言ってしまえば、押しつけたくないので
HIROBAの公式YouTubeチャンネルで公開されているトークラジオ『小説家Z』。こちらはアーカイブ記事です。
「スイカが嫌い」というAさんの一部分
水野:他者ってどういうふうに捉えています?
珠川:他者ですか?
水野:『檸檬先生』の「共感覚」もそうだし、新作『マーブル』も、主人公が自分の弟に対しての想いが強くて、弟の幸せのために干渉してしまう。それはどちらも「わかりあえない他者」みたいなものを提示されている気がしています。珠川さんは、自分以外の人間ってどう捉えていらっしゃるのか。
第15回小説現代長編新人賞受賞作。 世界が、色づいている。 小説現代長編新人賞、史上最年少受賞! 十八歳の作家が放つ、鮮烈なデビュー作。 <内容紹介> 私立小中一貫校に通う小学三年生の私は、音や数字に色が見えたりする「共感覚」を持ち、クラスメイトから蔑まれていた。ある日、唯一心安らげる場所である音楽室で中学三年生の少女と出会う。檸檬色に映る彼女もまた孤独な共感覚者であった。 本を開けば白黒の紙面のうえで、色と音とが踊る。読み終わり、それが幻だったとしたら、あなたは耐えられるか。 ――水野良樹(いきものがかり) 先生は鮮烈な青春そのもの。みずみずしい感覚で心が開かれる傑作。 ――茂木健一郎………
一番近い異性(ひと)で、遠い存在(かぞく)。 本当の幸せって何だろう。 『檸檬先生』で小説現代長編新人賞史上最年少デビュー! 十九歳の作家が描く、切なくて、温かい姉弟小説。 東京で大学生活を謳歌していた茂果は、友人の由紀からあるアニメを布教される。 柔らかな表情、手描き感のあるタッチ、自然な体重表現、甘い雰囲気の色使い、繊細な塗り。紹介された絵師のイラストは、弟の穂垂が描いたものだった。 Twitterの裏アカウントでBL作品を創作し、普段から異性との恋愛話をしない穂垂に対して、茂果は同性愛者なのではないかと考え、やがて過干渉してしまう。境界の曖昧さ、線引きの難しさを、姉弟の視点から見つめ………
珠川:そうですね…。他者は、わかりあえないものだと思っているんですけど。『マーブル』に関していうと、とくにセクシュアルマイノリティのこととかって、センシティブじゃないですか。それを書いてもいいものかと思いつつ、ちょうど書いている時期の1年前ぐらいは「多様性は大事なんだから認めろよ!」って感じで、結構ガツガツ書いていたんですね。
水野:なるほど。
珠川:でも本当の多様性って、多分そういうことじゃないと思うんですよ。好き嫌いの話で例えると、「私はスイカが好き」で、「友人Aさんはスイカが嫌い」だとするじゃないですか。そうしたら私は、友人Aさんが、「スイカ嫌いなんだよね」って言ったときに、「え、なんで?」って思う。
水野:はい、はい。
珠川:でも別に私は、「スイカを嫌いなひとがこの世にいるわけがない」と思っているわけじゃなくて。自分はスイカが好きで、Aさんは嫌いということはわかる。でもAさんがなんで嫌いなのかわからない。だから、たとえばAさんが、「スイカの、もしゃもしゃしている感じがちょっと苦手なんだよね」って言ったら、次に私がスイカを食べるとき、「あ、たしかにそういうところが苦手なひともいるんだな」って思うかもしれない。
珠川:これで私は、「スイカが嫌い」というAさんの一部分を知ることができた。ただ、「スイカが嫌い」というのは、Aさん全体を表しているわけではないし、それで他者とわかりあえるということではない。私はスイカが好きだから、スイカが嫌いなひとの感覚も全然わからない。でも、「Aさんはスイカが嫌いであること」は認められているというか。
水野:うん、うん。
珠川:そういう思想を持つことは別に構わなくて、それを他者に押しつけないことが、わかりあえない他者との関係性なのかなって思って。書いていたときにはそうは思ってなかったんですけど、『マーブル』も、他者という存在は自分と違うことを前提に置ければ、他者との関係性も少し変わってくるのかなってイメージですかね。
水野:たとえばスイカの話で言えば、スイカを嫌いなひとと「スイカがおいしいこと」を共有できないって、珠川さんにとっては寂しいことですか? それとも、寂しいって感情は起こらないものですか?
珠川:寂しいという感情になると多分、「えー、スイカおいしいのに、もったいない」って気持ちになっちゃうじゃないですか。でも、これはあくまで私の価値観なので、それをAさんに言ってしまうのはよくないかなって。でも、寂しいと思うこと自体は間違ってなくて、そこは折り合いですよね。それを言ってもいいような関係性の相手もいるかもしれないし。
水野:なるほど。
珠川:ひとりひとり個人を見つめて、それを慮るっていう意識でいたいなぁと思っています。
<第15回小説現代長編新人賞受賞作『檸檬先生』増刷決定!> 珠川こおり『檸檬先生』刊行記念 小説現代2021年8月に寄稿された短編「一番星」を特別公開! 俺たちの夏は熱かった。合唱に絵描き、燦々と輝く芸術の日々。 太陽が照りつける中一の夏、合唱コンクールの練習に行けなくなった俺が出会ったのは、薄緑の帽子をかぶった絵描きのおっさん。ひょんなことから絵を教わることになってーー。 『檸檬先生』に通ずる、鮮やかに彩られた短編。
「こうでしょ!」じゃなくて、「こんな感じもあるんじゃないかな」
水野:その気持ちが強くなったのって、どういうところからでしょうか。
珠川:結構、我が強いんですよ。自分が思っていることが当たり前って、つい思っちゃう。でも、他者と喋っているときに、そのひとの前提で話をされて、なんかモヤッとするような経験が増えてきて。あ、自分もそういうことをしているかもしれないなって。そのことで、他人を気づかないうちに傷つけるのもイヤだし、傷つけたと思って自分が傷つくのもイヤだし。人間関係は難しいなと思ったんです。
水野:難しいですね。
珠川:最近、大学生が集まって現代思想とか、哲学倫理について話し合うみたいな会にも参加していて。テーマを出して、たとえばジェンダーのことだったり、家族観のことだったり、みんなで話しているんです。すると、それぞれがいろんな意見を持っていて、対話が始まる前と後で自分の考え方が変わったり。そういう機会もあって、ちょっと落ち着いて考えてみたいなと思ったところもありますね。
水野:たとえば、ご自身の考えや意見を論説文とかエッセイとかで表現する形もあると思うんですけど、作品化する理由は何ですか。物語のほうが伝わるのか。物語のほうがご自身の気持ちに近いものが表せるのか。
珠川:うーん。論説文やエッセイだと多分、「私が私のことを書く」になるじゃないですか。そうすると、思想とか主張が強めに出ると思うんです。でも、言ってしまえば、押しつけたくないので。さっき言った、たとえば『檸檬先生』をいろんなひとがいろんな捉え方をするっていうのが、すごくいいと思っていて。
水野:なるほど。
珠川:「こうでしょ!」じゃなくて、「こんな感じもあるんじゃないかな」みたいな。はっきり言わないけど、テーマがある。そして、読んだひとは、「こういうことなのかな?」って思ったり。「こういう話もあるんだなぁ」くらいの存在の認識でもいいし。あとはそもそも作品づくりが好きなので、単純に芸術とかをやりたいって気持ちもありますね。
文・編集: 井出美緒、水野良樹