人前のほうがいろんなことが上手にできる
誰かの言葉や人生を借りて表現したい
水野:「舞台に立っている側になりたい」と思ったきっかけは何だったのでしょうか。
井上:もともとは歌をやっていたんですけど、それを職業にしようと思ったことはなくて。でも、ミュージカル『キャッツ』を観たとき「メモリー(Memory)」という有名な歌を聴いて、初めて歌で涙が出そうになって。「なんだこれは」と。
水野:カルチャーショックみたいな。
井上:はい。「メモリー」は、娼婦だった猫が歳を取って老婆になってまわりから嫌われて、かつての自分を思い出しながら「もう一度、輝きたいし、みんなに触れてほしい」という気持ちを歌うんですね。当時、僕は小学4年生だったので、内容はよくわからなかったんですけど、ただ何か切実な思いをすごいエネルギーで歌っていることに感動して。そこから、自分もこの感動をお客さんに伝えられる可能性はあるのかなと思い始めたんです。
水野:自分で歌を書きたいというより、物語のなかで切実に訴えている歌にビビッと来たから、音楽ではなくミュージカルの世界に進まれたんですね。
井上:そうですね。だからいまだに、自分の思いを歌詞にしたり、曲にしたりできるとも、したいとも、あまり思わないんです。誰かの言葉や人生を借りて、大きな感情を表現したい気持ちが強いですね。
水野:いちばん喜びがある瞬間は何ですか?
井上:あまり「楽しいな」と思うことはなくて。
水野:そうなんですか。
井上:「楽しそう」ってよく言われるし、大きな意味では夢を叶えているし、幸せなんですけど。瞬間として「楽しいな」と思うこと…水野さんはありますか?
水野:ライブ中は頻繁にあります。ただ、楽しむ主体は自分ではないという意識は強いです。お客さんにいちばん楽しんでほしい。あと、ライブをコントロールしないといけないので、どうしても冷静に俯瞰している自分がいますね。
井上:僕は「うまく歌えたな」みたいなときもなくはないんですけど、やっているときにあまり喜びはなくて。でも毎日、同じことをしているなかで、「今日はこうしてみよう」とか、「ちょっと調子が悪いからセーブしてみようかな」とかいろいろやるんです。それで日々、「ここの部分はセーブしてみたほうが逆にいいな。今までみたいに大声でフルで歌うより、少し抑えるぐらいのほうが伝わるのかな」とか発見があって。それが好きなんですよね。
水野:アスリートですね。常に回転している。
井上:そうそう。多分、自分で発見したものって正しいことが多いんじゃないかなと信じていて。「こうしたらこんなに楽に歌える」とか、「こんなに感情がスムーズに流れるんだ」とか、発見して、変化・進化できたときが嬉しいです。
人前だと半音くらい高いキーが歌える
水野:その変化や進化に対して、お客さんから何か反応はありますか?
井上:たとえば、涙になるときもあれば、集中してくれている空気になるときもあります。逆に、あまり惹きつけられてないなと感じることも。でも僕、基本的に人前に立ちたいんですよね。言っていることが矛盾するかもしれないんですけど、人前のほうがいろんなことが上手にできるんですよ。そこは華やかさに通じるのかもしれません。
水野:それはおもしろいですね。
井上:体の血流の関係もあるのでしょうけど、歌も人前だと半音くらい高いキーが歌えるんです。声楽をやっていたとき、イタリア歌曲とかって難しいし、意味わからないなと思っていたのが、コンクールのステージとかお客さんの前だと、パーンッ!って声が出たりして。
水野:観客から視線を浴びていることが興奮材料なんですかね。
井上:それをいいエネルギーに変えられるタイプなんだと思います。観てほしいし、ライブでやりたい。だから逆に、稽古は大嫌いだし、レコーディングとかも得意じゃないんですよ(笑)あまり喜びがわからない。ひとりでもいいので、お客さんにいてほしいですね。
水野:ステージって人間的ですよね。必ず聴くひと、観るひとがいることが明確にわかる。僕らはレコーディングスタジオによくいるけれど、聴くひとの姿を強く想像・意識しながらも、その姿は見えないから。
井上:1曲がすごい数のひとに届くわけじゃないですか。でも、1万人が聴いても、1万人みんなの反応は見られない。そのなかで全力を尽くせるほうがすごいなと尊敬します。
水野:こんな仕事をしておきながら、僕は注目されるのが苦手なんだと思います。ステージに立っていても、「やっぱり人前に立つ人間じゃないな」と感じる。むしろ、誰も見てないところで作ったものが、誰かの気持ちに繋がっていることのほうが嬉しいですね。
井上:へぇー! 逆にそっちのほうが。
水野:いきものがかりでいうと、吉岡の在り方のほうが井上さんのお話に近いと思います。みんなが観ているところでいちばんパワーを出す。
井上:ただ、素の自分を見てほしいとは思わないんです。自分の思いや言葉じゃないからこそ、人前に立って表現できるというのはあるかもしれません。最初に『キャッツ』の「メモリー」を観たときから、知らない猫の歌に感動していたわけですから。役を通じて表現するところに惹かれているんでしょうね。
演劇という場では交流したい
水野:ミュージカルでは、たくさんの登場人物がいて、他の役者さんとのやり取りがありますよね。相手がいるほうが、思ってもないものができておもしろいですか? それとも難しさを感じますか?
井上:刺激的ですし、常に相手から何かをもらいたいという気持ちはありますが、いまだに難しさや恐怖も感じます。僕はスタートが歌なので、もともとはひとりでやるほうが得意で。お芝居を始めてから、相手がいること、コミュニケーションを取ることの難しさを知ったんです。最初は、相手のセリフをどう受け取ればいいかまったくわからない。興味もない。できないし、怖くて。そういうなかで、演出の方とかに怒られながらやっていって。
水野:はい。
井上:正直、今もできているかわかりません。だけど少なくとも、20年以上やってきたなかで、「自分のことだけ考えていたらできない」ということだけはわかるので。とにかく相手に意識を向けないとダメだなと。そうしないと、素晴らしい役者さんのなかに自分が入ったとき、壊してしまう。その恐怖はずっとあります。だから、相手とのやり取りが好きというよりは、必要に迫られて…という感じなんですよね。
水野:なるほど。
井上:自分自身が他者との交流を求めているかというと、そうでもないんです。家族とは居たいけれど、誰とでも仲よくできるわけじゃないし、そんなに器用でもない。でも、演劇という場では交流したいんですよね。場を与えてもらえれば、できるというか。自分は、劇場で演劇というものを通して、交流させてもらっているんだなと思います。まぁ、年々ひらいていきたいんですけど、そんなにひらいていない気もして。
水野:閉じているわけじゃないけれど。
井上:はい。知恵も経験もついちゃうから、傷つけられちゃったら嫌だなとか。
水野:危険察知がうまくなっていきますよね。
井上:だから今日みたいに水野さんが、「話しませんか?」と言ってくれる機会がすごく嬉しいんですよ。なかなか普段は繋がれないですし。そういう意味でも、お仕事っておもしろいなと思います。
文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:谷本将典
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影場所:hotel it. 大阪新町
https://hotelit.jp
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