士が通行人を切ったら、あまりに刀の切れ味がよすぎて、切られた側は切られたことに気づかない。で、上半身はその場で動けなくて、下半身はそのまま家に帰っちゃうという話なんです。

水野:生きているんだ(笑)。

吉笑:そう(笑)。で、しょうがないから、上半身は銭湯の番台で働いて、下半身はこんにゃくの芋を踏む仕事をする、みたいなお話で。その表現って、映像だとできるけど、コントだと無理ですよね。もともと自分はそういうちょっと不条理というか、現実じゃないような世界を描いてみたくて。それを言葉だけですべて表現できて、お客さんの想像で補ってもらうことで形にできるのは、かなりいいなと思いましたね。

師匠方の神髄を言葉にしたい

水野:まだ番組前半なんですけど、僕が1つの質問を投げて、返していただけるその話しぶりが、舞台を観ているかのような気持ちになっています。

吉笑:自分は理系というのもあって、全部1から10まで喋らないと気が済まないというか。Qを出されたら、持っているすべての論理でAを返すみたいな癖が…。

水野:常に考えてらっしゃるんだなって。

吉笑:師匠方がおそらく無意識でやられていることも、自分はひとつひとつ噛み砕いて言語化していきたくなりますね。話が脱線しますけど、最近、落語の技術的なことで悩んでいるんですね。もっと上手くなりたい。たとえば、大人と子どもが出てくる落語をやるとき、目線で高さを表現するんです。で、今の自分のスキルだと、子どもとして喋るときは、顔を右に向けて、首を上げて、上を見て喋る。親として喋るときは、下を向く。

水野:はい。

吉笑:だけど、とある師匠の高座を聞いていると、首自体はそんなに動かさずに、顎だけクイッと動かすんですよ。そして、目線を少し下にやって子ども、上げたら大人。なぜそうやっているか、考えてみたんです。その師匠は500人とか1000人とかわりと広いキャパの劇場でもやる方なんですね。すると、すり鉢状で客席が上にせり上がっているから、上のほうのお客さんは、落語家が下を向いちゃったら顔が見えなくなる。

水野:なるほど!

吉笑:だから、広い劇場では首を固定しているんだと気づいて。そういう技術を落語の師匠方は山ほど持っていますので。ただ、自覚されているのかわからない。自覚されていても、言葉にはされない。だからそれを全部、自分が生きている間に言葉にしたい。そういう動機があるから、ずっと考えていますね。

落語には“リズム”と“無駄”がある

水野:また、吉笑さんは伝統的な落語の世界で様々な挑戦をされています。たくさんの新作落語。そして擬古典と言われる、古典落語を改作したようなもの。古典落語と新作落語、違いを挙げるとしたら、どういうところでしょうか。

吉笑:古典落語は、多分みなさんがいわゆる落語と認識されているもの。「寿限無」とか「芝浜」とか。そういうものはみなさんも聞いたことがあるかもしれません。江戸時代ぐらいからずっと受け継がれてきている落語ですね。そして新作落語は、基本的には昭和以降ぐらいに作られた落語がそう言われています。でも調べてみると、そんなにしっかりとした定義がなくて、最初ビックリしました。

水野:ただ、現代語でやる落語に対しては、どうしても「だったら別にコントとか漫才でもいいじゃないか」とか「落語でやる必要ないじゃないか」みたいな意見もありますよね。

吉笑:そうなんですよ。古典落語は江戸時代の世界観とかを背景にしていて、現代の生活と解離しているから、今の人々が共感しづらい。だから現代性の強い落語家さんが「もっと俺たちの同世代にわかるようにしよう」といって、身近なところを舞台にして、落語をつくり始めたわけですね。それが新作落語をやる動機で。たとえば今日のラジオ現場の様子も、しようと思えば落語にできると思います。

水野:はい。

吉笑:ただ、落語家になってしばらくしてから気づいたんですけど、僕自身が人一倍、落語であることにこだわっているんですよね。もともとお笑い芸人からスタートしているからこそ、常に「ひとりコントでできることをやるなら、落語家になる必要ないよな」というツッコミを自分にしちゃって。わざわざ落語家に弟子入りして、脈々と続く伝統のなかに入らせてもらっているんだから、徹底的に「落語とは何か」ということを考えるんです。

じゃあ、「コントや漫才と、落語の違いって何?」となると、これがめちゃくちゃ難しくて。自分は擬古典を得意としているけれど、舞台設定はやっぱり着物を着ている以上、江戸時代の長屋の世界観でやりたい。八っつぁん、熊さんみたいな、時代劇っぽい感じ。ただ、それだけで落語と言えるかといったら、そうじゃなくて。

水野:なるほど、違いますよね。

吉笑:なかでも、技術的な違いは大きいです。喋り方に“落語のリズム”がある。たとえば、役者の方がたまにやったりする落語を、落語家が見ると違和感があるんです。

水野:ああ、そうなんですか。

吉笑:役者の方は“役になりきる”というスキルだから。ひと役ずつ、メリハリがあって、八っつぁん、熊さん、隠居さんをやる。だけど落語の場合、そこはわりとルーズで、ひと繋がりにやったりするんですよ。あと最近、自分でネタも作るんですけど、作家の方に作っていただいた落語の台本も、やっぱり違和感がある。

水野:それって何ですかね。 

吉笑:仮説ではありますが、落語には“無駄”があるんですよ。 

水野:無駄。

吉笑:「どうも、いますか? こんにちは」「あ、だれかと思ったら八っつぁんか。まあまあお上がり」「え?」「まあまあお上がりよ」「なんです?」「いや、まあまあお上がりよ」「そうですか、まんまあ。じゃあいただきます」「まんま? まんまじゃないよ。まあまあつってんだよ」「あ、まあまあですか」みたいな。たとえば、そういうやり取りが落語の導入の定番なんですけど、こんなのコントだったらすべて切るんですよ。

水野:八っつぁんが入ってきたことはもう説明できているじゃないかと(笑)。

吉笑:そう。コントは尺が短いから、ネタの核だけをギュッとして伝える。だけど落語はどうやらそうじゃなくて、話の筋には影響しないようなやり取りがかなり残っていて。それを省いてみると、なんかおもしろくなくなる。つまり、落語はネタの情報を伝えているのではなく、空気感を伝えているんじゃないかなと。

水野:なるほど、なるほど。

吉笑:わからないけれど、歌詞とかもそうなのかな。伝えたいことばかり並べてもダメで。案外、伝えたいことにまぶすオブラートみたいな緩いところが、ひょっとしたら落語の神髄なのかもしれない、と最近考えています。

水野:おこがましいのですが、落語と歌の近いところは、受け手の想像力を使うというところかなと思っていて。落語は、聞いているひとの想像力を総動員しますよね。たとえば、蕎麦を食べるシーンでは、実際にそこに蕎麦はないけれど観客が蕎麦をイメージする。それは歌も似ているんです。僕ら、いきものがかりの「ありがとう」って曲があるんですけど。「ありがとう」と書いてメロディーにしても、その「ありがとう」を伝える相手が、お母さんなのか、恋人なのか、先生なのか、僕らにはわからないんですよ。でも、その誰にも合うようにしておく。

吉笑:はあー!なるほど!

「遠くのひとを呼ぶ、どう呼ぶ?」

一瞬で未来にも過去にも行ける魅力

水野:ただ、落語家の方で、まさに蕎麦がそこにあるように見える上手な方と、そうではない方がいらっしゃいますよね。その違いって何でしょうね。歌もそうなんです。

吉笑:それは本当に不思議です。結局、表現力だと思うんですけど、自分の芸風はどちらかというと映像喚起が乏しいタイプなんですよ。むしろ情報をたくさん発信して補うタイプ。たとえば、「二人旅」とか「三人旅」っていう江戸っ子の旅を描いた古典落語が好きなんですけど。

水野:はい、はい。

吉笑:そのネタの肝は、おもしろさというより、旅情なんですよね。江戸からずーっととぼとぼ歩いていって、夕焼けがだんだん沈んできて、疲れてきて、どこかで虫が鳴いている。そういう風情を表現することに長けているひとはやっぱりいて。自分はそれが苦手だから、そのコツを血眼になって探しているけれど、わからない。先ほどお話したような、目線のやり取りなのかもしれないし。

あと、信頼している先輩に教えていただいた裏技というか、落語家のテクニックがひとつあって。その方に「吉笑くん、落語のなかで遠くのひとを呼ぶとき、どう呼ぶ?」と訊かれて。今の自分の演技スキルだと、まあ遠くだから大きい声で、ちょっと遠くを見つめて、「おーい!」と呼ぶと。もちろんそれもひとつの正解。でも、違うやり方もあって「〇〇師匠は小さく喋るんだよ」って言われたんです。わざと声をくぐもらして小さく喋る。

水野:へぇー!

吉笑:その理由は「お客さんが“呼ばれている側”の視点になるから」だと。

水野:はいはいはい。

吉笑:お客さんは、落語家が大きく呼べば“呼んでいる側”の視点になるし、小さく呼べば“呼ばれている側”の視点になる。どちらも正解。自分はそんなルールは知らなかったので、「そこまでデザインして落語を作っているのか」って驚いたんです。でも、無意識か意識的にかわからないですけど、やっている方はやっていらっしゃるんでしょうね。

水野:なんとか言語化していけば、それは伝承していけるものなのでしょうか。

吉笑:いやぁ…。水野さんもお好きだと思うんですけど、落語家になってから、玉置浩二さんのライブを聴いたことがあって。本当にたまげて、鳥肌が立ったんです。そのとき、「もし自分がミュージシャンだったら、もう絶対にこうはなれないとわかるだろうな」と感じて。それぐらい圧倒的で。

水野:そうなんですよね、憧れちゃいけないひとなんですよね。

吉笑:…ってことは多分、落語家にもその領域の方々がいて。なんとか近づきたいんですけど…なかなか難しいですねぇ。

J-WAVE Podcast  放送後 25時からポッドキャストにて配信。

Samsung SSD CREATOR’S NOTE 公式インスタグラムはこちらから。

文・編集: 井出美緒、水野良樹
写真:谷本将典
メイク:内藤歩
番組:J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
毎週金曜夜24時30分放送
https://www.j-wave.co.jp/original/creatorsnote/

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