挑戦していかないと、自分自身に飽きてしまうから

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
https://www.j-wave.co.jp/original/creatorsnote/
“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週金曜日夜24時30分から放送。
6体のぬいぐるみに初の楽曲提供
水野:水野良樹がナビゲートしています『Samsung SSD CREATOR’S NOTE』。本日のゲストは、シンガーソングライターで、作詞・作曲家の草野華余子さんです。よろしくお願いします。
草野:よろしくお願いします。

草野華余子(クサノカヨコ)
大阪府出身・東京都在住。シンガーソングライター/作詞作曲家。18歳の関西大学進学を機にバンド活動を始める。2007年より「カヨコ」としてソロ活動を開始し、2019年に本名である「草野華余子」に改名。自身の活動に加え、そのソングライティング力が認められ、数多くのアーティストやアニメ作品への楽曲を提供。2019年にリリースされた、LiSA「紅蓮華」の作曲を手掛け、一躍注目を集める。以降、西川貴教、A.B.C-Z、FANTASTICS from EXILE TRIBEなど、楽曲提供の幅を広げている。
水野:以前、音楽番組『EIGHT-JAM』(旧:『関ジャム 完全燃SHOW』)でご一緒したことがあって。その場でも少しお話をしたのですが、草野さんとは同世代で、アーティスト活動をされながら、作家として楽曲提供もされているなど、近しいところがたくさんあるなと。今回はゆっくりいろいろお伺いできればと思います。改めて、プロフィールを調べさせていただいたのですが、かなり早い段階から作曲をされていたんですね。
草野:うちは二世帯住宅で、祖父母が音楽好きだったので、実家にオルガンやクラシックギターがあって。私も3歳からピアノを習い始めたんですね。で、5歳のとき、「Mステの階段をぬいぐるみたちが降りてくる」という設定の人形遊びを妹としたんです。そうしたら、言葉を覚え始めたばかりの妹が、「お姉ちゃん、曲がないと番組は成り立ちません」って言い出して。じゃあお姉ちゃんが書いてあげる!って言って、持っていた6体のぬいぐるみに曲を書いたのが、初の楽曲提供でした。
水野:インストではなく、そのぬいぐるみたちがアーティストとして歌う!
草野:そう、ウサコやクマミが歌うんです(笑)あと、もともと美術部で漫画も絵も好きだったので、ノートに縦型シングルCDのジャケットイラストを描いて、「100万枚突破!」とか言いながら。
水野:めちゃくちゃ可愛い。その作った曲を妹さん以外のひとに聴かせることは?
草野:いや、妹以外にはまったく。父母は、謎のイラストが描かれているノートが家に散乱していると思っていたみたいです。小学校入る手前には、もうオリジナル楽曲が100曲ぐらいになっていて。
水野:小学校入る手前で!?
草野:おかしかったことに誰か気づいてほしかった(笑)。ただ、当時の私は、作曲ってみんなができるものだと思っていたんですね。妹はできないから、「お姉ちゃん天才」って言ってくれて嬉しい。それで、妹の誕生日とか入学式のために曲を書いていたら、父と母が「それ自分で作っているの?」って気づいて。そこから声楽のスクールに入れてくれて、音楽をいろいろとやるようになっていきました。
水野:当時、憧れていたアーティストというと?
草野:SPEEDをプロデュースされている伊秩弘将さんとか、小室哲哉さんとか、織田哲郎さんとか。中学校のときには、バックストリート・ボーイズがすごく好きで。マックス・マーティンという全米のプロデューサーがいるんですけど、彼が手掛けているブリトニー・スピアーズとか、クリスティーナ・アギレラとか、イン・シンクとかを聴き始めて。もうトラックメーカー推し。
水野:やっぱり作るほうに興味が湧いていたんですね。
草野:歌番組で、作っていらっしゃる方の名前が出たとき、「ここに載りたい」って。そういう思いは小学生のときには明確にあったかもしれません。シンガーソングライターも2タイプいるじゃないですか。曲を書きたいから、自分で歌っているパターン。歌いたいから、曲を作っているパターン。私は完全に前者で。作ることがすごく好きで、ひとよりは歌もそこそこ歌えるから習い始めて、自分で歌うようになった感じで。
水野:いつ頃から本気で、音楽で食べていこうと思ったのでしょうか。
草野:いや、私は35歳ぐらいまでアルバイトしていましたし、音楽だけで食べていけるとは思っていませんでした。一方で「音楽以外の職に就くはずがない」という妄信というか。「こんなに作れるんだからイケるはず」という幻想を30歳過ぎても追い求めていたら、今に至ったというか。
「これで正しかったな」と思えた瞬間

水野:急に踏み込みますが、今やっている仕事量って半端ないわけじゃないですか。
草野:1年で40~50曲ぐらいは作ります。中学高校のガラケー時代から毎日、ボイスメモに何かを録音するという作業をしていたので、欠片だけなら多分1万曲を超えるぐらいあって。とにかく作ることが好きで。
水野:本当に日常的な作業というか、10代の頃から染み付いている行為なんですね。
草野:もう歯磨きとかと一緒。水野さんはいつぐらいから曲を作られていたんですか?
水野:中学生ぐらいから作るようになって、ひとに初めて聴かせたのは高校生のとき。毎日作るとか、日記的に書くとか、そういうタイプではなかったんですけど、「俺は作れるぜ」と何の根拠もなく思っていました。
草野:そこの自信は同じだ(笑)。
水野:でも今でこそ、「水野さん、結構作りますよね」と言っていただけるようになったけれど、草野さんのように、「ぶわーって毎日、溢れ出るように書けちゃうんです」という方は眩しく見えます。
草野:いやいや。自分にとって当たり前の行為で、自由にやってきたせいで、リテイクとか、いろんな条件に応えることに最初は時間がかかりました。いろんな会社やアーティストの方々を困らせたこともあります。だけど、根底にあるのは、曲を作っているときの興奮状態で。それは40歳を過ぎた今でもあまり変わらなくて。
水野:ご自身で歌う曲と、誰かに書く曲、作るときの興奮度合いに違いはありますか?
草野:昔は自分が歌うために書くのが好きでした。でも、ひとに必要とされ、評価していただくなかで、課題があることに燃えるように変わってきて。ここ4、5年は発注がない月がない状態で過ごさせていただいているんですね。すると逆に、自分が何を歌っていくべきか、在り方がブレるというか。二足の草鞋の一足目はシンガーソングライターだったはずなんですけど、作家の時間のほうが増えてきてしまって。
水野:バランスの取り方が難しいところですよね。ご自身のなかで、ターニングポイントになったお仕事はありますか?
草野:2013年、LiSAさんに提供させていただいた「DOCTOR」という楽曲ですね(アルバム『LANDSPACE』収録)。それまではCMの15秒の曲とかはたくさん作っていたんですけど、コンペに誘っていただいて、出した楽曲が決まりまして。メジャーシーンで活躍されているアーティストさんに、初めて楽曲提供をさせていただきました。そこがターニングポイントだと思います。
水野:他の方が歌って、形になっていく。それによって何がいちばん変わっていきましたか?
草野:編曲家の方がついて、今まで作ってきたメソッドと違うものが体に入ってくる感覚に、戸惑っていた時期がありましたね。私はメロディーとコードが同時に出てくるので、リハモ(コードを変えること)に耐えられなくて。「どうしてここはマイナーじゃなくなったんですか?」とかいちいち言う、ウザい作曲家でした(笑)。当時のバランスとしてはアーティスト9割ぐらいだったので、作家を生業にする覚悟も足りなかったんじゃないかな。
水野:ご自身が最初にイメージしたものが、予想もしないものになったりすることを、ポジティブに捉えられるようになったのはいつ頃から?
草野:わあわあ言いながら完成させたものを1年後、ライブハウスで聴いたときや、地上波に乗ってアニメの絵がついて流れてくるのを観たとき、「これで正しかったな」と思えたんですよね。客観性を持って、フィルターを通してみると。なので、楽曲提供を始めて1年後ぐらいには、「ああ、もう大丈夫かもな」って。
水野:作っているときは没頭しているけれど、もう少し距離ができると冷静になるというか。1リスナーとして聴くことで、納得できるんですかね。

草野:あと、水野さんも多分そうだと思うんですけど、作っているときって何回も8小節まわして、「この部分どうかな?」って聴いたりするじゃないですか。それによって、知らない間に愛着が湧いちゃっているんだろうなって。でも逆に今は、それを取っ払って直せる。「2パターン出しますよ」とかできる。すると、角が取れすぎて逆によくない、という揺り戻しが起こっていまして…。それを水野さんに相談したかったんです。
水野:角が取れるって怖い言葉ですね。僕は「お題に応えることうまくなりすぎちゃった問題」というのがあって。
草野:わかる。もう「いいね」ボタンあったら1億回押している。
水野:うまくなりすぎることは、ある瞬間において、ネガティブなことなんですよね。回答を出せばいいという話ではないから。
草野:そうなんですよ。「90点ぐらい出せ」と向こうは言ってくるけど、本当は120点か0点で爆発するようなものを書いたほうがいい。
水野:これが口で言うのは簡単で、やるのは大変。
草野:ほんとにそうですよね。
“聴く前から神曲”とか、そういうのはええねん!

草野:社会で音楽を生業にして、お金を稼がせてもらうようになったとき、どうしても自分が慣れてきてしまう。言われたことに対して、戦う労力や時間がなくなってきた。だから今一度、200人キャパぐらいのライブハウスで、毎月2~3本ライブをするんですよ。チューニングをインディーズバンドマンの頃に戻そう、というのが今年のテーマ。ただ、それでスケジュールが圧迫されて、何も手についてないみたいなことになっている(笑)。
水野:僕も今、心の中で「いいね」ボタンを押しています。そういう場所に立たないと保てない何かがありますよね。自分が試される場所に。
草野:そうですね。ダサくなっていないか。200人を幸せにできるのか。もちろんいつも、アーティストさんや、その向こう側にいるアニメ視聴者の方々、何万人のファンの方々を考えながら楽曲を書いているんですけど。生身の人間として、どういう音楽をやっていきたいか、どういう人間で在りたいかも大事で。私はライブハウスで育ったので、ライブハウスに居たい。だからカンフル剤として、無理やりでも立ち続ける1年にしようと。
水野:大事なことだと思います。僕はいきものがかりと別に、HIROBAという活動をやっていまして。他の分野の方とお話をしたり、普段は音楽をされない方を誘って曲を作ったりしているんです。それは多分、草野さんと同じような考えで。いきものがかりという名前を多くの方に知っていただいて、グループの存在が大きくなったことによって、みんなが僕の話を聞いてくれたり、話が通ってしまったりする場面が多すぎて。
草野:わかる。私も今、曲を書いても、もう誰もリテイクくれないもん(笑)最悪ですよ。「何か言ってよ!“ちょっとリファレンスと違う”とか言ってよ!」みたいな。
水野:もちろんまったくの裸にはなれないし、いきものがかりという名前があるからこそ、会ってくれる方もたくさんいるけれど。1クリエイターとして向き合っていただいて、試されて、ちゃんと自分という存在を成りたたせないと信頼関係を結べない場所に、自分の身を置かないとダメだ、ということを5~6年前から思っていて。方法は違うものの、草野さんに近い危機意識がありますね。自分に過酷なことを強いないと、失ってしまう何かがあるから。
草野:私は去年、スイスに行ったんですけど、今年も行こうと思っていて。ベルンにウィークリーマンションを借りて、誰も何も知らないところでコライトキャンプに参加しようと。というのも、ファンの方が悪いわけじゃないけれど、「“聴く前から神曲”とか、そういうのはええねん! 聴いて判断してくれよ!」みたいな気持ちが強く出てきていて。
水野:はい、はい。
草野:わがままだな、とは思うんですよ。代表曲がないときは、「早く代表曲がほしい」と言い。代表曲が出てきたり、名前を知っていただいたりしたら、「まっさらな自分になりたい」と言い。でも、挑戦していかないと、自分自身に飽きてしまうから。
水野:大声で言っていただいてすごく気持ちがいいです。
Samsung SSD CREATOR’S NOTE 公式インスタグラムはこちらから。
文・編集:井出美緒、水野良樹
写真:谷本将典
メイク:内藤歩
番組:J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
毎週金曜夜24時30分放送
https://www.j-wave.co.jp/original/creatorsnote/
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