対談Q くどうれいん(作家)第3回

みんなが「くどうれいん」だと思っているものに手裏剣を向けたい。

理解されたくなかったから書いていたのに

くどう:書くジャンルをひとつにしなければならないかなと考えた時期もありました。短歌、絵本、エッセイ、小説、どれもやっているとなると、「すべてに対して中途半端で軽いやつ」だと、どうしても思われてしまうのではないかと。

水野:いや、驚愕していますよ。すげぇなって。

くどう:マルチである自覚もなくて。「どれが本当のあなたなんですか?」みたいなことを言われることもあるんですけど、どれも本当じゃないとも言えるし、どれも私であるとも言える。もしかすると、いろんなジャンルをやっているからこその距離の取り方をしているのかもしれません。

水野:でも、たしかに全部くどうさんですね。様々な作品からくどうさんを知って、「くどうれいんの文章とは、書いてきたものとは、こういう感じなんだ」と、なんとなくの像が生まれていくとき、すべて納得感がある。それはすごいことだなと思います。

くどう:本当は全員と会いたいんですよね。きっと読者の方のなかに各々のくどうれいん像が在ると思うんです。ほっこりしているイメージであったり。それを「よお!」ってぶち壊したい。

水野:理解されたいという欲はあります?

くどう:ない! 私はもっとしょうもないものだもん。理解されたくなかったから書いていたのに。

水野:今、心のなかで「いいね!」を押しています。

くどう:書けば書くほど理解された感じになっていく。

水野:そう、そうなんですよ。

くどう:やだー。だから、私はサイン会とかしてしまうのだと思います。ラジオとかも始めちゃって。引っ込んで黙っていれば、もっとカッコいい作家像になることができていたかもしれないのに。黙っていられなくて。

水野:でも喋ることでまた消費されていくじゃないですか。

くどう:それでなおさら、「私は本も読んでいるし、ラジオも聞いているし、サイン会でも会っている。だからより本当のくどうさんを知っている」と思われてしまう。

水野:ジェーン・スーさんも、お話を伺ったときに「何かを期待されるようになってしまう」とおっしゃっていました。

くどう:はい。ひとりでちっちゃい針を世の中に向けていたはずが、「もっと言ってやってください!頼みます!」って、いつの間にかでっけぇ矢を持たされているんじゃないかと思うときがあります。それでも、「私ってそうじゃないんだよ」って言いたかったから。

小説って、すべて嘘なのに、いちばん本当な気がする

水野:気持ちはわかります。僕、大人になって、とくに家庭を持ってから、やっと気づいたことがあるんです。「水野くんってこういうひとだよね」って言われるのが、なぜか死ぬほど嫌い。

くどう:めちゃくちゃわかります!

水野:たとえば、一緒に暮らしていて長い時間を過ごしている妻から、「あなたってこうだよね」と言われたり。ともにグループをやっている吉岡から、「リーダーってこうだよね」と言われたり。細かいことも含めて、なぜか嫌。自分でも理由がわからないけれど、そこをどうやら異様に嫌う。多分、固定されたくないんです。だから違う行動をしてみたり、「いや、これは自分ではない」と言ったりすることの連続でぐちゃぐちゃしています。

くどう:はい、はい。

水野:それは冒頭で尋ねてくださった、「小説の名義を変えた理由」にも繋がっていて。僕はたまたま本名で世の中に出て、顔を晒して喋って、ああいうタイプの楽曲たちを綺麗なものとして受け取っていただき、幸せではあるんですよ。みなさんの大切な思い出と繋がっているので。

くどう:そうですよね。

水野:でも、だからこそ魔法がかかる。「それを作っているひともいいひとだ」ということになりがちで。別に悪いひとではないつもりでいるし、可能なら誰かを傷つけずに生きたいけれど、自分という存在が虚構じみてくるんですね。そこにどうにか抗えないものかと。

くどう:そういう気持ちが『幸せのままで、死んでくれ』にも出ていますよね。

『幸せのままで、死んでくれ』清志まれ

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163915104

水野:それでたまたま小説をペンネームで書いたとき、「虚構を書いているはずなのに、こちらのほうが自分に近いかな」と思うことができて。それで清志まれという名義にしたんです。

くどう:小説って、すべて嘘なのに、いちばん本当な気がするときがありますよね。書いていて。

水野:そうなんですよね。不思議。

くどう:私もずっと逃げ惑っている気がします。「そのひねくれ、わかります」っていろんなひとに言われたから、むしろ今ひねくれなくなっているかもしれない。常に自分を脱ぎ捨てたいというか。変わり身の術みたいに、みんなが「くどうれいん」だと思っているものに手裏剣を向けたい。でも、そうやって逃げているつもりなんだけど、振り返ってみると結局は自分ではある。

水野:キラキラの言葉になってしまって恥ずかしいんですけど、「新しい自分に出会ってみたい」みたいな感覚なんですかね。異質な自分というか。

くどう:新しいというより、ずっと潜っている感じです。マトリョーシカみたい。脱いで脱いで、これが最後だと思ったはずのものに、まだ裂け目があって。「本当の自分を探すため」とか、「自分の輪郭を確かめるため」とか、創作物に対してよく言われるじゃないですか。私の場合、書くことで、その都度の異なる自分が見えてくると思っています。それがどんどん増えていく感覚。

水野:それはとても自然なことですよね。だって、生きているから。

くどう:すると過去の自分に対して、「そのときの私はそうでしたね」という言い方になっていく。今の自分に対しても未来の責任が持てないので、「今の自分がこうであります」って。

「言葉は魔法だ」とかよく言われるけれど…

水野:このエッセイをご自身で読み返してみたときはいかがですか?

くどう:おもしろい!

『湯気を食べる』くどうれいん

https://www.orangepage.net/books/1903

水野:もう「過去」という感覚なのでしょうか。

くどう:常に「おもしろい!」って思って、世の中に出すことを繰り返していて。出す時点ですでに他人になっている気がします。「こういうものを作ろう」と思って、そこに向かって書いているというより、書き進めながら、「そうなんだ!」って思い続けているというか。

水野:おもしろいですね。

くどう:「言葉は魔法だ」とかよく言われるけれど、それが私は嫌いで。そんな現実離れしたものではなく、努力と継続によって長い間をかけて「できるようになったこと」なので。今回のエッセイ『湯気を食べる』では「調律」という表現をしたのですが、それに近い感じがします。その都度、自分は今どんな音が鳴るのか試してみる作業みたいな。

水野:僕は中村佳穂さんのライブを観たとき、衝撃を受けたんですね。お話を伺ったら、自分の人生を動画的に捉えているみたいな趣旨のお話をされていて。くどうさんがおっしゃるように、「今の瞬間の私です。次の瞬間になったら違う私です」という感じに。そして作品は、このA時点からB時点までを撮ったレコーディングみたいな。

くどう:ああー、そうですね。

水野:それまで、僕は作品と言ったら1枚絵的な感覚で。それが変化しないイメージで曲を作っていました。そういうタイプの人間からすると、「そうか、そういう考え方もあるんだ」と驚いたんです。たしかに人間ってずっと一定の状態にいないよな、と。

くどう:うん、うん。

水野:今日くどうさんとお会いして、こうして話して、部屋を出たあと、自分は変わっているじゃないですか。ちょっとずつ。それはみんな同じで。人間は動的な存在なのに、作品になると固定化されるのは変なことだなと。

くどう:しかも、ひとによっては1冊しか読まないわけじゃないですか。「くどうれいんってこういうひとなんだ」って、ずっと過去の私で思われている可能性もある。それを多分、かつての私だったら許せませんでした。「最新の私が最善である」と信じて頑張っているのに、昔のものを見て、「このときがいちばんよかった」と言われるのもイヤだし。

水野:そういうことが出てきますよね。

くどう:でも、そこが仕事になったことで、今は割り切れるようになったのかもしれません。たとえ、そのひとが1冊だけ読んで、それ以外はイマイチと思ったとしても、「だけどその1冊にお金を落としてくれた。ありがとう」で終了。もう自分の人生に集中。そういう気持ちでいないと、背負いきれないなと思います。

文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:谷本将典
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影場所:光原社
https://morioka-kogensya.sakura.ne.jp

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