あ、ここなら俺でも務められるかも
J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
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“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週金曜日夜24時30分から放送。
水野:水野良樹がナビゲートしています『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』今回のゲストは、大人気ゲーム「ぷよぷよ」や「はぁって言うゲーム」など、多くのゲームの企画、監督、脚本を手がけていらっしゃる、ゲーム作家の米光一成さんです。
米光一成(よねみつかずなり) 1964年生まれ、広島県出身。ゲーム作家。立命館大学映像学部教授。コンピュータゲーム「ぷよぷよ」「トレジャーハンターG」「BAROQUE」「魔導物語」の企画・監督・脚本など多数手がける。また「はぁって言うゲーム」「はっきよいゲーム」「レディファースト」などのアナログゲームも制作。
水野:ご自身がゲームづくりの世界に入っていかれたのは、どういうきっかけがあったのでしょうか。
米光:大学を出て、ゲーム会社に勤めたんです。そもそも僕、就職は無理だと思っていて。怠惰な学生で、午前中の授業はひとつしか取ってないし、大体サボっていたので、急に朝から通勤して働けないなと。とはいえ、当時はフリーターという概念もなかったので、就職しないといけない。そこで地元・広島で自分でも行けそうな会社を探し始めまして。ゲームは好きでよく遊んでいたので、コンパイルという小さなゲーム会社に面接に行って。
すると、そこは普通のマンション2部屋。社長が背広を着てスリッパで出てきて。しかも、プログラマーとデザイナーが、冷凍の魚でチャンバラごっこをしていたんですよ。「ブォーン」って言っていたから、正確にはスターウォーズごっこ(笑)。「うわ、これはヤバい会社だわ」と思ったんですけど、同時に、「あ、ここなら俺でも務められるかも」と感じて、頑張ってアピールをして。結果、採用になって、入社してゲームを作り始めました。
水野:ゲームが作りたくて入ったというより、出会ってしまったのですね。どうして作る方向へ?
米光:当時、その会社に10人ぐらいいたんですけど、みんな制作だったんですよ。営業はいなかった。ゲーム大好きで集まっていた仲間が、ゲームを作ったら売れてしまったから、会社になって。その会社が徐々に大きくなって、新卒を入れてみるかというタイミングで初めて入ったのが僕。だから僕以外、全員友だちで。
水野:なるほど。ちょっとアマチュアリズムな感じだったんですね。
米光:だから、よく先輩から、「お前が入ってきた年から、文化祭の雰囲気がなくなっていった」と言われました。もともとは、みんなが「これ作りたいから、作ってみるか」という感じでゲーム作りが始まったけれど、少しずつ制作期間が延びて、「飽きたからやめよう」みたいなこともでてきて、これはマズいと。そこで社長が、企画職という名のスケジュール管理の人間を入れなきゃいけないと。それで、新卒の僕を採ったらしいんですよ。
水野:もともとご自身にゲーム作りの適性はあると思われていましたか?
米光:適性があるかはわからないけれど、ゲームもものづくりも大好きだったから、なんとかなる感はありました。というか、それ以外のところができないと思っていたので、消去法で。
水野:何を作るのが好きだったんですか?
米光:ラジオと本とゲームが大好きで、ちょっと内気な子どもだったんですけど、今考えるとわけのわからないことを言っていて。友だちと「ちっこいUFOを作ろう」って、毎週会議していたのを覚えています。でも今、ドローンってあるじゃないですか。僕、あの夢を諦めていなかったら、ドローン開発していたかもしれない。
水野:僕、小学生の頃、UFO研究会やっていました。
米光:え! 仲間ですね。僕もUFO研究会って名乗っていましたもん。どういう研究をされていたんですか?
水野:当時、11階建ての団地に住んでいたんですけど、そこからオペラグラスでUFOを探す、とか。あと、ノストラダムスの大予言とか、宜保愛子さんとか、オカルト系が流行っていた時期でもあったので、そういうものをみんなで調べて、近くの森に探しに行ってみる、とか。
米光:じゃあ、同じ種族だと思います。
ものを作るたびに、その“作り方”も一緒に作っていた。
水野:米光さんは、ゲーム会社に入って、実際に作るようになって。そのなかで「自分やれるな」って思う瞬間ってありましたか?
米光:企画職の先輩がいないので、「どうやるのか」という目標もなく、自分が思ったようにやってみるしかなかったというか。「できる」「できない」のジャッジが自分でもできなかったんですよ。もし先輩がいたら、自分と比べたりするじゃないですか。そうしたら「できない」と挫けていたかもしれない。でも、行き当たりばったりでやっていたからこそ、若さもあって「俺、できてるじゃん」と勘違いしていた感じはありますね。
水野:先輩たちの指導はまったく入らなかったんですか?
米光:もちろん先輩たちはゲームを作っているから、僕よりも断然知識もあって、いろいろ教えてくれました。でも彼らはプログラマーでありデザイナーだから、企画職的なノウハウは持っていなくて。だから、ものを作るたびに、その“つくりかた”も一緒に作っていました。
水野:今、米光さんはゲーム作家として活躍されながらも、後進の指導もされているじゃないですか。当時、教わるという経験をされなかった米光さんが、教える側に行くのにはどういう難しさがありますか?
米光:後進の指導なんて言われると、そんなたいそうな、ちょっと…笑。エンターテイメント作りって、あまり教えられることがないなと思います。本人が「これがおもしろいんだ」と思って作るのがいちばん。それをどう見つけるかが大事で、見つけた学生たちが、なにかを作る“場”を生み出すのが僕の役割かなと。わりと“教えない”ダメな先生なんですよ。「先生、頼りねー」って思われるぐらいがいい気がして。
水野:米光さんは様々な経験を蓄積されてきて、ゲーム会社に入られた当時と今とで、ご自身の変わったところってありますか? 逆に変わんないところのほうが多いですか?
米光:おそらく変わらないところは意識できるんです。「俺はこれをずっとやっているな。進歩や成長がないな。でも、これを芯にやっているんだな」みたいな。変わったところもいっぱいあるはずなんだけど…。水野さんはこれまでで変わったところというと、何か出ますか?
水野:自分の変わったところというと、単純に技術が増えただけだと思います。手段が増えただけで、目的遂行意識は変わってないというか。それを成長と捉えていいのかわからない。
米光:僕もそれこそ目的遂行意識というか、やっていることは同じ感覚です。大学で教えていることも、ゲームだと思っているくらいなので。だから、講義みたいに一方的に教えることができなくて。「やってみて」って言ったものを学生に返してもらって、「じゃあこうしたら?」って一手一手、打っていく。
水野:なるほど。ゲームのように。
米光:僕はゲームっぽい感じでしか何もできないんです。その代わり、ゲーム的におもしろくすることはできるんだろうなと思っています。そういう意味では、水野さんと同じくスキルは増えているのかもしれません。ゲームと同じ方法を使って、授業ができるスキルとか、文章を書けるスキルとか。アウトプットの方法論はできている気がします。
テトリスの好きなところを紙に書き出してみた
水野:では、米光さんの作品についても、具体的に伺っていきたいと思います。まずは、みなさんがいちばん知っているところであり、僕もやらせていただいたことがある名作「ぷよぷよ」について。いろんなパズルゲームがあるなかで、どのように「ぷよぷよ」の企画が始まっていったのですか?
米光:「ぷよぷよ」はテトリスショックの影響が大きくて。
水野:ああ、そうなんですか。
米光:僕が会社に入った頃、文化祭的な雰囲気で作っていたのが、ある程度スケジュールを組む作り方になって、世間的にもゲームがどんどん巨大化していった時期で。敵がたくさん出たり、容量をたくさん使うようになったり、グラフィックが綺麗になったり、音楽が豪華になったり、どんどんインフレ化して、作るほうも大変になってきて。そんなときに登場したのがテトリスだったんです。
みんな、「ああ、このシンプルさでおもしろいんだ。俺たちが最初に作りたかったゲームってこれだったよな」って。経営者も「これでヒットするなら、今までの苦労は何?」みたいな。それで「落ちものパズルゲームを作れ」という指令が下りてきて、最初は僕以外のチームが作っていたんです。ところが、それがおもしろくならなかった。でも、ボツにするにはかけた開発期間がもったいないから、どうにかしようと各セクションの主任が集められて主任会議が行われたわけです。
会社もまだ小さかったので、あまりネガティブな会議を現場でするわけにはいかない。そこで、主任たちは近所の喫茶店で会議をすることになったんですけど、主任じゃなかった僕もそれを聞きつけて「僕もついていっていいですか」って。で、会議に参加したけれど「どうする?」という話にしかならなくて、何も進まない。最後には、いちばん若かった僕に、「お前、どうにかしろ」と。
水野:無茶ぶりですね。
米光:当時、僕もできると思っていたし、テトリス大好きだったので、「じゃあ作っていたゲームをやってみて、少し整えて出します」と安請け合いをしたんですね。会議の前は、その作っていたゲームは未完成で、それをちょっと調整すれば出せると思って。でも、これが結構、“完成”していたんですよ。
水野:フォーマットができすぎていた。
米光:はい。しかも「完成しているのにおもしろくない」という状態なので、「ヤバいのを引き受けたかも」と思いました。おそらく、求められていたことは、どうにかおもしろそうに見せて出す、ということだったんですけど。僕はテトリスが好きすぎて、それはやりたくなかった。どうしていいのかわからなくて、3日休んで。そして、「まったく違う落ちものパズルゲームにしよう」と決意したんです。
水野:わぁ、すごい。
米光:プログラマーとかも、おもしろくないものをずっとやっているから、もう嫌になっているんですよ。それなら、ちょっと直すよりも「すべて変える」って言ったほうがやる気を出してくれると思って。
水野:はいはい。
米光:でも、次のプロジェクトも始まっているので、「できないです、時間ないです」って言われるんです。それを頼み込んで、放課後にやるみたいな感じにしました。まぁ、放課後というか、残業です。メインのプロジェクトが終わった18時ぐらいから「1時間だけ作って」って。そうやって作ってもらったやつを僕が見て、「次はこう作って」というのを繰り返して。そうやっていくうちに「テトリスとは違う落ちゲーができた」って思えるようになって。
水野:「ぷよぷよ」のあの質感は、途中で浮かんできたアイデアですか?
米光:それは3日休んで、テトリスの二番煎じにならないためにどうすればいいか悩んだときに。
水野:その3日間に。
米光:テトリスの好きなところを紙に書き出してみたんです。普通だと、柔らかい人間がぴょんぴょん飛んだりするのに、テトリスは、ブロックを操作して、一直線になったら消える。そういう硬くてソリッドなイメージがおもしろいところだと。そこで、ソリッドをやめてソフトにしようと決めました。
いちばん好きなところを禁じ手にして、柔らかい落ちゲーを作れば、テトリスの二番煎じにならない。だから、柔らかいキャラクターが降ってくるし、繋がり方も一直線じゃなくてグネグネ繋がってもOKだし、叫んだりわめいたりするいろんなキャラクターが出てくるんです。
水野:テトリスの逆に行ったのが、個性になったんですね。それがとてつもない数のひとがプレイするゲームになったわけじゃないですか。その現象は、米光さんの目から見てどう映っていたのですか?
米光:嬉しかったですね。作っている途中にも会社内のスタッフがテストプレイをするんですけど、あるとき僕が、「終電だからもう帰ってね」と言ったら、プレイしているひとが、「いや、もうちょっとやります!」って言ってくれて。それ、もうテストプレイじゃないじゃんと(笑)。
水野:あはは。
米光:純粋に楽しくて、対戦で遊んでいる。これはおもしろいゲームができた、とそこで実感しました。
水野:僕、レコード会社の先輩にDREAMS COME TRUEの皆さんがいらっしゃったんですよ。もう違うレーベルなんですけど。デビューする前によくスタッフさんに聞かされた話があって。ドリカムさんって、デビューするとき、まったく評価されていなくて、音楽好きの玄人スタッフたちはみんな無視していたらしいんです。
米光:おお。
水野:だけど、オフィスのデスクの女の子たちは、ラジカセでずっとドリカムを聴いていて、「最高!」って言っていた。玄人スタッフより、普通の生活をしている彼女たちのほうが純粋にドリカムさんの魅力に気づいていた。つまり、仕事で離れたところで楽しまれているものがヒットするんだ、と。その話を思い出しました。
米光:実感としてすごくわかります。やっぱり仕事としてやっていると、ある種の見方ができてしまう。だから僕も作っている途中でだんだん、おもしろいのかおもしろくないのかよくわからないゾーンに入ってくるときがあって。そういうとき、初めて遊んだひとの表情を見ると、「ここがおもしろいんだ」とか「ここはもっと直そう」とか気づいたりしますね。
水野:「ぷよぷよ」を作って、米光さんのその後のものづくりに影響ってありましたか?
米光:当時、先輩がいないなかで作った経験はすごく影響がありました。だから「前例がないから」という理由でボツにされたことはないんですよ。前例がないことをやるのが当たり前の現場だったので、そこが染みついちゃって。とはいえ、あんまり前例がないことを言いすぎても伝わらない。自分がおもしろいと思うものを伝える苦労をしたい、みたいな感覚はずっとありますね。
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文・編集: 井出美緒、水野良樹
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