死んだあとの世界で、名だたる画家たちに呼んでもらえるように描き続ける。

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
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“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週土曜日夜21時から放送。
水野:今回のゲストは、画家の画狂人・井上文太さんです。

井上文太(いのうえぶんた)
画家。1967年、大阪市梅田出身。画家の金子國義に師事。1999年から画家としての活動を開始。2011年より、世界最大の国際海洋保護団体「OCEANA」が主催する「Christie’s The Green Auction」出品。神社仏閣とも縁が深く、代表作として、正覚山妙光寺方丈の襖絵や河口浅間神社で奉納式が行われた「富獄日月曼荼羅 降臨龍王國鎮之図」、京都伏見稲荷大社本宮祭「白狐大明神圓」などがある。従来の芸術ジャンルの枠にとらわれることなく、生命の儚さ、人間の複雑な感情、自然と人間の微妙なバランスなど、無数のテーマを掘り下げ、人間と生物との共生、平和への祈りを描き続けている。
「弟子にならない? その代わりすべて捨ててきなさい」

水野:まず“画狂人”とは、どういうものですか?
井上:葛飾北斎がつけた屋号で、“狂うほどに絵が好き”という意味です。5年前ぐらいに、もう僕も年なので、最後に思い切り絵を描きたいなと。そこで“画狂人・井上文太”と名乗ったら、「何が画狂人だよ」って絶対にみんな言うじゃないですか。でも、毎日描き続けたら、そうも言われなくなっていくだろうと、自分のお尻を叩くようにつけました。
水野:小さい頃から絵を描くのはお好きだったのでしょうか。
井上:ものを作ったり描いたりするのは好きでした。でも僕、小さい頃からあまり夢がなくて、「画家になりたい」とも思っていなかった。「宿題がなくならないかな」とか、「早く夏休みが来ないかな」とか、「なんで生まれてきたのかな」とか、そういうことばかり考えていて。自分で何かを切り開こうという気持ちは、今でもありません。ちゃんと絵を描き始めたのは、金子國義に拾われてからですね。
水野:金子國義さんに出会って、何が井上さんを変えたのですか?
井上:僕は、進学校に行っていたのですが、勉強がイヤで絵に走ったんですよ。「画家と言えば、誤魔化せるかな」という不純な動機で(笑)。さらに、「賞を取ったらお金が貰えるのか。こっちの道のほうが楽だな」くらいの感覚でした。そんななか、たまたま金子國義の存在を知って。「このひとの絵、いいなあ」と。それで当時、キリンプラザ大阪で開催されていた展覧会を見に行ったら、そのエレベーター内で、本人にばったり出会いました。
水野:それはすごい偶然ですね。
井上:しかも、ちょうど兄弟子がやめたタイミングだったんです。僕が絵を描いていることを話したら「筆が欲しいんだけれど、あんたお店を知っている?」と訊かれて。「あ、いいですよ」と筆を買いに行って。すると、「いちばん上の席を取っておいてあげるから、今日の対談に来なさい」と言ってくださった。でも、そのとき僕は用事があったから、「先生すみません、今日は…」とお断りしたら、「じゃあ明日、何か持ってまた来なさい」と。

水野:はい、はい。
井上:おそらく金子としては「絵を持ってきなさい」という意味だったと思います。ただ、僕からしたらすごく偉い先生ですから。「何かおいしいものを持ってこいということだ」と捉えて。次の日、たこ焼きを持って行ったんですよね。それが気に入られたみたいで(笑)。そこから徐々に手伝いを始めていきました。
水野:金子さんはどういう指導をされたのでしょう。
井上:まず先生が「あんた、弟子にならない? その代わりすべてを捨ててきなさい」と言ってくださって。素直に「わかりました」と。執着もなかったんで。さらに、「あんたに絵は教えないわよ。絵は教えるものじゃないから。もうこの場所には一流のものがある。弟子に徹して掃除をしながら、本などからすべてを覚えなさい」と教えられました。しかも無給。ただ、今考えると、対価をもらわずに学んだほうが、対価以上のことを覚えられる気がします。
水野:ああ、なるほど。
井上:たとえば、お皿を洗っているときにも、「この皿はどうして高いのかな?」と考えるようになるんです。フォークとナイフを持った紳士の絵を描くとき、その持ち方や食器の種類から、画家は見られるから。そういう教えでしたね。
時空とはエネルギーなんじゃないか

水野:弟子という期間を過ごされながら、井上さんと他の画家の方の違いは、どこに生まれると思われましたか?
井上:あまり他のひとのことを考えることがないので、違いはわかりませんが…。僕は小さい頃から、生きているのか死んでいるのかわからないタイプというか。「多分、この生きている状態が夢だろうな」と思っているんです。死んでからが本番。だから、できれば死んだとき、ミケランジェロとか、ラファエロとか、北斎とか、金子とか、そういう方々にちょっとでも呼ばれるような画家になりたいと思って描いていまして。
水野:ご自身が捉えている時間軸が、今の一生分だけではないんですね。
井上:よくみんな死ぬ前に、「生きているときにやっておけばよかった」とか言うけれど、僕は死んでから本当の世界がある気がしている。その世界で、名だたる方々にセッションしてもらえることを考えるほうが、楽しいじゃないですか。だから今も、浮世絵を伝承するために描いているわけですが、まったくたどり着かないですね。
水野:絵を描くことは、井上さんにとってどういう行為になるのでしょうか。

井上:自分が嘘のない絵を描いたら、ひとりぐらい好きだろうと。それだけでいいんですよね。昔、“21世紀を担うアーティスト”ということで、いろんなところで紹介していただけたのですが、「ああ、こうやって有名になっていくと、仕事がいっぱい入っても、今のレベルでは全然できてない」と。自由が欲しくなりました。だから、本名から「井上文太」に名前を変えたり、館山に引っ越したりして、ずっと絵を描ける状態にしてきたわけです。
水野:とにかく絵が描きたいんですね。
井上:金子も含め、先人の方々が上手すぎて。「こんな絵もあるのか」という好奇心が止められないんですよね。さらに、若い頃は今よりも尖っていたので、「流行るということは、俺はみんながわかることをやっているのか? みんながわからないくらい先を進んでいるはずなのに」とも感じて。やっぱり死んでから、会いたい画家たちに、「ああ、よく頑張ったね。お前も若造だけれど仲間に入れてあげるよ」と呼んでほしいですから。
水野:ずっと一貫している。
井上:夢みたいな世界ですからね。でも、すべてたまたまなんですよ。金子國義と出会ったことも、hydeさんや三谷幸喜さんとのお仕事も。自分から行ったことは一度もない。
水野:ふっと、ボールが来るんですね。
井上:そうそう、ボールが来るたびに都度、一生懸命やる。でも、遊んでいたらダメみたいで。絵をずっと描いていると、何かが来るんですよね。
水野:どこが絵の筆を走らせるスタートになるのでしょう。
井上:インスピレーションが浮かんで、「ああ描きたい」と思って描きます。そのときのことは、覚えてないんですよね。不思議なくらい集中しているみたいで、描いていると意識がどこか行ってしまうんです。でも描いていて、ふと我にかえることもあります。そこで「あ、描けない」と感じたら、すぐやめる。
水野:「描けない」と感じる理由は、たとえば、イメージと違うとか?
井上:説教くさくなったら。「細かくなってきたから」とか、「時間をこれだけかけたから」とか、言いそうなことを続けているようだったら、ちょっと第三者に戻って、「お前、言い訳してない?」とやめる。
水野:第三者に戻るということは、先ほどおっしゃったような、没入できるほどの集中ができていないということですもんね。
井上:そうですね。時間ってあんまり関係ない気がして。以前、大関・把瑠都の化粧まわしデザインをやったとき、いろんなスポーツ選手にお会いしたんです。すると、「集中すると、何かが止まって見える」ということがあるようで。ボールとかバットとか。だから、時空とはエネルギーなんじゃないかと思って。たとえば、「この絵を5日で描くエネルギーが今、僕にあるか」というほうを中心にしたら、時空が飛んでしまいました。
僕はもう神様に見られている

水野:今年、熊本城内の加藤神社に巨大な天井画を奉納されました。加藤清正を描かれた。
井上:お話をいただいて、「やります」とはすぐに言えないもので。100年後、200年後も本当に僕の絵が必要なのか。宮司さんがどういうひとなのか。ただ、今回の細川さんという宮司の方とはすでに縁があって。熊本は、加藤清正が宝なんですね。今、日本はそういう宝の部分でひとつになればいいのに、隣のひとと喧嘩をしていたりすることが多い。だから、「これを描くのはいいな」と思いました。さらに、熊本地震復興にもなればと。
水野:なるほど。
井上:あと、熊本には「ぼした祭り」というものがあって、今は違う名前になっているんですけど。「ぼした」とは「勝った」という意味で。加藤清正が朝鮮出兵に行って勝って、「ぼした、ぼした」と言っていたことに由来しているんです。それは負の遺産になる。韓国や中国の方からしたら、気分が悪いじゃないですか。だから「アジアの民こそ、虎になれ」という、加藤清正のいい部分を出す絵なら描こうと。
水野:すごく大きなプロジェクトですが、この絵を描くエネルギーはどのように?
井上:描くよりも、頭のなかで考えるエネルギーのほうが必要でした。というのも、いちばん大事なのは、何百年も続いてきた崇敬会の長老たちを納得させられるかどうかなので。自分の個性はいらない。彼らに、「これぞ加藤清正だ」と言わせないといけないので、すごくプレッシャーで。ただ、僕はもう神様に見られているようなんです。この天井画のとき、少し余裕ができたので遊ぼうとしたら、人生ではじめて脳梗塞になりまして。
水野:ええー。
井上:それで入院して、「天井画だけは死ぬまでになんとか描きたい」と思って、描いたんですよ。よくよく考えると最近、自分がしたいことというか、遊んだりはできなくなっているんですよね。神様って結構きついですよ。どちらかというと、ブラックなんですよ。「井上を遊ばせない。うちの加藤清正だけは必ず描かせる」みたいな(笑)。僕はお金もひとも怖くないけれど、バチがあたることだけは昔から恐ろしいので。

水野:井上さんのなかで、神とはどういう存在ですか?
井上:UFOも幽霊も神様も見たことはありません。でも、運とか縁とか、普通なら来ないものが来る。だから、僕のうしろには運命を動かす存在があって、そうなるように扱われているんだろうなと。おそらく取り合いになっていると思うんですよ。「インドネシアをやりなさい」、「次はエジプトです」みたいな。僕の意思はありません。ただ、言われたことを一生懸命やる。まあ、それが楽しいんですけどね。
水野:井上さんのこれからについてもお伺いしたいと思います。
井上:浮世絵の世界を継いでいこうと思って、今、バーッと描いています。浮世絵って、日本では“刷り物”のイメージですが、外国のひとはそうは捉えていなくて。“カラフルな絵”だと感じている。それでいいんじゃないかなと。なので、浮世絵を描くことはライフワークにしようと思っています。もうひとつ、町を描き続けていきたいですね。今の町はどんどん変わっていくからこそ、絵に残していきたいなと。
水野:では最後に、これからクリエイターを目指すひとたちにメッセージをひと言お願いします。
井上:「ま、いいか」のひと言があれば、少し楽になるのかなと思います。自分で思ったことって、わりと叶わないので。だから、「ま、いいか」と思えばいい。「また来ればいいか」みたいなね。


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文・編集:井出美緒、水野良樹
写真:北川聖人
メイク:内藤歩
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