報道小説というジャンルを確立したい。
HIROBAの公式YouTubeチャンネルで公開されているトークラジオ『小説家Z』。こちらはアーカイブ記事です。
塩田武士(しおた たけし) 1979年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、神戸新聞社に入社。2010年第5回小説現代長編新人賞を受賞。神戸新聞社在職中の2011年、『盤上のアルファ』でデビュー。2016年『罪の声』で第7回山田風太郎賞を受賞。2018年には俳優・大泉洋をあてがきした小説『騙し絵の牙』が話題となり、2019年、『歪んだ波紋』で第40回吉川英治文学新人賞受賞。2020年、21年には『罪の声』『騙し絵の牙』がそれぞれ映画化された。
基礎があることに対するコンプレックス
水野:リアルをむき出しで書いてしまうと、伝わりにくい部分、漏れてしまう部分、過度になってしまう部分もある。だから、その本質だけを抜き出す。その、「本質を抜き出して、わかってもらいたい」ってことと、「エンタメとして、こう見せたい」ってことのバランスってどうやって取っているんですか?
塩田:僕は取材でいろいろ経験して、実在の凄みは身に染みているんですね。実際にあることの尊さ。一方で、エンターテイメントもずっと好き。この2つが自分のなかにもともとあって。で、実在の部分だけだと、ひとって見てくれないんです。
水野:なるほど。
塩田:だから、リアリティーの部分で本質を抽出する。そして、人々を楽しませるエンターテイメントと高い次元で両立させることによって、僕の表現したい世界に近づけるというか。
水野:めちゃくちゃ難しいことをされているんですね。
塩田:本当に嫌になるときがあります。自分の創作方法を分解していって、それをまとめたりもするんですね。「僕の理想をするには、まずこういう考えをして…」って、事細かにまとめているんですけれども、できたためしがない。偉そうにね、書いているんですよ。でも具現化するときには、反省の連続です。
水野:今回も実は、質問事項を事前にお送りしたら、ご自身が書かれているときに大事にされていることというか、イズムをまとめられた文章の一部を送っていただき。一部とはいえ、今画面上に文字がとんでもない数。真っ黒!
塩田:4分の1に圧縮してそれなんです。
水野:そうなんですか! 夢中で読んだんですけど、めちゃくちゃ贅沢で。これを読みたい作家志望の方とか、もしくは取材者の方とか、ほぼ答えが入っているじゃないかってぐらい。
塩田:結局、音楽とか絵画に対するコンプレックスがあるんですよ。芸術大学で音楽とか絵画って、教わることができるじゃないですか。でも小説ってほとんど教えてなくて。文芸は、あまりにも個人の経験とか思考によるところが大きいから、創作論においては普遍性の獲得が難しい。だからそれぞれで作るしかない。とはいえ、小説って表面的なハウツー本ぐらいなんですよ。「こういう流れにしたら、ひとが騙せます」とかね。
水野:はいはいはい。
塩田:「なぜ小説でそれを書くのか」とか、「どういう心構えでいるのか」とか、そういう本は出てない。つまり、体系的な学問として成り立ってないところがコンプレックスなんです。だから、画家を取材しても、弁護士を取材しても、お医者さんを取材しても、基礎がしっかりしたところが羨ましくてしかたない。基礎を持っているひとが、最終的に強いと思っているので。僕は基礎があることに対してのコンプレックスは大きいんですよ。
先生に、「ひとりもいません」って言われたんですよ。
水野:その基礎って、たとえば塩田さんが影響を受けてきた、清張であるとか、そういう多くの作家のひとたちって持っているものなんですか?
塩田:そうですね。清張と山崎豊子。これは徹底的に調べるんですよ。調べて、調べて、人間と社会に近づいていく。人間が書けないと社会に広がらないので、まず人間を書くところで、徹底的に取材するわけですね。でも個人で考えられることって知れていて。僕がプロットで仮定したことは、取材でどんどん覆されていく。
広大なアフリカのサバンナで、巨象に狙いをさだめ、猟銃を構える一人の男がいた。恩地元、日本を代表する企業・国民航空社員。エリートとして将来を嘱望されながら、中近東からアフリカへと、内規を無視した「流刑」に耐える日々は十年に
水野:はい、はい。
塩田:たとえば今度、『朱色の化身』っていう新作が出るんですけれども。これも30人ぐらいにインタビューしていて。ほぼ実在の情報のなかで、たった1人、真ん中に辻珠緒っていう架空の女性を描くんですね。
「知りたい」――それは罪なのか。 昭和・平成・令和を駆け抜ける。80万部突破『罪の声』を超える圧巻のリアリズム小説。 「聞きたい、彼女の声を」 「知られてはいけない、あの罪を」 ライターの大路亨は、ガンを患う元新聞記者の父から辻珠緒という女性に会えないかと依頼を受ける。一世を風靡したゲームの開発者として知られた珠緒だったが、突如姿を消していた。珠緒の元夫や大学の学友、銀行時代の同僚等を通じて取材を重ねる亨は、彼女の人生に昭和三十一年に起きた福井の大火が大きな影響を及ぼしていることに気づく。作家デビュー十年を経た著者が、「実在」する情報をもとに丹念に紡いだ社会派ミステリーの到達点。 ジャ………
塩田:で、ジェンダーとかテクノロジーとか依存症っていうテーマを決めて、取材していくんですけれども。テクノロジーと依存症でいうと、僕はまず自分の仮定を作って。たとえば、ARとかXR関連の技術が発達すると、アカウントとかアバターを作って、理想の自分を作りますよね。それがあまりにも好きすぎて、現実の自分が嫌になって、「自分の作ったアバターに依存してしまう」という依存症が発生しているのではなかろうかと思って。
水野:はいはいはい。
塩田:久里浜まで行って、ネット依存症の第一人者の樋口進先生という方にインタビューしたんですよ。そこで、「僕はこういう仮定をしているんだけども、そういう患者さんも出てきているんじゃないですか?」って聞いたら、先生に、「ひとりもいません」って言われたんですよ。久里浜まで行って…。
水野:京都から(笑)。
塩田:そう。「塩田さん、そもそもあなたが今言っているのは、VRゴーグルとかがないとできない。でも、VRゴーグルなんか重たいし、デバイスが普及してない。ネット依存は今のところ、9割以上、オンラインゲーム依存なんですよ」と。ということで、オンラインゲーム依存について聞いていったら、これが深刻なんですよ。
水野:はい。
塩田: 10代の男の子がこの依存症にハマってしまうことが多いんですけど、もう人生も家族もめちゃくちゃになってしまうというところを聞いて。今度は実際に依存症の子を持つ親御さんにも取材して。そうしたらもう、ひとつの家族がどう壊れていくかがリアルで。つまり「アバターによる依存」って仮定を立てて、取材していったら、こういう現実に行き当たるんですよね。いかに自分の仮定が知れているか。これを物語にしていくという。
トレース型、モデル型、キーワード型
水野:この『朱色の化身』って、温泉街ひとつがなくなってしまうかのような、非常に大きな火事が起きるところから物語がスタートする。で、その火事の話を取材で聞いているなかで”ゲーム依存”という要素って、めちゃくちゃ離れている気がするんです。
塩田:僕はリアリティーがあるものがいちばんおもしろいと思っていて。たとえば映画を観ていて、自分の身内がスクリーンに出てきたら興奮しません? 結局ひとは自分から距離の近いものに興奮する。これがリアリティーなんですよね。これを獲得したくて、書いているんですけども。……あれ、質問なんでしたっけ?
水野:火事の話とゲーム依存の話が離れていて。
塩田:そうだ。そこにたどりつくまで、何クッションもあって…。まず僕には10年の経験のなかで、型が3つあって。1つ目は、実際の事件をトレースして書いていくトレース型。これは条件があって。明らかになっている事柄と同じぐらい、謎の部分が多いこと。たとえば『罪の声』には、グリコ・森永事件という未解決事件があって。大量の証拠と証人がいるけど、謎もいっぱいある。だから虚実の歯車を細かくできる。それで成り立つ。
京都でテーラーを営む曽根俊也は、父の遺品の中からカセットテープと黒革のノートを見つける。ノートには英文に混じって製菓メーカーの「ギンガ」と「萬堂」の文字。テープを再生すると、自分の幼いころの声が聞こえてくる。それは、31年前に発生して未解決のままの「ギン萬事件」で恐喝に使われたテープとまったく同じものだった。「ギンガ萬堂事件」の真相を追う新聞記者と「男」がたどり着いた果てとは。渾身の長編小説。 「週刊文春」ミステリーベスト10 2016国内部門第1位! 第7回山田風太郎賞受賞作。 朝日新聞「天声人語」など各種メディアで紹介。 逃げ続けることが、人生だった。 家族に時効はない。今を生きる「子供た………
水野:はい。
塩田:2つ目がモデル型。グリコ・森永事件でいうと、高村薫さんの『レディ・ジョーカー』とか。そのものを書くんじゃないけど、本質を抽出してモデルにする型。そして、3つ目が『朱色の化身』でやったもので、キーワード型。これを今まで僕は読んだことがなかったんです。まず16項目ぐらい気になっている事柄を挙げて。そのなかからジェンダーとかテクノロジーとか、普遍性のあるキーワードに絞って。で、取材から入るんです。
空虚な日常、目を凝らせど見えぬ未来。五人の男は競馬場へと吹き寄せられた。未曾有の犯罪の前奏曲が響く――。その夜、合田警部補は日之出ビール社長・城山の誘拐を知る。彼の一報により、警視庁という名の冷たい機械が動き始めた。事件
水野:うん、うん。
塩田:だから取材していて、何が出てくるかわからない。
水野:ゴールラインが見えてないんだ。
塩田:だから怖くて仕方ないんですよ。それをずーっと続けていった先に、共通項が見えるはずだと思って、やっていったんです。
水野:めちゃめちゃ危険なことしている!
塩田:そうなんですよ。今回なんか、その取材過程を動画でも撮ってもらっているので、「できません」って言えない。だからキーワード型って、普通はやらないんです。
水野:はいはいはい。
塩田:でも僕は、10周年で何か違うことをどうしてもやらなきゃいけないと思って。キーワード型ってあるんじゃないかと、また仮説を立てて、始めた。だから、火事とテクノロジーとか、依存症が繋がるんです。
水野:ちょっと離れた話かもしれないんですけど、とくに音楽って、矛盾している要素とか、距離のある要素を、統一性をもって作れたときにいいものになるっていうのがあるんですよ。
塩田:あると思います。違うものを組み合わせる。僕の場合、ストーリーが伸びひんなって思ったとき、まったく関係のないものを放り込むんですよ。
水野:あぁー。
塩田:たとえば、『デルタの羊』っていうアニメ業界をテーマにした作品。アニメーターの箇所が伸びない。人物の造詣が深まらない。そこで、そのアニメーターを元警察官にして、詐欺事件を入れたんですよ。
水野:なるほど。
塩田:警察とアニメーターってまったく関係ないじゃないですか。それを元警察っていうことで、似顔絵捜査官をやっていたってことにした。そうしたらおもしろくなったんですよ。
水野:やっぱりその方法論って、取材者だった塩田さんならではですよね。いろんなものに対する観察者の視点があって。多分、警察官の方の人生も知っているし、アニメーターの方の人生も知っている。すべてを要素として、フラットに見られる立場に長くおられたからこそ、「これとこれ、繋げてみたらどうかな」って思える。本当にたくさんの球を持っているというか。
塩田:まさに僕は、報道小説というジャンルを確立したいんですよ。これまでって、マスメディアを通してじゃないと情報を得られなかった。でも今は、個人発信できるから、変わってしまったんですよね。つまり規則正しい波紋を描いていたものが、乱れている。これは『歪んだ波紋』って作品で書いているんですけど。
記者は一度は未知の扉を開けるものだ。「黒い依頼」――誤報と虚報 「共犯者」――誤報と時効 「ゼロの影」――誤報と沈黙 「Dの微笑」――誤報と娯楽 「歪んだ波紋」――誤報と権力 新聞、テレビ、週刊誌、ネットメディア――情報のプリズムは、武器にもなり、人間を狂わす。そして、「革命」を企む、“わるいやつら”が、いる。『罪の声』の“社会派”塩田武士が挑む、5つのリアルフィクション。誤報の後に、真実がある。 騙されるな。真実を、疑え。 悪意が、「情報」という仮面をかぶっている。必要なのは、一人一人のジャーナリズムだ。18万部のベストセラー『罪の声』から2年。”社会派作家”塩田武士が描ききった、この世界を………
水野:はい。
塩田:水野さんがおっしゃられたように、取材者っていろんなところに行ける。だから、主人公は記者とか報道に関わるものだとしても、いろんな扉をノックできて、いろんな世界が書けるんですよ。こういう時代だからこそ、入り口がたくさんできて、報道小説がジャンルとして確立できるかもしれないって思いますね。
文・編集: 井出美緒、水野良樹