目標は「30年後にも読んでもらえること」
「これさえやっておけば大丈夫」がいちばん危険な考え方
塩田:読んだあと、「あー楽しかった!」って忘れられる作品も、それはそれでいいと思うんですよ。「この舞台を観たら忘れてくれ」というのも、ひとつの美学でカッコいい。でも僕が目標にしているのは、「30年後にも読んでもらえること」なんです。今、僕の本棚に、30年前の作品ってたくさんあって。
水野:はい。
塩田:宮部みゆきさんの『火車』とか、高村薫さんの『レディ・ジョーカー』とか、「あー、そろそろこれ読みたいな」って、何年かごとに思う時期がくるんです。もちろん松本清張作品も然り。そう考えると、30年後に自分の作品が誰かの本棚に入っていて、「久しぶりに塩田のこれ読みたいな」と思ってもらえるものが書けていたら、きっと僕はいい人生だったんだろうなって。
どうしても近視眼的になっちゃうじゃないですか。とくにメディアの構造変化のなか、みんな余裕がなくなっていて。本当に「売り上げだ」と言われます。そこに背を向けるのはよくないと思っているけれど、どっぷり浸かってしまっても楽じゃないはずで。結局、人生ってバランスとタイミングが大事なんですよね。バランスを取りながら、「なぜ今なのか」というタイミングで発表できないとダメ。ただ、これもなかなか難しくて。
水野:はい、はい。
塩田:結局、自分のなかでは一作ずつ、リセットボタンを押さないといけないんだろうなと思います。「これさえやっておけば大丈夫」がいちばん危険な考え方で。我々の業界でいうと、「なんとなく書けてしまう」状態ですね。それなりにおもしろい。それなりに買ってもらえる。
水野:…すごく耳が痛い。
塩田:いや、とんでもない! 昨日、ライブのMCでまさに「四半世紀半前に書いた曲」っておっしゃっていましたよね。つまりお客さんは水野さんが25年前に作った曲を聴いて感動しているわけですよ。僕が理想としている30年まであと5年!
水野:(笑)。
塩田:これだけ膨大な曲を書き続けられているって、純粋に尊敬します。そもそもライブにあんな人数が集まること自体すごい。しかもグッズを持って、歌も覚えていて一緒に歌ってくれて。先週、僕は東京で講演をしたんですけど、ガラガラでしたよ(笑)。とくに小説家って、ファンの方が見えないんですよ。いまだに自分の本をレジに持っていってくれた方を見たことない。だからファンの存在を身近に感じられる音楽家って、幸せだなと。
水野:もうそれは幸せです。
「読みました」から「観ました」に
塩田:あと創作者、創作人生としても、同じ時間を共有できるって素晴らしいなと思うんですよね。ライブでは“今現在”という時間を共有できるじゃないですか。僕はやっぱり一緒には小説を共有できない。時差がある。常に僕は過去にいる。でも音楽家は一緒のところにいる。そして、自分の作ったものを出して、反応が返ってくるわけですよ。これがいかに贅沢なことか。昨日、ライブを観ながら、羨ましくて仕方がありませんでした。
水野:生きている人間として、なかなか不思議な光景なんですよ。ステージに立っていて、今おっしゃってくださったみたいに、同じ時間を共有するじゃないですか。もちろん自分が書いた曲の記憶もあります。ただ、自分の想像以上に誰かの人生に曲が関わっていたり、素敵な空間が生まれていたりして。自分もその歌や景色を眺めてしまう瞬間があるんですけど、自分自身が肯定されているわけではないんですよね。
塩田:あー。
水野:「この眩しい世界は何だろう」と思う瞬間がすごくある。先ほど、塩田さんが「常に僕は過去にいる」とおっしゃったけれど、僕もそれに近いのかもしれません。
塩田:なるほど。この瞬間、みんなが感動してくれている曲は、もちろん自分が生み出したものなんだけれども、今の自分との差を感じるというか。それもすごくわかります。ものを作っているとそうなりますよね。創作者にとって、作品がひとり歩きしていく感覚はある。あと僕の場合、たとえば小説が映画化されたりして、よく言われるのが、「罪の声、観ました」なんですよ(笑)。
水野:(笑)。
塩田:もちろん嬉しいですよ。嬉しいんですけど、寂しいんです。作品が大きくなって「読みました」から「観ました」になっていくジレンマというか。まぁ創作者は常に不安になりますよね。むしろ「このままでいい」と思った瞬間から、崩壊の序章が鳴り始める。
水野:第三段階の「“あいだ”にあるものを捉える」というお話もそうですが、塩田さんは「これでいい」という結論に逃げないというか。常に危ういところに身を置いて、何にも甘えずに作り続けるという姿勢が、すごくよく理解できます。
あと、塩田さんはたくさんのことを考えていらっしゃって、言語化できて、喋ってくださるじゃないですか。自己も強い。にも関わらず、「じゃあ、自分の考えたことだけでいいじゃないか!」とはならなくて。自分の想像には限界があることを意識されて、必ずひとに話を聞くことを課していらっしゃる。他者を介在させるけれど、自己を失わない。この矛盾を成立させているから、そこに生きている作品があるんだなと今日改めて思いました。
デッサンは10年間の新聞記者生活
塩田:以前もお話したかもしれませんが、画家は「若いときにどれだけデッサンするか」が問われるじゃないですか。そのデッサンって、音楽や美術は芸大で教えてもらえるけれど、文芸の場合は教えてもらえないんですよ。文芸は、ひとそれぞれのデッサン(基礎)があって、生み出していくものなので。
僕の場合、デッサンは10年間の新聞記者生活。そこで日々、ひとに会って、現場に行って、見聞きしたことを、もっとも短い文章に要約していくんです。それを10年間やり続けた。それはもう僕にとってのデッサン以外の何物でもありません。だから、「ちょっとこれ不思議だな」とか「ここ大事だな」と思ったとき、誰に何を聞くべきか思いつく距離がひとより短いんだと思います。能力とかではなく、鍛錬した経験値なんですね。
あと、僕らの時代は今より厳しくて、怖い先輩がいたというのも短所ばかりではなくて(笑)。たとえば、現場に行かずサボって書いたら、間違いなく「ここどうなっている? 確認して」って、電話させられるんですよ。同じひとに10回ぐらい。それで、「もう二度とこんな思いしたくない」と思うわけです。
だから、現場に行って、ちゃんと取材をする。そうすると、いざ原稿を書くとき選択肢だらけ。現場に行ってないときは、内容を引き延ばそうとして薄いものができあがるんですけど、現場に行くと削っても削っても入らない。どちらが健全か。そうやって徹底的に叩き込まれて、教えられたのは自分にとって大事な経験ですね。
水野:身をもって実感されたんですね。
塩田:ええ。だから、聞かないと不安なんですよね。何か思いついたとしても、「さあ、どれだけ深まるか」とか「どれだけ気づきを得られるか」とか考える。そして、ひとの話を聞いて、現場に行って、話をどんどん膨らませていって、最終的に絞っていく。やっぱり人間って社会的な生き物なんだなと思いますし、僕が小説で表現したいのはこういうことなんだろうなと、毎回実感しています。
文・編集: 井出美緒、水野良樹
撮影:濱田英明
ヘアメイク:枝村香織
監修:HIROBA
協力:ザ・ホテル青龍 京都清水
https://www.princehotels.co.jp/seiryu-kiyomizu/