落語の制作期間は、お客さんの笑いがいちばんの栄養
毎日ペースで高座があるぐらいがいい
吉笑:音楽を始めた頃の水野さんと、今の水野さんだったら、今のほうが見えているものは多いですか?
水野:絶対に多いと思います。でも、昔のほうが体力はありましたね。やっぱり曲作りに体力は必要で。ツラい作業だから。
吉笑:ツラい作業なんですか!
水野:はい、僕の場合は。「どうやったらこれが成立するだろう」と考え続けることに耐えられるパワーが若いときはまだあったと思うんです。でもだんだん耐えられなくなってきました。いろいろ見えるようになってきているし、逃げる技術もついてしまったし。
吉笑:でもそれはできるだけやらないようにするから、向き合って、しんどい。
水野:しんどい。吉笑さんはいかがですか?
吉笑:いや、もちろんツラいです。ツラい。でもイメージですが、ミュージシャンって「音楽が好きで、もう止めどなく出てくる!」みたいな感じかと思っていたから。水野さんのお話を聞いて、大変なんだなと。今回の武道館ライブも、1ヶ月前からリハーサルをやっていたじゃないですか。あれって何をやっているんですか?
水野:僕の場合はずーっと個人練習です。
吉笑:やっぱりやらなくちゃダメなんですか。
水野:もう全然ダメです。これは僕が下手なだけで、お恥ずかしい限り。
吉笑:ミュージシャンの方って、そういうリハや制作期間があるじゃないですか。落語家は、ネタを作りながらも、ほぼ毎日高座があるんですね。それが実は精神衛生上よくて。作るのはしんどいけど、現場に行ったらお客さんの笑い声があって。だから逆に、ネタ作りにずっと潜っていくことができない。それは大変だけど、芸人のいいところでもありますね。
水野:もし、「1ヶ月くらい表に出なくていいので、究極のネタを作りなさい」と言われたらいかがですか?
吉笑:それに憧れたことありました。でも、落語はやっぱり毎日高座があるぐらいのペースがいい気がして。たまに5日間ぐらいまとまった休みがあるとき、ネタ作りをしようと思っても、結局はサボるというか。なんだかエンジンがかからない。それが高座に上がると、エンジンかかるから。結局、笑いだから、潜って作るものじゃないのかもしれないですね。
水野:僕らも「ライブモード」と「制作モード」みたいな話をよくするんですけど、ツアー中は書けないひとも結構いるんです。そういうのはありませんか? 今はブワーっと喋っていくモードだから、ネタは書けないとか。
吉笑:ないかもしれません。逆に、そこまでネタを書くときにすごい密度で潜ってないというか。落語の制作期間は、お客さんの笑いがいちばんの栄養だから。だからこそミュージシャンの方とは感覚がだいぶ違って、なんで1ヶ月もリハをするんだろうって(笑)。
水野:バカみたいですよね(笑)。とくに今回の武道館ライブは特殊で。今までやってないことを、あえてやってみようと。外から見たら大して変わりないけれど、内側では全然違う……ということを意識してやっておかないと、よくない意味で“慣れて”いっちゃうから。そんなことを頭でっかちに考え、みんなでやっていきました。でも結果、よかったです。違う感覚も育っている気がするし。
吉笑:それはもう前日の段階で「行ける!」って感じでした?
水野:いやいやいや。前日の22時ぐらいまで僕、スタジオでひとりで練習していました。
吉笑:やっぱりそうなんだ。もちろんやってきた準備もあるけど、当日も不安。
水野:吉笑さんもそういうのあります?
台本を書かない
吉笑:すごくあります。新作落語をやるひとには2パターンあって。初披露する「ネタ下ろし」から、もう一言一句が出来上がっているひと。自分の場合はそうじゃなくて。持ち味でも弱点でもあるんですけど、ルーズというか、台本を書かないんですよ。セリフを書いて演技をしようと思ったら硬くなるから。通過点だけ用意して。喋りながら無理やりかたちにしていくタイプ。
水野:マジですか!
吉笑:だから、より不安なんです。最後までできるかどうかもわからないし。まぁなんとかなるんですけど。今のところ、1回目はまぁまぁうまくいくことが多くて。2回目は、1回目のルートが見えちゃっているから、それを追って失敗しがち。ガタがきて、グッと悪くなる。そして3回目から徐々に戻して、みたいな作業。
水野:代表作と言われている「ぷるぷる」や「ぞおん」はもう何度もやっているんですか?
吉笑:めちゃくちゃやっています。たまたま最近、「ぷるぷる」を振り返るタイミングで、改めて2021年の高座の録音を聞いてみたんですね。1回目はわりと盛り上がって。2回目は、前日のちょっとダメだったところが短くなった分、よさも削がれて。3回目は寄席だったから、自分をあまり知らないお客さまに向けてやったんですけど、ドン!とウケて。4回目はわりと今の形に近いというか、もう一気に完成に向かっていきました。10日で4回。そこまでいったら型がこびりついているから、その後は変わりづらくなりますね。
水野:よくも悪くも慣れていくじゃないですか。また何年も経つと、変化を迎えるんですかね。
吉笑:ミュージシャンにも、ヒット曲問題があると思うけど、まさに「ぷるぷる」はそういうネタで。自分にとっての初ヒット曲という感じなので、お客さんにも何回もやっていて。だからたしかに飽きてくるというか、作業になってくるところがあって、いったんやらなくしました。自分が飽きて、ワクワクしなくなった時点でよくないから。曲もそうですよね。
水野:そうなんですよ。でも、「え、あの曲をやってくれないの?」って求められてしまうので。
吉笑:いや、客からしたら、やっぱり絶対にライブで聴きたいですよ。
水野:でも、たとえば「ありがとう」とかは、数千回やっていると思うんですけど、最近またフェーズが変わってきていて。
吉笑:同じ「ありがとう」でも、やったときの楽しさとかが違うってことですか?
水野:いや、もう楽しさとかは通り過ぎていて、何も考えなくてもできてしまうんです。身体がそうなっているから。ただ、自分のコアな演奏技術や客席を把握する能力が上がっているからか、久しぶりに今年のツアーで「ありがとう」をやったとき、いつもの演奏メンバーなのに、「なんか、全然違うものになったね!」って。
吉笑:へぇ!
水野:ちょっとリズムの重みが変わっていたり。お客さんにとっても定番曲になりきっているから、「やっと聴けた」という表情から、僕らより楽曲に思い入れを持ってくださっているのが伝わってきたり。「こんなに何度もやっているのに、まだ違う景色が見えるものなんだね」って驚いたんですよ。
「真白い雪」と「白い雪」
吉笑:でもそうですよね。ずっと変わり続けていくんだろうな。今日は「余白」をテーマにしていますけど。
水野:だいぶ話がずれてしまいました(笑)。
吉笑:自分はやっぱり余白が苦手で。情報をいったん1から10まですべて詰め込みたくなる性質で。余白が大事なことはわかっているんですけど…。水野さんは、歌詞を書くときに、余白のさじ加減ってわかるものなんですか?
水野:うーん、考えていきますね。経験でしかないんですけど。
吉笑:「ちょっと具体的すぎるから、もうちょっと抽象的に…」って押し引きをずっと?
水野:はい。たとえば、冬の曲で「白い雪」って言葉が出てきたとするじゃないですか。「真白い雪」って書いた場合と、「白い雪」って書いた場合。与える印象が違いますよね。
吉笑:違いますね。えぇ、おもしろい。
水野:「真」のひと言だけで、ちょっとキュッとするじゃないですか。そういうことを繰り返していく。
吉笑:それ、めちゃくちゃ大変な作業ですね。
水野:雪の音とか、雪が降っているときの寒さとか、雪が街を静かにさせていく様子とか、すべて書いてもいいけど、メロディーなんて4音とか5音だから細かく表現するのは難しい。だからこそ、「真白い雪」と「白い雪」ですごく考えるんです。
吉笑:へー。
水野:そして、その「雪」は、その後“主人公がどういう感情でいればいいか”ということに関わってくる。たとえば、この主人公だったら、「真白い雪」でわざわざ白をキュッと一点に集中させるような表現をしなくても、「白い雪」で伝わる、とか。この主人公は今とても傷ついているから、白に対して集中力を持った「真白い雪」のほうがいい、とか。
吉笑:うわー、すごい。それはしんどいなぁ。
水野:それを頭のなかで体感的にやっていく作業だと思います。
吉笑:1行1行その密度で。しかも正解がわからないし、ひとつ変わったらすべて変わってくるから。
水野:少し話が変わりますが、小田和正さんの楽曲「たしかなこと」の<雨上がりの空を見ていた>って、何も難しいことを言ってない、シンプルなフレーズですよね。でも、あの声で、あのメロディーで、あのワンフレーズを歌うだけで、浮かぶものがある。それでみんなお客さんが泣く。あれが究極だなと思って。言語化できないこともたくさんあるけれど、落語も音楽も突き詰めたらそういうことをやっているのかなと。落語は歌に比べたらたくさんのセリフ量があって、それこそ一見、無駄に見えるようなものもあるんだろうけれど。「ここで圧を持って言葉を放つのか、それともサラッと言うのか」とか、そういういろんな選択によって。
吉笑:まったく変わるんですよね。
水野:だから、何度も言っておこがましいんですけども、落語と音楽はリンクするところがあるなと。
吉笑:いや、本当にそうだなと今回改めて思いました。
文・編集:井出美緒、水野良樹
撮影:軍司拓実
メイク:内藤歩
監修:HIROBA
撮影場所:かんたんなゆめ
https://www.instagram.com/kantan.na.yume/
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