対談Q 濱田英明×水野良樹 【後編】

自分の内側に流れている、「時間」ではない「時(とき)」の流れ。

写真は時間の解釈が自由なメディア

濱田:文喫でする話ではないかもしれませんが…、みなさん、本って読まれますか?今、映画も音楽も“タイパ”が重視されがちですよね。時間に対して、どれだけ自分が満足できるかどうかで評価される。でも、「時間がかかる」というものを僕はちゃんと取り戻したいと思っています。時間がかかるからこそ、いいものもある。ゆっくりと自分のものにしていくことも大事だなと。

水野:映画も音楽も素晴らしいですが、ウィークポイントはそれぞれありますよね。とくに、時間をコントロールできないという点。映画は物語の進行スピードが決まっているから、僕らはそれを左右できない。音楽もBPM120の曲をBPM60で聴いたら、もう違う作品になってしまう。どちらも「この時間です」と提示された範囲内で楽しむしかないわけです。でも読書は、自分の時間軸がある。戻ることもできるし、かなり自由度がある。

濱田:自分のペースでページをめくっていきますし。

水野:あと、本は他のエンタメに比べて、読んでいる側の想像力に委ねるところが大きいと思います。僕は落語も好きで、よく音声で聴くのですが、これもまたある種の欠損があるんですよ。たとえば、実際に屋敷のセットがあるわけではない。蕎麦を食べるシーンがあっても、そこには箸もお椀もない。すべて想像力ですよね。その噺家さんのお話の上手さや技術によって、受け手が想像しやすくなったり、おもしろさを感じたりする。

濱田:たしかにそうですね。

水野:その受け手の想像力が、本当はエンタメにとって大事であるはずなのに、与えるほうが多くなりすぎているところはある気がしますね。

濱田:どんどんそうなっていますよね。僕は動画と写真のどちらも撮るのですが、写真は時間の解釈が自由なメディアだと思っています。そこに流れる時間を、受け手が「一瞬」とも「すごく長い」とも感じることができる。

漢字で「時間」と書いたとき、僕らが真っ先に思い浮かべるのは、日常を秩序立てて進めていくために必要な“時計”みたいな感覚じゃないですか。だからこそ“タイパ”みたいな言葉に縛られているというか、支配されているというか。でも本当は、自分の内側に流れる時間があるはずで。写真を見たとき、それを感じる気がするんです。たとえば、シャボン玉の写真を見て、一瞬止まっているようにも、ずっと漂っているようにも感じる。

そういう感覚は時計では表現できません。「時間」ではなく「時(とき)」の流れを思い出さないといけないなと。「時(とき)」の感覚を、再定義できたら、ものの見え方、生き方さえも変わっていくかもしれない。自分もそういう作品を作りたいんですよね。

水野:難しい課題ですよね。息子は、ショート動画をよく観ているのですが、すごいスピードで流れていくわけです。あれもエンタメの形だけれど、極端すぎるなと。

「知っているけれど、見たことがない」10秒

濱田:ちなみにいきものがかりでいちばん長い曲というと?

水野:「風が吹いている」のロンドンバージョンですかね。

濱田:ロンドンバージョン?

水野:『NHKロンドンオリンピック・パラリンピック放送』テーマソングだったので、現地から中継するために、ロンドンへ行かせていただいたんです。「せっかく行くなら…」と、イギリスのスタジオで録ったバージョンが、9分30秒。

濱田:それは長いですね!

水野:ロンドンオリンピックが終わる頃、NHKの方が大会を振り返る映像を作ったんですけど、それに9分30秒が使われたんですよ。各所のハイライトにあわせて。それはもう壮大で感動しました。

濱田:おおー、そのために作ったかのように思えますね。

水野:時間の話にまつわる余談ですが、ウサイン・ボルト選手が、百メートル走るところを見ることができたんです。あんな10秒、見たことない。

濱田:もっと速く感じる?

水野:というより…。「セット!」という声で、陸上選手たちがスタートラインにセットした瞬間に、会場にいる6万人が黙る。とんでもない静けさと濃密な緊張感のなか、全員がその選手たちに注目している。そして、「バーン!」とスタートの合図が鳴った瞬間、写真のフラッシュがバババババッ!って光って。大歓声のなか、ボルト選手がブワーッ!と走り抜ける。あれはまさに「知っているけれど、見たことがない」10秒でした。

濱田:すごい体験をしていますね。

水野:あれはもしかしたら、区切られた「時間」の究極の形なのかもしれません。6万人を10秒という短い時間に閉じ込めると、それだけで異質であり、特別な体験になるという一例でした。

【質疑応答コーナー】

質問① 水野さんが写真に対して、「音楽ではできないから羨ましい」と思うこと。濱田さんが音楽に対して、「写真ではできないから羨ましい」と思うこと。それぞれ教えてください。

水野:僕も濱田さんも、「受け手の主観や考えをなるべく邪魔したくない」とか、「そのひとにしかできない捉え方をしてほしい」という気持ちを持っていると思います。だけど、音楽は誘導することが多すぎるコンテンツなんですよ。聴き手の気持ちを誘導することが、楽しませることに繋がっているので、誘導せざるを得ない。その点、写真は、テクニックによる見せ方はあるものの、自由度が高い気がして。そこがいちばん羨ましいですね。

濱田:音楽が素晴らしいのは、形がないものだからこそ、どこへでも持っていけるところ。録音ができないような時代は、歌ったり鳴らしたりするだけで成立していたわけじゃないですか。写真はどうしてもカメラだったり、プリントするための紙だったりが必要です。空気の振動さえあれば、運べるという点は、羨ましいですね。

水野:「どこでも持っていける」というのは、たしかにそのとおりだと思いました。みなさん、ドレミファソの音って思い浮かべられますよね。いきものがかりの「ありがとう」は“ドレミファソ”なんですよ。つまり、みなさんが今、ドレミファソを思い浮かべたら、「ありがとう」を思い浮かべているのと同じということです。

濱田:何それ! すごい話じゃない? 「ありがとう」という当たり前の言葉を、ドレミファソという当たり前の音階に、あえて当てられたのですか?

水野:これが僕の戦略だったらカッコいいのですが、たまたまです(笑)。あとからいろんな方が解説してくださって、気づきました。さらに音楽は、たとえば吉岡が歌わないと「ありがとう」に聴こえないかというと、そうではない。うちの小学生の息子が歌ってもわかる。これもまたすごいんですよ。歌は、誰でも歌えるし、頭のなかで思い浮かべることができる。

濱田:1000年後、「ありがとう」が匿名的なものになっても、残っているというのもすごいと思います。童謡とかもそうじゃないですか。誰が作ったのか、あまり気にせずにみんな歌える。この状態になることができるのは、音楽くらいじゃないかな。

質問② おふたりは制作のなかで「光」や「影」というものを、どう捉えていますか?

濱田:切っても切れないものですね。写真は、根源的に光がないと生み出せないし、見せることもできない。光があるから成り立つメディアなんです。だから、光をどう捉えるかというのは、そのもっと先にある話だなと思います。

水野:歌のモチーフで「光」を出すとき、どこか捻くれているのですが、「何かを照らしているということは、何かが照らされてないということだ」と考えることが多いかもしれません。光があるから、闇ができるし、闇があることもわかる。その両方を書かなければという意識が強くあります。それは光だけに限らず、ポジティブとネガティブ、生と死、愛と憎しみ、など。

僕は、すべてのことに対して「終わらない」ということを書かない時期があったんです。たとえば、「恋は終わらない」とか、そういう軽々しいことさえ書きたくなかった。だけど、それがあるときから変わって。「終わらない」と願うということは、「終わること」を意識しているのだと自分のなかで解釈が済んだ。すると、「このひとは、いつか終わることがわかっていながらも“終わらない”と言いたいんだ」という世界観を作ることができる。だから、いつも裏側を見るようにしていますね。

濱田:少し話がズレますが、「今のこの瞬間を忘れない」って言うことあるじゃないですか。「嘘だ」って思うんですよ(笑)。むしろ、「絶対に忘れる」と思うから撮っているんです。もちろん記憶には残るでしょう。でも、記憶に残ることと、忘れないことって、また別だから。忘れてしまったけれど、記憶に残っているものを呼び起こせるのが、本や歌、写真なんじゃないですかね。残していきたい気持ちがあるから、作っているのだと思います。

質問③ さまざまな縛りがあるなかで、「こういうふうに撮りたい」とか「この言葉は絶対に乗せたい」という取捨選択はどのようにされていますか?

水野:濱田さんはいかがですか? たとえば、いきものがかりのアーティスト写真をお願いするとき、「今はこういうモードです」とか、「なるべく色味のない衣装にしたい」とか、「自然な自分たちを撮っていただきたい」とか、僕らはいろんなことを言うじゃないですか。そういうリクエストや狙いは、どれぐらい意識されるのでしょう。

濱田:これを言うと語弊があるかもしれませんが、撮るときはすべて忘れます。「こうしてやろう」と意気込んで撮っても、うまくいかないんですよね。自分に自然と湧き上がってくる思いがあれば、どうしてもそれは出るし、そこに在るものをありのまま撮るということでしかない。ただ、在ることに、ただ、立ち会う。水野さんはどうです?

水野:タイアップ楽曲の場合、クライアントさんとの会話によってスタートする感覚がありますね。逆に、「水野さんの曲だったら何でもいいです」と言われたほうが難しい。たとえば、いきものがかりは、TVアニメ『キングダム』第6シリーズのオープニングテーマとして「生きて、燦々」という新曲を作ったんです。

作者の原泰久先生とは昔から親交があるんですけど、タイアップが決まったとき、東京の某喫茶店に呼び出されまして。2時間ぐらい、「キングダムとは何か」とか、「どういう思いで作ってきたか」とか、そういうお話を聞くわけです。とても貴重な時間でした。でも、すべてお伺いしたとおりに書くわけではない。何を大事にしているか、何を見ているか、そこを会話のなかで聞いて、歌に照らし合わせたとき、重要なポイントになるんですね。「ここだけは共通点として残そう」というものが、僕に自由を与えてくれると思っています。

濱田:会話、大事ですよね。今、相手の話を聞くことで、豊かになっていく場づくりの機会がどんどん奪われている気がします。お互いが自分の正義を振り下ろしがちで。だからこそ、そのひとが持っている言葉に、いかに耳を傾け、いかに自分の思いと交換するか、意識していかないといけないなと思います。

文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:軍司拓実 谷本将典
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影場所:文喫 六本木
https://bunkitsu.jp/

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