すべてを本当にしてしまうと、気持ちの吐露になってしまう。

J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
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“いま”を代表するクリエイターをゲストに迎え、普段あまり語られることのないクリエイティブの原点やこれから先のビジョンなど、色々な角度からクリエイティビティに迫る30分。J-WAVE(81.3)毎週土曜日夜21時から放送。
“おもしろい”って、お笑いのなかにしかないと思っていたけれど…
水野:今回のゲストは作家の小原晩さんです。僕も拝読させていただきましたエッセイがヒットされていますが、もともと言葉に興味を持ち始めたきっかけというと?

小原晩(おばらばん)
1996年東京生まれ。作家。2022年にエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版しデビュー。2023年9月には初の商業出版となる『これが生活なのかしらん』(大和書房)を発表。現在は、『お星さんがたべたい』(北欧、暮らしの道具店)、『はだかのせなかにほっぺたつけて』(小説丸)などを連載中。
小原:あまり意識的ではなかったのですが、振り返ると、子どもの頃から落ち込んだときなどに名言を調べる癖がありました。暗い部屋のなか、顔をパソコンの画面に照らされながら、“今の自分に刺さる言葉”を探していて。多分、言葉というものが“ここ以外のどこかへ視点を移してくれる存在”としてずっとあったのだと思います。
水野:刺さる、とはどんな感覚なのでしょう。
小原:たとえば、よく覚えているのは、アインシュタインの「人生とは自転車のようなものだ。 倒れないようにするためには走らないといけない」という名言です。それを読んだとき、「ああ、今の自分は落ち込んで倒れているからダメなんだ。もうちょっと一生懸命にやれば、この状態ではなくなるんだ!」という気持ちになったんですよね。言葉がグサッと刺さったいちばん最初の記憶です。

水野:そこから、どうしてご自身も書く方向へと進んだのですか?
小原:本を読む少女だったかと言われると、そうではなくて。どちらかというと、音楽の歌詞を大切に聴く、みたいな方向性になっていって。同時に、お笑いも好きになり自分にとって大事なもので、とくに中学生の頃はお笑いコンビ・ピースをよく観ていたんですね。
水野:はい、はい。
小原:そこから少し時間が空き。高校を卒業して働き始め、1年間ぐらい忙しくしていて。その仕事から次の仕事に移る時間ができたとき、久しぶりにテレビをつけたら、ピースの又吉直樹さんが芥川賞作家になられていたので驚きました。私は当時、下北沢の新代田あたりに住んでいたから、下北のヴィレッジヴァンガードに行って。そこにちょうど“又吉直樹の本棚”というコーナーがあって、そういう形で又吉さんに再会したんですよ。
水野:なるほど。
小原:そのとき手に取ったのがエッセイ集『東京百景』で。それを買って読んだらもうすっごくおもしろくて。“おもしろい”って、お笑いのなかにしかないと思っていたけれど、言葉のおもしろさがあった。初めて、「自分は言葉のおもしろさに興味があるぞ」と気づいたんです。そこからいろんな作家さんの本を読み始めまして。
水野:そこで言葉が好きなことに自覚的になったんですね。もともと日記などは書かれていたんですか?
小原:まったく書いてないですね。
水野:いや、それが衝撃で。デビュー作のエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』が話題になっていますが、「言葉のおもしろさに興味があるぞ」と気づいてから、「さあ、書きましょう」って、普通のひとなら短距離でこんな素敵な作品までいきなり行けないと思うんですよ。最初から「書ける」という実感はありました?
小原:書く楽しさはありました。まず、何かおもしろいものを書きたい気持ちが生まれて、「今の自分に書けるのだとしたらエッセイだな」と。でも、それは書く題材が“過去の自分”しかなかったから。いちばん書きやすいものだったから書いた、という感覚なんですよね。
水野:実際にご自身が書いたものが「おもしろい」と言われてみてどうですか?
小原:いや、ありがたい。最初は嘘だと思っていました。ダウ90000の蓮見翔さんに名前を出していただいたときも信じられなくて。今でもちょっと嘘だろうと思っています(笑)。
水野:当時、憧れだった又吉さんや蓮見さんが、今は小原さんの本の帯を書いてくださったり。
小原:自分がおもしろいと思ってきたひとに、自分がおもしろいと思って書いたものを「おもしろい」と言ってもらえたことで、初めて自信みたいなものがついたような気がして。でもまだその嬉しさを咀嚼しきれてないんですよね。これから10年、15年、少しずつ味わいながら、「あんなふうに言ってもらったんだ」という実感が馬力になっていくんだろうなと思います。
水野:こうして作品が広がっていくことで、いろんな反応があると思うのですが、それによってご自身の書くものや生活が変わっていった部分はありますか?
小原:むしろ、「あんまり変われないんだな。自我が強いのかな。イヤだな」と感じていますね。変わりたい気持ちはあるんですけど。
水野:どういう面で「変わりたい」のでしょう。
小原:意固地なところ、天邪鬼なところ。たとえば、「こういうところがあるよね」とか言われると、「ないし!」って思ってしまう(笑)。普通に褒めてもらっても「嘘だ、そんなこと思ってないくせに」と感じてしまう。そういうところはもっと素直になっていけたらいいなと思います。
何も渡し合わなくていい距離でいたい

水野:デビュー作『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』は自費出版で、ご自身ひとりでつくっていったわけじゃないですか。それがだんだん変わっていって、他者が関わっていく感覚はいかがですか?
小原:チームの難しさを感じるようになりました。出版社には、「これぐらいのお金の範囲内でやります」みたいなことがあるじゃないですか。でも私は著者だから、いろんなことを直接的には伝えられない。それでちょっと柔らかい形になるのですが、そのせいで、「でもあのときはああ言っていましたよね」となってしまったり。大人になりきれないんです。あと、自分の意見がかなりあるタイプなのに、ない風を装ってしまいがちで。
水野:それはエッセイから伝わってきます。大体、向き合った相手にその場では言わなかったことを書いている。
小原:そうなんですよ。だから最近は、そういうことをやめて、自分の意見を先に言おうと思っています。
水野:さらに、商業出版になると編集者の方がついて、「小原さんにこういうことを書いてほしい」とか、「こういうことは読者が喜びますよ」とか、よかれと思って言ってくださるじゃないですか。そういう言葉に対しては、どのように向き合って書いていますか?

小原:「ああ、なるほど~」とか言って、好きに書いています。
水野:いや、いいですねぇ(笑)。
小原:でも、言われたときには入ってこないし、すべてはメモを取れないから忘れるんですけど、なんとなく頭に残っているものはあって。そういうものは書いているときにじわーっと入ってきて、活かしたりもしますね。
水野:だんだん読者の方も増えて、「小原晩という作家はこういうものを書くんだ」と期待されることもあると思いますが、そこはいかがですか?
小原:書けるときに書けるものを書くしかないのかなと。今の段階ではテクニックを駆使するというより、書きながら少しずつ考えていくタイプですし。読者の方からの意見に影響も受けているのかもしれないけれど、「じゃあこうしてみよう」と意識的にやってみることは少ないですね。
水野:やっぱり意固地なんですか?
小原:意固地だと思いますよ。
水野:まったくブレないですよね。
小原:まわりからしたら、「あのときはそんなこと言ってなかったじゃん」みたいなことはあると思います。最初に自分の意見を言わず、「なるほど、なるほど」とか言うのに、最終的に、「なんか、でも…」って変えようとするところがあるので(笑)。

水野:それは僕ともリンクするところがあって、すごくわかります。100まで言わないんですよね。
小原:え、水野さん、今でもですか?
水野:まったく言わないです。だから突然SNSをやめて、いろんなひとに気を遣われたりする(笑)。
小原:そうなんだぁ。
水野:だけど多分、言えないことによって培った、書くためのパワーというか、捻くれというか、そういうものはある気がして。そこが種類は違えど、小原さんと通ずる部分なのかなと。ちなみにエッセイにはたくさんの他者が出てきますが、ひとと話すことは好きなタイプですか?
小原:いや、苦手です。心をひらく人間がすごく少ないですし、ひらいてもある程度の距離があります。「大好き!」みたいなことにはならないというか。
水野:作品のなかでも、共同生活を送っていた3人がサッと離れていくというシーンが印象的で。
小原:まさにあのシーンが、私の他者との距離の取り方を物語っていると思いますね。
水野:寂しいという感覚はあります?
小原:あります。ありますよ。孤独感とかあるし、「寂しいな」とも思います。
水野:でも、近づきすぎるとイヤ?
小原:近づきすぎると、「返せるものがないな」と思ってしまうんです。余裕があるときには何かをあげたりできますけど、そうじゃなくなったときに、「もうあげられないんだ…」って。だから、お互いに何も渡し合わなくていい距離でいたいという気持ちがありますね。
“本当の瞬間”を書くために前後を書いている

水野:小原さんは様々なエッセイを書かれていますが、構成はどのように考えられているのでしょうか。
小原:何か忘れられない瞬間みたいなものを強烈に覚えていて、「そのことを書こう」とまず決めます。あとは書き出しから順に追って書いていきますね。
水野:ご自身のなかでハイライトシーンがあるんですね。
小原:そうなんです。エッセイに対して、「これは本当ですか?」と訊かれることがよくあるんですけど、ずっとその答え方に悩んでいたんですね。でも、その“本当の瞬間”を書くために前後を書いているイメージがいちばん近いのかなって。今日、ここへ来る電車のなかでそう思いました(笑)。
水野:「エッセイって本当か」とは大事な問いですね。ハイライトシーンを書き上げるために集めてくるものがあるわけじゃないですか。そのハイライトシーン以外のもの、1から100まで本当なこともあるんですか?
小原:いや、それは少ない気がします。すべてを本当にしてしまうと、気持ちの吐露になってしまう。すると、自分から出た液体を見せている気分になるんですよ。そうではなくて、いちばん本当の部分に照準を合わせたいから、いろんなものは排除していくというか。ここの透明度がしっかり伝わるように書いていくことが多いです。
水野:“気持ちの吐露”と“エッセイ”は違う、ということにいつ気づいたんですか?
小原:最初に『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を書いているとき、読み返すのがすごくツラくて。「なにこれ。つまらないよ」みたいな。それで書き直していくなかで、自分が本当に書きたいと思った部分に照準を合わせ始めたら、エッセイとして組み上がった感覚です。でも、「自分の過去を作品として扱うようになった」というところが大きいかも。
水野:作品として扱うとどうなるのでしょうか。
小原:ちゃんと削れるというか。いい言い方になっちゃうんですけど…、彫刻みたいな(笑)。
水野:いや、まさに彫刻ですよ。そこで笑ってしまうところが小原さんらしいなと思います(笑)。

小原:自分の思い出は、大切なでくのぼうの姿であって。でも、これをそのまま他者に見せても、ただのでくのぼうでしかない。だから、削って削って、「いや、このでくのぼうのいいところはここでね。わかるでしょう?」という作業をやっているような感じですね。
水野:すごいなあ。多くのひとは、気持ちの吐露とエッセイの区別ってつかないと思うんですよ。「私の感情を書かなければ」となってしまう。それも大きな方向性としては間違ってないけれど。
小原:思えば、そこはお笑いが好きだったことが影響しているかもしれないですね。芸人さんのエピソードトークって、私たちが笑える形にして届けてくれるじゃないですか。普通に喋ったら、ただのツラい話やイヤな奴の話でも、芸人さんが形を整えた状態にしてくれる。それを受け取ってきたから、「おもしろいということは、そういうことなんだ」という気づきに触れることができたような気がします。
水野:では最後に、これからクリエイターを目指すひとたちにメッセージをひと言お願いします。
小原:「好きなようにやってください」
水野:でしょうね! 絶対そうですよね。
小原:クリエイターになりたいって思った時点で、好きなようにやるしか道はないんじゃないの?と思います。でも、好きなようにやるのがかなり難しいことなんですよね。
水野:「好きなようにやってください」って言葉がいちばんあったかくて、いちばん冷たい言葉ですからね。でも本当はそれが正しいと思う。今日はたくさんのお話をありがとうございました。

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文・編集:井出美緒、水野良樹
写真:谷本将典
メイク:内藤歩
番組:J-WAVE『Samsung SSD CREATOR'S NOTE』
毎週土曜夜21時放送
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